新しいものを「作る」のではなく、外からの目でまちの魅力を「発見」する

「1000万ドルの夜景」で有名な、摩耶山からの神戸港の眺め「1000万ドルの夜景」で有名な、摩耶山からの神戸港の眺め

コロナ禍による長い観光氷河期を経て、インバウンドも回復基調にあり、本格的な“観光復興”への期待が高まっている。
だが、人気観光地を擁するすべての自治体が、その恩恵に浴しているわけではない。コロナ前からの構造的な課題に足を取られている自治体も多く、対応を迫られているのが実情だ。

意外と思われるかもしれないが、エキゾチックな魅力で知られる「神戸」もそのひとつである。
古代から港町として栄えた神戸は、六甲山地と瀬戸内海の風光に恵まれ、異国情緒あふれる街並みや夜景の美しさで人気が高い。まさにオンリーワンともいえる観光都市だが、そんな“憧れのまち”にも悩みがないわけではない。神戸市観光企画課の和田大輔さんはこう語る。

「同じ関西圏の大阪や京都と比べると、神戸は観光誘客という点で、やや遅れをとっているのが実情です。観光資源に限りがあるのでリピーターが少なく、1回訪れたらもういいや、という方が少なくない。交通利便性の高さも裏目となって、宿泊客が非常に少ないのが特徴です。日帰り客と宿泊客とでは観光消費額も3倍以上の開きがありますから、“いかに宿泊客を増やすか”が今後の課題です」

こうした中、神戸市が新たな観光振興策として立ち上げたのが、2022年9月にスタートした「KOBE Re: Public ART PROJECT(神戸リパブリック・アートプロジェクト)」だ。
これは、22組のアーティストに一定期間滞在してもらい、独自の視点で神戸の新たな魅力を発掘してもらおうというもの。アーティストは地元の人々と交流しながら自由に街を散策し、リサーチ結果をレポートにまとめて神戸市に提出する。アーティストが選んだお薦めスポットは、スマートフォンのGPSアプリ上にマッピングされ、市内の周遊観光を促すコンテンツとして活用されるという。

「観光資源を増やし、滞在型の観光にシフトするためには、“新しいものを作って呼び水とする”従来型の施策では限界があります。神戸は歴史がある町なので、観光資源となりうるものは非常に多いのですが、地元の人間は普段から見慣れているので、その価値に気づかない。そこで、市内に埋もれた観光資源を“外からの目”で発掘していただき、神戸の新たな魅力として発信していきたい――そんな思いで今回、このプロジェクトを立ち上げました」(和田さん)

「1000万ドルの夜景」で有名な、摩耶山からの神戸港の眺め山岳リゾートの面影を残す、摩耶観光ホテルの4階ホール。イベントやダンスパーティーなど、季節ごとに様々な催しが行われた。 ※記事中の写真はすべて、特別な許可を得て撮影しています

テーマは「人新世」。古いものと新しいものが混在する神戸の魅力

3階に残された古いストーブ3階に残された古いストーブ

このプロジェクトのテーマは「人新世に吹く風」。
すでにご存じの方も多いと思うが、人新世とは、近年注目されている地質学の新しい時代区分である。人類の活動が地球環境に与えた影響はあまりに大きく、地球上の土壌や海洋は人工物によって覆い尽くされている。建築や都市すらも「人新世」における地層の一部と考えるなら、空き家や廃墟も自然物の一部であり、神戸という街に新たな味わいをもたらす魅力の源泉となるのではないか。そんな思いが、このテーマには込められているという。

「震災を経験した神戸の街には、復興で再整備された新しいものと、昔からの文化を色濃く残す古いものとが共存しています。震災という悲劇を乗り越えたからこそ、他の都市にはない、神戸ならではの魅力が生まれた。そんな考え方もできるのではないかと思います」と和田さん。今回プロジェクトに参加したアーティストには、建物や街並みだけでなく、文化や人、歴史の堆積も含めた神戸の魅力を発掘してもらいたい、と期待を寄せる。

このプロジェクトでアーティストが滞在するのは、様々な特色を持つ市内の各エリア。①今も茅葺屋根が残る北部の農村(北区・西区)や、②外国人の邸宅や別荘が点在する海辺の町(須磨区・垂水区)、③「阪神間モダニズム」と呼ばれる独自の文化を育んだ東部の町(灘区・東灘区)、④国際色豊かな旧居留地や南京町(中央区)、⑤神戸の大衆文化の中心地となった「下町」(兵庫区・長田区)の5ヵ所だ。筆者は③東部エリアで、摩耶山の廃墟を巡るガイドツアーに参加。山中に“埋もれた”観光資源を発掘する旅に同行させてもらうことにした。

