限界集落の秘境・神崎川流域を再生したい
神秘的な青に輝く神崎川。あまりにも透き通った美しい流れは「神崎ブルー」とも呼ばれ、知る人ぞ知る秘境となっている。
流れ込む伏流水・円原川の光芒と合わせて“聖域”とまでいわれているこの場所は、岐阜県山県(やまがた)市の北部・北山地区の限界集落にある。
全国の中山間地域同様、過疎化が進むこの場所を「ヒトイキ村」という構想で再生させる動きが進んでいる。美しい景観を残す神崎川流域をベースに、宿泊施設やワーケーションスペース、サウナ、食事処など、集落にある施設をひとつの“村”として、田舎暮らしを体験する仕組みだ。
発起人は、地域おこし協力隊として2019年から北山地区に入った河合祐樹さん。
川の魅力にはまり、20年近くかけて全国70カ所以上で川下りを経験してきた河合さんは「岐阜は“清流の国”とうたっているだけあって、川とその流域の文化が密接に結びついています。地元の人の素朴な暮らしや豊かな自然は、外から来た僕にはとても魅力的でした」と、当時を振り返る。
「アルベルゴ・ディフーゾ」を元に生まれた「ヒトイキ村」構想
「ヒトイキ村」構想の元となったのは、イタリア発祥の「アルベルゴ・ディフーゾ」。「分散型ホテル」とも呼ばれる考え方だ。過疎化の進む集落の空き家を再生、ホテル兼レセプションの拠点とし、点在する観光資源を結んでネットワーク化するというもの。
この考え方を元に「ヒトイキ村」では、2021年6月に移住体験施設を改修した「コワーキング&レンタルスペース 神崎よってちょ」をオープン。
2022年には空き家だった木造家屋を利用して宿泊施設「水音~mizuoto~」を開業。観光客だけでなく、隣接する「神崎よってちょ」の利用客の宿としても利用できるようになった。
さらに、同年11月には「神崎川サウナ」も開業。川沿いのテントサウナで汗をかいた後、水風呂の代わりに川に浸かるという自然を満喫できるアクティビティが完成。サウナ好きの間では「神サ」と呼ばれ、一躍話題のスポットに。昨今のサウナブームも相まってオープン当初から何組もの予約が入り、驚くほどの反響があったという。
「水音~mizuoto~」の向かい側には、廃校となった小学校を活用したレストラン「舟伏の里へ おんせぇよぉ~」(2013年開業)がある。「地元のおばあちゃんたちが作る味噌やこんにゃくは本当にうまい! 採れたての山菜をつかった料理は最高ですよ」と河合さん。伝統的な地元の食を提供できる場もあり、外から人を呼び込める仕組みが整った。
空き家を改装したコワーキングスペースとゲストハウスで田舎暮らしを
「ヒトイキ村」を1つのホテルに見立てると、受付となるのがコワーキング&レンタルスペース「神崎よってちょ」だ。
点在するビュースポットやツアーの案内をするほか、この場所でも企業研修やイベントなどを開催する。
ワークスペースとイベントスペースを併設し、これまでもワーケーションの受け入れやヨガイベント、ライブなどが開催されてきた。
「企業研修では、チームビルディングにとても役立つと思います。自然の中で一緒に作業すると、意外な一面が見られてチームの結束力が高まるんですよね。それを持ち帰ってもらって、仕事でのチームワークに還元してもらえたらいいなと思います」(河合さん)
焚火をしながら仕事やプライベートな話をしたり、花火を楽しんだり、非日常の体験ができるのがだいご味だ。
「ヒトイキ村」の“部屋”となるのが「水音~mizuoto~」。
およそ築90年の木造平屋建てを改装した宿は、縁側から円原川が眺められる絶好のロケーションだ。
玄関をあけると土間があり、その奥には畳の和室が2室と囲炉裏部屋がある。
「田舎の暮らしをそのまま味わってもらえるように」と、水回りをリフォームしたほかは、当時のまま手を入れすぎないようにしたという。
