再生計画で変わりつつある中川運河
名古屋市中川区と港区を縦断する中川運河。ここ数年で景観が変わりつつある。
市が2012(平成24)年に「中川運河再生計画」を策定してから約10年。水辺には商業施設が誘致され、緑地やプロムナードの整備や運河を渡るクルーズ船の定期運航などが実施されてきた。
さらに2023年9月4日、市は運河の端にあたる名古屋駅南側「ささしまライブ」に人工ビーチや運河を見渡せるバーを併設したホテルなどを設け、新たなにぎわいを創出すると発表した。開業予定は2026年。完成すれば景観はまたずいぶん変わったものになるだろう。
真新しい施設が増えるのとは対照的に、昔から残る建物を改装し別の角度からにぎわいの創出を試みる場所がある。70年続いたガソリンスタンドの事務所をリニューアルし、2022年7月にギャラリーとしてオープンした「中川運河ギャラリー」だ。
「中川運河の魅力を伝えたい」オーナー・森さんと共にドイツ出身のメッツラーさんがギャラリーを運営
「中川運河ギャラリー」のオーナーは、「株式会社森石油店」の店主・森茂樹さん。
ガソリンスタンドを営業する傍ら、10年ほど前からスタンドの向かいにある事務所の2階をアーティストに開放。自由にアート活動ができる場をつくってきた。2021年にガソリンスタンドを閉業したのを機に、1階をリフォームし、「中川運河ギャラリー」としてオープンした。以降、作品展示だけでなく実験的なアートプロジェクトなども行われるおもしろい場所となっている。
現在、森さんと共にギャラリーの運営に携わっているのが、ドイツ出身のイラストレーター、クレメンス・メッツラーさんだ。メッツラーさんは25年前に来日。行政が主催する中川運河を題材にしたアートプロジェクト「ARToC10(アートックテン)」に参加するなど、運河の魅力向上に注力してきた。ギャラリーでは、ボランティアスタッフらと共にアートプロジェクトのディレクションを担当している。
名古屋港につながる中川運河沿いはたくさんの倉庫が並び、独特の景観を作り出す。
「水と倉庫と緑が、中川運河の『らしさ』だと思います。こんなワイルドな緑なんて、人の手では絶対作れないでしょ。時間をかけてできあがったありのままの景観が美しい」とメッツラーさんは言う。
森さんは、「僕らが小さいころはこの運河で泳いで遊んだりもしたね~。花火大会もあってにぎやかだったよ」と昔を振り返る。「アートを通じて、脈々と流れる中川運河の良さを再確認してもらいたい」というのが、森さんはじめギャラリーの運営に携わる人たちの願いだ。
40年前の中川運河を再現
メッツラーさんは「ARToC10」の企画のなかで、中川運河が活躍した昭和40年代前後の原風景を今によみがえらせようという試み「運河に描く」を手掛けた。この企画は、メッツラーさんが描いたペン画を元に、地元の小学生らがパネルを描き、運河に浮かべるというもの。
繊細な線画が倉庫をバックに運河に浮かんでいる様子が、なぜかとてもリアル見えて、とても心を動かされた。
助成事業としての「ARToC10」は2022年に活動を終結したが、その後もメッツラーさんは中川運河の魅力の発掘と伝承に尽力。その活動の場となっているのが「中川運河ギャラリー」だ。
名古屋の産業と経済を支えた「東洋一の大運河」
メッツラーさんは地理学、都市デザインの専門家らと一緒に運河周辺を調査し中川運河らしさについて研究してきた。
「中川運河は名古屋の産業や経済に大きな影響を与えました。まちを再生していくためにはこの場所の『らしさ』を見直すことが大切です」とメッツラーさんは話す。
中川運河らしさ、とはいったいどういうものなのか。まずは、中川運河が誕生した背景から知る必要があるだろう。
中川運河の歴史は約90年前にさかのぼる。
物流の強化を図るため、名古屋港と旧国鉄笹島貨物駅(現ささしまライブ24地区)を結ぶ運河として1924(大正13)年に計画が決定。1926(大正15)年に工事に着手し、1932(昭和7)年に完成した。
当時、名古屋市南西部の土地は名古屋港の平均海面以下のエリアもあったため、運河の開削で掘った土を利用して運河沿いの敷地に盛り土をし造成が行われた。そこに工場などが誘致されることになった。
完成した中川運河は、支線を合わせると前長約8.2キロメートル、最大幅91メートル。「東洋一の大運河」と呼ばれ、ピークの1964(昭和39)年には7万5千隻を超える船が行き来していたという。水位差のある堀川と中川運河を船が通れるよう、水位調整ができる閘門式を取り入れている点も中川運河の特徴といえる。
一大輸送幹線として地域を支えてきた中川運河だが、昭和40年代ごろになると物流は陸運への転換を迎える。
1964(昭和39)年を境に通航数は年々減少し、現在はピーク時の約1%まで減少した。
20年先を見据えた再生構想。もっとまちに興味を
物流の第一線を退いたとはいえ、中川運河はこのまちのアイコンでありアイデンティティの源であることに変わりはない。名古屋市は概ね20年先を見据えた再生構想を掲げ、2012年から【交流・創造】【環境】【産業】【防災】という4つの視点から新たな発展を目指してきた。
ただ、メッツラーさんから見ると不安に感じることがあるという。
「自分のまちに興味のない人が多いと感じます。ふるさとの将来のことなのに、再生しようという話が持ち上がっていても積極的ではない。人はずっと見てきたもの、知っているものを見て“ふるさと”を感じるもの。つまり“ふるさと”を感じさせるのは景観です。この先どう変わっていくのがいいのかもっと自分たちで考えてもらいたい」と話す。
オープンから1年で11のイベントを開催
