瀬戸田港のすぐ前に誕生した複合施設

観光案内所の前にあった柑橘類のオブジェ。商店街内にもレモンイエローがあちこちにあった観光案内所の前にあった柑橘類のオブジェ。商店街内にもレモンイエローがあちこちにあった

広島県尾道市からしまなみ海道を走り、向島、因島の次、3つ目の島が生口島(いくちじま)である。瀬戸内海の年間降水量が少ない温暖な気候を生かして柑橘類の栽培が行われており、ことに有名なのはレモン。島内にはキャラクターグッズのようにレモンを模したオブジェが飾られていたりもする。江戸時代には製塩が盛んでもあったそうだ。しまなみ海道からアプローチする以外では三原港、尾道港の間に定期船が就航しており、のんびり船旅を楽しみながら島に向かうこともできる。

その定期船が発着するのが瀬戸田港。内海特有の穏やかな水面に浮かぶ桟橋のすぐ向こうに見えているのが2021年春に誕生したSOIL SETODA(ソイル瀬戸田)である。港を背に道を挟んで右側には1階に食堂、ラウンジ、2階にゲストハウスのある「街のリビングルーム」と位置づけられる新築の建物があり、左側には歴史民俗資料館として使われていたこともある築130年の塩蔵。こちらは土産物店を併設した観光案内所となっている。

観光案内所の前にあった柑橘類のオブジェ。商店街内にもレモンイエローがあちこちにあった写真左手が港、右側の2棟がSOIL SETODA。位置関係が分かる
通りの右手奥にAzumi、左手奥にyubuneがある通りの右手奥にAzumi、左手奥にyubuneがある

この2棟の間の奥、商店街沿いにはさらに2つの建物がある。ひとつはかつて瀬戸田で主に製塩業や海運業を営んでいた豪商・堀内家の住宅を改装した宿、Azumi Setoda。明治時代初期、1876年に建てられたという歴史ある建物を再生したものである。安曇(あずみ)は古代日本の部族のひとつで、海の民といわれ、日本のあちこちにその名に由来する地名が残る。旅する民族だったともいえるわけで、ロマンを感じさせてくれる。

Azumi Setodaと向かい合って立っているのは銭湯宿yubune(ユブネ)。施設内の銭湯は、宿泊した人たちが利用できるだけでなく、町の人はもちろん、通りすがりの観光客も含めて誰もが利用できる。YubuneはAzumi Setodaよりカジュアルな雰囲気の宿となっている。

観光案内所の前にあった柑橘類のオブジェ。商店街内にもレモンイエローがあちこちにあった左がAzumi、右の暖簾がかかっているところがyubune。静かでロマンチックな夜景

その土地らしい日常を楽しめる宿を

リゾート地と聞くとどこかゴージャスな雰囲気を想像するが、瀬戸田にあるのはのんびりした日常的な風景リゾート地と聞くとどこかゴージャスな雰囲気を想像するが、瀬戸田にあるのはのんびりした日常的な風景

これらのプロジェクトが動き始めたのは5年前。株式会社Naru Developments Insitu Japanの早瀬文智氏と岡雄大氏が新しく作る宿の候補地を探して瀬戸内を訪れたのがきっかけだった。早瀬氏と岡氏は以前、リゾートホテルブランドとして有名なアマンリゾーツにて勤務、コンサルティングをしており、同社の創始者であるエイドリアン・ゼッカ氏とともに新しい宿を作ろうとしていたのである。

瀬戸内エリアで横断的な観光地経営を担う団体・せとうちDMO(Destination Marketing/Management Organization)の人たちに案内されて近隣の島々を回ったものの、納得のいく場所は見つからなかった。案内してくれた人たちは既存のリゾートのイメージからビーチや眺望の良い山上などを連想し、候補を挙げてくれていたのだが、ゼッカ氏、早瀬氏、岡氏が候補として考えていたのはそうしたきらきらした場所ではなかった。

