急傾斜地を利用、宝塚市屈指のお屋敷街雲雀丘が誕生

大阪、梅田から阪急宝塚線で30分ほど。駅はコンパクトだが、外に出ると圧倒されるようなお屋敷が並んでいる大阪、梅田から阪急宝塚線で30分ほど。駅はコンパクトだが、外に出ると圧倒されるようなお屋敷が並んでいる

兵庫県宝塚市雲雀丘は川西市花屋敷と並んで阪急宝塚線雲雀丘花屋敷駅の北側の斜面に広がる住宅地。市の東端に位置しており、西摂平野が長尾山系とぶつかる丘陵上にある。土地全体は南に向かって下がる急傾斜地で、勾配は大きいところでは20度にも及んでおり、比較的なだらかな場所でも10度を多少下回る程度。急坂の続く土地で、1898(明治31)年には砂防指定地(砂防法に基づき、一定の行為が禁止もしくは制限される)になっている。

その分、眺望には恵まれており、坂を上がって振り返ると南に広がる加茂台地、東西に流れる最明寺川、さらには遠く大阪市内中心部のビル群が一望できる。天気の良い日であれば遠く大阪湾までが望めるそうだ。

宅地として活用されるようになったのは大正初期以降。阪急宝塚沿線は明治期後半から阪急電鉄や耕地整理組合などによって宅地開発が進められていたが、雲雀丘で特徴的なのは当初の開発が個人の理想主義によっていたところだという。

その開発者の名は阿部元太郎。彼は明治後期に日本一の長者村と呼ばれた住吉村、観音林・反高林(現在の神戸市東灘区)、当地雲雀丘、その後に松風山荘(現在の芦屋山手町)などの郊外住宅地開発に関わった人。地価が安く、市内への往復に便利で気候、水質が良く、風景の美しい場所を探していたところで雲雀丘に行きつき、1915(大正4)年にこの地に10万坪(約33万m2)の土地を購入。最初の開発は私駅の雲雀丘駅の新設(既存の花屋敷駅すぐ近くに立地。現在は統合されて雲雀丘花屋敷駅)、その北側道路の整備に始まり、道路の下には上下水道管とガス管を埋設、電柱を立てて電気、電話などライフラインを整備、土地を分譲した。

大阪、梅田から阪急宝塚線で30分ほど。駅はコンパクトだが、外に出ると圧倒されるようなお屋敷が並んでいる高台からの眺望。路上からでもこれである、住宅2階から見下ろすとしたら絶景だろう

地名は地域の西を流れる滝ノ谷川にあった雲雀の滝にちなんだもので、当時の住宅地の多くが●●園、●●荘と名づけられていたことを考えると異色。他の住宅地が比較的平坦あるいは緩やかな丘陵地を利用していたのに対し、雲雀丘は高低差の大きな土地。だが、阿部はそれを肯定的に捉え、牧歌的で明るい印象のある丘という言葉を使ったのではなかろうかと現京都大学教授・中嶋節子氏は「近代日本の郊外住宅地」(2000年 鹿島出版会)で書いている。

現在も雲雀丘は緑が多く、その中に住宅が点在する住宅地となっているが、その理由のひとつとしては急傾斜の砂防指定地であることが挙げられる。簡単に地形を変えられない、樹木を伐採できない土地なのである。阿部も開発にあたり、住宅建設のための造成以外は傾斜地をそのまま庭園として利用、既存樹木を保存すること、道路の両側に犬走りを設けて植樹することを開墾設計計画概要書に盛り込んでおり、地形と景観に配慮した阿部の意思がこのまちをこの形にしたのである。

大阪、梅田から阪急宝塚線で30分ほど。駅はコンパクトだが、外に出ると圧倒されるようなお屋敷が並んでいる高碕記念館として開放されている旧諏訪邸。ウィリアム・ヴォーリズの設計
大阪、梅田から阪急宝塚線で30分ほど。駅はコンパクトだが、外に出ると圧倒されるようなお屋敷が並んでいるまちの歴史を伝える掲示。美しさには理由があった

