2022年の夏至は、暦の上で6月21日

日の出から日の入りまでの時間がもっとも長い日が夏至である。
俳人 高浜虚子はこう詠んだ。

夏至今日と 思ひつつ書を 閉ぢにけり 

ぼた餅やおはぎを作って先祖祭りをする春分や秋分、かぼちゃ料理を食べてゆず湯に入る冬至と違い、夏至というとあまり馴染みがないように思う。大阪では「稲がしっかり根を張るように」との祈りをこめて蛸を食べたり、四国では農作業のあとにうどんがふるまわれたりと、地域によっては夏至ならではの風習もあるが、虛子のように「そういえば今日は夏至だったな」とふと、思い出すような人も多いかもしれない。

世界ではというと、中国では夏至に祝事が行われていた。
長江中流域にある荊楚地方で、六世紀に書かれた歳時記には「夏至節日には糉(ちまき)を食べ、楝葉を頭に挿し、長命縷を繋ける」とある。しかし、この文化は日本に輸入されなかったようだ。稲作の民にとって、夏至は田植えで忙しい時期のため、神祭りをしている時間的・体力的余裕がなかったのだろう。楝は栴檀の古名。長命縷は五色の糸を使った邪気を祓う縁起物の飾りで、のちに端午の節句に用いられるようになる。ちまきも端午の節句料理だ。中国においても時代とともに、夏至の行事は端午の節句へと移っていったらしい。

稲作とも関係が深い夏至。四国では農作業のあとにうどんがふるまわれるという稲作とも関係が深い夏至。四国では農作業のあとにうどんがふるまわれるという

北半球における夏至は、6月21日前後

北半球における夏至は、一年中でもっとも昼の長い日で、年によって日は違うが、6月21日前後にあたる。2022年は6月21日のようだ。
天文学ではさらにピンポイントで、太陽の外見上の通り道……いわゆる黄道が、赤道と交わる点を春分点と秋分点とし、春分点から秋分点へのちょうど中間に太陽がやってきた瞬間が夏至だ。それを含む日を夏至日と呼んでいる。

日本列島の東側、東京あたりでは4時半ごろに太陽が昇り、19時過ぎに太陽が沈んでいくから、昼が15時間弱も続く。ただし、地球が太陽を公転する面に対して自転軸が傾いており、公転軌道がわずかに楕円形を成しているため、日の出が一年で一番早い日は、夏至より約1週間前にずれる。日没が一番遅い日は、夏至から約1週間後だ。太陽が真南にきたときの高度は約78°。太陽光が大気の層を直角に近い角度で通過してくるため、エネルギーがあまり散乱せずに、地球表面まで届く。

二十四節気では「夏至」のあとに「小暑」「大暑」が続くように、夏本番はその後だ。もっとも長い時間太陽に照らされるだけでなく、南中高度も高い夏至が、一年で一番暑い日にならないのは、太陽が大地の温度を上げたあと、地熱が空気を温めるからだ。また、日本では7月に梅雨の長雨が続くので、もっとも暑い時期は8月にずれ込む。

夏至と太陽信仰の関係

多くの自然信仰の民族は、太陽を信仰の対象とした。太陽の力がもっとも盛んになる夏至に神祭りを行った民族も少なくないだろう。

たとえば、イギリスのストーンヘンジでは、夏至に盛大な祭りが行われていたと考えられる。
ストーンヘンジは環状に並べられた巨大な砂岩が有名だが、列石内側にはブルーストーンと呼ばれる小型の石も、環状に並べられており、中心には緑色砂岩が立てられている。この石は「祭壇石」と呼ばれ、重要な意味を持つと考えられてきた。さらに環状列石から約25m離れて立つ玄武岩は、高さが約6mもある巨岩で、「ヒール・ストーン」と呼ばれる。夏至の朝、東の空に顔を出した太陽は、このヒール・ストーンと祭壇石を結ぶ直線の上に昇る。そして冬至の夕方には、同じ線上に太陽が沈むのだ。ストーンヘンジでどのような祭りが行われていたのかはわからないが、ケルト人の信仰に由来する儀式だったろう。