「その土地らしい日常が楽しめる場所をイメージしていました。宿の中に閉じこもるのではなく、知らないおじさんが隣で飲んでいる地元の食堂でその土地の美味しいものを楽しむ、そんな旅のイメージです」と岡氏。外から思われていたものと目指していたものの間にはかなり大きな違いがあったのである。

柑橘類の収穫期は冬。観光客のいない季節だが、その時期の瀬戸田は色づいた柑橘類が美しい季節なのだとか柑橘類の収穫期は冬。観光客のいない季節だが、その時期の瀬戸田は色づいた柑橘類が美しい季節なのだとか

だが、最後になって時間があるからと案内されたのが旧堀内邸。しかも、生口島の中央の山道、レモンの林の中という印象的な道を抜けて辿り着いた先の、見るからに歴史を感じる建物である。インパクトは大きかったのではないかと思う。ただし、この時点での堀内邸は今のように光が入る明るい空間ではなく、敷地内にはボロボロになった蔵などが点在する時が止まったかのような空間だった。

リゾート地と聞くとどこかゴージャスな雰囲気を想像するが、瀬戸田にあるのはのんびりした日常的な風景改修前のAzumi外観。撮影/Tomohiro Sakashita

地元でワークショップを重ね、町の未来像を描いてきた

地元の人たちからの声を基にどのような要素の施設が必要かが検討されたという。写真はMinatoyaで提供されるyubune宿泊者の朝食地元の人たちからの声を基にどのような要素の施設が必要かが検討されたという。写真はMinatoyaで提供されるyubune宿泊者の朝食

その時点で建物は堀内家の手を離れ、市に寄贈されていた。所有者が直接民間に売るのではなく、市に委ねることで地域のためになる形で継承してほしいという意図である。市はそのための利用者を公募していた。

最終的には日本の投資家が購入、宿泊施設として再生されることが決まり、同時に岡氏たちは市、せとうちDMO、商店街とともにこの町のこれからに関わることになった。具体的には市のバックアップを受け、3年前から町でワークショップを開き、関わる全員でこの町のありたい未来について話し合う機会を設けてきた。

「ワークショップには行政担当者から地元の高校生や農家さん、商店主など幅広い人たちに集まっていただき、まずはこの土地らしさ、この町の日常を大事にした施設を作っていきたいことを丁寧に伝えました。そのうえで、この町がこれからも住み続けたい町になるためにはどういう機能、どういう店があったらよいかなどといった具体的なことも話し合いました」と岡氏とともに施設の運営にあたる根本氏。

ワークショップでは気軽に入れる飲食店、カフェ、ブランディングされた土産物店、総菜店などが欲しい施設として挙がった。それを実現したのがSOIL SETODAだ。新築建物の1階には気軽に入れる瀬戸田のローカルフードが楽しめる食堂・Minatoyaがある。

地元の人たちからの声を基にどのような要素の施設が必要かが検討されたという。写真はMinatoyaで提供されるyubune宿泊者の朝食カフェ内部。飲食を楽しむだけでなく、ここでパソコンを開いている人の姿も
地元の産品が丁寧な説明とともに並べられている地元の産品が丁寧な説明とともに並べられている

蔵にはコーヒー豆の焙煎を行うロースターがあり、瀬戸内の土産物も売られているのである。まだ実現していないのが総菜店だが、これはSOIL SETODAに隣接する空き家を改装してこれから作る予定となっている。

ちなみにSOILは土壌、土地などと訳されるが、土壌からその土地の歴史や文化その他、その町らしさが生まれると考えると非常に示唆的である。瀬戸田に続き、東京の日本橋にも同様の名称を冠した施設が誕生しているので、既存記事でご覧いただきたい。

公園を取り込んだ複合施設SOIL Nihonbashiが結ぶ地方と都市の新しい関係、その未来を聞く

地元の人たちからの声を基にどのような要素の施設が必要かが検討されたという。写真はMinatoyaで提供されるyubune宿泊者の朝食蔵の内部。奥が焙煎所になっている

