平成以降国内最大規模となった大船渡の山火事

2025年2月26日に大船渡で発生した山火事。鎮圧までに12日、完全な鎮火までは41日を要した大規模火災は、約2,900haが焼失し、平成以降で国内最大規模となった。

被害を受けた岩手県大船渡市は、2011年の東日本大震災で地震と津波の大きな被害を受けた地域でもある。東日本大震災からの復興を経て、ようやく安定して暮らせるようになってきた今となって、大規模な山火事が地域を襲ったのだ。

今回の被害の特徴は、被害を受けた地域がかなり局所的であることだ。大船渡市の中でも、被害を受けたのは三陸町綾里と赤崎町合足。221棟の建物が被害を受けた。火災発生の2月26日から3月9日に鎮圧宣言がされるまで、4,000人以上が避難を余儀なくされた。

山火事から2ヶ月ほど経過した4月28日に大船渡駅から綾里駅までバスに乗って取材に向かったが、たしかに最初は山火事の被害はあまり見られず、変わらぬ町の風景が広がっていたものの、綾里地区に差し掛かったとたん、黒く焦げた山肌や倒壊した住居、建物が現れた。燃えてしまった建物に近づくと、まだ焼け焦げたにおいが漂っていた。

山肌が焼け崩れている様子が車内からも見られた山肌が焼け崩れている様子が車内からも見られた
山肌が焼け崩れている様子が車内からも見られた綾里の町の様子。まだ焼けてしまった家の跡がそのままに残っていた
山肌が焼け崩れている様子が車内からも見られた跡形もなく焼けてしまった建物もあれば、そのまま残っている建物もある。同じ地区内でも建物の被害には大きな差があった

東日本大震災で施設は全壊。6年かけて出荷再開して軌道に乗ってきた矢先に

今回お話を聞かせてくれた元正榮 北日本水産株式会社の古川翔太さん。熱量をもって復興に取り組む今回お話を聞かせてくれた元正榮 北日本水産株式会社の古川翔太さん。熱量をもって復興に取り組む

東日本大震災を乗り越えた後の、山林火災によるさらなる災害。地域はどのように捉え、どのように立ち直ってゆくのだろうか。
復興に前向きに取り組む元正榮 北日本水産株式会社 取締役営業部長の古川翔太さんに話を伺った。

あわびの陸上養殖を行う北日本水産。1986年の創業以降、大船渡の名産アワビで地域の産業を支えてきた。
2011年3月11日、北日本水産も例にもれず東北を襲った東日本大震災の被害を受ける。事務所や養殖場は全壊。古川さんが中学3年生の時だった。

「三陸町に3ヶ所のセンターがあったのですが、全部津波で流されてしまいました。外の石垣の八分目の高さまで津波が来たので、ここは完全に水没しました。施設も水槽も全部流されてしまって、15から20億円くらいの規模の建物の被害がありました」(古川さん)

陸上養殖では、養殖設備を復旧するのに多額の費用を要するだけでなく、あわびを出荷できる大きさにまで育てあげるまでは収入が得られない。2014年に設備を立て直し、あわび養殖を再開。3年かけてあわびを育て、2018年にようやくあわびの出荷を再開できた。被災から6、7年もの歳月をかけて、ようやく事業再開のスタートを切ることとなった。

コロナ禍での出荷減を乗り越え、被災前の売上を取り戻すために大船渡の養殖あわびのブランド化も行ってきた。天然あわびや外国産の養殖あわびとの差別化が課題となっていたところ、養殖あわびならではの殻のきれいな緑色を売りにした「三陸翡翠(ひすい)あわび」として打ち出すことに。

「名前ができるとロイヤリティも出ますし、特別なものだということを理解していただけたので、リピート率も結構高いんです。『三陸翡翠あわび』というブランド名があることで、岩手県産養殖あわびという名前で並んでいるよりも地域性を感じてもらえたり、 『翡翠』という宝石の名前も入っていることで響きがよかったりと、よい評判につながりやすかったのかもしれません」(古川さん)

メディアやテレビにも取り上げられ、軌道に乗ってきた矢先に起きたのが、今回の山火事だった。

今回お話を聞かせてくれた元正榮 北日本水産株式会社の古川翔太さん。熱量をもって復興に取り組む東日本大震災当時の様子。当時古川さんは中学3年生だったという(画像提供:古川さん)

正しい情報がわからない不安。火災当時の様子と被害

大船渡の山火事発生当時の様子。あたり一面が炎と煙に包まれた(画像提供:古川さん)大船渡の山火事発生当時の様子。あたり一面が炎と煙に包まれた(画像提供:古川さん)

