自然とともに人や先祖も信仰の対象となった日本

日本の神道は、太陽や山、川、大樹、海、風など、自然を崇拝する。自然だけでなく、人もまた信仰の対象だ。
橿原神宮に祀られている神武天皇や、各地の八幡宮に祀られる応神天皇は伝説上の人物(諸説あり)で、神と近い存在ともいえるが、天満宮で祀られている菅原道真や、吉野神宮で祀られる後醍醐天皇など、実在の人物も神として崇拝されている。天皇や皇族が亡くなったとき、「神上がる(かみあがる・かむあがる)」と表現するのは、現世で亡くなるのは、神として天界に上がることと同義と考えられたからだ。

神道においては、現人神とされてきた天皇だけでなく、庶民も死ねば神となると考えられていたので、『日本書紀』や『古事記』には、「〇〇という神は、△△という氏族の祖神(おやがみ)である」などと書かれている。祖神とは読んで字のごとく、その氏族の祖先にあたる神様のことだが、記紀神話の中では生きている人間としても描写される。

例をあげると当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲をとるために出雲から呼び寄せられた野見宿禰(のみのすくね)は、土師氏の始まりとなった人物、つまり土師氏の祖神だ。相撲に勝利した褒美として当麻の地を与えられ、その後は垂仁天皇に仕えたが、皇后の日葉酢媛命(ひばすめのみこと)が亡くなると、殉死の代わりとして埴輪を発明し、土師臣の姓を与えられたとある。

ただし、現在の研究では、殉死の替わりとして埴輪が発明されたことは否定されているようだ。ごく初期の埴輪は円筒形をしており、盾がつけられるようになった後、やっと人の形をした埴輪が作られるようになるからだ。土師氏は古墳造営のエキスパート集団だから、古墳につきものの埴輪とむすびつけて語られたのかもしれない。

野見宿禰という人物が実在したかどうかはわからないが、それでも土師氏の人々は野見宿禰を祖神として尊崇し、神社を建立して祀った。土師氏の本拠地とされる藤井寺市には土師神社が鎮座し、野見宿禰のさらに先祖にあたるアメノヒナドリを主祭神とし、野見宿禰も合わせ祀っている。

奈良県橿原市の神武天皇陵奈良県橿原市の神武天皇陵

日本のお盆は、先祖崇拝と中国の盂蘭盆会(うらぼんえ)が合わさり生まれた

このように、日本には先祖崇拝の風習があった。そこに中国から盂蘭盆会(うらぼんえ)が伝えられ、うまれたのが現在の日本のお盆だ。

盂蘭盆会は、サンスクリット語の「ウランバナ」が語源とされ、太陰暦7月15日を中心に7月13日から16日の4日間に行われる仏教行事のことだ。『盂蘭盆経』によれば、釈迦の十大弟子の一人である目連が、亡くなった母がどこに生まれ変わったか神通力で見たところ、餓鬼界で責め苦に遭っているのが見えた。そこで釈迦に施餓鬼の法を授かり、母を天上界へと昇天させたという。『盂蘭盆経』は偽経とされるが、5~6世紀の『出三蔵記集』などにもその名が登場しており、歴史の古い経典だ。
盂蘭盆経をもとに作られたと考えられる『浄土盂蘭盆経』では、目連の母は死後に餓鬼となっており、それを救済するために盂蘭盆会を開いて百一の供物を盛り、仏や僧に百一の味の飲食物を施したとされている。つまり、当初の盂蘭盆会は、施餓鬼に大きな意味があったとわかる。

柳田国男は、『先祖の話』の中で、「現在の盆の精霊には、やや種類の異なった三通りのものがまつられている」と書いている。三通りの精霊とは、「先祖の精霊」「新仏の精霊」「無縁・餓鬼の精霊」だ。新仏とは昨年の盆以降に亡くなった家族のこと、それ以前に亡くなった家族は先祖になる。

寺院ではお盆に施餓鬼会(せがきえ)が行われることも多く、家庭でも三種の精霊棚を設ける地域もある。施餓鬼会とは、生前の悪行などにより餓鬼となった霊魂や、無縁仏など供養されない死者に施しを行う法会のことだ。しかし、近年では先祖へのお供えだけを用意する家も多いようだ。