地元の人、移住者が一緒になって作る未来

客室からは海が一望でき、それだけで癒される客室からは海が一望でき、それだけで癒される

新築棟の2階が宿泊施設になっているのも町の現状を踏まえた結果だ。古い港町であり、しまなみ海道、瀬戸内芸術祭など人気の観光スポットに近いこともあって瀬戸田港の近くには旅館その他の宿泊施設がいくつかある。だが、若い人たちにはいささかハードルが高く、もう少し気軽に泊まれる宿が必要と考えたのである。

「しまなみ海道を利用して島を訪れる人は増えましたが、滞在時間は2時間ほど。適当な宿泊施設がないため、通り過ぎてしまうことが多く、平均で2,000円しか使わないというデータもあります。そこで気軽に泊まれる宿を作り、滞在する人を増やしたいと考えたのです。新しく作る予定の総菜店の2階も宿あるいは長期滞在者向けのレジデンスにしたいと考えています」

また、現在の施設、これからの施設も含め、自分たちで全部運営するのではなく、地元の人たちなどを中心にやりたい人にやってもらう形にしていきたいとも。

客室からは海が一望でき、それだけで癒される島の入り口ともいえる場所にこうした風景があるだけで変化が感じられる
ところどころに新しい店が増えてきているのが分かるところどころに新しい店が増えてきているのが分かる

「この地域のしおまち商店街には二代目、三代目が戻ってきて頑張っていこうとしていますし、若い人たちが入ってくることも喜んでくださっています。もともと、交易で成りたってきた土地だからでしょうか、外のできごと、よそから来る人に関心が高く、来るものを拒まない雰囲気があります。今、弊社の施設で働いているのも地元の人が3分の2、残り3分の1は移住者です」

移住者にとって居心地が良い環境ということなのだろう、商店街の中にも移住者が開いた店などが少しずつではあるができてきている。若い人たちも増えているという。

客室からは海が一望でき、それだけで癒されるレトロな雰囲気にマッチした商店街の看板。最近新しくなったものだ

消費する観光とは異なる、これからの旅を

レセプション。柱、梁の太さ、天井の高さに目を奪われるレセプション。柱、梁の太さ、天井の高さに目を奪われる

でも、だからといって瀬戸田を観光客でいっぱいにしたいというわけではないと根本氏。日常を大事にするという趣旨、その町らしい宿を作ろうというプロジェクトからすると通りが観光客でごった返すような未来は誰も望んではいないだろう。

国内からはもちろん、世界からも行ってみたいと思われる宿、土地であることは目指す姿としても、それによって地域が消費し尽くされるのでは本末転倒。地域を尊重し、共感して人の交わりが生まれるような、これまでとは違う旅。それがこのプロジェクトが目指すものではなかろうか。そのために地域、人と関わり、地元をより深く耕す。現在、ここで行われているのはそうした作業のように思った。

最後にそれぞれの建物を紹介しておこう。まずはAzumi Setoda。通りに面した建物はレセプション、ダイニングとして使われており、2階の床を抜いて最大では高さ9mもの吹き抜けとした大空間が圧倒的。太い柱、梁がもともとの建物の堅牢さを物語る。

レセプション。柱、梁の太さ、天井の高さに目を奪われる緑に囲まれたダイニング。長年大事にされてきたであろう食器が使われている
宿泊棟から見た庭。撮影/Max Houtzager宿泊棟から見た庭。撮影/Max Houtzager

ダイニングは中央にあるカウンターを客席がロの字に囲むようになっており、あえて他の宿泊客と顔を合わせるような仕掛け。家庭的なおもてなしを受けるようなプライベート感がありながらも、ほどよい公共性も感じられる空間になっている。そして、ここで使われている食器の一部は堀内邸にあったもの。いくつか見せていただいたが、古九谷や染付の大皿など手の込んだ品も多く、器好きには楽しい食卓になりそうである。