3階に残された古いストーブ3階の客室フロアの一角にある作業場。右の壁に配電盤が見える

山岳リゾートの夢の跡。摩耶山中の「マヤ遺跡」を訪ねて

ケーブル「虹の駅」からマヤカンを望むケーブル「虹の駅」からマヤカンを望む

神戸市灘区の摩耶ケーブル駅から「まやビューライン」に乗り、摩耶山中腹の「虹の駅」で下車。駅舎を出ると、右下に大きな建物が見えてきた。これが「摩耶観光ホテル」、通称「マヤカン」。近年の廃墟ブームで一躍注目を集め、“廃墟の女王”として親しまれてきた遺構である。

六甲山地の南西にそびえる摩耶山は、もともとは修験の霊場として栄えた信仰の山であった。寺伝によれば、大化年間に法道仙人が観音霊場を開き、806年に空海が唐から持ち帰った摩耶夫人(釈迦の母)像を安置。以来、この山岳寺院は「摩耶山 忉利天上寺(とうりてんじょうじ)」と呼ばれ、女人守護・安産祈願の寺として多くの参詣者を集めた。
1925(大正14)年には、天上寺への参詣路線として、摩耶ケーブルが開業。マヤカンが、「摩耶倶楽部」「摩耶山温泉ホテル」など、いくつかの名称を持つ複合施設として開業したのは、その5年後のことだ。
設計は、関西で活躍した建築家・今北乙吉。煙突から煙を吐き、海側に迫り出した部分が船のブリッジを思わせることから、「山の軍艦ホテル」として親しまれた。

ケーブル「虹の駅」からマヤカンを望む昭和10年頃の摩耶倶楽部(摩耶山温泉ホテル) 写真提供/摩耶山再生の会

だが、華々しく誕生したこの山岳リゾートも、その後は波瀾万丈の運命をたどる。
太平洋戦争末期になると、摩耶ケーブルは資材供出のため営業を停止。ホテルも閉鎖を余儀なくされた。その後、17年のブランクを経て、マヤカンは1961(昭和36)年に再び息を吹き返す。改装にあたっては、フランスの豪華客船『イル・ド・フランス』の操舵輪・ステンドグラス・木製ベッドなどの家具や装飾品を使用。「摩耶観光ホテル」として第2期を迎えることとなった。

ところが、1967年の台風で被災し、再び閉鎖。その後は、格安の合宿施設として細々と営業を続けたが、さらなる逆風が摩耶観光ホテルを襲った。摩耶山中腹にあった天上寺が1976年に火災で焼失し、山頂に伽藍を移転したのである。これを機に、摩耶山中腹の観光は壊滅的な打撃を受け、1993年に摩耶観光ホテルは三たび閉鎖。マヤカンはついに命脈を立たれ、廃墟として朽ち果てていくこととなる。

ケーブル「虹の駅」からマヤカンを望む摩耶倶楽部(摩耶山温泉ホテル)と遊園地(昭和10年頃)。摩耶山中腹には売店や食堂、展望台なども作られ、観光地化が進んだ。写真提供/摩耶山再生の会

数奇な運命をたどった”廃墟の女王”摩耶観光ホテル

摩耶山再生の会事務局長・慈憲一さん摩耶山再生の会事務局長・慈憲一さん

1995年に阪神淡路大震災が発生すると、摩耶ケーブルと摩耶ロープウェイは営業を停止。建物は大きな被害を免れたが、摩耶山中腹からは人の姿が消え、マヤカンは人々の記憶から失われつつあった。
だが、意外な巡り合わせが、マヤカンを再び歴史の表舞台に引き出すこととなる。
1990年代末に廃墟ブームが到来。人知れず山中に佇むその優美な姿は、廃墟マニアの心を鷲づかみにし、マヤカンは一転して熱い眼差しを注がれる対象となった。
2001年に摩耶ケーブルと摩耶ロープウェイが「まやビューライン」として営業を再開すると、”廃墟の女王”に一目会おうと、廃墟マニアが続々来山。立入禁止の柵をものともせず、建物内部に侵入して撮影した「女王」の写真がネット上に溢れることとなった。

