八百万の神が宿る日本の家を守る神
日本では古来、八百万に神が宿ると考えられてきた。太陽や月、山、川、野、いたるところに神が坐し、人々と共に生きてきた。
神は恵みを与えるだけでなく、時には荒らぶり生活を破壊することもある。太陽は光と熱で生き物を育むが、暑さの厳しい夏には疫病が流行しやすくなり、医学の発達していなかった時代には、多くの死者を出した。山は果実や獣を人に与えてくれるが、土砂災害で生活の場を破壊することもある。川は農作業には欠かせない水を与えてくれる一方、雨季にはたびたび氾濫を起こし、田畑や家屋を倒壊した。だからこそ人々は神祭りを行い、生活の守護を祈り、災害を封じ込めようとしたのだ。
私達が住む家屋にもやはり神がおり、そこに住む人々の生活を守ってくれていると考えられてきた。そこで、家を守ってくれる神について調べてみたい。
家を建てるときに行う「地鎮祭」
家を建てる際には、地鎮祭が催行される。土地を掘り起こしたり、土地の上に柱を立てたりする前に、神様に挨拶をし、工事の安全と建物の守護を祈るのが地鎮祭だ。
最古の地鎮祭は『日本書紀』の持統天皇条に記録されている。持統天皇が即位して5年目(西暦694年)の10月、「新益京(しんやくのみやこ)に、地鎮の祭をさせられた」とある。新益京は藤原京のことで、奈良県橿原市に宮跡が残されている。中国の都城を参考に十二条八坊から構成された日本最古の本格的な都で、その広さは少なくとも25平方キロメートルとされる。
古代の地鎮祭は敷地の中央や四隅に穴を掘り、ガラス玉や金、宝玉などを土器に入れて埋めていたようで、藤原京だけでなく平城京や重要寺院などからも地鎮祭の遺構が発見されている。藤原京の地鎮祭では、富本銭や水晶が埋められていたようだ。富本銭は奈良時代の日本で作られていた銭貨で、貨幣として流通していたのか、まじない用のものだったのか、説は定まっていない。
現代の地鎮祭では、国土の守護神である大地主(おおとこぬし)神と、その地域を守護する神として産土神を祀ることが多い。まずは敷地に設けた祭場の四方を大麻(おおぬさ・祓え棒)で祓い、施主が神聖な鎌で草を刈り、鍬や鋤で地面を掘って工事の開始を奉告、そして土地を鎮める供物を埋めて工事の安全を祈願する。
つまり、大きな意味で家を守っているのは、地域を守護する神と、日本国土を守護する大地主神といえるだろう。地域の神は「鎮守の神」とも呼ばれるが、現代では「氏神」と呼ぶ方がわかりやすいかもしれない。その地域に鎮座する神社があれば、それが氏神の可能性が高い。もし地域に神社がない場合は、都道府県の神社庁に確認すると良いだろう。
家の守り神、屋船(やふね)大神。門を守る神、天石門別(あめのいわとわけ)神
神道における家の守り神は屋船(やふね)大神と呼ばれる。
屋船久久遅(やふねくくち)神と屋船豊受姫(やふねとようけひめ)の二柱の神の総称だが、『日本書紀』や『古事記』には登場せず、平安時代に律令の施行細則をまとめた『延喜式』の巻八、上棟式の祝詞にその名があるのみだ。だからこの二柱の神について子細はわからないのだが、ククチとトヨウケヒメの神々は記紀神話にも登場する。『日本書紀』でククチは句句廼馳、『古事記』では久久能智と表記され、木の神とされる。トヨウケヒメは日本書紀には登場しないが、『古事記』では豊宇気毘売と表記し、穀物や食物全般を司る神とされる。トヨウケヒメは伊勢神宮外宮に祀られる神でもあり、伊勢神宮内宮のアマテラスの食事を司るために丹波から呼び寄せられた。
屋船は宮殿を意味する言葉なので、屋船久久遅は家の柱や壁になる木材、屋船豊受姫は屋根を葺く藁や葺き草の神と考えられる。
また門を守る神として宮殿などの門に祀られていた神を、天石門別(あめのいわとわけ)神という。『古事記』では、櫛石窓(くしいわまど)・豊石窓(とよいわまど)の別名があるとされる。忌部氏の史書『古語拾遺』には「豊磐間戸」「櫛磐間戸」の表記で登場し、太陽神アマテラスが岩戸に隠れた後に再び姿を表した際、新しい神殿の門を守ったと書かれている。『古事記』では一柱の神の別名とされているのに、『古語拾遺』では、二柱の神として登場するのは、寺院の仁王像や神社の随神像などのイメージなのかもしれない。
