「荻窪会談」の舞台 ーその誕生と歩み。西洋と日本の融合 ー 伊東忠太設計

荻外荘の門には、「近衛」の表札がある。当時よりここから入っていった荻外荘の門には、「近衛」の表札がある。当時よりここから入っていった

JR中央線の荻窪駅から南へ徒歩10数分、高級住宅街を抜けていくと「荻外荘(てきがいそう)」がある。表札には「近衛」と書かれていた。

荻外荘は、1927年(昭和2年)、建築家・伊東忠太の設計により、医師・入澤達吉の別邸として建てられた。奥様同士が姉妹という縁があったのだ。入澤は西洋医学の先駆者であり、西洋式の生活様式を積極的に取り入れたことで知られる。その影響もあり、当時としては珍しく、応接室や食堂が椅子をつかう部屋となっていた。

1937年(昭和12年)、第34・38・39代内閣総理大臣を務めた近衛文麿がこの邸宅を購入し、住居兼政治活動の場となった。特に1940年にここで開かれた「荻窪会談」は、第二次近衛内閣の基本方針が話し合われた場として知られる。さらに、1941年(昭和16年)には対米和平をめぐる重要な政治会談も行われ、日本の近代史に深く関わる場所となった。

戦後、一部の建物は豊島区に移築されるなど変遷を経たが、2014年に杉並区が敷地を取得し、復原事業を開始。2016年には日本政治史上重要な場所として国の史跡にも指定され、歴史的価値を保全する取り組みが進められた。2024年(令和6年)、荻外荘公園として整備され、一般公開が開始された。

荻外荘の門には、「近衛」の表札がある。当時よりここから入っていった豊島区から移築された東側の建物は、全体に違和感なくたたずんでいる

歴史の証人 ー 荻窪会談が行われた客間

荻外荘の最大の見どころは、歴史の舞台となった空間の再現である。特に、1940年(昭和15年)に行われた「荻窪会談」の場となった客間は、当時の雰囲気を忠実に再現している。この部屋の色彩は、白黒写真や新聞記事の記述しかないなか、最新技術による色彩解析を基に、専門家の助言を得て復原された。

荻窪会談が実際に開催された客間を再現。色彩や調度品の忠実な復原を目指した荻窪会談が実際に開催された客間を再現。色彩や調度品の忠実な復原を目指した
廊下の電灯は、行燈をイメージした和洋折衷のデザインだ。再現したものとオリジナルが利用されている廊下の電灯は、行燈をイメージした和洋折衷のデザインだ。再現したものとオリジナルが利用されている

また、天井の高い食堂も見どころの一つ。近衛が多くの政治家を招き、戦時中の重要な議論を交わした場所とされる。昭和初期の高級住宅ならではの装飾が施され、寄木細工の床や、オリエンタルなデザインの壁紙など、当時のモダンな趣が感じられる。
さらに、館内の家具や照明なども細部までこだわって復原されており、昭和初期の上流階級の生活様式を体感できるのが魅力だ。ちなみに庭園があった池を発掘調査した際にはゴルフボールが発見されたそうで、当時の暮らしぶりを想像できる。
このほか、応接室には中国風の調度品が配され、伊東忠太のデザインに見られるオリエンタルな要素が随所に取り入れられている点も興味深い。

荻窪会談が実際に開催された客間を再現。色彩や調度品の忠実な復原を目指した食堂は天井が高く、開放感のあるスペースだ。壁紙はオリエンタルな雰囲気になっていて、現在は、館内の案内映像を見られる

職人の技が宿る ー 当時の建材を用いた再現作業

玄関脇の応接室の床には、昔からの龍の模様の敷瓦(右)と再現したもの(左)が並ぶ玄関脇の応接室の床には、昔からの龍の模様の敷瓦(右)と再現したもの(左)が並ぶ

荻外荘は、西洋建築と日本建築が融合した独特の構造を持つ。建築当初は、西洋式の生活様式を重視したつくりだったが、近衛文麿の居住中には、一部が和室へと改装された。こうした改変の跡は現在も残っていて、昭和初期の政治家の暮らしぶりを伝えている。
復原に際しては、当時の建材を可能な限り使用することが重視された。例えば、床下の部材に転用された柱や梁は、元の位置に戻され、建築当時の姿を再現。さらに、寄木細工が施された床や、昭和初期の水洗トイレなど、当時の最先端の技術が取り入れられた姿を再現した。

また、館内の家具や調度品も、資料を基に忠実に復原された。特に、「三越伊勢丹プロパティデザイン」が家具の再制作を手がけるなど、職人の技術が結集。応接室にある龍の敷瓦の復原にはLIXILの常滑にある「やきもの工房」が携わり、当時の素材や製法を忠実に再現した。これらの工夫により、近衛が過ごした時代の空気感をそのまま体感できる空間が作り上げられた。

玄関脇の応接室の床には、昔からの龍の模様の敷瓦(右)と再現したもの(左)が並ぶ近衛文麿が書斎に使っていた和室は、保存状態もよかった

史跡指定から本格復原へ ー 10年を超える文化事業

荻窪会談では、この東側にある玄関が使われた。現在は、北側にある戦後に作られた玄関が利用されている荻窪会談では、この東側にある玄関が使われた。現在は、北側にある戦後に作られた玄関が利用されている

