新横浜駅周辺はかつて田んぼだった

新幹線ホームから見た篠原口方面。低層の建物中心で、新幹線駅の駅前とは思えない風景が広がる新幹線ホームから見た篠原口方面。低層の建物中心で、新幹線駅の駅前とは思えない風景が広がる

新横浜駅に篠原口という駅から細い地下道を通ってしかアプローチできない出入り口があるのをご存じだろうか。東海道新幹線の下りホームに立つと新幹線駅の駅前だというのにごく普通の2階建てアパートや駐車場、一戸建て、雑木林という風景が広がっているが、そこが篠原口を出たあたりだ。

だが、このエリアでもともと人が住んでいたのは駅の南側、谷戸地形が広がる篠原町と呼ばれる地域だったと地元出身の建築家でウミネコアーキの若林拓哉さん。

「新横浜周辺は篠原町から新横浜駅の西側を流れる烏山川にかけ、南から北に向かって土地が低くなっており、東海道新幹線を挟んで新横浜駅側はかつて田んぼでした。その土地を持っていたのが昔から篠原町エリアに住んでいた人たち。わが家も含めて10組ほどが少なくとも江戸時代半ばくらいまでに入植、この土地に居住、土地を所有していました」

新幹線ホームから見た篠原口方面。低層の建物中心で、新幹線駅の駅前とは思えない風景が広がる今昔マップon the webで明治期の新横浜周辺と現在の姿を比べてみたもの。明らかに南北で土地の利用法が違っていることが分かる

その人たちが所有していた広大な土地が新横浜駅と、周辺の建物群などになった。田んぼになっていた治水面で問題もある土地ではあるが、平坦で広大な土地は新幹線駅や規模の大きな建物を建設するには向いている。そうした経緯から高低差があって開発しにくい篠原口側は、かつての風景が残されたままになり、新横浜側は以前の姿が分からないほどに発展したというわけだ。

その篠原口から歩いて4分ほど。岸根公園に向かう通り沿いにあった横浜篠原郵便局の建物がリノベーションされ、2022年8月に未知への窓口をコンセプトに地域の複合文化拠点「ARUNŌ -Yokohama Shinohara-」(以下、アルノー)が誕生した。

アルノーはシートン動物記に登場する伝書鳩の名前。物を運ぶ拠点、郵便局だった建物にふさわしい名称である。

新幹線ホームから見た篠原口方面。低層の建物中心で、新幹線駅の駅前とは思えない風景が広がる名称のアルノーはシートン動物記にある伝書鳩の名前から
新幹線ホームから見た篠原口方面。低層の建物中心で、新幹線駅の駅前とは思えない風景が広がるアルノー全景。建物前には駐車場、掲示板などもあり、人が利用しやすい、目立つ立地である

郵便局の持つポテンシャルに着目、横展開を構想

改修前、空き家になっていた時期の姿改修前、空き家になっていた時期の姿

横浜篠原郵便局が建てられたのは1975年。

「物流網、郵便網が急速に拡大し、地域の中心地に土地を持っている所有者に声をかけて建物を建ててもらい、そこにテナントとして郵便局が入るというやり方で日本全国に郵便局が増えていた時期でした。個人所有の郵便局というわけです。横浜篠原郵便局は、全国にある2万局の郵便局のうちの1万1,000局を手がけた日本逓信建築事務所(現・ニッテイ建築設計)が建てたもので旧耐震。一般的な用途として使う分には問題ないものの、公共的な建造物としては耐震改修が必要とここ何年か工事を迫られていました。が、なかなか結論が出ないままに時間が過ぎ、結局、郵便局は駅近くに移転。建物が空いてしまいました 」

以前から地元に関わりたいと考え、不動産を探していた若林さんは、そのタイミングで話を聞いた。現在、アルノーでフローズンカフェバーを経営している女性が、横浜市で学童保育施設などのために不動産を探す仕事をしており、当初は一部に学童が入る予定だった。そこで残った部分を使わないかという話だった。

「100m2のうちの80m2を学童が使い、残りをという話でしたが、結局学童は入らないことになりました。自分ではやらないだろう鉄骨フレーム剥き出しの建物に関心がありましたし、まだ使える建物を取り壊してアパートや駐車場にするのも惜しい。そこで全部を借りることにし、2021年の夏から1年かけて改修、2022年8月10日にオープンしました」

改修前、空き家になっていた時期の姿スケルトン状態にした時点での室内全景。実にシンプルに造られている

建物に加えて郵便局という存在にも関心があった。

「日本全国の、かつての中心地にこうした郵便局があります。ただ、物を運ぶだけの郵便事業はじり貧。でも、そこで培われた配達網と郵便局員と地域の人の間にある信頼関係は大きな財産です。それを地域のハブとして使えないかと考えています。特に中山間地の郵便局は営業はしていても赤字経営の可能性が高いので、そういったところにキャッシュポイントを増やしつつ、地域の場として使えるようにしたらどうか。郵便局には地域を変える大きな可能性があると思っています」

