古き良き街の魅力を残しつつ、日本橋に新風を
中央区日本橋と聞くと百貨店やオフィスビルなどが並ぶ都心の繁華街というイメージを持つ人が多いだろう。確かに日本橋、日本橋室町といった首都高速一号線の西側にあたるエリアではそのイメージ通りに大規模開発が続けられている。
だが、首都高速一号線の東側、日本橋小舟町、日本橋人形町、日本橋浜町などといった地域には西側とはかなり異なる雰囲気がある。昔から住んでいる人も多く、最近では新たにできたマンションに暮らす人も増え、表面的には住宅街には見えにくいものの、住んでいる人が多い街なのである。
当然、街に求められるものも異なる。古くからの街に新しい人を呼び込もうとした時の手法としては日本橋の中心部、西側のような大規模開発が一般的とされてきたが、そのやり方は東側にはそぐわない。では、どうするか。
そのひとつの解決策として生まれたのが日本橋小舟町、堀留児童公園に隣接する「SOIL Nihonbashi」(以下SOIL)である。もともとは染物店が1棟全部を事業所、倉庫などとして使っていた築38年のオフィスビルで、それを三井不動産株式会社が取得。「ここにいろいろな人を呼びこみたい」と相談を受けたのが現在、SOILにもオフィスを構える株式会社Insitu Japanの岡雄大氏だ。
「古き良き街の雰囲気を残しつつ、新しい風を起こして街の新陳代謝をはかりたい、このビルをそのためになんとか使えないかという非常にざっくりした相談でした」と岡氏。3年前のことである。
日本橋の多様性を凝縮した風景が生まれる場に
相談を受けて訪れてみると、通りからはごく普通のオフィスビルのように見えた。ところが、建物内に入ってみて分かったのは堀留児童公園が借景かつボイド(何もない空間)になっており、それが他のビルにない魅力になっていること。低層階では公園の木々が窓に迫り、森の中にいるように感じられるし、最上階の6階には目の前に建物が無く、非常に開放的なのだ。
「都会の真ん中にあってこれだけの抜け感があるビルは珍しく、窓外に木を、根を感じました。この感覚を生かしたら、面白いものになるのではないかと思ったことを覚えています」と、岡氏
では、このビルをどんな場にするか。最初はホテルを考えた。当時、岡氏の会社がホテルを手がけていたためだ。だが、話があってから1年後にSOILから歩いて7分ほどの場所に他にホテルをオープンすることになり、同時にコロナ禍が始まって計画を見直すことに。地域に新しい人を呼びこむためにはホテルは有効だが、それだけで良いのかと考えたからである。
「ホテルはローカルな存在をグローバルな地図に載せる役目をしますが、一度、地図に載った後はその地を訪れたくなる魅力を磨き続ける必要があります。では、日本橋の魅力とはなんだろうと考えた時、お隣の公園の風景が浮かびました。子どもや高齢者、若者、外国人という多様な人が集まる風景を1階につくり、それによって日本橋の魅力を凝縮、住んでみたい地域をつくろうと思ったのです」
もうひとつ、すでに広島県尾道市瀬戸田に誕生していたカフェ、食堂、宿泊施設からなるSOIL Setodaとの関係も考えた。日本橋という都心と瀬戸田という地方をSOILというプラットフォームでつなぐことで都市とローカルの新しい関係性をつくろうというのである。瀬戸田についてはいずれ別の記事でご紹介したいが、施設が単体で存在するのではなく、他の土地の施設と関係しあいながら存在することでそれぞれの地域に新しい風を送ろうというのである。
ただ、そうなるとホテルではない。ホテルは人を呼び寄せはするが、その人たちは通り過ぎてしまい、地域にはとどまらないし、関係も結ばない。ところが、日本橋は全体としては人が行き交う街でありながら、このエリアは住んでいる人が多く、かなりの数の人たちが滞留している。公園を訪れるも6~7割は地元のいつもの人たちなのだ。
