男鹿半島に誕生したクラフトサケ醸造所とは?

社名の稲とアガベは日本酒の材料となる稲と、そこに加えるアガベ(リュウゼツラン)のシロップから社名の稲とアガベは日本酒の材料となる稲と、そこに加えるアガベ(リュウゼツラン)のシロップから

2021年秋、秋田県男鹿市のJR男鹿線旧男鹿駅にクラフトサケ醸造所「稲とアガベ」が誕生した。日本酒ではなく、クラフトサケである。なんだ、それは? と思われる方も多いだろう。

日本では戦後一度も新規の清酒製造許可は認可されておらず、日本酒造りへの新規参入は難しい。だが、2020年4月の税制改正で輸出用清酒製造免許制度が新たに作られ、輸出用に限っては清酒の最低製造数量基準(60キロリットル)を適用しないことになった。これにより高付加価値商品を少量製造できる製造場を新たに設置することが可能になった。

また、クラフトサケ自体は日本酒(清酒)の製造技術をベースとし、米を原料としながらも従来の日本酒では法的に採用できないプロセスを取り入れた、新しいジャンルの酒。分かりやすい例はどぶろくだ。日本酒には酒と酒粕を分けるための「搾る」という工程があるが、それをしないままに飲むのがどぶろく。酒税法上はその他醸造酒という分類になる。この分野であれば新規参入はでき、かつ前述したように輸出用であれば清酒も造れる。稲とアガベはこうした規制緩和なども利用して生まれたのである。

社名の稲とアガベは日本酒の材料となる稲と、そこに加えるアガベ(リュウゼツラン)のシロップから醸造所とショップ、レストランからなる。旧男鹿駅舎を利用、まちのかつての入り口にたたずむ
創業者の岡住氏。内容的には重い話なのに、肩の力を抜いた飄々とした話しぶりが印象的だった創業者の岡住氏。内容的には重い話なのに、肩の力を抜いた飄々とした話しぶりが印象的だった

醸造所を立ち上げたのは福岡出身の岡住修兵氏。大学時代には神戸で経営学を学んだという岡住氏だが、ある時、今日からは日本酒を仕事にすると決め、邁進してきたという。

「悩みの多い、心を病んだ学生時代を過ごしており、就職にあたっても選択肢の多さに悩んでいました。理由を考え始めるとその先も悩むだろうと思ったので、やると決めた、これが天命だと思うこととし、そこで日本酒を選択しました」

もちろん、日本酒が好きだったということもあるが、それが理由ではなく、日本酒なら造るところからスタートしても、それがダメなら売る、伝えるなど関わる仕事もあるだろうと広く考えて判断したという。

選んだ修業先は秋田県の新政酒造。味わい、デザインに惹かれ、ここで働きたいと口にしたところ、その場にいた飲食店店主が発言をSNSで発信。たまたま、新政酒造経営者がそれを見かけ、しかも採用を考えていたことからとんとん拍子に就職が決まった。

秋田県で修業、米作りも経験

秋田県は県内に34の酒蔵がある日本酒天国で、もっとも古い飛良泉(にかほ市)は長享元年(1487年、室町時代後期!)創業で、これは全国でも3番目に古いとか。新政酒造はそこまでは古くないものの、創業は江戸後期の嘉永5(1852)年。日本醸造協会(設置時は醸造協会)が全国の酒蔵に頒布している酵母のうちでも最古の協会六号酵母の発祥の地でもあり、最近は入手が難しい人気の酒を連発する話題の酒蔵でもある。

ただ、以前はアルコールを添加した低価格の日本酒を主に地元向けに販売しており、変革が始まったのは2007年に8代目蔵元が東京から帰郷、家業を継いでから。以降新たな試みが続けられており、岡住氏は実際の酒造り以外にもブランドづくり、ものづくり、マネジメントなどを学んだ。

また、同僚にも刺激を受けた。

現在も米はこのときに縁ができた大潟村の自然栽培米を使っている現在も米はこのときに縁ができた大潟村の自然栽培米を使っている

「同期の杜氏に三軒茶屋で醸造所を開き、その後、日本酒醸造に制約のないフランスで酒蔵をつくり、日本酒を世界酒にすることを目標に掲げている人がいますが、だったら自分は国内を盛り上げたい、やる気のある若い人が新規参入できるようにしようと考えました」

