空き家に加え、劣化も。取壊しを考えたこともあった登録有形文化財の田中家長屋(五軒長屋)
埼玉県小川町の田中家長屋は蛇行する道に沿って屈曲して建てられた五軒長屋。
もともとは六軒長屋だったそうだが、現存するのは五軒。2021年に国の登録有形文化財に登録、2024年末には新しい店舗が開業して人気になるなど一見順調に見えるが、ここに至るまでには取壊しを考えた時期もあったと五軒長屋の所有者の田中照子さん。
「我が家に伝来する不動産のひとつでいつの時点で買ったか、建てたかなどの詳細は分かっていません。一時期は困っている人たちに貸していたためか、お助け長屋と呼ばれていましたし、平成18~19年頃には五軒のうち、両端の二軒にだけしか入居者がおらず、もう取り壊してしまおうかと悩みました」
その時点では雨漏りがあり、建物裏側には代々の入居者が勝手に増築した建物もあった。ただ、入居者がいる住戸は取り壊すわけにもいかない。そこで知人の建築家に相談したところ、梁を見せてほしいと言われて内部を案内。そこで上部には曲がった木をそのまま利用した昔のままの材が使われていることを確認、建築家には残せますよと言われた。以降、改修にあたって田中さんは柱や梁を見せるようにしてほしいという要望を出すようにしている。
そこで雨漏りを補修、勝手な増築部分を撤去、耐震補強のために壁量を増やし、瓦屋根を金属板に葺き替えるなどの手を入れて新たに入居者を募集することにした。その結果、風情のある佇まいに惹かれて芸術家などモノ作りに関わる人を中心に借りたいという人たちが田中さんの想像を超えて集まるようになり、空室危機は無事に乗り越えられた。
田中さんはその数年前に明治築という自宅の母屋にも手を入れている。ここで建築家に構造を診断してもらい、梁を見せて修復することを決めた。梁や構造を見て判断するのはその時に学んだことというわけだ。
こうした経験を機に田中さんは夫婦揃って町の古い建物の保存活動に取り組むようになり、2015年には町議会議員に立候補した。選挙時のスローガンは「おまちを残したい」。町の中心部のかつての賑わいを再生させたい、建物を残したいという意味である。
その後、田中さんは町のランドマークだった、かつて養蚕伝習所として使われた古民家を人と文化の交流拠点として活用する玉成舎の保存に関わり、それが現在の小川町の空き家を活用しようというムーブメントに繋がった。田中家長屋は町のムーブメントの源流とも言える存在なのである。
資料も何もない状態で借りてリノベーション開始
田中家長屋の一角にグラフィックデザイナーのみのもけいこさんと夫で料理人の佐藤朋史さんが引っ越してきたのは2023年の夏。二人はそれまで東武東上線上福岡駅近くの店舗併用住宅を住居兼オフィス、ギャラリーにリノベーションして暮らしていたのだが、佐藤さんが独立、飲食店を開業するために開いた場を移転することになり、住居兼店舗となる場を探して田中家長屋に行きついたのだ。
「最初は小川町内の建物(現在は蕎麦屋)という建物を見学したのですが、風呂がなく、店舗兼住宅にするつもりだったので他を探そうと帰宅。ネットで検索したところ、この物件が出てきました」とみのもさん。
その時点では建物に関する資料は図面も含めて何もなかった。2021年に田中家長屋を有形登録文化財に登録した時にも棟札(建物新築時、修理時などに建物の繁栄と工事の安全を祈願して棟木や梁などに取り付ける札のこと。建物の建築時期が分かる)はなく、一部に和釘(手打ちで仕上げられているなどいくつか特徴がある)が使われていたことから明治30年代以前に建てられたものと推測された。今日、一般的に使われている洋釘が普及したのは明治30年代以降だからだ。
だが、資料がないことは二人のとっては障壁ではなかった。その時点では残置物に埋もれ、室内は土足でなければ上がれないような状態だったものの、すてきな物件になりそうな予感がすると感じ、そこから1年半に及ぶセルフリノベーションがスタートした。
「契約後、大家さんが外観を直してくださることになりました。以前の八百屋さんは入り口にガラスサッシの扉を付けて使っており、それでは建物全体にそぐわないと大家さん負担でリフォーム。その間はフリーレント扱いにもしてくださいました」
現時点ではみのもさんが借りた一番端の住戸だけが妙に新しくて目立つが、時間が経てば馴染んでくるはずである。この改修工事の間は2階の残置物を階下に下ろしては廃棄するという作業を数ケ月にわたって行っていたそうだ。
古民家リノベに必須なものは断熱材とグラインダー
その次の作業は壁、柱、天井その他すべてを覆っていた薄いベニヤ板を剥がすこと。しかも、剥がしてみるとその後には大量の釘。朝から晩まで抜き続けてもまだ終わらず、途方に暮れた日々もあったという。
しかも、途方に暮れたのはこの時だけでない。話を聞いていると途方に暮れるエンドレスな作業が延々と続いており、古民家を1軒改装するのは半端なく大変だということが実感できた。実際にどんなことが行われたかをざっと列記してみよう。
現在の建物に入ると店舗部分は天井が吹き抜けになっており、黒光りする見事な梁が見渡せるが、借りた時にはここに2階があった。そのままでは天井が低く、圧迫感があると2人は2階を撤去、吹き抜けにした。また、それだけでは店内が暗いと上部に明かり取りを設置、昼には光が入るようにもした。