2010年に宝塚市に遺贈された旧安田邸

開発当初こそ苦労したものの、昭和初期には阪神間の財界人、弁護士、新聞関係者、医者などが集まる住宅地に発展。当時の住宅のうちには正司邸、高添邸、日下邸、栗原邸、石田邸、高碕記念館など国登録有形文化財となっているものもある。それ以外でも当時をしのばせる洋館、和館が点在、住宅、建築好きには魅力的な建物が多いエリアとなっているのだが、そのうちでも重要な1棟が現在、存亡の危機にある。それが旧安田邸である。

旧安田邸は1921(大正10)年に安田辰治郎によって建てられた。彼は大正期前半にニューヨークで商社に勤務していた折に北米の住宅に関心を持ち、当時の住宅雑誌を参考に自ら設計したと伝わる。日本の大工の手によって建設された。外観は洋風だが、2階には座敷と次の間もある質の高い和洋折衷の住宅である。

建物は木造3階建てで屋根はスレート風セメント瓦葺。外壁は木片や切り石を貼り付けた上に荒いスタッコ塗の、当時のアメリカで流行していたクィーン・アン様式(18世紀前期のイギリスのアン女王時代の様式。建築では家の外観をあえて不規則にするデザインが流行)。戦後は地域の洋館およそ35棟とともに進駐軍に接収されたが、返還に際しての詳細な財産引渡調書が残されており、個人財産を重視した接収であったことが推察できる。これは戦後史の再考に繋がる資料として貴重なものという。

宝塚ホテルをてがけ、阪神間モダニズムを代表する古塚正治の設計による正司邸洋館(赤い屋根部分)。和館も併せて登録有形文化財になっている宝塚ホテルをてがけ、阪神間モダニズムを代表する古塚正治の設計による正司邸洋館(赤い屋根部分)。和館も併せて登録有形文化財になっている
宝塚ホテルをてがけ、阪神間モダニズムを代表する古塚正治の設計による正司邸洋館(赤い屋根部分)。和館も併せて登録有形文化財になっている旧安田邸。ドローンを利用して行った空撮の写真。屋根の傾きなどが分かる(写真提供/遺す会)
建物内に残されていた旨札。大正10年の建築であることは分かるが、それ以外の記載はない建物内に残されていた旨札。大正10年の建築であることは分かるが、それ以外の記載はない

1994年には宝塚市都市景観形成建築物等に指定されており、2010年にはひょうごの近代住宅100選(第二次選定)で選ばれている旧安田邸が宝塚市に遺贈されたのは2010年3月のこと。

「2009年に所有者であった故安田敏子さんから建物および土地を市に遺贈するという意向が示され、翌年3月、故人の遺志を尊重し、受遺することになりました」と宝塚市役所企画経営部政策室政策室課長の田外仁志さん。

旧安田の地域での活用を探りつつ、保存費用を試算

ご遺族との間で交わされた覚書には
①公共の用に供すること
②既存建物を保存・利活用を基本とすること
③既存建物の利活用が困難になり、解体除却する場合には当該建物がこの土地にあった記憶を現地に残すため、何らかの措置を講ずること
とあり、解体する場合には文書で報告することになっていますと田外さん。

遺贈を受けた市は地元に声をかけた。宝塚市ではおおむね小学校区ごとに自治会を中核として、PTAや事業者、市民活動団体などさまざまな団体、個人からなるまちづくり協議会が作られており、地域の活動の主体となっている。

そこで市は2011年にこの地域のまちづくり協議会であるコミュニティひばり(長尾台小学校区まちづくり協議会)に一緒に建物の保存や利活用策の検討を進めることを提案。同まちづくり協議会の文化交流部会の中に歴史的建造物復興宝塚浪漫物語委員会(後年、雲雀丘100年浪漫委員会、その後雲雀丘浪漫委員会に名称変更。以下浪漫委員会)が作られ、以降、同委員会が中心となって庭を活用したコンサート等のイベントや、雲雀丘の歴史や景観、地域の活性化などをテーマとしたシンポジウムを開催するなどの活動が行われてきた。