ところが、ほどなくして、再びマヤカンの周囲に不穏な空気が漂い始める。ケーブルとロープウェイの乗客が減少し、2010年頃「まやビューライン」を廃止する話が持ち上がったのだ。「摩耶山再生の会」事務局長の慈(うつみ)憲一さんは、当時をこう振り返る。
「ケーブルとロープウェイを存続させるためには、もっと乗客を増やさないといけない。そこで、摩耶山に人を呼び込むための活動をしようと、『摩耶再生の会』を立ち上げました。摩耶山には摩耶観光ホテルを含め、様々な遺構が手つかずの状態で残っている。それを『マヤ遺跡』と名付けてガイドツアーを始めたところ、これが当たりまして、全国から人が来てくださるようになったのです」

摩耶山再生の会事務局長・慈憲一さん南側に張り出した3階の食堂。「楠公鍋」や「摩耶鍋」などの鍋料理が名物だった
在りし日の3階食堂(昭和10年代)。写真提供/摩耶山再生の会在りし日の3階食堂(昭和10年代)。写真提供/摩耶山再生の会

ホームページでツアーの募集をかけたところ、全国の廃墟ファンから申し込みが殺到した。1回当たり20人の定員が、毎回、受付開始直後のわずか数分で埋まってしまう。その枯渇感から“予約が取れないツアー”と呼ばれるようになり、「神戸にマヤ遺跡あり」との令名はさらに高まった。
マヤカン人気は廃墟マニアのみならず、一般の歴史ファンや産業遺産ファンにも波及。外部からの評価が高まるにつれ、摩耶観光ホテルを“迷惑施設”と冷ややかに眺めていた地元でも、見直しの機運が高まっていった。
摩耶観光ホテルが登録有形文化財となったのは、2021年6月24日のことだ。時代に翻弄された”廃墟の女王”は、貴重な歴史を宿した価値ある文化財として、ついに国のお墨付きを得たのである。

アールデコ調の意匠に彩られた娯楽の殿堂

4階の余興場(ホール)で演芸を楽しむ人々(昭和10年代)。写真提供/摩耶山再生の会4階の余興場(ホール)で演芸を楽しむ人々(昭和10年代)。写真提供/摩耶山再生の会

摩耶観光ホテルとは一体、どのような建物なのか。それを実地に見学するべく、2022年12月下旬、本プロジェクトの一環として行われたガイドツアーに参加した。(※通常のツアーでは見学は外観のみ。内部の見学は行っていない。)

ケーブル「虹の駅」の階段を下って先に進むと、摩耶観光ホテル4階の入口に到着。4階には「余興場」と呼ばれ、映画や芝居などが催された400人収容の大ホールがあった。広々とした空間はコンクリートの大梁や柱形で区切られ、舞台等に見られる「アールデコ調意匠」(文化庁)やアーチ型の窓が瀟洒な印象だ。とはいえ、天井や壁は剝落が進み、床には天井からの落下物が散乱していた。
天井を見上げると、小さな氷柱が日射しを反射してチラチラと光っている。
「雪が降った翌日は、雪が溶けて天井の隙間から水が漏れ、それが凍って鍾乳洞のようになる。すごくきれいですよ。梅雨の時期には、床が水盤みたいになります。防水工事もしているのですが、あまり効果がないんです」(慈さん)

4階の余興場(ホール)で演芸を楽しむ人々(昭和10年代)。写真提供/摩耶山再生の会4階ホール。正面にはアールデコ調の意匠を持つ舞台が設けられ、芝居や映画が上演された。床には雨水が溜まり、天井から剝落した破片が堆積している

ホール外側の屋上には野草が生い茂り、建物を浸食している。夏場はビアガーデンが開かれたというから、ビール片手に眺める神戸港の夜景はさぞ格別だったことだろう。3階に下りると、南側に大食堂と特別室があった。
「この特別室は、1961年に展望風呂を改装して作られたものです。今は壁紙が剥がれて、その下から浴室のタイルが出てきています。上には煙突があり、湯気を抜くための通気口もついている。『額縁の間』と呼ばれて、廃墟マニアの“聖地”になっています」(慈さん)

4階の余興場(ホール)で演芸を楽しむ人々(昭和10年代)。写真提供/摩耶山再生の会展望風呂を改装した3階特別室、通称『額縁の間』。広々とした窓から陽光が燦々と降り注ぐ

滅びゆく美を愛でる。「廃墟観光」が内包する矛盾

山に飲み込まれてゆくマヤカン山に飲み込まれてゆくマヤカン

内部を見学して感じたのは、こうしている間にもマヤカンは時々刻々と崩壊しつつある、ということだ。
「建物の崩壊を早める一番の要因は、雨漏りです。雨水が躯体の内部に入って鉄筋がさびるのを、どうやって食い止めるか。防水対策が一番の要で、いろいろ実験的にやってはいるのですが、なかなか効果が出ない。建物を保存するなら、屋根やカバーで覆うのが一番効果的ですが、景観維持と劣化防止のどちらを優先させるかで、方法は全く変わってくる。いまだ結論が見えない、というのが実情です」