ここ横浜の郵便事業は幸いにして他に比べて高い収益が上がっているそうだが、20年、30年先はどうなるか。地域によっては配達員が見守りサービスを行うなどその日に備えた取り組みが行われているようだが、経営層がそこまで考えているのだろうか。明治初期から営々と積み上げられてきた郵便事業の財産を将来につなげ、活用する。そのためにはアルノーを横展開できるようにしたいと若林さんは考えている。

6つのコンテンツを用意、やりたいことがある人の背中を押す

住居部分には居住性を考えて断熱を施した箱を建物に入れ子にする形にした。工事中の写真住居部分には居住性を考えて断熱を施した箱を建物に入れ子にする形にした。工事中の写真

アルノーは「シェアハウス」、「マドグチ」、「シェアキッチン」、「フローズンカフェバー」、「シェアラウンジ」、「屋外出店スペース」という6つのコンテンツから構成されている。

「最近、建築家が自分で店舗を運営する例が出てきていますが、アルノーの全体で100m2、店舗部分で50m2という規模はその中でも大きいほう。その分、細分化してキャッシュポイントを多くつくり、家賃を稼ごうと考えました」

シェアハウスは2戸あり、それが50m2を占める。アルノーが立地するのは第一種低層住居専用地域で、郵便局は公共性があるために建築が可能だった。それ以外で使う場合には半分を住宅として店舗兼用住宅とする必要があった。

「店舗部分の天井は以前貼られていたロックウールにアスベストが含まれていたため撤去。そのまま、鉄骨剥き出し、構造材がそのまま内装材になっていて暑くて寒いのですが、住宅部分はその中に断熱性能の高い箱を入れて快適に暮らせるようにしました」

住居部分には居住性を考えて断熱を施した箱を建物に入れ子にする形にした。工事中の写真シンプルな室内。ホテルの一室のようだ

マドグチは、壁に設置された2つのサイズの窓を借りて自分が作っているもの、売っているもの、好きなものなどを展示、販売するスペース。雑貨、書籍、食品その他さまざまなものが置かれており、26ヶ所用意した窓はほぼすべて埋まっている状態だ。

「マドグチ、シェアキッチンは、どちらもやりたいと思ったことをやれるようにできる場所です。地域にはやりたいことがありながら、場がないことでそれを諦めている人がいます。ここはやりたいと思っていてもできるかどうか分からない、向いているかも分からないという人たちが気軽にチャレンジできる場。シェアキッチンでは初めて飲食にトライするという人が何人も来ており、現在、毎月定期的に使っている人が5~6人います。マドグチを借りている人は、店内を使ってチャレンジショップが開けるようにもなっています。いずれはここでやりたいことを体験し、その体験を踏まえてこの地域に店を出してくれる人が出てくれればと思っています」

住居部分には居住性を考えて断熱を施した箱を建物に入れ子にする形にした。工事中の写真左側の壁はマドグチとして利用されている。右側がシェアキッチン
住居部分には居住性を考えて断熱を施した箱を建物に入れ子にする形にした。工事中の写真マドグチを利用している人なら店内を借りてイベントを開くことなどもできる

急速冷凍機を使い、属人性を排したフローズンカフェバー

これが急速冷凍機。サイズはいろいろあるそうだが、アルノーで入れているものは比較的コンパクトで、これなら普通の店舗でも導入できそうこれが急速冷凍機。サイズはいろいろあるそうだが、アルノーで入れているものは比較的コンパクトで、これなら普通の店舗でも導入できそう

コンテンツの中で異色なのはフローズンカフェバー。それ以外のコンテンツは他の複合施設にも存在しており、既視感がある。だが、フローズンカフェバーは世の中にまだそれほどないはずだし、なぜ、ここにあるのか。

「各地の郵便局にアルノーを横展開すると考えると、ローカライズできる必要があります。ところが食は属人化しがちで、その人がいないとその料理が作れない、出せないということになります。それを誰にでも提供できるようにしようと考え、思いついたのが冷凍してしまうこと。そうすれば極端な話、小学生でもサーブできます。それにクール便を利用すればヨソの拠点とも食品のやり取りができます。現在はシェアキッチンで作る食品や、店頭で販売している地元の零細農家から仕入れた野菜を加工して冷凍し、店頭に置いた冷凍品自動販売機で販売しています」

そのためにキッチンには急速冷凍機が置かれており、シェアキッチンで作られた食品が廃棄されることはない。フードロス削減にもなっているのだ。

これが急速冷凍機。サイズはいろいろあるそうだが、アルノーで入れているものは比較的コンパクトで、これなら普通の店舗でも導入できそう入り口近くでは地元の農家の野菜が販売されており、こちらを冷凍して保存することも
建物前に置かれた冷凍食品を売る自販機。シェアキッチンで作られたもの、横浜近郊の飲食店のものが販売されている建物前に置かれた冷凍食品を売る自販機。シェアキッチンで作られたもの、横浜近郊の飲食店のものが販売されている

