建築系の人たちからは「なぜ、いまさら」と聞かれた
このところ、若い層を中心に職能を拡大し、従来は建築家の仕事を思われていなかったことに取り組む人たちが増えている。そのうちには単に建物という箱を造るだけでなく、箱を造る前の周囲とのやりとりから始まり、そこにビジネスを生み、収益を考えて経営するところまでできるなど、本当の意味で場を動かせる人も増えている。
そんな一人に横浜市で空き店舗を改修した設計事務所兼シェアキッチン「藤棚デパートメント」、倉庫を活用したシェアアトリエ「野毛山kiez」、住まい兼シェアスタジオ「南太田ブランチ」などを運営する建築家、YONG architecture studio主宰の永田賢一郎さんがいる。
その永田さんが長野県立科町で地域おこし協力隊(以下、協力隊)として移住、定住促進を担当、なかでも空き家の利活用、遊休不動産の賃貸・売買の促進を行っていると聞いて、おお、それは! と思った。なぜ、これまでこういう例がなかったのだろうとも。
自分で空き家の状況を見て改修計画を立てられるだけでなく、実務経験があってビジネスをしたい人には運営のアドバイス、サポートができる人、自分でもビジネスを生み出せる人が地域にいたら空き家を住宅として使いたい人、ビジネスで利活用したい人、空き家に困っている地域には強い味方になる。だが、これまで建築関係の職能を持つ人が協力隊に参加したという例はそれほど多くない。
2009年度から始まった協力隊とは「都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組」(総務省)。定住率が6割と他の施策に比べて高いこともあり、今後も継続、さらに隊員数を増やす計画もあるという取組みだ。
だが、名称のせいだろうか、プロが主体的に関わるという仕事としてはあまり認識されていないのかもしれない。永田さんが協力隊として立科町で働くという選択を周囲に伝えた時、建築関係の人たちからは「なぜ、いまさら」と言われたという。横浜に事務所、仕事、拠点があるのに、なぜ、わざわざ地方に行くのかということだろう。
募集をかけた町側も永田さんのような専門家が来るとは思ってなかったようで、面談では「何をしたいですか?」と問われたそうだ。
「そこで家と仕事を用意してくれるんですよね? といった回答をすると採用されないそうですが、そういう質問、答えが出るほどこれまでは採用する側も、応募する側も受け身だったということなのかもしれません」
小さい自治体ほど町全体の仕事に関われる
永田さんが協力隊という選択をしたのにはいくつか理由がある。ひとつは立科町に地縁があり、多拠点居住をしたいと考えていたためだ。もうひとつ、横浜で活動してきたような取組みが地方にこそ切実に求められているのでは、という考えがあったからだ。
「規模の小さな自治体に行けば行くほど必要とされる場面が多くなり、町全体に関わることになります。横浜のような大都市だとプレイヤーも多く、個人で関われることは限られてきます。自治体の規模によってできることが異なるわけで、面白い仕事ができるのではないかと思いました。建築家として知らない地域に一人で入ってもパイプをつくるのは難しいと考えると、協力隊として行政の信用の下に仕事をするのは地域に入っていく仕組みとして役立つのではないかとも思いました。知り合いも増えるし、地盤がつくれる。知名度も広がる。都心ではひとつ建物を改修したくらいでは話題になりませんが、地方でなら1ヶ所改修しただけでも取材に来てくれます。活動が実績につながりやすいのです」
兼業が可能だったことも大きい。今後、二拠点、多拠点で働く人が増えると考えると、そういう人の事情が分かる人間が移住・定住などの窓口にいたほうがいいはずで、その意味では立科町は職能、経験ともにいい人材と巡り合ったわけである。
現在、立科町ではもう一人、建築家が協力隊として活動しており、その人、秋山晃士さんも静岡県沼津市で建築事務所USHIO STUDIOを運営する一方でカフェ、ホテル(現在は一時休業中)を経営している。1人ならず、2人もの建築、運営が分かる人がそろっているのである。立科町の空き家が少しずつ動き始めているのは当然かもしれない。
15年間空き家だった建物を2週間かけて、3万円で使えるように
では、どのような動きがあるのか。最初に見せていただいたのはかつて中山道の芦田宿のあった立科町の中心部にある活動の拠点「町かどオフィス」。中山道沿いには元銀行で、現在は街の案内所となっているふるさと交流館「芦田宿」という建物があり、2020年に永田さんが地域おこし協力隊として着任したときにはそこがオフィスとして用意されていた。
だが、空き家の活用を呼びかけるなら空き家を本拠地にしたいという思いからすぐ近くの空き店舗に目をつけ、そこを改装して本拠地とすることにした。
「この建物は借りた時点で築97年、中山道沿いに店舗、裏に住居がある建物で、住居部分には今も所有者が居住しているものの、店舗は15年間使われないままになっていました。トイレなどの水回りがないため、店舗としては貸せなかったのですが、1階で入りやすく、視認性も高い。そこでトイレはふるさと交流館で利用するからと貸してもらい、掃除をして照明だけを替えるなどして2週間をかけて、3万円で改修し、使い始めました」
ほぼ手を入れていない古い建物のため、暑くて寒く、冬にはあまりの寒さに複合機が止まってしまうほどというが、15年間空いていた建物を2週間、3万円で使えるようにしたというインパクトは地元にとっては大きかったそうだ。
すでに改修が終わっている建物としては町が所有している教職員住宅がある。4棟あるうちの2棟をお試し居住住宅にするためにDIYワークショップなどを経て改修した。
もともとは3DKだった間取りをリビングとキッチン、リビングと窓でつながる個室、独立したワークスペース1室に変更。ワークスペースは解体から断熱改修、左官仕上げまでをワークショップで地元の人たちや移住者などとして造った。
この作業は参加者にとって非常に参考になったようで、実施後、「断熱改修をしてみました」、「床を張りました」という報告があった。
「ワークショップではここを直せば使えるといった空き家利用の勘所をお伝えしたいと考えています。このエリアの空き家は規模が大きいため、全部改修しようとすると費用がかさむ。だったら使わないところは適切に解体する、そうした考え方も含めて伝えられれば空き家を使ってみようという人が増えるのではないかと思います」
残りの2棟についても2023年10月以降にワークショップを開催。古い空き家を見て燃える人を増やしたいと考えている。
建築家に相談できたから空き家を使う決意ができた
現在、改修が進んでいる建物もある。4年ほど空き家バンクに出ていたものの、ずっと動きがなかった角地の平屋が、佐久市内に住む飲食店開業希望者、Aさんの手でカフェに変わろうとしているのだ。
「町内の有名観光地である白樺湖に抜ける道沿いで車の往来も多く、目につく立地なのですが、汲み取り式で駐車場がないなど難もあり、ずっと空き家になっていました。価格は土地代込みで140万円。いつまでも空いているなら、自分で買って月額5万円で賃貸に出したらどうだろうと考えていたところに使いたいという人があり、相談に乗りました」
最初は佐久市で探していたものの、ぴんとくる物件がなく、また価格が高かったため、立科町の空き家バンクに目を向けたAさんは「この物件、そして永田さんと出会っていなかったら踏み切れなかったかもしれない」と言う。永田さんが建築家として専門的なアドバイスをしてくれたことで安心して開業する気になったというのである。
職人さんに入ってもらいながら、自分でもできるところをDIYし、開業予定は2023年9月15日。現在の立科町にはないコーヒー豆にこだわった、さっぱりしたコーヒーを出すつもりで、夜にはお酒も出す。地区の名前をとって店名はアシダカフェ。もし、近くを訪ねることがあったら寄ってみていただきたい。
これから動き始める物件もある。本拠地である「町かどオフィス」と道を挟んだところにある、かつては脇本陣があった土地に立つ2階建ての元薬局の建物である。街道沿いの、地域では一番よい立地であり、薬局、待合室、その奥にリビングと面積も1階だけで90m2と規模が大きい。
「移住相談でここでワインバーをやりたい、飲食店を開きたいという人は来るのですが、広すぎる、賃料が合わないと、ことごとく断念。普通だったら借りたい人とオーナーをつないでダメとなったらそれで終わりですが、私たちには違う考えがありました。複数組にシェアして入ってもらい、地元ににぎわいを生むようにしたらどうだろうか、1階にはシェアキッチンや事務所などを入れ、2階には宿泊という手はどうだろうか、そんな提案です。その提案をテレビに取り上げてもらったり、地元の高校の文化祭で試しに場を使ってもらったり、小諸市の町おこしに関わっている人に来てもらったりしているうちに、町の建設会社が建物全体を購入してくださることになり、改修、運営を任せてもらうことになりました」
動き出した計画に乗りたいという人も出始めた
永田さんが立科町に通い出した頃は、空き家の活用や再販という話に乗ってくれる人は少なかったのだが、この3年ほどで風向きが変わってきているわけだ。