火難除けの神、秋葉神社と愛宕神社
火難除けの神といえば、秋葉神社と愛宕神社だろう。
秋葉神社は静岡県浜松市の秋葉山頂に鎮座する秋葉山本宮秋葉神社を総本宮とし、全国に400社以上存在する。東京の秋葉原も、秋葉神社が鎮座していたのでこの地名がある。
愛宕神社は京都市右京区の愛宕山頂に鎮座する愛宕神社が総本宮で、こちらはなんと、全国に約1,000社以上ある。
秋葉神社・愛宕神社ともに本来は修験道の寺院として信仰を集めていたが、現在は神社となっている。多くの秋葉神社・愛宕神社で祀られるカグツチは、『日本書紀』では軻遇突智、『古事記』では火之迦具土と表記される。イザナギとイザナミが大地や山、川などを産んだときに生まれた神で、火の神であったため、母イザナミの陰部に大やけどを負わせてしまう。そしてイザナミがやけどがもとで命を落とすと、悲しみにくれたイザナギに首を落とされてしまった。
しかしカグツチの血からは武勇の神らが生まれているほか、熊野地方ではカグツチ誕生の後もイザナミは生きており、体の弱いカグツチを慈しんだという伝承が残されているように、必ずしもカグツチは悪神ではない。
大分県別府市にある火男火売神社では、温泉をもたらす神として信仰されており、秋葉神社や愛宕神社では火伏せの神・火難除けの神として信仰されている。
柿本人麻呂が火伏せの神として信仰されることもある。柿本人麻呂は『万葉集』にも多くの歌が残されている三十六歌仙の一人だから火難除けとは関係がないのだが、「かきのもとのひとまろ」が「火気の元、火止まる」に通じるためのシャレだ。柿本人麻呂を祀る神社は全国にあり、奈良県橿原市にある人麿神社や兵庫県明石市に鎮座する柿本神社などは特に有名だ。
火難除けの民間信仰もある。江戸時代に日常生活に役立つ知識をまとめた『重宝記』には、火を決して踏まず、正月の初めての辰の日に屋根に水を打ち、十二月二十四日は酒を飲まなければ一生火難を受けないとある。しかし現代の12月24日はクリスマスイブを祝う人が多いので、一生の間この日を禁酒とするのは難しそうだ。
地震除けの神を祀る、鹿島神宮・香取神宮・名居神社
地震除けといえば、茨城県に鎮座する鹿島神宮と、千葉県に鎮座する香取神宮の「要石」が有名だろう。地震を鎮める石とされ、安政二(1855)年に江戸で発生した地震の後は、鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチがナマズの頭を押さえつける「鯰絵(鹿島要石真図)」が数多く刊行された。
「要石」は三重県にも存在する。伊賀市の大村神社境内に祀られており、鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチと、香取神宮の祭神であるフツヌシが奈良の春日へ還幸する途中でこの石を祭り鎮めたというから、タケミカヅチとフツヌシが地震除けの神と考えてよいだろう。
三重県名張市の名居神社も地震除けの神で、「なゐ」は地震の古語だ。
『日本書紀』によれば、推古天皇が即位して7年目(599年)の夏に、大地震が起きて建物がすべて倒壊したので、全国になゐの神を祀らせたとあるが、現在名張市以外になゐ神社は見当たらない。長崎県下県郡厳原町に宗像三女神を祀る奈伊島神社が見つかるが、由緒などがわからないため、地震と関係があるかどうかわからない。
火難除け・地震除けの神は、神社などでお札やお守りをもらい家に奉るとよい。また、屋船久久遅ら家の守り神は、何もしなくても家を守護している。掃除の際などには、感謝の気持ちで手を合わせてはいかがだろうか。
■参考
勉誠出版『江戸時代生活文化事典ー重宝記が伝える江戸の智恵』長友千代治著 2018年2月発行
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