また、ダイニングから見える庭もごちそうのひとつ。河津桜、いろは紅葉、枝垂れ柳にクロマツが植えられており、河津桜は開業時に満開になるように選ばれたとか。庭を挟んで向こう側には新設された宿泊棟があり、隔てるのはかつて宮中の遊びだった蹴鞠のときに建てられたという蹴垣を模した高い垣根。プライベートを守りながらも野暮にならない工夫である。

1階には個室と東屋があり、宿泊時などに可能であればぜひ、見ていただきたいのが東屋。美しい白木で作られた多目的に使える空間で、三方に開かれた窓からはダイニング前の庭とは異なる、シダ類などを中心にしたアジアンテイストの庭が広がる。茶会やヨガその他のイベントにも使われているそうだ。

2階には庭を望むラウンジがあり、ここでは堀内家伝来の小物、建具などを見ることができる。それぞれに物語があるので、ぜひ、宿の人に由来を訊ねてみてほしい。

レセプション。柱、梁の太さ、天井の高さに目を奪われる東屋。白木の清らかな空間で、ここも周囲は緑

銭湯に入り、ご飯を食べ、商店街を歩くという楽しみ

銭湯yubuneは暖簾をくぐった先の左側にカウンター、湯への入り口があり、右側は一段高くなった宿泊棟。浴室はコンパクトながらタコや魚があしらわれたポップなタイル絵がかわいい空間でサウナも。宿泊者は無料、それ以外でも大人900円、子ども450円(税込)で入れるので生口島に来たらぜひ、ひと風呂浴びよう。

左側にカウンター、銭湯があり、右側から階段を上がって客室左側にカウンター、銭湯があり、右側から階段を上がって客室
左側にカウンター、銭湯があり、右側から階段を上がって客室水中の様子を描いたタイル絵が楽しい浴室。撮影/Tomohiro Sakashita
塩壺は地元の作家の手によるもの。小物入れにちょうどよいサイズ塩壺は地元の作家の手によるもの。小物入れにちょうどよいサイズ

14室の客室のほか、2階には宿泊者が利用できるyuagariラウンジがあり、地元に関連した書籍や土産物として購入できる塩壺(!)などが展示されている。今時は見られないような欄間の彫り物も必見だ。

SOIL SETODA1階は食堂であり、ちょっとした仕事のできる空間でもある。段差のある店内は季節によっては半戸外になり、気持ち良く潮風が入る。仕事をするより、のんびり、ぼーっとしたくなるのが難かもしれない。2階の客室は海に面した個室4室とドミトリーの2種類。個室はベッドの中からも海が望めるという贅沢な作りになっており、人気があるのもうなずける。

蔵は中央にテーブルが置かれ、奥には焙煎所、その手前にカフェのカウンターという作りになっており、壁際には紅茶やレモンを利用した食品、布製品、帽子などさまざまな地域の産品が並べられている。これらの商品開発、ブランディング、企画なども地元の人と一緒に進めているそうで、最近ではレモンの搾汁施設を作れないか、害獣として駆除される猪をちゃんと食べられるようにできないかなどの話もあると根本氏。宿を作る仕事をしていたはずが、いつのまにか、まちづくり、地域おこしをしていたというわけである。

どの施設にも地元の産品、材その他が使われており、説明書も置かれている。テーブルひとつ、かけられた布ひとつにも物語があるわけで、せっかく訪れたならそうしたものを読んで地元をよく知りたいものである。

また、SOIL SETODAから続くしおまち商店街にはレモンビールなど他にはない商品のある酒店、コロッケで有名な精肉店、釣り好き移住者が始めたというイカ専門店、レモン鍋が美味しい料理店などもあり、周辺にはこの地出身の平山郁夫美術館なども。派手さはないが、海をはじめ、風景の美しい町である。機会があれば足を延ばしてみたい。

左側にカウンター、銭湯があり、右側から階段を上がって客室このところ、認知度上昇中の瀬戸田レモン。産地であることを実感するレモン鍋

公開日: