農家民宿には約50年の歴史がある
秋田県仙北市には30軒を超える農家民宿がある。その一つ、広い田んぼに囲まれた古民家宿「蓭(いおり)」を訪ねると、割烹着姿のおばあちゃんが、玄関からにこやか出迎えてくれた。建物裏の防風林からは蝉の声が響き、納屋に座っている大きな秋田犬が来訪者のこちらを見ている。のどかな景観だ。農家の親戚のところに泊まりに来たような気分になり、ホテルや旅館では体験できない雰囲気に心が癒される。
なぜ、仙北市には農家民宿が多いのだろう。
農家民宿をサポートする一般社団法人 仙北市農山村体験推進協議会の伊藤カオリさんを訪ねた。同協議会は仙北市の職員が出向で業務にあたっていて、事務所は市役所の中にある。
農家民宿がスタートしたのは約50年前とのこと。昭和40年代後半、当時、旧田沢湖町が秋田冬季国体の会場となり、関係者の宿泊ニーズが生まれたためだ。また同時期に、現在は仙北市に拠点を置く劇団わらび座が、農業体験の受け入れをスタートしていて、農村と都会の交流も始まっていた。
わらび座では修学旅行生の受け入れも実施していて、その一環に近隣農家での農業体験1日プログラムがある。
農業体験をした東京の中学生が、家に帰ったら急に素直な子になったと保護者からわらび座に意見が寄せられたことがあったという。それは1度や2度ではなかったそうだ。効果の理由は不明であるが、農業体験は修学旅行で外せないプログラムになっていき、農家の人たちも学生たちとの交流にやりがいを感じていった。
市役所が農家をバックアップ。海外からの受け入れも実現
2005(平成17)年に田沢湖町、角館町、西木村が合併して仙北市が誕生し、その3年後には国の事業「子ども農山漁村交流プロジェクト事業」の受け入れモデル地域になった。その際、任意団体として「仙北市農山村体験推進協議会」が設立された。
また2011(平成23)年、仙北市役所内に交流デザイン課の前身である農山村体験デザイン室ができ、そこから農家民宿の活動が加速したと伊藤さんは振り返る。その理由は後述する。
翌2012年には、仙北市の農家民宿は海外教育旅行、海外青年研修団の受け入れも開始した。デザイン室が窓口になって農家民宿のオーナーたちから意見を聞き、当時は日本でインバウンドが盛り上がりつつあったこともあり、都市農村交流に国際交流を含めることにしたのだ。まずは台湾から受け入れることになった。市の職員が台湾に飛び、商談会に参加して仙北市の良さを説明してきたそうだ。さらに2014年には、農家民宿のオーナー向けにハラールセミナーを開催し、イスラム圏からの受け入れも開始した。
ちなみに仙北市農山村体験推進協議会が一般社団法人となったのは、今から5年前の2018年だ。同協議会には農家民宿だけではなく、お土産店、旅行会社など、地域のさまざまな業種が加盟している。「農山村体験ができることに主眼を置いているため、ホテル、旅館やペンションであっても、体験プログラムがあれば大歓迎」と伊藤さんは話す。
国の規制緩和によって農家民宿が増加
当初、市役所における農家民宿の所管は、農業関連の部署か観光関連か、または教育関連なのか曖昧であった。しかし2011年に農山村体験デザイン室が立ち上がって、担当が明確になったことで、積極的に活動できるようになったそうだ。さらにその数年前から、国が段階的に規制を緩和していて、農家は大きな改修をしなくても民宿を営業することができるようになっていた。以前は旅館業法に準ずるものでなければならず、規制が厳しかったのだ。
当時、農山村体験デザイン室では、農家をまわって規制緩和について説明した。そうした活動の結果、農家民宿が一気に増えたそうだ。特にわらび座の教育旅行を受け入れていた農家は、宿泊も担えると知り前向きに参入し、大きな転換点となった。
農家民宿の「ふる里」もその一つだ。1993(平成5)年から子どもたちの農業体験を受け入れていたが、規制緩和のタイミングで農家民宿になった。仙北市の農山村体験デザイン室の後押しが大きかったそうだ。