このまま廃墟の劣化が進めば、いずれ見学はできなくなる。登録有形文化財となったことで、国の支援が得られる環境が整ったとはいえ、ここまで荒廃した以上、どの程度の修繕をすれば建物を維持できるのか。大規模修繕には莫大なコストがかかり、建物を復元すれば、「廃墟としての美」は失われる。滅びゆくものを愛でるのが廃墟観光だとすれば、私たちはその矛盾とどう向き合うべきなのか。廃墟を観光資源とすることの難しさを、あらためて考えさせられた。

摩耶山の廃墟観光を担ってきた慈さんは、この点をどう考えているのか。
その答えは、「あえて崩壊を止める必要はないのではないか」という思いがけないものだった。
「摩耶山の自然を知ってもらいたい、というのが僕らの会の基本テーマなので、人工物が自然に帰っていくプロセスを見守ることに力点を置いています。人間が作った人工物が、時の流れとともに山に飲み込まれ、自然に帰っていく。それがマヤ遺跡の魅力だと思っているので、建物に木が生えても、あえてそのままにしているんです。
とはいえ、いろいろな意見があって、全面修復は無理でも、崩壊を遅らせるための延命措置は講じた方がいいという考え方もある。それはそれで悪くはないのかな、と思っています」

山に飲み込まれてゆくマヤカンいずれは廃墟も自然に帰っていく

”埋蔵観光資源”の掘り起こしは、低成長時代の最適解となるか

今回、アーティストの1人としてツアーに同行したのは、神戸出身の建築家・八木祐理子さん。「埋もれた観光資源の発掘」というミッションを帯びた八木さんの目に、摩耶山はどのような魅力を秘めた場所として映ったのか。

「今回ツアーに参加してみて、摩耶山とは自然の中に人の活動が眠る、掘れば掘るほど興味深い場所だと知りました。自然物と人工物とが時の流れとともに混じり合い、自然物だけでは創り出せなかったストーリーを感じさせる。木々に埋もれた廃墟、枝葉の隙間からのぞくコンクリートの躯体、大地と一体化したタイル……ここには、過去の出来事や歴史を感じさせるエレメントが散りばめられています。それが摩耶エリアの魅力であり、摩耶エリアとは『人新世という時代をどう生きるか』を考えるきっかけを与えてくれる場所だと思うのです」

アーティストによる市内のリサーチは2022年末に完了。2023年2~3月には、ドキュメントや映像によるリサーチ結果の展示と、リサーチから生まれたアイデアを具現化したアート作品の制作・公開が行われる予定だ。「今回の結果をもとに、神戸の新たな魅力を全国に発信していきたい」と、神戸市観光企画課の和田さんは意気込みを語る。

「神戸では毎秋、『六甲ミーツ・アート芸術散歩』というアートイベントが開かれています。また、かつてビエンナーレを開催していた経緯もあり、アートとは非常に繋がりが深いまちです。
近い将来、文化庁が京都に移転すれば、関西が芸術文化の拠点となる。神戸をアートのまちとして位置づけ、京都・大阪にない特徴をしっかりと打ち出すことで、インバウンドの誘客にもつなげたい。2030年の神戸空港国際化を見据えて、アートと神戸との紐付けがしっかりできれば、と考えています」

新たな観光スポットの整備に多大なコストをかけるより、視点を変えて、これまで見過ごされてきた“埋蔵観光資源”を掘り起こす。神戸市の試みは、低成長時代の観光振興を考える上で、有望な選択肢のひとつとなりうるのではないか。アーティストを活用した今回のプロジェクトが、どのような形で実を結ぶのか。今後の成り行きに注目したい。

  KOBE Re;Public ART PROJECT
  開催日時:2023.2.22~3.19
  会場:KOBE Re;Public ART特別会場,KIITO 他 神戸市内各地
  http://koberepublic-artproject.com

神戸市がアーティストの協力を得て新たな観光振興策としてスタートした「KOBE Re: Public ART PROJECT」。このプロジェクトの中のひとつ、摩耶山の廃墟を巡るガイドツアーに参加してきた。ツアー風景。写真中央は神戸出身のアーティスト、八木佑理子さん

公開日:

ホームズ君

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