汚れた梁、柱を掃除した上、屋根には断熱材を入れ、その上から板を貼った。古い家は暑く、寒いものだが、そこで快適に暮らすためには断熱材は必須。天井、壁、床に入れれば酷暑、厳寒に辛い思いをしなくて済むようになる。隙間にもたっぷり詰めることが大事だそうだ。
また、古い建物では梁、柱などに長年の埃や砂が積もって固まり、雑巾がけくらいでは落とせないほどガチガチになっていることがある。そんな時には「グラインダー(砥石を回転させて材料を研磨したり、削ったりする電動工具)だ」とみのもさん。
「グラインダーでまずざっと汚れを落とし、それから水拭きをするのが現実的。水拭きを何度か繰り返して乾拭きした後、ここでは黒い弁柄入りの油を塗りました。最後に余分な油を拭き取ればてかてかせず、しっとりした艶のある姿になります」
現在の黒光りする梁の風格はそうした丁寧な手入れの結果、再生したものというわけだ。
完璧を目指さないのが成功への秘訣
床工事も大変だった作業のひとつ。床のコンクリートをはつる作業(ハンマーやたがね、ハンマードリルなどの工具を使ってコンクリートを砕いたり、穴を開ける作業のこと)をしたのはちょうど夏場で、作業自体は難しいものではないものの、とにかく体力を消耗したという。また、何度ならしても土間が水平にならず、気持ちが折れそうになったとも。
「私たちは図面を引かずにスタート。最初から完璧をすぐに目指さないと決めて始めましたが、それでも何度もくじけそうになりました。古民家のDIYは完璧主義の人には向かないかもしれませんね」
結果、土間に作ったみのもさんの仕事スペースのすごく素敵なヘリンボーンの床に少し凸凹があったり、トイレのタイルに後で貼るつもりの部分があったりはしているが、全体としてはまるで以前からあったような空間が生まれた。150年以上の古い建物と素人の作業が全く違和感なく一体化、懐かしいような楽しい店舗になっているのである。
その楽しさ、違和感のなさの要因には店内のあちこちに既存の材、品を使った部分がある点が挙げられる。玄関の正面にある日本酒などが並べられている棚は以前は2階に上がるための階段だったそうで、現在は表に酒類、裏側にアルミの急須などを並べて使っている。
置かれているちゃぶ台、箪笥は残置物から再利用したもので、掃除をしてステインを塗るなどして再生。ぐらぐらしていたちゃぶ台にはビスを打って止めて使えるようにした。
引き戸などの建具類も他の場所にあったものを移動して使うなどしており、まったく新しく見える材はごくわずか。壁の板、土壁なども再利用しているというから驚きだ。
一方で以前からあったように見えるが、かまどは新設したもの。石川県能登半島で産出される天然の珪藻土を使用して作られているもので、薪を焚いて使う。このかまど焚きのご飯はなるほどという美味しさなので訪れる機会があったら忘れずに注文したいところだ。
工事業者不足で完成はぎりぎりに
かなりの部分を自分たちでリノベーションしたが、電気、水道関連などの工事はプロに頼む必要がある。ところが、工事をしてくれる事業者が忙しく、なかなか作業をしてもらえず、当初は24年10月1日にオープンの予定がずれた。
「自分たちのお金だけでやっているなら多少遅れても良いのですが、今回のリノベーションでは小川町の小川町商店街活性化等商工振興補助金(空き店舗等利活用事業)、中小企業庁の小規模事業者持続化補助金などといった補助金を利用する予定だったので、年内に開業できないとそれらが使えません。それで何度もお願いをして、ようやく年内ぎりぎりの12月29日に開業にこぎつけました」
このところの人手不足のためだろう、工事事業者が手配できずに竣工が遅れたという話は最近、よく聞く。これから建設をする、特にみのもさんのように補助金などを利用する場合には早めの手配など注意が必要だ。
その点に注意は必要だが、空き家の活用にあたっては小川町以外でも補助を用意している自治体は多いので事前にチェックしてみると良い。
もうひとつ、古民家を活用しようと考える場合には上下水道の整備状況の確認が大事とみのもさん。都市に居住していると整備されているのが当たり前と思いがちだが、上下水道が整備されていない地域などもある。また、地域としてが整備されていても、家が整備以前に建てられている場合には接続していないこともあるのだ。
地元のメディアで取り上げられたことや所有者の田中さん、近所の美容院など周辺の人たちがお客さんを連れてきてくれるなどもあり、開業後すぐから大衆食堂「寅吉」はずっと満員御礼が続く。お手頃な価格で美味しいものが食べられるとあれば人はどこにでも集まってくるものだ。営業は木曜日から日曜日までの4日間で営業時間は11時半から20時まで。訪れる場合には営業時間内に電話で予約するのが良い。
みのもさんは店を手伝うほか、店内の一角に仕事スペースを作って店の営業日以外はそちらでデザイン関連の仕事をしている。屋号のてがみやでDIYの様子を記録したYouTubeがアップされているので自分でも古民家DIYをやってみたい人には参考になるはずだ。
最後にひとつ。都内から比べると思わずまさかと言ってしまうほどの額。古い建物を利用した店を出したい人には候補として考えて良いエリアであることは間違いない。
■取材協力
てがみや
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トラキチ
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