「ふる里」では農家のおばあちゃんが食事などの世話をしていて、夕食には畑で栽培された枝豆が食べ放題で出される。甘みがあっておいしい。翌朝には枝豆の収穫体験ができる。納屋の中に朝採れ枝豆の束が泥まみれのまま山盛りに置かれ、そこから商品にするため枝豆本体をもぎっていく作業だ。枝豆をもぎってA級品、B級品と仕分けしてカゴに入れ、さらに見た目が悪いものは自家消費分として別にする。A級品は農協へ、B級品は道の駅にアウトレットとして安く販売され、自家消費は宿泊者に食べ放題として供されるものだ。ちなみに虫で傷んだ枝豆は廃棄処分になる。A級品は全体の半分もないことに驚く。体験を通して、このように手間をかけて収穫しているのが実感として理解できる。
また「ふる里」では、修学旅行でやってきた子どもたちに、お土産として自家栽培の野菜をプレゼントしている。その野菜を食べた親たちは、新鮮なおいしい味に感動して、通販で注文するそうだ。子どもたちを通して都会と農村の関係性ができ、直販ルートの開拓にも一役買っている。
事業承継によって若手が新規参入。農家民宿は新たなフェーズに
農家民宿のオーナーは、主として農業を営む年配者が多い。先々のことを考えると後継者問題も気になるところだ。コロナ禍をきっかけとして、高齢を理由に農家民宿を廃業する動きもあった。その流れを止めたいと農家民宿の事業承継をした20代の男性がいる。「茅葺の曲がり家 西の家」でのことだ。
「西の家」は角館の武家屋敷通りにほど近い場所にあり、農家民宿を営んでいたが、オーナーは高齢による体調不良に悩んでいて、先行きが不透明であった。そのようなとき、当時地域おこし協力隊として仙北市で農家民宿に関わっていた東風平蒔人さんが、2022年に事業承継し、営業権を譲渡された。
東風平さんは、沖縄県から秋田にある国際教養大学に入学して、秋田のおもしろさや人の良さを知ったという。卒業後も秋田県に残りたいと思い、仙北市の地域おこし協力隊に応募した。同大学は国内でもトップクラスの国際派の公立大学ということもあり、ほとんどの同級生は、海外や東京の上場企業に就職した。一方、東風平さんは地域と関わることに興味を持ち、秋田にとどまる決断をしたのだ。
東風平さんは、「仙北市は、秋田県の中でも最も多く観光客が訪れる場所。自分の語学力を発揮したい」と想いを語る。現在は仲間が増え、同じく国際教養大学出身の後輩の女性が現場を担当することに。東風平さんは地域全体の取り組みに視野を広げ、増える空き家を宿として活用できないかと検討している。また今年からは「西の家」に外国人観光客が増えてきて、プランのさらなるブラッシュアップに取り組んでいる。名前も「古今東西遊びの宿 西の家」に変更して、さらに積極的に展開したいと東風平さん。
コロナ禍のアイディアで、野菜セットの販売が始まった
農家民宿のオーナーたちは、横の連携が強いと協議会の伊藤さん。集まる機会も度々あるそうだ。教育旅行の受け入れ時期が集中するため、協議会ではそれに先立ち農家民宿のオーナーに集まってもらって安全対策や衛生対策の講習会を開催する。保健所や消防署から注意事項の話をしてもらうのだ。コロナ禍前は、地元の食材を使った料理教室をやったこともあった。教室そのものよりも、作ったものをみんなで食べながら交流することを重視していた。
コロナ禍によって、宿泊者がぱったりと来なくなり、農家民宿は危機的な状況に陥った。これを機会に廃業したところも実際にある。
そんななか、農家の野菜を都会に届けようという話が持ち上がった。それが「母さんのおすすめセット」という箱詰めの野菜セットだ。仙北市内の農家民宿やペンションを経営する女性たちが自身の得意な野菜や漬物を持ち寄ったもので、元々はそれぞれの宿で客に提供するために準備していた野菜だ。協議会が窓口になって2020年春に販売をスタートした。
取組みがテレビニュースで取り上げられると、問合せの電話が殺到したという。数日後には完売してしまい、予定外の追加分も販売した。2023年にはコロナ禍が落ち着いたものの、せっかくの新しい販路を止めるのはもったいないと、野菜セットの販売を継続したいという要望が持ち上がった。都会と農村をつなぐというコンセプトにも合致しているため、現在も販売している。
農家民宿は農家が主役で、地元の行政がバックアップする信頼関係に裏打ちされたコンテンツだ。田舎では当たりまえのことが、都会や海外では価値になる。日本で農村の原風景を体験したいのなら仙北市はおすすめだ。今後も継続されていくことを期待する。
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