鯱(しゃちほこ)は、家の火除けの守り神
名古屋城のシンボル、いや、名古屋のシンボルといっても過言ではないのが、金の鯱(しゃちほこ)だろう。現在の名古屋城および金鯱は復元されたものだが、名古屋城が慶長十七(1612)年に完成した当時から、金ぴかの鯱が屋根の上から睨みを利かせていた。
実は、豊臣秀吉が威信をかけて建立した大阪城にも金の鯱がある。金でない鯱ならば、姫路城や彦根城といった多くの天守にもいる。鯱は、城につきものであると言えるかもしれない。
クジラの仲間である生物のシャチも「鯱」と書くが、城の上の鯱は空想上の生き物で、虎の頭と魚のヒレ、ハリネズミのトゲ、反り返る尾をもつなどとされる。建物が火事を起こしたとき、鯱が口から水を吐き、火を消し止めてくれると信じられていたので、木造建築物の上に飾られるのだ。
鯱の原型は、飛鳥時代から平安時代の宮殿や寺院の屋根に取り付けられた「鴟尾(しび)」だ。鴟尾の起源は中国にあり、漢代まで遡る。鴟尾は「とびのお」とも読まれるように、トンビの尻尾にも似ているが、沓(くつ)とも似ているので、「沓形」とも呼ばれる。後漢以降の中国における、大棟の両端を反り上げる建築様式が鴟尾に変化し、それがさらに鯱へと変化したと考えられる。
紙と木でできた日本の建物にとって、火事は天敵だ。
そこで鯱以外にも、さまざまな火除けのまじないが施された。たとえば古い蔵などの壁の高いところに「水」の文字が書かれているのを見たことはないだろうか。
屋根の破風板につけられた装飾版も、火事除けだ。形はさまざまだが、魚を模しているとされ、その名も「懸魚(けぎょ)」という。軒桁の木口を隠す役割もしており、実用にまじないも兼ねているのだ。
屋根にのっている鬼瓦や鍾馗(しょうき)
日本の屋根には、さまざまな魔除けが置かれている。たとえば鬼瓦だ。
鬼瓦とは言うが、鬼の形をしているとは限らず、家紋が彫られていたり、蓮の絵が描かれていたりする。その歴史は古く、最古のものは法隆寺の若草伽藍跡から発掘された蓮華紋鬼瓦で、飛鳥時代のものだ。
京都では、鍾馗(しょうき)の像が屋根に乗っているのをよく見かける。鍾馗は疫病除けの神で、その起源は唐の時代だ。玄宗皇帝がマラリアで臥せっているとき、宮廷を小鬼が駆け回っていたずらをする夢を見る。小鬼とはいえ鬼、皇帝はどうすることもできずに見ていたが、そこへ大きな鬼が現れて、小鬼を捕まえて食べてしまった。感謝した皇帝が大鬼に名を尋ねると、「私は鍾馗というもので、高祖皇帝の時代に科挙を目指したが落第し、自殺しました。しかし、皇帝が懇ろに弔ってくださったので、恩返しをしたくてやってきたのです」と答えた。夢から覚めた皇帝は、病がすっかり癒えていることに気づき、絵師に鍾馗の姿を描かせて、家臣たちに配ったという。
中国で、新年に鍾馗の絵を飾るのは、この故事にちなむ。
日本に輸入されたのがいつかはわからないが、十二世紀の制作とされる国宝の『辟邪絵』に、鍾馗や毘沙門天王が描かれているので、それ以前であることは間違いないだろう。辟邪絵の鍾馗は、大きな鍔に炎の燃える帽子をかぶり、小鬼を捕まえた姿で描かれている。
京の町家の屋根によく見かける理由は、鬼(瓦)よりも強いからなのだとか。一般的に流布しているものは次のような話だ。
京都三条の薬屋が新しい店に鬼瓦を葺いたところ、向かいの家に住む妻が原因不明の病に倒れてしまった。鬼瓦に撥ねつけられた魔や邪が、向かいの家に入ったのが原因らしい。そこで、鬼よりも強い鍾馗を瓦で作り、屋根に置いたところ、妻の病が治ったのだという。