開業を決めたのは2018年の夏ごろ。新規開業ができないことは知っていたものの、3年後を目標に準備を開始する。最終的には法律を変えるところまでを目指すつもりだが、それは少し先の目標とし、当面はできるところからスタートしようと考えた。

まず始めたのは米作りだ。作る経験は新政酒造でしたものの、売った経験はない。だが、資金を借りるためには、自分のブランドをつくり、それを売る経験、評価される経験が必要だろう。そこで酒造りの流れの中で未経験だった米作りを経験。そこで作った米を新政酒造勤務時に知り合った蔵元で委託醸造してもらい、そこで実績を作ろうという計画である。

ちょうど秋田県内大潟村で米を自然栽培している石山農産で求人が出ていた。そこで米作りを学び、2年目には自分で米を作ってそれを委託醸造、3年目には自分の醸造所でと考えたのだが、農地が借りられず、自前の米作り計画は一時頓挫。そんなところに浅草のどぶろく醸造所を手伝ってほしいという話が舞い込んだ。最初は断っていたものの、熱心な誘いに1年間限定で手伝うことになった。それが2020年4月から翌2021年6月のことである。

市職員の熱心さに感動、男鹿市で起業

男鹿半島で最も知られているものはなまはげだろうか。だが、実際にはさまざまな魅力がある男鹿半島で最も知られているものはなまはげだろうか。だが、実際にはさまざまな魅力がある

それが浅草の木花之醸造所である。この時期はもちろん、農業をやっていた時期も含め、起業前の1年半はひたすら働いて資金をため、起業の準備をした。

「秋田では農業の仕事の合間に居酒屋のバイトを3つ掛け持ち、日雇いで大工、農閑期には雑貨店の店長、妻にも夜の仕事で協力してもらいました。東京では初代醸造長として醸造をしながら委託醸造の事業、現在の会社の立ち上げ準備など。普通は起業時に借りられるのは3,000万円くらいと聞いていたのでとにかく自己資金をためる必要があったのです」

同時に醸造所の場所を探した。秋田に深い感謝の念を持っていることから秋田の、当初は妻の実家が所有する土地を利用するつもりでいたが、曽祖父の代以降登記をしていないことが判明。後日のトラブルを懸念して新たな場所を探すことになった。

そこで秋田在住の友人たちにどこがいいかを聞いてみると、皆が口々に男鹿を勧めた。

「寒風山があって風光明媚、漁場が豊かで山菜など山の幸も豊かでいい場所だが、その魅力が外には全く伝わっておらず、訪れる人があっても飲食店、宿泊施設がなく、お金が地元に落ちない。ここに魅力的なコンテンツがあれば秋田の魅力を底上げできる。男鹿をなんとかすべきだと言うのです。そこでコロッケで有名な男鹿の福島肉店の福島智哉氏に相談したところ、男鹿市役所男鹿まるごと売込課の池田徹也さんを紹介してくれました」

男鹿半島で最も知られているものはなまはげだろうか。だが、実際にはさまざまな魅力がある寒風山からの風景。この地域のどこからでも見え、頂上には360度の眺望が広がるそうだ

「池田さんは、醸造所に使えそうな駅舎から廃校に至るまでのさまざまな場所、広さの空き家、米の栽培を考えて使われていない農地、酒造りには欠かせない水源地の情報までを一式分厚い資料にまとめて持参し、ぜひ、男鹿に来てほしいと男鹿中を一緒に回ってくれました。その熱意に胸を打たれ、運命も感じて男鹿での開業を決意しました」

最終的に選んだのは2018年まで使われていた築90年ほどの旧男鹿駅舎。同年開業した複合観光施設「オガーレ」に合わせ、男鹿駅は南に100mほど新築移転しており、旧駅舎は男鹿市が購入していたのである。

最初は狭いのではないかと思っていたものの、駅前の商工系地域であり、醸造所以外の展開を考えたときにも有利と判断し、岡住氏は駅舎を借りることにした。

男鹿半島で最も知られているものはなまはげだろうか。だが、実際にはさまざまな魅力がある旧男鹿駅舎。一等地にあることから市もまちを元気にしてくれる事業者に使ってもらいたいと思っていたそうだ