店頭の自販機で売られている商品のバリエーションが豊富なのも面白いところ。シェアキッチンで作られたピザ、ケーキがあるかと思えば、野毛「梅や」のカオマンガイ、焼き鳥や緑区「台北」の唐揚げなど、横浜近郊の店舗から卸してきた商品ありとメニューはいろいろ。シェアキッチンを使う人が変わればメニューも変わる。利用者にとっては楽しみだろう。

「このエリアは駅にも近いため、若い単身者もいますし、古くから住んでいるシニアもおり、その人たちに手軽に安心して食べられる各種の冷凍食品を提供できれば、地域の人たちの生活を少しだけ楽にできます」

建物外部には屋外出店スペースがある。取材時には生協の人たちがスペースを利用、利用者募集の活動を行っていた。ここも4団体ほどが定期的に利用しているそうで、敷地、建物の使える部分は本当にフルに活用されていた。

これが急速冷凍機。サイズはいろいろあるそうだが、アルノーで入れているものは比較的コンパクトで、これなら普通の店舗でも導入できそう駐車場スペースを利用したキッチンカー。周辺には店舗が少ないことを考えると、こうした場があるのは住んでいる人にとってうれしいだろう

大きな視点、長い時間軸で考えて地域と向き合う

さまざまな形で利用が進むアルノー。地域のさまざまな人たちが関わり始めているさまざまな形で利用が進むアルノー。地域のさまざまな人たちが関わり始めている

開業から1年がたち、利用者も安定して増えてきているが、若林さんの試みはまだ始まったばかり。

「新横浜側は開発されて60年近くになりますが、もともとが収益を得るための開発で、今もチェーン店ばかりが出店。来訪者を連れていけるようなこの土地らしい店などは少なく、恥ずかしい限り。そこで向こう側に期待するのではなく、篠原エリアを変えていこうと考えています」

エリアとしては篠原八幡神社から鶴見川までの、尾根のある山手から川までと地形的にも変化、広がりのある地域を考えている。プロジェクト名はかつてのこのエリアを含む広域地名だった橘樹郡(たちばなぐん)にちなんで橘村(きっそん)。建物単体を点として建てるのではなく、面から考えて点を打つというやり方で地域を変えていこうという計画だ。

さまざまな形で利用が進むアルノー。地域のさまざまな人たちが関わり始めている篠原町から新横浜駅方面を見ると明らかにまちの様相が違うことが分かる
リサーチ、企画、建築設計、不動産、運営をトータルプロデュースするウミネコアーキの若林さん。建築家だが、建築だけではない点に注目したいリサーチ、企画、建築設計、不動産、運営をトータルプロデュースするウミネコアーキの若林さん。建築家だが、建築だけではない点に注目したい

子どもの頃から箱で迷路を作るなど空間や立体を作るのが好きで、建築の道へ進んだという若林さんは、大学1年時に日本より自由度の高い世界の建築を学び、大学院では世界の港湾の調査をした。東京圏は世界でも最大規模の都市圏人口を有しているにもかかわらず、他の都市と違ってメガスラムがない。それはなぜかということを港湾、鉄道、道路などのリサーチを通じて考えるという課題で、そうした経験が大きな視点で考えて、点としての建築を造るという今の姿勢につながったという。

建築家はそもそも建築を造るだけの人ではなく、もっと広い面を、もっと長い時間で見て建物を計画する人だというのだ。そして、その考えはこれからの篠原エリアに必要でもある。現在、篠原エリアには若林さんには全体像がないとしか思えない開発計画があるからだ。

「エリアの低地部分はかつて冠水したこともあり、治水事業の計画がありました。その費用を工面するために再開発などが考えられているのですが、行政には全体ビジョンが描けていないと感じています。一部の都市計画道路を拡幅するだけでよいのか、駅とのアクセスが良くならない計画に意味があるのか。また、地主が持っているべき、地域をよくしていこうという意識がなく、相続が起きたからと山を丸ごと売却。それによって森が消失するという事態も起きています。そうした地域に面を変える点を次々に打っていきたいと考えています」

次の計画は築56年になる1階に6軒の店舗が入った2階建てアパートを半分にしてリノベーションし、残りを新築するという大胆なもので、食の実験の場になるという。アルノーで育ち始めている何かやりたい人たちがこれから生まれる場で活躍する日が来れば、今はまだ大きな変化がないように見える篠原エリアを変えていくことだろう。長い目で期待したい。

さまざまな形で利用が進むアルノー。地域のさまざまな人たちが関わり始めている地域の将来を考えようという気運があるそうだが、それが本当に地域のためになるものか、しっかり考えていきたいと若林さん

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