それを考えると一定数の人が滞留、それ以外の人が行き交うような施設がいい。2年間に及ぶ試行錯誤の結果、最終的に決まったのは1階にベーカリーカフェ、2階以上にオフィスを配した複合施設である。
美味しいパンとコーヒーは街のインフラ
1階にベーカリーという案は早いうちから出ていた。以前からこの地で商売をし、現在は5階に入居している染物店に意見を聞きに行った際、最初に「パン店が欲しい」と言われたのである。
「染物店の社長がパン好きというのもありましたし、子どもと両親、高齢者、そして地元の人も旅人もみんなが好きで共感でき、つながりやすい品が美味しいパンとコーヒー。私たちは自分たちを半径数キロの地域をつくるデベロッパーだと思っていますが、そのまちづくりの中でパンとコーヒーはある種のインフラに当たるのではないでしょうか」
さらにSOILでは1階を地域に開いた空間にした。隣接する公園と一体になるよう、公園側の壁をL字に抜いて窓にし、公園側からも入れる、使える空間を作ったのである。建物の角にあるサイネージも通り側、公園側の2面から見えるようにしてある。
「隣は児童公園であると同時に防災公園でもあり、建物に面して防災倉庫が置かれていました。そこで中央区に相談に行き、倉庫の移動をお願いしました。区からは自分の店のためだけにということならダメだが、それが街のためになるという意図からなら許可しようと理解をいただきました。
公園側に開口部を設けることは建物が侵入されやすくなるなど危険も伴いますが、窓を作ったことで公園が広がり、子どもたちが入ってきやすくなりましたし、店内からの人の目があることで子どもたちの安全も確保できるようになったのではないかとも思います」
これまで壁、倉庫があった場所に窓ができたことで、夕方になれば灯がともり、公園は明るくなった。店内からは緑や子どもたちの遊ぶ姿が見えるようになり、空間が広がったようである。壁から窓になるだけで風景は一変するのだ。また、一画には「堀留画廊」というギャラリーも作られている。
多様な人たちを集めるさまざまな仕掛け
1階のベーカリーカフェ、Parklet(パークレット)は2022年1月にオープンした。オープン時から子ども連れのファミリーやママ友グループ、地元のおじいちゃんたちなどと幅広い世代の人が集まり、昼からワインを楽しむ風景などが見られたという。
「近くには事業主である三井不動産がやっているCOMMISSARY(カミサリー)というフードコートがあるのですが、そこの担当者からはSOILではターゲティングという言葉を聞かないねとよく言われます。誰にとってもオープンで優しい場であろうとは考えていますが、特定の誰かをターゲットにすることは考えていません。働いているスタッフも多様で、それが多様な人を呼んでいるのだろうと思っています」
たとえばカフェを切り盛りするのはアメリカ人夫婦で、アルバイトには帰国子女の若い女性がいるかと思えば、50代の女性や地方で働いていた男性もおり、年代、性別、国籍はばらばら。これまでのキャリアも、必ずしも飲食だけにとどまっていない。その彼らがそれぞれに情報を発信しており、それぞれが違う層にアプローチしていると考えると、訪れる人が多様になるのも理解できる。
1階ではこれまで岡氏が関わってきた地域を中心に、各地の生産者から仕入れたワイン、ビールやジャムなどが販売されているが、これも人を呼ぶのに大きな役割を果たしているという。
「質にこだわった生産者は深く結びついたコミュニティを形成しており、年齢、性別のさまざまなファンを持ってもいます。彼らには地域を大事にする意識も強く、ここがそのような場であり、欲しい品が買えるとなればわざわざ来訪してくれるのです」
もちろん、施設の多様さもポイントだ。
「ここの公園は近くの3町会が関わっており、開業前には挨拶に行きました。1階にパン、ワイン、ギャラリーがあり、2階以上にシェアキッチン、オフィスとさまざまな接点があることから、今度行ってみますよ、と。どこかに共感していただけるのです。ホテルだけ、飲食店だけの単体ではこういう効果はないだろうと思います」