お盆は、そのように霊魂を弔う様々な飾りが用いられる。お盆飾りの意味を見てみよう。

精霊棚の盆菓子精霊棚の盆菓子

新盆・旧盆の違いと盆棚・精霊棚のお盆飾り

「新盆」「旧盆」の違いはなんであろうか。
盂蘭盆会の最古の記録は『日本書紀』推古天皇条だ。即位して十四年目に「この年から始めて寺ごとに四月八日・七月十五日に斎会をすることになった」という記事がある。四月八日は灌仏会、七月十五日が盂蘭盆会だ。推古天皇当時の日本は太陰太陽暦を使用していたとされ、現代の太陽暦で盂蘭盆会は八月の中旬にあたる。そこで、新暦の七月十五日を新盆、旧暦の七月十五日、つまり八月の中旬を旧盆と呼ぶのだ。

「七日盆(なぬかぼん)」は7月7日のこと。七夕と同じ日なのは偶然ではない。むしろ折口信夫などは、七日盆に先祖迎えをしていた風習が、中国の七夕と習合し、現代の七夕になったと説いている。墓掃除や井戸掃除、女性が髪を結っていた時代は洗髪する習慣もあったようだ。井戸を掃除した後は、水神への供物として素麺を供える。旧暦の7月7日なので、現代では8月7日を七日盆とする地域が多い。

お盆には、盆棚・精霊棚と呼ばれる祭壇が作られる地域が多い。
詳細は地域により、家庭により違うが、真菰を敷いた台の四隅に青竹を立てて注連縄をかけ、鬼灯や精霊馬、お供えの果物や花を飾るのが一般的だ。

お盆の精霊棚(盆棚)お盆の精霊棚(盆棚)

それぞれにどんな意味があるのか、見てみよう。真菰はイネ科の植物で、注連縄の材料にされるなど、古来神聖な植物と考えられてきたようだ。青竹は松とならんで神の依り代、つまり神が降りてくる際の目印として使われる植物で、注連縄は盆棚の上を清浄な場所にするための結界だろう。そして鬼灯の苞状の実は、霊が宿りやすいと考えられた。精霊馬は茄子で作った牛と胡瓜で作った馬のこと。ご先祖様になるべく早く帰ってきていただくため、行きは胡瓜で作った馬に乗ってもらい、帰りは茄子の牛でゆっくり帰っていただくという思いが込められている。

墓所から仏迎えを行う地域もある。
家族が墓へ行き、拝んだあとに火を付けた線香を家に持ち帰ったり、口に樒の葉をくわえ、無言のまま家に帰ったりすることで、先祖を家まで迎え入れられると考えられたようだ。

お盆の精霊棚(盆棚)茄子で作った牛と胡瓜で作った馬

富田林市のお盆飾り

お盆の風習は地域によりさまざまだが、ここでは筆者が生まれ育った大阪南部の盆行事を紹介したい。
大阪府富田林市にある筆者の家では、お盆になると仏壇の前に精霊棚を設け、蓮や菊などの仏花を飾り、供え物をしていた。供え物はスイカやカボチャ、キュウリ、ナスなど夏に収穫できる野菜、そして白雪羹(はくせんこう)などの干菓子だ。

関西以外の方は「白雪羹」と聞いてもピンとこないかもしれないが、米の粉などを水飴で練り、蓮の花や実、葉の型などの型にはめて作られたものだ。お盆にはスーパーや近所の和菓子屋でも扱われるようになり、手軽に手に入る。味はピンキリなのだろうが、スーパーで手に入るようなものはごく素朴な味で、米粉のにおいが強かった。それでも甘い物に飢えていた当時の子どもたちは、競って欲しがったものだ。
おいしいお菓子に慣れた現代の子どもたちは、おさがりのお菓子の中に白雪羹が入っていると、喜ばない子どもも多いそうで、時代の流れを感じる。

白雪羹(はくせんこう)白雪羹(はくせんこう)

