明治、大正期に大繁栄。戦後、急激に衰退した門司港

北九州市門司区(旧門司市)は九州の北端、関門海峡を挟んで山口県下関市と向かいあう本州から九州への玄関口であり、日本海と瀬戸内海を結ぶ海路の中心という交通の要衝。

といっても繁栄が始まったのは1889(明治22)年以降の築港と鉄道敷設以降。門司港は筑豊の石炭の輸出港として急速に発展し、商社や金融機関が次々に門司港に進出。時代とともに輸出入する品は変わったものの、終戦に至るまで日本有数の貿易港として繁栄を続けた。昭和期には中国の大連への国際航路も開かれた。

だが、戦後に主要な貿易先であった中国との国交が断たれたことなどから、貿易港としての門司の地位は徐々に低下。昭和30年代以降は関門トンネルや関門橋の開通、新幹線開通などといった交通事情の変化で門司は通過点となってしまい、企業の流出も相次いだ。

1914年に門司駅として開業した現門司港駅。鉄道駅舎としては初めて有形登録文化財に指定された木造2階建て、ネオルネサンス様式の駅舎は建物も内部もクラシカルで見どころも多い1914年に門司駅として開業した現門司港駅。鉄道駅舎としては初めて有形登録文化財に指定された木造2階建て、ネオルネサンス様式の駅舎は建物も内部もクラシカルで見どころも多い
1914年に門司駅として開業した現門司港駅。鉄道駅舎としては初めて有形登録文化財に指定された木造2階建て、ネオルネサンス様式の駅舎は建物も内部もクラシカルで見どころも多い門司港レトロエリア。港からは下関への船も出ており、所要時間は5分ほど
現存する料亭としては九州最大級の規模を誇る三宜楼。廃業後、売却されることになった時に地元の有志たちが買い取って保存。飲食店として利用されているが、見学は可能(無料)現存する料亭としては九州最大級の規模を誇る三宜楼。廃業後、売却されることになった時に地元の有志たちが買い取って保存。飲食店として利用されているが、見学は可能(無料)

とはいえ、観光による賑わいだけには限界もある。1959年に16万人余だった人口は以降減り続けており、2015年には10万人を割り込んだ。北九州市の予測では2040年頃には7万人台にまで減るのではなかろうかとも。高齢化も進んでおり、2020年時点で39.00%。北九州市自体の高齢化率も政令指定都市の中でもっとも高く、2022年度末時点で31.4%。市平均よりもとびぬけて高くなっている。

空き家率も高い。2013年の住宅・土地統計調査で北九州市全体では14.3%のところ、門司区は17.4%となっており、戸数にして9200戸以上の空き家があるという。

だが、そんな門司区でこの数年で50軒を超す空き家が再生され、少しずつ若い人達が移住するなどし始めている。

1914年に門司駅として開業した現門司港駅。鉄道駅舎としては初めて有形登録文化財に指定された木造2階建て、ネオルネサンス様式の駅舎は建物も内部もクラシカルで見どころも多い対象モダンの名建築として知られる旧大阪商船のビル。駅周辺にはこうしたビルが建ち並んでいる

元遊郭にあった旅館を再生、レトロな雰囲気のゲストハウスのPORTO

話を聞いたのは門司港駅から歩いて10数分。門司区東門司にあるゲストハウス「PORTO」を運営する菊池勇太さん。門司出身で大学卒業後に門司を離れてコンサルティング、マーケティングなどの仕事をした後、2018年に地元に合同会社PORTO(ポルト。以下会社はポルトと表記、ゲストハウスはPORTOとする)を設立、ゲストハウス運営に関わることになり、門司に戻ってきた。

昭和初期の地図を見るとPORTOが立地する一画は何軒かの劇場もあった繁華な場所で、建物は花街で一軒だけ残ったもの。地域では最後の3階建ての建物で、PORTOに色っぽい感じがあるのはそのせいである。