地元の人達の愛情で建物前はいつもきれいに保たれている。愛されていることが分かる風景だ(写真提供/遺す会)地元の人達の愛情で建物前はいつもきれいに保たれている。愛されていることが分かる風景だ(写真提供/遺す会)

一方で市は2011年度に建物調査を実施し、現況平面図の作成や改修に要する概算事業費の算出を行っている。

「建物はモニュメントとして内部利用は行わない場合で約1億円、壁面を保存して内部を利用する場合で約2億円、一度解体、構造は現法令にしたがって一部改変し、外装や建具等は現材料等でできるだけ復元し、新用途の再築を行う場合で約4億円という数字で、これは無理だということになりました。なんとか民間資本による建物の保存、利活用ができないか、それを考えるのが現実的だろうと考えるに至ったのです」

地元の人達の愛情で建物前はいつもきれいに保たれている。愛されていることが分かる風景だ(写真提供/遺す会)細部にもこだわりのある作り。施主の思いが伝わるようである

活用事業者を公募したものの、応募ゼロという結果に

いくつか、民間からの提案はあった。子ども達のためのホスピスを作るプロジェクトでは検討を進めたが、地域からの賛同を得ることはできなかった。

「それ以外にもアール・ブリュット(正規の美術教育を受けていない人による芸術。日本ではその一部である障害者の表現を指すとされることも多い)関連の施設、大学、社会福祉法人その他から話があったと聞いたことがあります」。

だが、いずれも決まらないままに時間が過ぎ、建物の劣化は進む。そこで市は2019年3月末を期限に民間事業者の公募を行う。

その公募期限前に浪漫委員会がチラシを作成、配布された。そこには市の財源不足の厳しい状況下、市が保存改修や建替えを行うことは期待できず、このまま放置されるよりは民間事業者の協力を得ることが現実的であること、旧安田邸の趣を残すつもりであることなどが書かれており、その時点で検討が進んでいるとされた計画の完成予想図が掲載されていた。

ところが、そのチラシにあった建物はいくら完成予想図だとしても旧安田邸とは似ても似つかないと反発の声が上がり、建物を残そうと署名活動が行われることに。地元の意見が割れてしまったのである。その結果、応募はゼロになってしまった。

関係者が集まる一般社団法人の設立を試みるも失敗

「公募の前、もっと早い時点でそれぞれが建物の未来をどう考えているのか、そのためには現建物を生かした復元の可能性を多岐に渡って模索しておけばよかったのかもしれません」と2019年5月から旧安田邸の保存活動に関わることになった一般社団法人リビングヘリテージデザインの原田純子さん。

原田さんは2011年に京都市文化財マネージャー育成講座を受講、2015年に滋賀県東近江市五箇荘山本町にある小泉家住宅を登録有形文化財に導き、以降、文化財保存に尽力してきた。

「保存を願う一般社団法人宝塚・旧安田邸の歴史と文化を遺す会(以下遺す会)にリーフレット作成を依頼されるなどで、少しずつ関わるようになりました」。

屋根裏には家具、フィルムなどが残されていた屋根裏には家具、フィルムなどが残されていた
屋根裏には家具、フィルムなどが残されていた寝室。屋根、壁の剥落があちこちで起きていた

市はこの決裂をなんとかしたいと2021年に利活用に関心のある4団体と市の政策推進課でラウンドテーブルを立ち上げた。その4団体は丹波篠山で歴史的建造物を再生、まちづくりに寄与してきた一般社団法人創造遺産機構(通称HERITA)、公募の結果、建替えもやむなしと考えていた浪漫委員会、新築案に異を唱えた遺す会、宝塚市内に残る文化自然を活用して活動をする宝塚まち遊び委員会である。

会議を重ね、歴史的・文化的建物を活用したまちづくりのため、その最優先は旧安田邸として、新たに非営利型一般社団法人の設立で意見は一致。この段階でラウンドテーブルは発展的に解消、同時に市は立場上、法人設立準備会の参加を見送った。

