『南総里見八犬伝』のストーリー
「読本(よみほん)」は、江戸時代後期に大流行した伝奇小説で、話しの展開が複雑で、長いものが多かった。特に人気を博したのが滝沢馬琴による『南総里見八犬伝』だ。何度も映画化されているので、くわしい物語は知らずとも、名前くらいは聞いたことがあるだろう。文化十一(1814)年から天保十三(1842)年という、実に28年もの年月をかけて編まれた全98巻もの大長編だが、ごく簡単にストーリーを説明しよう。
舞台は南総、いわゆる上総の国で、現代で言えば千葉県中部。室町幕府と関東の豪族の間に起きた結城合戦で、里見義実が南総の安房へ落ち延びるところから、物語は始まる。
その後、逆臣の山下定包を討った際、その妻であった玉梓を一旦は助けようとしたものの、忠臣金椀八郎の反対で、斬首することになった。玉梓はこの翻意を激しく恨み、「里見の子孫を畜生道に落とす」と呪いの言葉を吐いて死んだ。
こののち里見家は、悪政を敷いて家臣らを苦しめる大名・扇谷定正に、長らく悩まされることとなる。さらに、里見領を飢饉が襲ったとき、「弱っている今が好機」と、隣国の安西景連が攻め込んでくる。ただでさえ弱っているところで、里見家に立ち向かう力などはない。義実は戯れのつもりで、飼い犬の八房に「景連の首をとってきたら、伏姫を与えよう」と言うのだが、これを聞いた八房は、城から飛び出して行った。そして、見事景連の首をとってくるのだが、伏姫以外の褒美には目もくれない。義実が困り果てていると、伏姫は八房と共に姿を消した。
義実と、伏姫の許嫁であった金椀大輔は姫を探し続け、ついに富山(とみさん)で二人を発見し、八房を殺した。一方伏姫は、八房と体の関係はなかったもののその気を受けており、割腹して身の潔白を証明し、絶命する。
その際、八房が義実への恩を忘れたかのように行動したのは、玉梓の呪詛のせいであることが明かされ、伏姫の首にあった、仁義八行の文字が書かれた玉の首飾りが飛び散った。この玉飾りは、伏姫が役行者からもらったもので、不思議な力を持つ。これらの玉を手にした者たちが、里見家を助けるというのだ。
仁義八行とは「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八文字で、儒教の基礎となる徳のこと。その玉を持つ者は、その徳を持つ者であることが暗喩されている。
こののち大輔は「丶大(ちゅだい)」を名乗るが、これは「犬」の文字を分解したものだ。丶大は飛び散った玉を持つ人を探すため、僧の姿に身をやつして旅に出る。
八房には八つの牡丹のあざがあり、八犬士たちも体のどこかに牡丹のあざをもつ。これを目印として犬士を探すわけだ。
玉を持つ男は八犬士と呼ばれ、その名は犬江親兵衛(仁)、犬川荘助(義)、犬村大角(礼)、犬坂毛野(智)、犬山道節(忠)、犬飼現八(信)、犬塚信乃(孝)、犬田小文吾(悌)。登場はこの順番通りではなく、リーダー的犬士は、「孝」の玉を持つ犬塚信乃。
犬塚信乃と犬飼現八が出会い、芳流閣の屋根の上で戦うシーンは特に有名で、様々な絵師が絵画にした。
そしてついにそろった八犬士は宿敵扇谷定正を討ち、義実の孫にあたる八人の姫と結婚する。玉は力を失ったが、玉を目とした仏像が四体つくられ、安房の四方に置かれた。
八犬士たちは、晩年になると富山に籠り、仙人となったことが暗示される。
八犬伝は『水滸伝』や『三国志演義』の影響を受けた?
読本は中国の白話小説(口語体で書かれた娯楽小説)の影響を受けており、南総里見八犬伝も『水滸伝』の「不思議な縁で結ばれた有志」のモチーフや、『三国志演義』の合戦の描写の影響を受けているとされる。
しかし、影響を与えたのは中国の小説だけではない。
たとえば、自らの美貌で有力者に取り入り、悪を為す玉梓は、「玉藻の前」を彷彿とさせる。玉藻の前も伝説上の人物だが、平安時代の鳥羽上皇の寵姫で、その心に邪念を植え付けて悪政を敷かせたという稀代の妖婦だ。上皇本人も体調を崩しがちになり、陰陽師の安倍泰成は、すべて玉藻の前の仕業であると見抜いた。玉藻の前の正体は九本の尾を持つ狐で、一旦姿を消すものの、現在の栃木県那須郡あたりで女性や子どもをさらうなどの悪事を働いたため、ついには泰成に成敗される。
話はそれで終わらない。玉藻の前の怨念は石にとりつき、近づく動物や人の命を奪うようになる。この石は「殺生石」と呼ばれて恐れられ、誰も近づかなくなった。これが破壊されるのは南北朝時代というから、100年以上も周囲の命を奪い続けたことになる。曹洞宗の僧である源翁心昭がこれを砕き、殺生石は各地にくだけ散ったという。死してなお人々を苦しめる玉梓には、玉藻の前の面影が強く反映されているとわかるだろう。
翻って伏姫は聖女だ。
近世文学・芸能史学者の諏訪春雄氏は、伏姫には大地母神の面影があると述べる。伏姫に仁義八行の玉の首飾りを授けた役行者は、山伏の始祖とされ、空を飛び、式神を使役したとされる伝説的な人物だ。この役行者が、八犬伝における「最高神」であるという。「玉飾りを授かる」という形で役行者の守護を受けた伏姫が、八房とともに山に籠もったのは偶然ではない。江戸時代以降富士山の女神とされたコノハナサクヤヒメや、崑崙山に住む仙女の女王・西王母こそが、伏姫の正体ではないかと考える研究者もいるようだ。
八犬伝の伏姫と八房とよく似た話が伝わる