イギリスのストーンヘンジでは、夏至祭がおこなわれていたイギリスのストーンヘンジでは、夏至祭がおこなわれていた

日本神道の最高神である天照大神は太陽の女神だし、正月の朝に御来光を拝んだり、お彼岸に日没を拝んだりと、日の出や日没といった自然現象も、信仰の対象となってきた。日没を拝むのは西方に弥勒菩薩の浄土があるとする仏教の影響も大きいが、朝に空を輝かせる日の出を拝むのは、太古の昔から人間のごく自然な感情だろう。
古代に栄えた関西では、北緯34度32分付近に、重要な史跡が並んでいるのが知られる。たとえば三輪山そのものを御神体とする古式の信仰が息づく大神神社や、古くから内親王が務めた伊勢神宮斎王の御所跡、日本神話きっての英雄である大和武尊を祀る大鳥神社、さらには百舌鳥古墳群、古市古墳群などだ。そもそもこの緯度には三輪山と二上山が並んでおり、真東から太陽が昇る春分・秋分の日に二上山から朝日を望むと、三輪山から太陽が昇ってくるように見えただろう。それゆえに北緯34度32分を「太陽の道」と呼ぶ。神道が確立される以前から、日本人は太陽を拝んできたのだろう。

夏至や冬至の日の出も日本人は拝んでいたらしい。
古事記に「朝日があたれば影は淡路島におよび、夕日があたればその影は高安山を越える高い樹木があった」と書かれている等乃伎神社から、夏至の日には高安山から太陽が昇るように見える。

さらに伊勢の二見興玉神社では、夏至の太陽が夫婦岩の間から昇るため、早朝の午前3時30分から、夏至祭が斎行されている。また、伊勢神宮の宇治橋は、冬至の日の出が真ん中から昇る。
古代、伊勢に居住した人々は、春分・秋分より、冬至や夏至に重要な意味を感じていたのかもしれない。

イギリスのストーンヘンジでは、夏至祭がおこなわれていた伊勢の二見興玉神社。夏至祭が行われる
イギリスのストーンヘンジでは、夏至祭がおこなわれていた夏至の太陽が夫婦岩の間から昇る

二十四節気をさらに三つに分けた七十二候

七十二候は二十四節気をさらに三つに分けたもので、夏至の期間は「乃東枯」「菖蒲華」「半夏生」に分けられる。

「乃東枯」の乃東はウツボグサのことで、花を乾燥させたものは薬として用いられた。「菖蒲華」は菖蒲の花が咲く時期の意味。菖蒲はショウブともアヤメとも読むが、両者は別の花を指し、夏至のころに花咲かせるのはアヤメだ。「半夏」はカラスビシャクの古名で、畑の畔や道端などに生える雑草。薬草でもあるが、畑を荒らす害草とされ、半夏が生えるころには天から毒が降ると信じられた。そのため半夏生には井戸に蓋をしたり、農作物の収穫を忌んだりした。また、半夏生までに田植えを終わらせないと、収穫が減るとされたため、夏至のころは田植えで大忙しだったのだ。

半夏はカラスビシャクの古名。この半夏が生えるまでに田植えを終わらせないと収穫が減ると考えられた半夏はカラスビシャクの古名。この半夏が生えるまでに田植えを終わらせないと収穫が減ると考えられた

中国における七十二候

中国における七十二候は、「乃東枯」ではなく「鹿角解」、「菖蒲華」ではなく「蜩始鳴」とされる。日本でも、中国式の呼び名が採用されることがあるから、見たことがある方もおられるだろう。「鹿角解」は鹿の角が落ちること。鹿は秋の繁殖期になると雌をめぐり、角を突き合わせて競い合うし、立派な角は強い雄の象徴ともなる。しかし繁殖期が終わると角を使う機会はなくなり、藪に引っ掛ければ命を落とすかもしれない、邪魔なだけの存在になりはててしまう。そのため、春になると角は自然に落ちるのだ。「蜩始鳴」はせみが鳴き始めるころの意味。「蜩」は日本語でひぐらしと読むので、ひぐらしが鳴くころであると誤解されがちのようだ。ひぐらしは秋の季語でもあり、かなかなという悲しげな鳴き声から晩夏から秋にかけて鳴くイメージがあるが、実際は梅雨ごろから鳴き始めるから、「蜩始鳴」はひぐらしの鳴き始めるころと考えても、あながち間違いではない。しかし中国で蜩はセミ科昆虫の総称で、たとえば「蜩螗」はミンミンゼミのこと。音がうるさいことも意味している。

大きな季節の節目となる夏至。虛子に倣って本を閉じ、昼の長さを味わってみてはいかがだろう。

■参考
柏書房『現代こよみ読み解き事典』岡田芳朗・阿久根末忠編 2005年12月発行
三省堂『全訳 漢辞海』佐藤進・濱口富士雄編 2001年1月第四版発行
汲古書院『訳注 荊楚歳時記』中村裕一著 2019年12月発行

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