委託醸造した酒で評価を高め、資金を調達

浅草の醸造所での仕事に区切りをつけ、秋田に戻ってきたのが2021年6月。その前の同年1月には会社を立ち上げているのだが、驚くのは秋田に戻る前の5月に秋田銀行と日本政策金融公庫から無担保で2億1,100万円を調達したということ。

これは岡住氏の入念な準備の結果である。いろいろな仕事を掛け持ちしながらも岡住氏は新政酒造時代に付き合いのあった群馬県の土田酒造に依頼、委託醸造という形で日本酒を製造。2020年3月に直販限定で出した第1弾の委託醸造酒は800本が即完売している。金融機関からお金を借りようと思ったら実績が必要と、忙しく働く間にも確実に布石を打ってきたのである。

同年7月の委託醸造酒第2弾800本、2021年3月の第3弾2,000本も同様に完売しており、この状況を見れば岡住氏に出資してもいいと金融機関が判断するのも無理はない。岡住氏はこの時に問合せをしてきた全国の酒販店のうちの30店舗ほどと通年での販売協力をも取り付けている。確実に売れる体制も整えてきていたのである。

男鹿市に限らず、旧来の市街地、商店街に元気がなくなっている地域は日本全国あちこちに広がっている男鹿市に限らず、旧来の市街地、商店街に元気がなくなっている地域は日本全国あちこちに広がっている

また、この出資には商品力の評価に加え、地元を変えてくれるのではないかという期待もあったのではないかと思う。男鹿市の人口はピークだった1955(昭和30)年の5万9,955人から減少を続けており、2022年12月31日時点では2万4,791人。男鹿駅の乗降客数も激減している。駅周辺も寂しい状況になっており、それを変える起爆剤としての醸造所への期待はかなりのものではないかと思うのだ。

そして2021年9月には工事が完了、免許が下りていよいよ2021年10月から醸造がスタートしている。経営学を学んでいたとはいえ、ここまで計画的な布石、起業には驚くばかりだが、驚くのはまだ早い。

次から次へ新規事業を展開、雇用も

スタッフには秋田出身者が多いものの、京都出身の人や、関東出身で北海道から移住してきた人などもいるそうだスタッフには秋田出身者が多いものの、京都出身の人や、関東出身で北海道から移住してきた人などもいるそうだ

2021年秋に一人で立ち上げた醸造所だが、取材にお邪魔した2022年11月末時点で正社員13人を雇用するまでになっており、初年度は赤字だったものの、次年度は黒字の目が出ているそうだ。

醸造所にはショップ、レストランが併設されており、酒を買う以外に食を楽しむこともできるようになっている。酒のほか、Tシャツやコーヒーなどが購入できるオンラインストアもあり、最初から酒だけではない多角展開なのだが、今後はさらにそれを加速させると岡住氏。

スタッフには秋田出身者が多いものの、京都出身の人や、関東出身で北海道から移住してきた人などもいるそうだレストラン土と風。2人のシェフによる、地元の産品を使ったメニューが用意されている
レストラン土と風の料理。旅雑誌などにも取り上げられており、一度は食べに行きたいものだレストラン土と風の料理。旅雑誌などにも取り上げられており、一度は食べに行きたいものだ

2023年1月には4月に店舗を併設した食品加工場を市内に開設することを発表。そこでは酒類の製造過程で生じる副産物の酒粕を使ってマヨネーズ風の調味料「発酵マヨ」を製造する。さらに果樹農家とも連携して、地域のブランドづくりに役立つフルーツバターの生産も計画しているという。

「醸造所の目の前の建物で男鹿の産品を使ったラーメン店をつくる、なるべく早く3年以内(すでに残りは2年ほどですが)に宿泊可能なレストラン、オーベルジュをつくるなど、ほかにもいろいろな事業計画を立てています。さまざまなやり方で男鹿を伝え、行ってみたい、滞在してみたいと思ってもらいたいと考えています」

そして、それによって地元の人に火をつけたいと思っていると岡住氏。自分たちだけが楽しそうにやっているというのではなく、そこに混ざってみたいな、自分もやってみようかなと思ってもらいたいのだという。

「地域のために頑張りたいと思っていても、誰も今は処方箋を持っていません。できることはただ行動すること、戦略を立てて動くこと。それを見せることで火をつけたい。どんどん人口が減る中で一人で頑張るのではなく、みんなでやる。そのための発火点になれればいいと思います」