「同法人の定款案もおおむね完成していました。ところが2022年に入り、設立準備会を開いたものの、3回目の5月を持って準備会は解散。設立には至りませんでした」と田外さん。

「ラウンドテーブルにおいては、保存のためには文化財的価値、保存利用計画、地域主体の活動、そして資金計画の4つが必要と言われました。社団は関係者が個人として参加することになっており、一人あたり、かなりまとまった額の出資が必要。結局最後は個人でそれだけの額の出資は厳しいということになったと聞いています」。

「設立には至りませんでしたが、旧安田邸の復活を願う気持ちは参加団体みな同じということを改めて認識できました」と原田さん。旧安田邸をさらに周知して、活用してくれる民間事業者を探すしかない。原田さんも会員である遺す会はすぐ動き始めた。

屋根裏には家具、フィルムなどが残されていたキッチン。2020年撮影のモノと比べると、和室同様劣化が激しく進んでいる

用途地域、改修費用、地元の賛同。民間活用を阻む3つの懸念

遺す会は、さっそく2022年8月に事業者を紹介していただけそうな方々を対象に市から門を開けてもらって庭から見学会を開催した。続いて9月にフェイスブック上で7回に渡り、旧安田邸を紹介。リビングヘリテージデザインもホームページに掲載。その効果で協力を申し出てくれた事業者があり、旧安田邸上空でドローンを飛ばして撮影。2023年3月には旧安田邸に残る昔の8ミリ映像とドローン写真で写真展を開催した。また、8月には遺す会が事業者募集のチラシを作成した。

「このチラシの問合せ先をどこにしようかと悩み、遺す会から田外さんに相談したところ、市で受けてくれることになりました。それで事態が少し動き始めました。市が問合せ先になっていることで市の本気度が伝わったのでしょう、問い合わせが増えてきたようです」と原田さん。

現在は樹木が成長、外からは建物が見えにくい状態になっている現在は樹木が成長、外からは建物が見えにくい状態になっている

2023年9月からでも、ありがたいことに複数の事業者は来ていると田外さん。中には一社で2~3の事業者を紹介してくださるところもあったそうだ。が、見に来た会社はいずれも3点、同じ問題を指摘するという。

「ひとつはこの地域が第一種低層住居専用地域である点。もっとも厳しい用途地域内にあり、営業はできません。ただ、過去に建築基準法第48条のただし書き許可を利用、周辺地域の利害関係者などの賛同を得た場合などに営業が可能になった例もあり、そうしたことはあり得るかもしれません。

また、建物は遺贈を受けた時期から傾いており、雨漏り、床が抜けるなど劣化が進んでいます。遺贈後、一部屋根を修理するなどはしてきていますが、大きな修繕はできておらず、そのため、活用には改修費がかかります。収支が合うか、どこも考えていると思います。

もうひとつは地域の方々に活用への賛同を得られるかどうか。それが無ければ活用は難しいと思われるのでしょう、今のところ、良い返事は頂けていません」。

建物の劣化以外にも急がなくてはいけない事情がある。宝塚市は2019年に旧安田邸を公共施設(建物施設)保有量最適化方針の対象施設とした。2027年度までに建物を民間事業者に譲与、土地を貸付し、公共のための施設として活用しなければいけないのである。それまでに活用できなければどうなるか。いや、そもそも、そこまでこのままで建物が持つとは思えないのである。

現在は樹木が成長、外からは建物が見えにくい状態になっている2020年に冊子を作るために神戸大学名誉教授の足立裕司さんが撮影した際の和室
現在は樹木が成長、外からは建物が見えにくい状態になっている2023年10月取材時の和室。3年の間に劣化が進んだことが如実に分かる

