暮らしの身近にあるガラス製品
コップやワイングラスなどの⾷器、ネックレスやイヤリングなどの装飾品など、ガラス製品は私たちの暮らしの⾝近にあふれている。その中でも窓ガラスは、外の光を採り入れ、外の環境から家の中を守る、住まいに欠かせないものだ。
しかし、ガラスはいつからはじまって、どんな風にガラスが作られているのか、知っている方は少ないのではなかろうか。
そこで、ガラスがどのようにしてつくられているのか、⽇本板硝⼦株式会社の西垣隆司氏と尾崎政一氏にお話しを伺った。⽇本板硝⼦株式会社は、現代の板ガラス製造の中核技術であるフロートガラス製法を⽇本で初めて導入した会社である。
弥生時代のビーズやメソポタミアのオリエントガラスなど、最古のガラスたち
ガラスはいつからあったのであろうか?
ガラスの歴史は古く、日本でも古墳からガラスの副葬品が発掘されている。⽇本最古のガラスとされるのは、弥⽣時代前期のガラス玉と呼ばれるビーズだ。このビーズは紀元前のもので、⽇本で作つくられた海外から運ばれてきたのかはわからない。
世界に目を向けると、最古のガラスは紀元前4,500年(諸説あり)頃のメソポタミアでつくられたと考えられている。この時代のものは、オリエントガラスと呼ばれるものだ。このオリエントガラスは、のちの吹きガラスの製法とは違うコアガラス製法で、つくるのが大変難しく多くを生産できないため、大変貴重で高価なものであった。その後、エジプトにも伝わり、ピラミッドなどの王や当時の権力者の墓の埋葬品として装飾品や副葬品が多く見つかっている。
そんな昔にどのようにしてガラスはつくられていたのだろうか。⾃然界にある⽔晶や⽯英も主原料を珪素とする鉱物で、⾒た目もガラスと似ているから、⽔晶や⽯英を融かして固めたのだろうと単純に考えていたら、“違う”という。
西垣氏によれば、
「⽔晶とガラスの違いは結晶化しているかどうかです。⽔晶は結晶ですが、ガラスは結晶化していません。⽔晶を融かして固めれば⼀種のガラスになるのですが、純度の⾼い⽔晶を融かすには、通常のガラスよりもさらに⾼熱が必要で、古代⼈が⽔晶の塊を融かそうとするのは現実的ではありません。⼀説には、砂浜に雷が落ちて偶然できたガラスを発⾒したのが、⼈とガラスの歴史の起源だと⾔われています。当初のガラスは珪素質の砂に灰を混ぜ、融点を下げて融かしていました。現代のガラス製造にソーダ灰を使うのも融点を下げるためで、少しでも安価に、安全に、⼆酸化炭素の排出量を抑える⼯夫です」とのこと。ガラスがやわらかくなり始める軟化点が700度程度。水晶(石英ガラス)は1700度程度にもなるのだとか。
紀元前1世紀半ばには、吹きガラス製法が発明されローマ帝国内に広まり、その製品はローマンガラスと呼ばれた。吹きガラス製法は、オリエントガラスのように鋳型や仕上げの研磨が必要でないため、画期的にガラスの生産効率が高まった。多く製造できることで、ガラスコップなどが、ヨーロッパの一般家庭にも広がっていったようだ。また、一方で工芸品として芸術的なガラスも作られ、モザイク技法による装飾やガラスを重ねて浮き彫り彫刻にしたカメオのような高級品も生産された。ポンペイ遺跡でも多くのガラス製品が出土している。
ステンドグラス、窓ガラス……住まいや建物で使われるガラスの歴史
ガラスをつくりだすには、高温が必須だ。⾼温にすることができるようになると、ガラスは多くつくられるが、家の窓ガラスを1枚で使うような⼤型化をするのは難しかった。
建物や家の中は、できるだけ日中の光を採り入れ、明るいほど暮らしやすい。例えば、ヨーロッパなどの教会で使われるステンドグラスは、鉛線の間に色ガラスのピースを用いてつくられる。美しいステンドグラスは、教会などで字の読めない人々にも神の御業を伝えるための宗教的な意味もあったと考えられるが、最初は⼤きな窓で使える板ガラスがない中での採光の⼯夫でもあっただろう。
日本における窓からの採光は、和紙を用いた障子が主であった。そんな中、窓ガラスは他のコップやワイングラスなどのガラス製品と同様に西洋との貿易で日本に入ってきた。江戸時代には長崎の出島のオランダ商館などには使われていたという。ただ、もちろん一般の住宅に普及するにはほど遠く、明治時代になって西洋文化がどんどん日本に入るようになり、本格的に日本でもガラスの窓がつくられるようになる。当初は文明開化の象徴である西洋風の建物をつくるために主につくられた。
窓ガラスが本格的に一般の住宅に普及しはじめたのは、関東大震災後であった。地震で倒壊した建物を建て直す際に、西洋化した暮らしの様式を建物にもとりいれる中、窓にガラスも用いられるようになったようだ。
それでも、まだまだ窓の全面に使えるような大きな板ガラスは高価であった。