旅館として使われた後、カフェ、ゲストハウス、シェアアトリエなどとして使用されてきたものの、所有者が売却を検討。取壊しとなる可能性もあった。

木造3階建てのポルト外観。かつては周辺にもこうした建物が残されていたそうだが、現在はほとんどが失われている木造3階建てのポルト外観。かつては周辺にもこうした建物が残されていたそうだが、現在はほとんどが失われている
木造3階建てのポルト外観。かつては周辺にもこうした建物が残されていたそうだが、現在はほとんどが失われている丁寧に作られたのであろうことが分かる建物で、左手には共用部、バスルームなどが並ぶ

そのタイミングで菊池さんは地元で文化的な活動を行ってきた池上貴弘さんと知り合った。池上さんは国内外での仕事を経て10年ほど前に地元に帰って来た人で、家業を継いでビジネスをしながら身の回りを面白くしたいとアーティストを招聘、滞在して作品を作ってもらう活動などをしている。不動産を購入、改修して活用するなどといった業務にも関わるようになっており、池上さんは菊池さんが地元に帰ってくるなら拠点が必要だろうとその旅館を購入、菊池さんに運営してもらおうと考えた。菊池さんは悩んだ。

「ちょうど熊本県の阿蘇で起業したタイミングでした。2016年の熊本地震後、家がないから地元を出ていかなければならない人がいることを知り、家さえあれば住み続けられるだろうと復興支援のために不動産会社を始めたのです。そちらは地元の人と仲良くなった1年後くらいから軌道に乗るようになったのですが、当時は作ったばかり。いずれ門司には帰ってきたいと思っていたものの、同時に2社の経営をスタートさせるのは難しいのではないかと悩みました」

だが、自ら空き家を買って改修、若い移住者に貸すという活動をしていた池上さんの考え方に共感。悩みながらも資金が借りられたら起業すると宣言したそうだ。

木造3階建てのポルト外観。かつては周辺にもこうした建物が残されていたそうだが、現在はほとんどが失われている共用部の座敷。廊下を挟んでキッチンがあり、自炊が可能
木造3階建てのポルト外観。かつては周辺にもこうした建物が残されていたそうだが、現在はほとんどが失われている建物奥のシャワールームから玄関方向を見たところ。丁寧に手が入れられている

菊池さんは起業以降積極的に多角化を推進、11事業を手掛ける

「その時、貯金は7万円ほど。合同会社を作って登記したら手持ちの残金は6000円ちょっと。建物の門司港らしいレトロな雰囲気を活かしてゲストハウスにしたらと池上さんとも話をしていたものの、改修に必要な融資を受けられなかったらどうしようかと思いました。幸い、日本政策金融公庫から借りられることになり、運営に携わることになりました」

当初の融資額は500万円。すぐに足りなくなり、追加で600万円の融資を受けて建物の改修などを行った。2019年3月に無事グランドオープンしたものの、悪いことにその年の年末に世界を襲ったのが新型コロナウイルス。観光、宿泊業は大きなダメージを受けた。

菊池さんが運営するPORTOももちろん、大きな影響を受けた。だが、経営母体であるポルトは宿泊業だけの会社ではない。起業以来積極的に多角化を推進、宿泊だけでなく飲食・物販事業、メディア事業、クリエイティブ事業、イベント事業、コンサル事業などと現時点では11事業を手掛けている。しかも、飲食や物販など経験のない中で展開してきた事業も多いというから驚きである。

客室は2階にある。中庭に面した窓際には作業スペースが設けられている客室は2階にある。中庭に面した窓際には作業スペースが設けられている
客室は2階にある。中庭に面した窓際には作業スペースが設けられている3階は各部屋がそれぞれに雑貨などのショップになっており、宿泊とは別の稼ぎ方をしている
PORTOでも販売されていたおじ飴。おじさんの顔をモチーフにしたものPORTOでも販売されていたおじ飴。おじさんの顔をモチーフにしたもの

どの事業にも共通する思いは衰退著しい門司エリアに寄与すること。阿蘇での起業もそうだが、菊池さんは自分の仕事を通じて社会や地域を良くしていきたいと考えているのだ。

「PORTOには長期滞在客、常連客もついてきており、ここへの滞在を機に門司に移住した人も少なくありません。飲食・物販ではバナナジュースや変型人形焼きともいえる焼き菓子「おじ焼き」など門司の人やモノをモチーフにした商品で地元への関心を高めたいと考えています。