最終目標は法改正だが、その前にはいくつかの手も

2022年には全国の7醸造所でクラフトサケブリュワリー協会を設立、認知度アップのために活動している2022年には全国の7醸造所でクラフトサケブリュワリー協会を設立、認知度アップのために活動している

世の中には出る杭は打たれるという言葉がある。岡住氏に対して何もないわけはないとは思うが、岡住氏はそれを突破するには出すぎる杭になるしかないと笑う。酒造りだけをやっていたのでは外に伝わらないので、多種の事業で立て続けに動くのだとも。

「快く思っていない方もいらっしゃるでしょうが、その一方で男鹿に来てくれてありがとうと言われることも増えました」

地域では受け入れられつつあるというわけだが、岡住氏の目標はさらに先にある。法律を変え、日本酒業界への新規参入が認められるようになることだ。だが、そこまでの道のりは遠く、まずは現在製造しているクラフトサケのブランド価値を高め、雇用する人を増やし、酒以外でも注目されるように自分自身の力をつけようと考えている。日本酒業界で認められるようになり、そこから変革を起こしていきたいというのである。

2022年には全国の7醸造所でクラフトサケブリュワリー協会を設立、認知度アップのために活動している2022年8月に男鹿で開かれたクラフトサケと料理、ライブを楽しむイベント猩猩宴(しょうじょうえん)。秋には東京でも開かれた
作業風景。コンパクトな醸造所だが生み出す酒の人気は幅広い作業風景。コンパクトな醸造所だが生み出す酒の人気は幅広い

もうひとつ、模索している道は特区制度の利用。幸い、男鹿市とは良好な関係を築いており、特区制度を申請してもらうことでこの地での日本酒製造が可能になれば一歩前進である。最終目標としての法改正を諦めるつもりはないが、その手前に特区という手もあるわけだ。

そして、そうした将来へのために自らは振る舞いや言葉に気をつけて、広く認められるように意識しているという。その我慢強く、目標にひたすら立ち向かう姿勢の根底には2つの考え方がある。ひとつは利他であるということ。

「人は自分のためには頑張れないもの。頑張れないと悩むものです。でも、いい意味で人のためとなると悩まず、頑張れるのですよ」

男鹿以外の人も巻き込んで事業を伸展

もうひとつは「どうせ死ぬ」という意識。

「人は絶対死にます。だったらやりきって死にたい。空から人間を見ているお天道さまのような存在があるとしたら、それに恥じないように成功するまで頑張るしかありません」

酒造りの、旧男鹿駅舎の利用の話の取材だったはずだが、最終的にはこの地域を、日本酒業界を変えようと腹を据えた人の決意を聞くことになった。男鹿に来てくれてありがとうと言う人たちも、この腹のくくり方に感動しているのではないかと思う。さらに岡住氏は地域の人たちだけでなく、それ以外で出会った人たちにも働きかけている。

「秋田ではこれからも人が減るでしょう。となると、地域、ビジネスを成り立たせていくためには外の人を巻き込んでいく必要があります。そこで出会った人で将来どこかで絡みそう、絡んでもらいたいと思った人には一緒にやってみませんかと口説くようにしています。今は東京にいても男鹿の仕事ができる時代。1%くらいの力を男鹿に振り向けてくださいと口説くと、なかには10%以上のパワーを割いてくれる人、移住してくれる人もおり、人を巻き込むのも仕事と考えるようになりました」

地域は人で変わるということだろう。岡住氏の描く未来を見るために次はオーベルジュができた頃に男鹿を訪れたいものである。

と書いた後で酒の話を一言も書いていないことに気づいた。自然栽培の米を削りすぎずに使い、男鹿のシンボル寒風山の北東麓に涌く水で仕込んだ酒である。うまくないはずはないが、言葉で味は伝えられない。気になる方はぜひ、現地、男鹿の風景の中で味わってみてほしい。目的地として行くに足る場所である。

稲とアガベ
https://inetoagave.com/

秋田県男鹿市に2021年秋に誕生したクラフトサケ醸造所「稲とアガベ」が話題を呼んでいる。グルメ、旅という文脈からだけでなく、地域、酒造業界とさまざまな視点から取り上げられている「稲とアガベ」の岡住修兵氏に聞いた。「稲とアガベ」商品ラインナップ。ラベルのデザインなどにも注目

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