「火災発生当日の午後、 オンラインミーティングしていたんです。そしたら工場長が急に来て、 『外がすごい火事だぞ!』と言われて。でも、そのときちょうど、近隣の火事が鎮火したばかりだったんです。鎮火の放送があった直後に火事だと言われたので、最初『えっ?』と思いました。終わったばかりじゃないかと。 それで外を見たら、ニュースで流れていた映像のようなひどい山火事が起きていて。すぐに、これは危ないから逃げようとなり、従業員全員で作業をやめて逃げました」(古川さん)

実は、今回の山火事が発生する少し前にも近隣で山火事が続いていたという大船渡エリア。
2月19日に大船渡・綾里地区で山火事が発生し、25日の15時ごろ鎮圧。同日その後、隣の陸前高田市で山火事が発生し、大船渡市まで延焼。26日に鎮圧した後、今回の山火事が発生した。

避難や物資の調達は、東日本大震災の経験があったからスムーズに行えたが、正しい情報がわからないことによる精神的な不安が大きかったという。

「物資や避難体制については、震災のノウハウを生かして素早く対応ができました。辛かったのは、避難の疲労と情報の部分でしたね。2月19日や25日の火災では消防団の方々が動いてくれていました。消防団は地元の方々なので、現場に行ってきて自分の家の状況を教えてくれたり、写真を撮ってきてくれたりと情報提供をしてくれます。そこから、自衛隊や消防隊の方が入ってくると、もう情報が入ってこなくなってしまうんですよね。 消防団が活動していた時までの安否情報はわかっていても、それ以降に火がどこまで行ったかわからなくって。結局、無事と聞いていても、現地に行ってみるまでわからないみたいなところがあって、だから3月10日までは避難の疲れもそうですけど、真実がわからないというのがみんな精神的に辛かったんじゃないかなと思います」(古川さん)

2週間弱と長期にわたった避難期間。地域飲食店も営業を停止し炊き出しに出るなど、地域一体となってなんとか山火事を乗り越えた。

山火事による甚大な被害で、事業継続を諦めざるを得ない事業者も

約2,900haが焼失し、221棟以上もの建物が被害を受けた大船渡の山火事。

北日本水産では、山火事で電気が止まったことで水槽に酸素を送ることができず、養殖あわび約250万個が酸欠でほぼ全滅。かろうじて3,000個ほどが残ったものの、死んでしまったあわびにより水槽に汚水が大量に発生してしまい、使える状況ではなくなってしまったという。また、海水を送る太い配管や倉庫も焼けてしまい、総額5~6億円に及ぶ被害となった。

周囲には、この山火事で会社をたたんでしまう事業者も見られると古川さんは話す。

「被害は大小ですが、一番ひどいところだと、家も工場も震災後に建て直したものが焼けてしまって、もう事業をたたんでしまう方もいます。震災で立て直したところに、またイチから復興というのは難しいですよね。震災からの延長でいうと、ローンの返済がようやく終わってくるタイミングなんです。その タイミングでまたゼロになって、また負債抱えてって、相当気持ちがないと難しいです。それで60代後半とかになってくると、諦めざるを得ないなと」(古川さん)

風評被害による観光産業への打撃も懸念されている。山火事の凄惨な様子が報道されたため、観光客の足が遠のいているという。地域の飲食事業者も、火災当時には営業をやめて炊き出しを行っていたため、これからどうやって盛り返していくかが要になってくる。

左側が被害を免れた水槽、右側が酸欠で大量にあわびが死んでしまった水槽。水はかなり濁り、生臭い異臭がした左側が被害を免れた水槽、右側が酸欠で大量にあわびが死んでしまった水槽。水はかなり濁り、生臭い異臭がした
左側が被害を免れた水槽、右側が酸欠で大量にあわびが死んでしまった水槽。水はかなり濁り、生臭い異臭がした山火事の被害を受けた北日本水産の配管。ここまでの太さの根本が、火によって焼け、穴が開いてしまっていた
左側が被害を免れた水槽、右側が酸欠で大量にあわびが死んでしまった水槽。水はかなり濁り、生臭い異臭がした焼けてしまった倉庫は骨組みしか残っておらず、もともとそこに倉庫があったことさえも最初は気が付かなかった

逆境を力に変える挑戦。復興への新たな歩み

養殖あわびが全滅してしまった北日本水産。設備を復旧させ、出荷できるサイズに育つまでは、あわびの出荷以外の売上で経営をつないでいく必要がある。古川さんはこうした逆境をむしろ逆手に取り、新商品の開発やPRなど、意欲的に取り組んでいる。