関門海峡沿いにレモンを植え、それを将来の財産にしていこうという活動もしており、植えるだけではなく、レモネードに加工して販売するなど認知度を上げる工夫も。この数年で思いつく限りの事業を展開してきました」

多角化は経営を安定させるだけでなく、さまざまな人材を雇用できるということにも繋がり、これもまた門司に役立つ。少子高齢化が進む門司ではいわゆる生産年齢人口だけを働き手と想定していては事業は成り立たないし、高齢になっても自分らしく働き続けられるまちは豊かな暮らしができるまちである。

菊池さんは高齢者やシングルマザーその他多様な人材を雇用。時間的、体力的なハンディなどがあっても働ける仕組みを作り、働き続けられるようにしていきたいと考えている。

客室は2階にある。中庭に面した窓際には作業スペースが設けられている玄関に用意された物販スペース。おぢ飴のほか、海峡レモンソーダその他の自社製品が並ぶ

個人として門司の空き家を購入、改修して移住者に賃貸

一人用の客室。シンプルだが居心地の良い空間だった一人用の客室。シンプルだが居心地の良い空間だった

会社として門司のためにあの手この手というだけでなく、個人としても池上さんと同じように空き家の再生に取り組んでいる。PORTOに泊まったことを契機に移住したいという人がいて不動産会社に相談しても門司には賃貸住宅が少なく、なかなか借りられない。

だが、家が無ければ移住はできない。そこで菊池さんは門司に移住したいという人を池上さんなどに繋ぐ役割をしている。

「門司は傾斜地が多く、少ない平地には商店など稼ぐ建物が建てられており、住宅の多くは坂のある地域に立地しています。たとえば港の東側にある庄司町には細い坂道に面した古い、値段も付かないような家も多く、池上さんはそれを50~300万円くらいで購入。改修して礼金、敷金無しで移住希望者たちに貸しています。移住者が利用しやすいようにシェアハウスにしたものもあり、もう30軒以上は買って貸しているのではないでしょうか。店をやりたいという人も多いので、住宅と店で2軒借りている人もいます」

池上さん以外でも最近はシェアハウスを作ったり、廃団地を改修する人なども出てきており、菊池さんはそこでも情報のハブとなっている。
「門司に住みたい、使いたい人は確実にいます。池上さんは地元である庄司町を中心にしており、それ以外にもプレイヤーが増えてきているので、さまざまな相談に応じてその人達に相談するようにしています」

一人用の客室。シンプルだが居心地の良い空間だった中心部から少し離れると急坂の住宅街。階段を上っていくと空き家も目立つ
ポルトから数分の場所にもこんな空き家がポルトから数分の場所にもこんな空き家が

菊池さんもこの5年ほどで30軒ほど購入。そのほぼ全てを貸している。
「住みたい、使いたい人は確実にいるので安心して買えます。池上さんは地元である庄司町を中心にしているので、私はそれ以外のところを中心に買うようにしており、PORTOをやっていることもあり、大きめの物件の相談が来ることが多いですね」

2人以外にも東京の不動産事業者で門司が気に入り、少額でコンパクトな不動産を購入、店舗などとして貸すという事業を継続的に行っている人もいる。利回り7~10%とそれなりに収益も上がっており、なにより地域に貢献できるのが続いている理由だという。
こうした活動の結果、この5年ほどで50人ほどが移住してきた。

福祉的な空き家活用のために社団法人を作って活動

緑に飲み込まれている空き家群。中心部から少し離れるだけでこんな風景緑に飲み込まれている空き家群。中心部から少し離れるだけでこんな風景

人口減少が続く地域に取材に訪れると移住希望者はいるものの、借りられる住宅がないという話をよく聞く。売買希望の物件が空き家バンクに掲載されていても移住希望者にとっていきなりの住宅購入はハードルが高い。多くの人はとりあえず賃貸で住んでみてと思っているのに、その入り口となる住宅がない。