節分には「鬼は外 福は内」と言いながら豆を撒くが、鬼を追い払ったあとは、福を呼び込まねばならない。そこで、大黒様や恵比寿様といった福の神が置かれている家もある。
魔除けの意味のある沖縄のシーサーも火除けだった
沖縄では、シーサーが置かれている屋根を見かける。
シーサーは「獅子」を沖縄語に転訛したもので、狛犬と同じように、古代ペルシャやインド、エジプト、メソポタミアの獅子像が起源ではないかと考えられている。狛犬と同じく雌雄一対になっていることが多く、口を開いた「阿形」のシーサーが雄、口を閉じた「吽形」のシーサーが雌だ。
現在は屋根の上で睨みをきかせているが、当初のシーサーは火除けで、村の入り口や寺院、御嶽、城の門に設置されていた。
屋根の上におかれるのは「家の結界だから」
それにしても、なぜ屋根の上なのだろう。
外からやってくる悪いものを退け、良いものを呼び込むなら、玄関でも良いし、窓でも良いはずだ。実際それらの場所に魔除けの札などが置かれることも多いが、民俗学者の森隆男氏は、屋根には他界との結界として、象徴的な意味があると指摘している。
人が亡くなって四十九日の間、家の屋根に留まるとされるのも、あの世とこの世の境界ゆえだろう。
特に屋根の面と面が交わる、もっとも高いところにある「棟」は、「異界に触れる特別なもの」と信じられてきたようだ。家を新築する際、棟を架けた日に「上棟式」を行うのはそのためだろう。
ただし、「三隣亡(さんりんぼう)」の日に上棟式をすると、隣三軒の家を焼く火事を出すとか、棟から見える範囲の家の身代を吸い取ってしまうとしていやがられた。
年の暮の季語である「岡見」は、大晦日の夜、蓑を逆さに着て、岡の上から自分の家の気を見ることだ。これにより、新年の吉凶を占うのだというが、岡の上から見えるのは、家の屋根だろう。
どうやら、屋根の上には、その家の吉凶が漂っているようだ。宮城県の一部地域では、重病人のいる家を股めがねで覗くと、死人が出る家は棟の上に棺が見えると信じられていたらしい。
また、屋根にカラスがとまると不吉だとか、死人が出るという俗信は、聞いたことがある方も多いのではないだろうか。ほかにも、蛇が登ると御飯が腐るとか、鳶がとまると火事が出るなどと信じる地方もあるようだ。
だからこそ、魔を祓う鍾馗などを置いて、家を守ったのだろう。
狸やカエル、家の外に置かれている守り神
屋外の守り神は、屋根の上以外にもいる。
たとえば玄関に魔除けの札が貼られたり、信楽焼の狸が置かれたりしているのを見かけたことがあるだろう。
信楽焼のたぬきは、商売繁盛の守り神だ。これは「たぬき」が「他を抜く」に通じるためで、信楽焼のたぬきは、「不意の災難から守ってくれる笠」「お客様への笑顔」「周囲をよく観察する大きな目」「冷静さと大胆さの象徴である大きなお腹」「徳に通じる徳利」「信用を象徴する通い帳」「良い終わりを象徴する太い尻尾」「金運を呼ぶ金袋(陰嚢)」の8つの縁起を持っており、これを「八相縁起」と呼ぶ。
縁起の良い亀や、「無事にカエル」に通じる蛙の置物を庭に置いている家もあるだろう。
また、においの強いニンニクや、辛みのある唐辛子などの魔除けは軒先に吊るされることも多い。編み籠やざるを吊るすのは、たくさんの目が、魔物をにらみ返してくれると考えたからだ。
家の外にいる守り神は、家に魔が入るのを防ぎ、福を呼び込む大切な役割をしてくれている。家に置けば、心強い気持ちになれるのではないだろうか。
■参考資料
KADOKAWA『魔除けの民俗学 家・道具・災害の俗信』常光徹著 2019年7月発行
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