荻外荘の復原プロジェクトは、地元住民の要望を受けて始まり、10年を超える文化事業となった。

2012年に近衛文麿の次男・通隆氏が逝去したことを契機に、地元10町会が杉並区に保存を求める要望書を提出。2014年には杉並区が敷地を取得し、都市計画緑地として決定された。
その後、2016年に国の史跡指定を受け、2018年には杉並区が豊島区に移築された建物を取得。復原計画が本格化した。2022年には竹中工務店が復原整備工事を、隈研吾建築都市設計事務所が展示棟の設計を担当。2024年には復原工事が完了し、12月から「荻外荘公園」として供用が開始された。展示棟は2025年7月の運営開始に向けて工事が進められている。

ところで復原整備プロジェクトでは、昭和16年頃の近衛文麿居住時の姿を基本とし、遺構調査や資料分析を通じて復原のかたちの優先順位を決定した。高騰する工事費を予算内にまとめるには、優先順位が大事だったと振り返る杉並区の担当者。

歴史的価値の高い書斎は、1945年(昭和20年)の近衛の「最期の決断の場」として重要であり、当時の状態を良好に維持していることから、現状を基本として保存された。主屋については、現存する部材を最大限活用しながら復原する一方、後年の1938年(昭和13年)の増築された部分については現在喫茶室として公開活用をしている。耐震補強工事も行い、来訪者の安全を確保する。
一方、資料が少ない消失した北側附属屋や倉庫蔵は復原の対象外とした。これらの方針に基づき、建築当時の意匠や技術をできる限り尊重しながら、歴史の風格を残した形での復原整備が進められていった。

荻窪会談では、この東側にある玄関が使われた。現在は、北側にある戦後に作られた玄関が利用されている

豊島区へ移築された客間棟を含む東側部分を元の位置に再移築し、荻窪に残る建物と合わせて、かつての邸宅の姿を再現となったが、遺構を残しながらの作業になったため、簡単に合体とはならず、担当者によると、現場の創意工夫によって完成できたそうだ。

一方、荻外荘復原・整備プロジェクトでは、市民の参加を促すため「応援団」制度を設け、一定額以上の寄付をした人々に対し、認定証を発行する取り組みを行った。玄関脇の応接室の床に使われていた龍の紋様の敷瓦は、創建当時のものが一部しか残っておらず、復原が必要だった。これに対し、5万円以上の寄付者には、この敷瓦復原への貢献を示す認定証が発行された。
復原整備を支援する寄付は杉並区民だけではなく、全国から5000万円以上が集まった。

荻窪会談では、この東側にある玄関が使われた。現在は、北側にある戦後に作られた玄関が利用されている下足のまま入っていた玄関脇の応接室。床は、龍のデザインの敷瓦が使われている。螺鈿細工の椅子とテーブルも再現

「荻窪三庭園」の連携 ー 電動モビリティの導入

荻窪駅のバス停に停車中の荻窪三庭園を巡る「グリーンスローモビリティ」の姿荻窪駅のバス停に停車中の荻窪三庭園を巡る「グリーンスローモビリティ」の姿

荻外荘の復原・公開により、杉並区では歴史文化の発信拠点としての活用が期待されている。特に、荻外荘公園・角川庭園・大田黒公園の3つの歴史的施設を結ぶルートが整備され、文化観光の一環としての活用が進められている。2024年には電動モビリティである「グリーンスローモビリティ」の運行が開始され、駅や周辺施設へのアクセス向上が図られている。

杉並区は同年、「荻窪三庭園」の施設運営パートナー(指定管理者)に株式会社虎玄(こげん)を指定した。虎玄は、和菓子の虎屋のグループ会社で、建物の保存・公開・活用に関わる文化事業を手掛けている。ちなみに荻外荘にはボランティアガイドが約30人登録されていて、館内でガイドを聴きながら見学することができる。

荻窪駅のバス停に停車中の荻窪三庭園を巡る「グリーンスローモビリティ」の姿荻窪三庭園の一つ大田黒公園は、荻外荘から徒歩約5分だ
荻外荘の向かいに建築中の展示棟。隈研吾建築都市設計事務所が設計を担当荻外荘の向かいに建築中の展示棟。隈研吾建築都市設計事務所が設計を担当

また、荻外荘の向かいには2025年夏に展示棟が完成予定で、荻外荘の歴史や杉並区の文化などを紹介するスペースとして活用される。1階にはカフェとショップが併設され、訪問者が気軽に立ち寄れる場となる。特に、カフェではテイクアウトメニューも提供される予定で、芝生広場でくつろぎながら楽しめそうだ。

一方で、地元住民の中には「過度な観光地化への懸念」もあり、地域との調和を重視した運営が求められている。杉並区は今後も、歴史的価値を守りつつ、地域に開かれた文化施設としての活用を進めていく方針だ。これからどのように荻外荘周辺の歴史文化が広がっていくのか、期待したい。

荻窪駅のバス停に停車中の荻窪三庭園を巡る「グリーンスローモビリティ」の姿荻外荘の一角、かつて池があった建物の南側は、芝生でゆっくりできる無料開放の空間になっている

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