自治体によってはお試し移住のための住宅を作っているが、それだけでは足りない。移住促進を考えるなら賃貸住宅を増やす必要があるのだが、地方では家は買うもの、住み続けるものという意識が強いからか、空いていても貸すという発想にならないことも多い。貸すための改修や入居者とのやりとりなどが面倒と考える人もいる。そもそも、門司には単身者向けの住宅そのものがない。

そんな中、門司での菊池さんたちの取組みは確実に成果を上げており、地域における賃貸住宅の役割、意味を教えてくれる。

また、2021年から有志で取り組んできた空き家の福祉的活用を行う団体を2023年10月に一般社団法人化。北九州みらいづくりラボとして住宅を借りられない人と空き家で困っている人を繋ぎ、保証人不要、敷金礼金不要で借りられるような活動もしている。ここには地元の不動産会社なども多く参加している。

「この活動で今、問題になっているのは空き家を保有しない方針で来ているものの、保有して欲しいという空き家所有者が多いということ。空き家を手放してしまい人が多いわけですが、所有には費用的な面その他でリスクがあります。個人での空き家取得はリスクを踏まえた上で投資しているので良いのですが、組織としてはもう少しリスクを緩和する仕組みが作れないか。現在、検討を進めています」

門司での経験をデータベース化、ノウハウを提供するコミュニティ作りを推進

宿の経営だけでもさまざまなノウハウが必要。事業それぞれにノウハウが必要と考えると菊池さんの経験は多くの人に役立つはず宿の経営だけでもさまざまなノウハウが必要。事業それぞれにノウハウが必要と考えると菊池さんの経験は多くの人に役立つはず

もうひとつ、現在進めているのはここまで門司でやってきた経験を地域で何かやりたい人のためにデータベース化、ノウハウを提供するコミュニティを作ること。

「門司港はもう一カ所手掛けている阿蘇と違い、住みたい人が多いわけではなく、リスクもありますが、一方で他の地方都市に比べて立地は悪くはなく、歴史もある。リスクを知りつつも、地元なのでと気合を入れてやる人がいればなんとかなります。

ですが、日本の地方はそれだけの資源、ポテンシャルがある地域ばかりではなく、そうした地域でも門司でのノウハウを伝え、実践できるようにできればと考えています」

これまでもそうした人達の相談には乗ってきたが、仕事ごとにノウハウを整理、ある程度までは直接聞かなくても分かるようにできればというのだ。近年、まちづくりに関心を持つ若い人が増え、学べる大学も増えてはいるが、学校で学べることと現場には乖離がある。座学でサッカーを学んでもうまくはならないのだ。

宿の経営だけでもさまざまなノウハウが必要。事業それぞれにノウハウが必要と考えると菊池さんの経験は多くの人に役立つはずオリジナルの商品開発、販売も大きなノウハウ

「門司では毎年5軒くらいの店が潰れています。それに対して新規にオープンするのは年に1軒ほど。市場の縮小ペースにまでは追いついていけておらず、他のうまく行っているまちでもどっこいどっこいがいいところです。
それでも数年やってきて門司は豊かに縮小していけるのではないかと思っています。ですが、門司だけが良ければ良いかといえば、それは違う。再現性のある仕組み、その人がいなくても成り立つノウハウを提供、しなくても良い苦労を省き、時間的にもショートカットできるようにして他の地域でも取り組んでもらえればと考えています」

門司のみならず、全国各地でまちに関わっている人たちとの幅広いネットワークも利用。起業した時の自分が一番欲しかった内容を盛り込んでいきたいと考えている。
同時に仲間が作れるようなサイトにすることも目標のひとつ。地域で活動し続けるためには仲間が必要で、それには時間がかかる。だが、地域以外の場所にも仲間は作れるし、活動の力になってくれる。互いに経験を共有できるようにすればリスク、失敗を減らし、活動を加速できるようにもなるだろう。菊池さんのこれまでのノウハウが日本のあちこちに広がっていけば変わる地域も増えていくはず。期待したい。

宿の経営だけでもさまざまなノウハウが必要。事業それぞれにノウハウが必要と考えると菊池さんの経験は多くの人に役立つはず市内にはいくつもの商店街があるが、ほとんどシャッターを閉めた場所などもあり、事態は待ったなし

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