畳の上に寝転がってみると、懐かしい思い出がよみがえってきそうな雰囲気だ。
自然の美しさに魅入られて。新規参入者も
「まずは地域に興味を持ってもらうことから。関係人口を増やしていくことで、集落を守っていきたい」という河合さんらの想いは実を結びつつある。
名古屋市在住のアーティスト・佐治真琴さんは、2023年の夏に「水音~mizuoto~」に宿泊したことがきっかけとなり、この場所にギャラリーを構えることにしたという。
「個展の作品制作のため、『水音~mizuoto~』に2週間ほど滞在しました。川のせせらぎや虫の声がとても心地よくて。なにより自然の匂いにとても癒されて、こういう場所でこれからも作品制作ができたらいいなと思ったんです」と佐治さん。
「神崎よってちょ」にほど近い築70年の空き家をギャラリーに改装することを決意。屋号は、神崎川にちなんで“かみのさと”と名付けた。
現在、神崎川周辺を舞台にした絵本「もちもちたい と かみのさと」を制作しているそう。
「地域の民話に登場する龍などをモチーフにした絵本です。登場するキャラクターや絵本の世界観を再現するギャラリーにできたらいいなと考えています」(佐治さん)。完成後はアートのワークショップを開いたり、自然の中で絵を描いたり瞑想したりといったイベントも開催していけたらと話していた。
廃校の老朽化、移転、休業と山積する問題
採れたての山の幸をいただける農家レストラン「舟伏の里へ おんせぇよぉ~」。“おんせぇよぉ~”とは、この地方の方言で「いらっしゃい」という意味。ノスタルジックな廃校の雰囲気も人気だっただけに残念だ(撮影:山口晋一)「ヒトイキ村」構想の中核となる「水音~mizuoto~」の開業から約1年半。明るい話題も出てきた半面、実際にはさまざまな問題が山積しているという。
廃校を使っていた「舟伏の里へ おんせぇよぉ~」は、建物の老朽化により移転を余儀なくされ、取材時は廃校の裏手にある公民館での臨時営業となっていた。今年度中には新たな移転先の選定、改装を経て、2025年度からの本営業再開を目指すことに。
目玉となっていたサウナも土地所有の関係上、今は利用できない状態だという。
「収入の柱としていたサウナが休業状態になってしまったことは、大打撃でした。知名度が上がってきたところだっただけに非常に残念です。ほかの施設も課題だらけで一体どこから手を付けたらいいのか頭を抱えています(笑)。まちおこしとか地域再生って、サクセスストーリーにばかり目がいくけれど実際はそうでもなくて。中山間地域の現実を突きつけられます」(河合さん)
建物の老朽化だけでなく、資金不足、人手不足、さまざまな問題が降り注ぐ。嘆いている間にも、現実は厳しさを増す。
「ヒトイキ村」を囲むのは戦後の植林により杉が乱立する山々。林業の担い手が少なく、山の手入れが行き届かない。
「かつて林業で栄え、昭和30年ごろまでは約1900人の人が暮らしていましたが、今はたった150人くらい。そのほとんどが高齢者です。おばあちゃんたちが手入れしている茶畑の裏手には、間伐された木がそのまま放置されています。間伐材を下ろすところまで資金や人手が回らないんです」と河合さん。
倒木のせいで地面に日光が当たらず土が痩せていくため、大雨の時には地滑りが起こりやすくなる危険な状態だと危惧する。
さらに、「山が荒れると川も荒れていきます。雨のたびに砂が流れ出て川底に溜まるため川が浅くなり、魚の住処がなくなっていく。魚がいなくなれば釣り人も来ない。人の行き来がなくなれば、その場所は荒れてしまう一方。人の手が入った場所は管理し続けないとダメになってしまうんです」と話す河合さん。
岐阜と言えば、よく知られているのが長良川。世界農業遺産のアユと清流のシステムも含めて評価されているが、それを支えているのが北山地区を流れる円原川と神崎川だ。
夏でも16℃程度の水温を保つ2つの川の冷たい水が流れ込むことで、長良川は一定の水温を保つことができるという。
「長良川流域の生態系を守っているのは、源流の冷たい伏流水があるからこそなんです。こんなに綺麗な水質を保っているのは本当に珍しいんですよ。ここで何とか食い止めなくては」。全国の川を見てきた河合さん。環境保全のためには、まず流域の環境や文化の大切さを多くの人に知ってもらう必要があると話す。
地道かつ流動的に再生への糸口を探る
厳しい現実を目の当たりにしながらも「資金や人手が足りないならば、アイデアを絞るしかない」と、河合さんら地元の有志たちは次なる手を考えながら「地道かつ流動的に」歩みを進めている。
前述の通り、2025年には「舟伏の里へ おんせぇよぉ〜」が新たな場所で再始動予定。サウナも新しい場所の目星がつき、「さらにディープな層に向けてアプローチができるはず」と河合さんは話す。
薬草採取ツアーを開催し、採取した薬草をサウナに利用してボタニカルサウナを楽しんだり、薬草でクラフトジンを作ったりと、本質的な自然との関わりを体験できるプランも考案中。
近隣には、前出の佐治さんのギャラリーや、遠方から訪れるファンも多いという本格ベトナムコーヒーの店「Phin and Bean」もある。点在するスポットとヨガや足もみなどを企画する事業者とも連携して、「村」の魅力とストーリーを詰め込んだツアーも提案していく予定だ。
地元の素材を使った商品の開発も進んでいる。実は、この場所は全国でも数少ない「カワノリ」が採れる場所。渓流の中の岩石の上に生育するもので、川の流れや水質などに左右されやすいため、採集が難しく貴重なものだ。「皇室に献上された記録も残っているんですよ」と河合さん。海ののりとは違って歯ごたえのある食感が特徴だ。
ほかにも、茶畑で採れる茶の実をつかった「茶の実オイル」の開発や、清流で採れる「神崎わさび」の販売など、地域特産の活用から集落再生の道を探っていく。
せわしなく生きる現代人のサードプレイスに
「川に入ると、“自分の真ん中に戻る”みたいな感覚になるんです。忙しくて自分を見失いがちな人たちには、川に来て自分を取り戻す体験をしてほしい」と河合さんは言う。
河合さん自身、「川に救われた」経験がある。20代半ばまで、毎日深夜まで仕事をして心身ともに疲弊していたという河合さん。そんな時にカヌーイストの野田知佑さんの著書に影響を受け、アラスカのユーコン川を訪れた際、「人生観が変わった」と話す。
「自然と対峙すると“足るを知る”ということの大切さを痛感します。追い立てられるような気持ちで忙しく過ごしている人ほど、自然に癒される体験が必要。『ヒトイキ村』は、そんな人たちのサードプレイスとして機能していけたらいいなと考えています」。
「人が生きる・人が活きる・人が行き来する」。
「ヒトイキ村」の“ヒトイキ”にはそんな想いが込められている。
「地域プレイヤーだけでがんばってもダメなんですよね。過疎化していく地域や美しい自然を残すためには、まちの人たちも関わっていかなくては。ただ、どう関わったらいいのかわからないという人も多いと思うんです。そういった人たちをつなぐためのハブを作りたいというのも『ヒトイキ村』の目的でもあります」。
まちの人が行き来する、地元の人が活躍する、そんな未来を思い描いているという河合さん。
未知で未完成の「ヒトイキ村」。これからも続く挑戦の行方に着目していきたい。
【取材協力】
https://hitoikimura.com/
https://www.instagram.com/mizuoto.kanzaki/
【撮影】
山口晋一
https://www.instagram.com/ahirusan_photo/
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