関西独特の風習「地蔵盆」

文化庁が編纂した『盆行事Ⅲ 京都府・大阪府』によれば、「地蔵盆」は主に関西の風習のようだ。
毎月24日は地蔵菩薩の縁日にあたるが、お盆にもっとも近い旧暦の7月24日には、地蔵盆が行われる。

地域の地蔵堂や街角に立つ地蔵を洗い清め、新しい前垂れに取り替えて、燈籠をたてたり供え物をしたりする。地蔵盆独特の風習である「数珠まわし」は、地域の子どもたちが直径数メートルもの大きな数珠を囲み、念仏をとなえながら、右回りにまわしていく。自分の前に房のついた大きな珠がまわってきた際には一礼し、煩悩の数とされる108回まわす。

地蔵菩薩は子どもを守る菩薩とする信仰もあり、地蔵盆の主役は子どもたちだ。地域の子どもたちが集まって紙芝居などを見た後、おさがりの供物をもらって帰る。

京都の地蔵盆京都の地蔵盆

京都・沖縄・徳島・長崎・熊本・佐賀……各地域のお盆の行事

各地域のお盆行事のうち、少し珍しいものを紹介しよう。

京都では、8月の8日から10日の間、先祖迎えの鐘をつく風習がある。特に六道の辻近くにある珍皇寺では、鐘をつく行列ができるほどだ。この地は鳥辺野と呼ばれ、かつては源氏物語や徒然草にも登場する墓所だったから、冥界への入り口と考えられたのだ。
特に有名なのは、小野篁の冥界通いだろう。小野篁は平安時代の公家で、秀才ではあったが、野狂と呼ばれるほど風変わりな人物だったとされる。彼は珍皇寺境内の井戸から冥界へ通い、閻魔大王に仕えたという。

お盆のイベントとしてよく知られるのが沖縄のエイサーだろう。お盆に戻ってくる僧侶の霊を迎えいれ、また送り出すための伝統芸能で、青年たちが太鼓を持ち、歌や演奏に合わせ踊りながら、街を練り歩く。

徳島の阿波踊りは日本三大盆踊りの一つ。三味線や太鼓の演奏で、編み笠をかぶった「連」と呼ばれる踊り子たちが、踊りながら行進する。
阿波踊りのほか、西馬音内の盆踊と郡上踊りが三大盆踊りに数えられる。
西馬音内の盆踊は中央の囃子場で演奏される囃子に合わせて踊るのだが、踊り子たちが編み笠や頭巾で顔を覆っているのが大きな特徴だ。これは故人に扮しているのだとか。西馬音内だけでなく、盆踊りで仮面をかぶるのは、踊りの輪の中に故人が混じっていてもわからないようにであるとされる。
郡上踊りは、全国各地から数万人の踊り子が集まる伝統的な盆踊りだ。

九州では長崎県を中心に、熊本県や佐賀県では精霊流しが行われている。家族の初盆には、精霊船に死者の霊をのせ、提灯や花で飾って「流し場」と呼ばれるところまで運ぶ。その道中で魔除けの爆竹がならされるのが見どころの一つだ。かつて、精霊船は海や川に流していたが、現在では流されていない。
精霊流しと混同されがちなのが灯籠流しだ。灯籠に火を灯して死者の霊を送り出す行事で、日本各地で行われている。

地域によりさまざまな風習があるが、古来この日にはご先祖が帰ってくると信じられてきた。今の私達があるのは、先祖がいたからだ。先祖代々の墓が遠くても、先祖を思って手を合わせてみてはいかがだろうか。

沖縄のエイサー沖縄のエイサー
沖縄のエイサー長崎の精霊流し

■参考
大東出版社『お盆と盂蘭盆経』柴崎照和著 2006年5月発行
岩田書院『盆行事の民俗学的研究』高谷重夫著 1995年8月発行
文化庁文化財保護部『無形の民俗文化財記録 第41集 盆行事Ⅲ 京都府・大阪府』1998年3月発行
吉川弘文館『日本民俗大辞典』福田アジオ 湯川 洋司 中込 睦子 新谷 尚紀  神田 より子 渡辺 欣雄 編 1999年9月発行

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