八房の物語とよく似た話は、各地に伝わる。一般に「犬婿入り譚」と呼ばれ、犬に懸想された娘が、山で夫婦として暮らすストーリーだ。
たとえば今昔物語には「北山の犬 人を妻とせし語」が収められている。
京の男が北山で遊んだ際、山の中で迷っているうちに日が暮れてしまった。困っていると、小さい家が見えたので「人が住んでいるにちがいない」と訪ねてみたところ、うら若い美しい女性が出てきた。女は男を家の中に招き、「私はもともと京に住んでいたが、あさましき者にさらわれてしまった」と泣く。
夜中になり、外で恐ろしい声が聞こえたと思うと白い大きな犬が入ってきたが、女が「兄が山に迷ってここに来たのです」と説明すると、理解したように寝ころんだ。翌朝、女は「このことは誰にも言わないでください」と言って男を送り出す。
しかし、男は京に戻ると友人たちにこの話をし、友人たちとともに犬を殺そうとした。犬は女とともに逃げ、男はにわかに体調を崩して、そのまま死んでしまったという。この話しでは、犬の脚が驚くほど速く、山の神であったことが暗示されている。
詳しいストーリーは語られる地域によって違うのだが、山の中で人間の女と暮らしている犬を発見し、これを殺したところ、女に復讐された猟師の話しもあり、妻となった女性にとって、「犬=悪」ではない場合が多いようだ。
国文学者の西田耕三氏によれば、馬琴が影響をうけたのは、万治三(1660)年ごろに成立した『御伽物語』の「七人の子の中にも女に心ゆるすまじ事」だという。
この説話では、犬を殺すのは猟師ではなく山伏で、犬が死んだあとも娘はずっと犬を恋しがっていたとしている。それでも娘は山伏の子どもを七人も産み、山伏に親しんでいるように見えた。そこで「もう犬のことは忘れただろう」と油断した山伏が、娘に犬殺しを告白したところ、娘はためらわず山伏を殺した。
馬と人間の娘も、相思相愛になることが多い。特に有名なのは東北の「おしらさま」だろう。娘と恋仲になった馬は娘の父親に殺されるが、娘は馬の後を追い、残された家族のために、天から蚕を降ろしたというのだ。
人間の娘が猿の嫁となる話も各地にあるが、猿は娘に嫌われがちなようだ。ある猿婿譚では、嫁入りの途中で淵のそばを通り掛かったとき、娘は持参した瓢箪を落とす。そして「瓢箪を沈めてくれないと嫁になれない」と言うので、猿は素直に従うのだが、中に空気がいっぱい入った瓢箪を、深い淵に沈めるのは容易ではない。奮闘ののち、力尽きた猿は死んだ。すると、娘は嬉々として村に戻ったというから、猿が少し可哀想になってしまう。
一説には、定住して稲作で生計を立てる村の人たちと、山で移動しながら暮らす人々が結ばれることの難しさが、異類婚譚を生んだのだという。スタジオジブリの「かぐや姫の物語」でも、かぐや姫が木地師の少年と心を通じさせるシーンがあるが、二人は結ばれない。
定住する土地を持たない山の民は、村で暮らす人々にとっては心を許しがたい存在であり、彼らとの恋愛は、犬や馬、猿といった動物との恋物語として語り継がれたのかもしれない。
蛇との結婚譚も非常に多いが、蛇の正体は神であったことが明かされる場合もある。たとえば『日本書紀』の崇神天皇条では、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)が大物主の妻となったが、その正体が蛇だったために驚いて声をあげてしまい、それを後悔して、陰部を箸で突いて死んだとする。
倭迹迹日百襲姫の墓は日本最古の前方後円墳である箸墓古墳で、卑弥呼のことではないかともされるから、蛇はただの動物とは考えられていなかったのだろう。
八犬伝の舞台とされる場所や城
八犬伝に登場する里見家のモデルとなったとされるのは、江戸時代に館山藩主となった、実在の里見氏とされる。
里見氏の居城のうち、久留里城跡には模擬天守が建てられているので、里見家を偲ぶにはうってつけだ。
八房と伏姫が逃げ込んだ富山は、安房国を開拓した天富命が亡くなった場所とされ、南房総市の房総丘陵にある。台形の上辺両端が飛び出した、蛙の顔のような形をしており、北峰の標高は349m、南峰は342m。さほど高い山ではないので、登山に慣れていない人にもチャレンジしやすい。奥沢林道沿いには、伏姫と八房が住んでいたとされる「伏姫籠穴」があり、北峰と南峰の間には「八犬士終焉の地」もある。
殺生石は栃木県那須郡に現存する。那須の殺生石付近では、火山性の硫化水素や亜硫酸ガスが噴出しており、実際に殺生石の近辺で小動物の死骸が見つかることがあるようだ。しかし2022年、自然に二つに割れてしまったため、玉藻の前の気配は残っていないかもしれない。
ただ、岡山県真庭市の玉雲神社にも殺生石が伝わっており、見学可能だ。玉雲神社の由緒によれば、殺生石は三つに割れて、越後・豊後・美作の三高田に落下したとされる。美作に落ちたのが、玉雲神社の殺生石だ。
八犬伝の舞台は南総だが、人間の娘と動物の恋物語は各地に伝わっているし、伏姫が大地母神なのならば、日本各地の山に伏姫の面影があるということになるかもしれない。
■参考資料
ぺりかん社『八犬伝をみちびく糸 馬琴と近世の思考』西田耕三著 2021年10月発行
勉誠出版『大地母神と役行者』諏訪春雄著 2012年4月発行
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