しかも、改修が決まったところで薬局裏手にある母屋、蔵も使えないだろうかとそこの建物所有者も言い出した。その2棟と薬局の間には駐車場があり、3棟そろって活用できるなら中庭を囲んだ3棟という形になる。それぞれに多種の店舗、施設が入るとしたらこれまでの立科町にはない、新たな空間が生まれる。そこまで活用できるかどうかは取材の時点では決定していなかったものの、薬局の改修は2024年3月に完成。新たな場が生まれる予定だ。
もうひとつ、改修にはまだもう少しかかるが、徐々に変化し始めている建物がある。永田さんが空き家バンクから借りた425坪(1,400m2!)の土地に農地、住宅、物置、蔵などがある物件で、これを10年間の定期借地権で月額2万円で借りた。
「自宅、ゲストハウスと飲食店を造る予定で、飲食店は妻が経営します。自分の物件はついつい後回しになりがちですが、そろそろ手を付けようと考えています」
永田さんは横浜で3件、立科町でもこの物件も含めて合計6件の不動産を借りているが、いずれも家賃は負担していない。藤棚デパートメントが事務所とシェアキッチンだったことを思い出していただければ、その秘密は容易に分かる。借りたものをシェアスペースとすることで賃料をもらっているため、自分の払う賃料は払っていないどころか、収益可できる計算になるのだ。
「不動産を借りるなら自分が払う賃料以上に賃料が取れるようにしよう。そう思って活用しています」
地方はもちろん、ここまでの経営感覚があり、それが実践できている人は都会でもそうそう多くないのではないかと思う。
事例を作って意識を変革、町に回遊性を生みたい
といっても問題はまだまだたくさんある。ひとつはできることなら貸さずに売りたい、貸すにも、売るにも高値でという意識。これは立科町に限らず、地方に行くとよく聞く。貸すと所有者として住宅の不具合やトラブルに対処しなくてはいけない、それが面倒だから売りたいというのである。知らない人が入ってくるのが嫌だから、高めに賃料、価格を設定し、それを払ってくれる人以外は受け入れたくないというのである。
家は代々住み継ぐものであり、売ったり、貸したりが日常にない地域ではやむをえないことでもあるが、それについてはいい事例を作って見せていくことが大事だと永田さん。空き家が活用されて町が変わった、楽しくなった、にぎやかになったなどとプラスの効果があることを事例から分かってもらい、そういう人に貸したいと思ってもらえるようにしたいというのである。
立科町に住みたい、場が欲しいという人は少なからずおり、永田さんと取材で町を歩いている間にも相談を聞いた。店舗、住居だけでなく、福祉関係の場が欲しいという例もあり、地域には使える不動産がないことで充足できていないニーズもあるのだろうと思った。
また、立科町固有の地域偏差の問題もある。立科町は非常に細長いひょうたんのような形をしており、高原のリゾートエリアと町の中心部である村民の居住エリアが幅53.5mの1本道でつながれている。
リゾートエリアは蓼科山の麓に広がる女神湖、白樺湖、蓼科牧場などを擁する高原で、蓼科と聞けば、ああ、あそこかと思う人も少なくないはず。だが、そのエリアが属するのが立科町と知っている人は少ない。蓼の字が地名に使えなかったため、町名は立科町となっており、知らなければ違う場所のように思われてしまいがちなのだ。
そこに高低のある一本道でしか往来できないという地形の問題、さらに中心部に立ち寄るための場所、宿泊施設などがほとんどないという問題がある。
だとしたら、中心部に新たな施設を複数つくることで町内の回遊性を高め、にぎわい、収益が上がるような町にしていけないか。これがもうひとつの課題である。現在、永田さんたちが手がけている物件はそれに寄与することになろうが、それだけでは足りそうにない。また、高原エリアでも別荘地が古くなり、これからどうするかという問題も生じつつある。
いずれにしても、どちらもそうそう簡単に解決できるような問題ではなく、永田さんと秋山さんは一緒に会社を立ち上げ、腰を据えて取り組もうと考えている。
「2023年8月に合同会社T.A.R.P(Tateshina Area Relation Platform)を立ち上げました。それぞれに個々でも地域で活動している5人で異なる地域を行き来しながら、タープのように広くいろいろな場所とひもづいて、その中央、立科町に大きな居場所をつくることを目指しており、すでにいくつかのプロジェクトも動いています」
多能な建築家が取り組む地方の空き家活用、まちづくり。この手はほかの地域に展開できそうでもあり、学ぶところが大きいはずである。
合同会社T.A.R.P
https://www.tarpllc.jp/
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