建物は無償譲与、土地の賃借料は必要だが、軽減措置もあり

ところでこの状況に至った経緯には学ぶべきものがある。ひとつは受け取る側の問題だ。使い方を考えていないのにとりあえず貰っておこうはまずかったのではなかろうか。駅のそばの460坪(約1518㎡)の土地である。地域のために使えるだろうと思う気持ちも分からないではないが、ある程度期限を切って早めに活用を考えるべきだったのだろう。

また、地方自治法は自治体が所有する公有財産を行政財産、普通財産に分けており、旧安田邸は普通財産。行政財産には庁舎や消防施設のように市が直接使用する公用財産、市民が利用する学校、図書館などの公共用財産があり、これらには自治体はお金を出して維持管理をする。

ところが普通財産は主に経済的価値を発揮するため、つまり市の財政に寄与すべきものであり、管理処分はされてもそこに公費が使われることはない。維持管理してもらいたいなら公共用財産などとして使ってもらえるような形でなければ難しいのかもしれない。
過去に市に寄贈され、展示施設、学習施設などとして使われている建物は行政財産となっていることを考えると、最初の受遺の時点が悔やまれるというものである。

保存活動に多くの人が関わる時には意思疎通も重要だ。これまで関わった人達は誰もが旧安田邸を大事に思い、なんとかしたいと考えてきた。それぞれの方々の思いは同じだが、方向が少しずれており、それがゆえに今のところ、さまざまな試みが裏目に出てしまった。それが今後修復、継承、活用に向かうことを期待したいところだ。

窓の意匠もかわいい。なんとか、保存、継承する手はないものか窓の意匠もかわいい。なんとか、保存、継承する手はないものか

さて、最後にもっとも大事な事業者募集について。場所は駅から歩いて2分。敷地面積は前述の通りで洋館の延べ床面積は約84坪(277㎡)。それ以外に安田家親族が居住していた小規模な住宅も建っている。

条件としては建物は無償譲与、土地は貸付で賃借料は必要になる。ただし、改修にかかる費用をそこから控除するなどの軽減措置もある。詳細については宝塚市が旧安田邸利活用等事業者募集要項を作っているので問い合わせてみていただきたい。

個人的には現状から改修を経てすぐに営業開始というやり方では収支が合わず、地域の賛同も得にくいのではないかと感じた。であれば暫定修復期間を挟むことができないかと思う。ガウディのサグラダファミリアは工事中を公開し、それで工事を続けてきたが、それの修復バージョンである。

地元の団体が譲与の窓口となって建物を取得。外部の団体などと一緒に修復期間中は現場を公開するなどして空き家、修復技術などを学ぶ施設などとして使えば公共の用に供することという遺贈の目的にも叶う。空き家問題について広く周知を図る施設であると同時に、周囲の人達にとっては自分たちの家のこれからを考える場にもなる。歩いてみると雲雀丘でも手入れが行き届かなくなった空き家予備軍が散見されるのだ。

そういう名目であれば修復に空き家関連の助成金を利用できるかもしれない。また、修復を続けているうちには周囲の見る目も変わってくるかもしれない。建物の状況、地域の意見などが変わってきてから活用事業者を募集すれば賛成を得やすくなり、営業に繋がる期待も持てるというものである。

と、素人なりに考えてみたが、これをお読みの方々でもっと良いアイディアがある方はぜひ、提案していただきたい。修復技術も含め、いろいろな知恵を集めて地元の方々がここまで守ってきた、このかわいいお屋敷が残る方法を模索していきたいものである。

宝塚・旧安田邸の歴史と文化を遺す会
https://www.facebook.com/yasudatei.takarazuka/?locale=ja_JP

一般社団法人 リビングヘリテージデザイン 旧安田邸
https://livingheritagedesign.jp/architecture/264/
https://www.facebook.com/LivingHeritageDesign/

窓の意匠もかわいい。なんとか、保存、継承する手はないものか駅の近くから延びるかつてのメインストリート。坂を上がり、右折するとすぐに旧安田邸がある
窓の意匠もかわいい。なんとか、保存、継承する手はないものか再び、上空から見た旧安田邸。右手に親族が居住していた小さな家が写っている

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