発災から1ヶ月後の3月26日からクラウドファンディングを開始。被害を受けた混乱のさなか、脅威のスピードで動き始めた。目標額5,000万円のうち、5月の執筆時点では1,000万円以上を集めている。クラウドファンディングは6月24日まで行うそうだ。

「かなり支援もいただいていて、応援コメントも500件近く来ているんですよ。『三陸翡翠あわび』のブランドを立ち上げていたおかげで、私たちのあわびのファンとなってくれていた方々がいたからこそ、こういう状況でもなんとか盛り返していけそうかなと思っています。あと、 シンプルにこれまでお客さんに販売してきた自分たちのあわびはやっぱり間違っていなかったんだと自信にもなりました。お客さんにとって価値が低ければ、『ダメになったら別のものをつかえばいい』と代替されてしまう話なんですが、このように支援をいただけることで、 お客さんにあわびの価値がちゃんと届いていたんだなということがいちばん嬉しいです」(古川さん)

また、東日本大震災をきっかけに立ち上がったOWB株式会社のハンドメイドガラスブランド「iriser」と連携して、貝殻を活用したアクセサリーの販売もはじめた。「awase」と名付けられたシリーズでは、養殖あわび特有の綺麗な翡翠色を生かしたネックレスやイヤリングが販売されている。あわびの貝殻を使うことでそれぞれ異なるデザインになっているのも、特別感があってうれしい。
また、社員の熊谷奈津伎さんによって、レジン加工でのアクセサリーづくりもはじめられたそうだ。あわびの生産・出荷ができなくなったからこそ見出された、新しい価値である。

「三陸翡翠あわび×iriser」のコラボアクセサリー「awase」光があたると翡翠色が綺麗に発色する「三陸翡翠あわび×iriser」のコラボアクセサリー「awase」光があたると翡翠色が綺麗に発色する
「三陸翡翠あわび×iriser」のコラボアクセサリー「awase」光があたると翡翠色が綺麗に発色する三陸翡翠あわびの貝殻をレジン加工する社員の熊谷さん

外向けの販売活動も積極的に取り組んでいる。5月には、銀座にある岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」で「大船渡市大規模林野火災 復興応援展示即売会」を実施。北日本水産では、山火事を生き残った貴重なあわびを使った「三陸翡翠あわびのステーキ」を出したり、アクセサリーシリーズ「awase」の販売をしたりと、盛り上がりを見せた。

2度目の災害という状況にあっても、諦めずに、むしろ新たな価値をつくりだして打開していこうとする古川さん。復興に前向きに取り組むその姿からは、被災後の過酷さを感じさせないような熱量を感じた。このような前向きな姿に、励まされる地域住民も多いのではないだろうか。

災害時に見えてくる、地域に必要な力

東日本大震災の被害から、ようやく立ち直ってきたタイミングでの今回の山火事。高齢の地域事業者にとっては、再建しようにも心が折れてしまう。しかし、若者世代にとっては二度目の苦難であっても、なんとか食いつないでいかなければならないのだ。自らの生計をかけた推進力が、災害に見舞われた地域を盛り上げるパワーにつながる。地方部の少子高齢化が課題となっているが、"地域に若者がいる"ということは、有事の際に地域を存続させていくための鍵となることを、古川さんのエネルギッシュな姿勢を見て強く感じた。

また、地域に必要なのは、地域内の若い力だけでなく、地域外からの応援も重要になってくる。
古川さんに、地域外の人ができることについて尋ねたところ「もちろん寄付もうれしいですが、SNSやクラウドファンディングのページで応援のコメントをもらえると、金額以上に元気が出ます。無関心が一番悲しいですね」とのことだった。地域に住む「定住人口」でも、観光客などの一過的な「交流人口」でもない、地域と多様に関わる「関係人口」を増やす取り組みが進められているが、災害などで地域の力が弱っているときに、"外から応援してくれる人いる"ということも、地域の存続を大きく左右するのだろう。

テレビに映っていたような大きな山火事をイメージすると「今のタイミングで大船渡に行ったら迷惑なのではないか」と躊躇してしまうが、今回の火災は山林部を中心とした局所的な被害であるため、観光業は変わらず続けられている。風評被害による観光産業の衰退が懸念されるなか、地域外に住む私たちにできることは、被災地のものを買うことや、観光に訪れて地域を応援することだ。

二度の災害に見舞われてもなお、立ち上がろうと前向きに復興に取り組む大船渡。無関心にならず、私たちにできることで、これからの挑戦を応援していきたい。

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