明治時代や大正時代の歴史ある古い家屋などを見ると、表面に歪みがあるような、うねうねとした窓ガラスに出合う。これは、手吹き円筒法(えんとうほう)という方法でつくられたガラスであるという。手吹き円筒法は、コップなどをつくるように、鉄パイプの先にガラスをつけ、息を吹き込んで回しながらふくらませる。ふくらました円筒形状となったガラスを温度が下がった後に縦に切って、開いて板ガラスにした。
これは人力に頼る過酷な仕事で、やはり一般住宅に使うには高価であり、大きな板ガラスは難しかった。やがて、機械による連続式引き上げ法などが⽣まれ、⼤量⽣産できるようになっていった。
そして、そういった製法を経て、今のような平らで美しい窓ガラスをつくりだすフロートガラス製法が発明される。
今の暮らしの窓ガラスを支える、板ガラス製造の中核技術のフロートガラス製法
まず、フロートガラス製法で板ガラスをつくる⼯程を教えてもらった。
「ガラスの主原料は珪砂で、さらにソーダ灰、再利⽤ガラスも⼀部使⽤しています。これら粉状の原料を混ぜ合わせ、窯の中で約1600度に熱して融かしたものを、フロートバスに流し込みます。フロートバスの下部には溶けて液状になった錫(スズ)が溜められていて、その上を溶融ガラスが浮かびながら流れていくことで、ガラス表面が平滑になるのです。その後、ゆっくりと冷却すれば、板ガラスができます。これをフロートガラス製法(フロート法)と呼ぶのですが、発明したのはアラステア・ピルキントンというイギリス⼈で、開発したのが今からちょうど70年前の1952年のことでした」と、尾崎⽒。
「ピルキントンがフロート法を思いついたのは、夕食後に皿洗いを手伝っていたときのこと、といわれています。当時、ピルキントン社の技術担当役員であった彼は、ゆがみのない板ガラスを製造するという難問に取り組んでいました。皿洗いをしながらもそのことを考えていたのでしょう。ふと⽔の上に油が浮かんでいるのを⾒て、ガラスより⽐重の⼤きい液体の上にガラスを浮かせることで真っ平らなガラスができるのではないかと思いついたのです。様々な試行錯誤の末に、ガラスより融点が低く、⽐重の⼤きな錫を使うことで現在のフロート法が完成しました」(西垣氏)
20世紀において、フロート法は、ガラスの歴史を大きく変える革新的な発明として、世の中に迎えられた。21世紀になり、このフロート法を開発したピルキントン社は、日本板硝子グループの主要メンバーとして同社のグローバル戦略の一翼を担っているとのことだ。
プラスアルファの機能もある、進化しつづける"これからのガラス"
私たちの暮らしに⽋かせないガラスだが、選び方などはあるのか尾崎⽒に聞いた。
「基本的にガラスは劣化しません。割れない限り基本的にはずっと使えるものです。だから、衝撃がかかる場所には強化ガラスを選ぶなど、選び分けが⼤事だと思います。割れにくさだけでなく、割れたときの安全性も重要です。⼆枚のガラスの間に透明の樹脂のフィルムが⼊った合わせガラスは割れても破⽚が⾶び散らないので、⾞のフロントガラスなどに使われています。他にも安全に考慮されたガラスがつくられていますから、使⽤⽤途や場所に合ったガラスを選ぶとよいでしょう。また、住環境の快適性を向上させる断熱性能をもち、冷暖房コストの削減にもつながる複層ガラスや真空ガラスも普及が進んでいます」
西垣⽒によれば、新しいガラスの開発も進められているという。
「ガラスは温度変化や化学変化に強く、耐久性の⾼い、安定した物質で、そのうえ安価です。ガラスは、そんな強みを活かしながら、様々なプラスアルファの機能をつけることができる素材なんです。たとえばガラスに⾦属膜をコーティングすることで導電性を持つガラスができます。太陽光発電パネルに使われるほか、その上にスマートフォンを置いておくだけで充電するなんていうことも可能になります。コロナ対策の仕切り板にはアクリル板が使われることが多いですが、劣化しやすいのが難点です。抗菌・抗ウイルスガラスなら⻑年使⽤できますので、病院などへの導⼊を進めていけたらと考えています。コーティングだけでなく、ガラス⾃体の組成を変え、従来のガラスにない機能を⽣み出していく研究も勿論行われています。ガラスは情報機器のディスプレイやレンズなどにも多く使われています。また、形状を変えて、ガラスを繊維状にすれば断熱材にもなりますし、高強度の補強材にもなります。ガラスは⼈体に無害なので、化粧品の光輝材料などにも使われています」
ガラスは住まいにとっても欠かせない。設計する際、もっとも重要なのが採光だという建築家もいる。⾬風を遮りながら光を採り⼊れるにはガラスが不可⽋で、断熱、省エネ、創エネ、安全、防音、防災、防火、結露防止など様々な面で、今後もますます進化し続けるに違いない。
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