まずは地元の人たちに中川運河に興味を持ってもらう必要があると、「中川運河ギャラリー」ではオープンからこれまでに11の展示会を開催してきた。小さなギャラリーではあるが、毎回100人以上の人が訪れているのだとか。
そのいくつかを紹介してみたいと思う。
2022年11月には三原聡一郎氏のインスタレーションとギャラリートークが行われた。
「空気の研究」と名付けられた三原さんのインスタレーションは、ギャラリー の屋根に設置されたセンサーが中川運河に流れ込む風を感知し、その情報を1階に設置された6台のファンに送り、室内に風を反射させるというもの。アートを通じて中川運河を感じる機会となった。
2022年12月には「中川運河を描く~この町に住んでる人々がふるさとを伝える~。」を開催。地元の写真家、彫刻家、画家たちの作品とともにトークショーも行われた。地元の人から昔の写真を借りたりして企画を進めていくうちに、自分の住んでいるまちに再び目を向けるようになった人も増えたという。
2023年の4月に開催された「名古屋展」では、イラストレーターであるメッツラーさんが書き下ろした、中川運河と堀川に面した都市の地図と俯瞰図を展示。この俯瞰図は現在もギャラリー横の壁面に飾られている。
同年5月には「なごや折り紙建築展」を企画。中川運河に架かる橋や閘門など運河にゆかりのある建物をポップアップ式に折りたためる建築模型を展示。手のひらサイズの紙製建築模型は来場者にも配られ、各々が自分の手で作ることで運河をより身近に感じられる企画となった。
中川運河の水を使ったフィルム写真の展示も
2023年6月には「流れない河」と題して、運河沿いに住む写真家・坂田健一さんのフィルム手焼き写真展を開催した。
閘門で仕切られた中川運河は潮の影響を受けないため、常に凪の状態。そんな物静かな運河のかすかな動きをフィルムに収めた写真が展示された。中川運河からくんだ水の中に印画紙を沈めて露光するという手法を使った坂田さんの作品は、独特の色味とゆらぎが印象的だ。
「一見静かにみえるこの運河も『声』を発しています。その声に耳を傾けることにより、運河と街が共存するためのカタチが見えてくるのかもしれません」とは坂田さんの言葉。
運河の水で焼き付けられた声なき声はどんなことを訴えているのだろうか。
2023年の夏には子どもたちもたくさん参加した「中川運河は上る鯉のように」が開催された。彫刻家で画家のウィリー・ゴンザレスさんを招いて、みんなで鯉のぼりを作るワークショップを実施。
「鯉は前にしか進まない。人生も一緒。苦しかったことは過去に置いて、これからの目標や夢を一緒に語りあいましょうという気持ちを込めて、このイベントを企画しました」とメッツラーさん。会期終了後も一部の鯉のぼりはギャラリーの2階に展示されている。
運河沿いの倉庫群をミニチュアで再現
取材に訪れた日は「中川運河ミニチュアハウス倉庫群といきものたち展」が開催されていた。
40年以上、近くの印刷会社に勤めていたという古田正宏さんが手掛けたもので、昭和のにぎわう中川運河を木材や段ボールなどで再現。天井からはカモメのモビールも吊るされ、鳥や魚、緑、水、倉庫といった中川運河ならではの景観を想起させるものになっていた。
運河とともに歩んできた古田さん。「少しでも地域再生の役に立てればと思い、中川運河ならではの倉庫群をミニチュアハウスという形で表現してみました。独特の景色を作ってきた中川運河の風景を楽しんでもらいたい」と話していた。このイベントでは「白い空き倉庫」も古田さんが用意。材料費300円で、思い思いに色を塗ってマイ倉庫を“建設”して中川運河倉庫群を完成させてみようという試みも実施された。
小さなギャラリーから発信される中川運河の「らしさ」
ドイツ出身のメッツラーさんから見ると日本は「すぐに新しいものに変えてしまう」傾向があるという。
「私にとって、好きだなと感じた場所が、愛着をもつ時間もなく次から次へと新しいものに変わってしまうのは残念なこと。まちは人間と同じです。年をとったり病気になったりもします。見た目がきれいじゃなくなっても、そこには味わいがあります。だから、新しいものを作って外見だけピカピカにしてもダメなんです。ほかの都市と同じようなものを作るのも意味のないこと。その場所がもつ物語を伝承しオリジナルのまちづくりをしないと、自分のまちという愛着が育たなくなってしまいます」とメッツラーさんは言う。
中川運河は人間でいうと91歳。しわのように刻まれた美しさや渋さをどう捉えるのか―。
運河沿いに立つ倉庫群も老朽化を迎えている。古いものを古いまま残しておくというのは難しいことではあるが、どういう形で残していくのか、はたまた作り替えていくのか。まちの本質を大切にしながら考える必要があると感じた。
アートを通してまちのアイデンティティを可視化し、地域の人の愛着を育てる活動をしていくことが「中川運河ギャラリー」の役目だと語るメッツラーさん。
再生計画により緑地や遊歩道が整備され、夜間はライトアップされる運河沿い。「きれいなプロムナードはあっても、歩きながら私たちはいったい何を見るのでしょうか」とメッツラーさんは投げかける。
【取材協力】
中川運河ギャラリー
https://www.nakagawaunga.org/
【参考】
名古屋市・名古屋港管理組合「中川運河再生計画概要版」(平成24年10月)
名古屋市ホームページ「中川運河の歴史」
https://www.city.nagoya.jp/jutakutoshi/page/0000162394.html
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