オフィスには地方と関わる仕事をしている会社が集まった
2階から上はオフィス。入居者をお客様として扱う一般的なオフィスではなく、共同運営者とするコーポラティブオフィスと位置づけられており、入居者が自分たちの得意、専門を生かしたイベント等を自主的に生みだし、それによって顔の見えるコミュニティが醸成されていくことを期待している。
そのうち、3階、4階、6階は各フロアに各3室、計9室の個室があるが、こちらはオープン前に満室になった。特徴的なのは日本橋にオフィスを構えているものの、地方での仕事が多い会社や団体が入っていることだ。
「弊社は前述したSOIL Setodanoがある尾道市瀬戸田が本社ですし、入居している会社には福島、軽井沢、富山、北杜や白樺湖など、全国各地の魅力的なローカルと深い繋がりのある企業や団体が入居しています。そうした会社が集まることでSOILがローカルと都市が交わる活動拠点として機能していくことを考えています」
さらにイベントなどを通じて入居者の関わる地域がシェイクされ、ひとつの地域により多くの人が関わるようになっていくとしたらいろいろな可能性が考えられる。これまでの移住は住民票の移動を意味していたが、これからはそれだけではないと岡氏。短期間でも地域にインパクトをもたらす人が関わる、多数関わることが大事だと考えると、SOIL内での情報の循環は新しい結果をもたらすかもしれないのである。
2階は1ヶ月から利用可能でフリーアドレス用のデスク、固定デスク会員用のワークスペースに通話ブース、会議室、複合機、ロッカーとシェアキッチンが備え付けられている。席は全体で36席あり、2022年1月の取材時点では地元の人たちを中心に半分ほどが埋まっていた。
これからもさまざまな土地にさまざまなSOILを
さて、最後にSOILという名称についてもう一度、まとめておこう。今回は主に日本橋について聞いてきたが、SOILと名付けられた施設は尾道市瀬戸田についで2ヶ所目。
2021年4月に開業したSOIL Setodaは 中長期滞在が可能なホテル、食堂、ショップ、コーヒーロースターなどからなっており、地域住民と旅行者が集う「街のリビングルーム」。地域の職人、アーティストや農業者などとも連携、地域内と地域外の人が混ざり合うことで生まれる、新しいローカルコミュニティを模索してきたという。
さらに現在ではSOILで生み出したつながりから地域のこれからを考える協議会を設立、活動の場を広げつつあるとも。ここで注目したいのはSOILが生んだコミュニティは地域内、地域外双方の人を含んでいるという点だ。
これまでのまちづくりでは主体は地域内の人とされ、地域外の人はコンサルタント、アドバイザーなどという少し遠い立場で参画、あるいは逆にその人たちが主導していた。それとは違う、内外を問わない人たちが関わるやり方が生まれているとしたら、そのほうが広い視野を持って活動できるのではないかと思う。
岡氏はSOILの意味するものを「ローカルのルーツは土壌(SOIL)から見つかる」というが、それは同時に撒いた種が育ち、成長するSOIL(土壌)であるとも言える。
瀬戸内海に浮かぶ島と日本橋、場所は遠く離れているが、目指しているものは同じ。その土地らしい場に多様な人が集まり、それが地域を超えて交わることでその地域、繋がる地域それぞれの未来を生み、育てようとしていると考えるとSOILは実にふさわしいネーミングではないかと思う。
瀬戸田や日本橋に続き、同社では京都や長野でも新たなSOILを企画中である。各施設の入居者は宿泊、料飲の優待を受けることができるだけでなく、それぞれのワークスペースやイベントスペースを自由に利用でき、それによってローカルとローカル、都市とローカルがさらにシェイクされていくことを狙うという。人が混じり合うことで生まれる可能性に期待したい。
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