2002年に市民の手で誕生した街の映画館「深谷シネマ」
日本の映画館数がピークを迎えたのは1960(昭和35)年。埼玉県深谷市にも豊年座、ムサシノ館、電気館などと複数の映画館が存在していたそうだが、以降の映画産業の斜陽化で1970年代には全館閉館しており、深谷市民が身近に映画を見られる場所は無くなっていた。
それを憂え、市内にミニシアターを作ろうという運動が始まり、「県北にミニシアターを!市民の会」が立ち上がったのは1999年3月。その後、深谷市民文化会館や商店街の店舗の一部を借りて上映を行いながら、運営母体となるNPOの申請、市の市街地活性化構想に参加するなどの準備を進め、常設館がオープンしたのは2002年7月のこと。深谷市、商工会議所、市民の協働で誕生した「深谷シネマ」は旧さくら銀行の金庫室を映写室として使ったもので、8年余にわたり、市民に愛されてきた。
それが2010年4月に現在の「七ッ梅酒造跡」に移転することになったのは、中心市街地での区画整理事業によるもの。現在、深谷市ではJR高崎線深谷駅から北に300mほどの、旧中山道を中心にした広範な地域で区画整理が続けられており、もともとは歴史のある商店が並んでいたであろう旧街道沿いは新しい店舗がいささか間延びした間隔で並ぶ風景に変わりつつある。深谷シネマも移転先を探さなければならないことになり、そこで偶然、現在の場所に巡り合ったのである。
「このエリアには昔から近江商人の方々がお店を出していました。土地は所有せず、借りて営業するというやり方をしていて、七ッ梅酒造が廃業した際にも建物はそのまま残されていました。そんな時にちょうど映画監督の山田洋次さん原作によるテレビドラマ『祖国』のロケ地探しの話があり、そこでここの土地所有者と出会いました。
建物はもちろん、さまざまな設備、器具類なども残されたままの廃業で、所有者は950坪(約3135m2)という広大な土地のこれからの有効活用の方法に困っており、一方で私たちは映画館の移転先を探していました。そこで移転について説明し、了解してもらい、移転が決まりました」と深谷シネマを運営するNPO法人市民シアター・エフの理事長・竹石研二氏。同氏は七ッ梅酒造跡を運営・管理する一般社団法人まち遺し深谷の前副理事長でもある。
全国唯一、酒蔵を利用した映画館
映画館開設は酒蔵の再生からスタートした。傾いた基礎の打ち直し、屋根、壁を壊して建物全体をジャッキアップなどと大掛かりな工事が必要となり、かかった費用は8,500万円。うち半分は空き店舗活用という名目で助成金を利用、1,000万円は市民から寄付を仰ぎ、残りはNPOが銀行から借り入れを起こした。
その移転からでもすでに12年。2002年の常設館としての開始からすると20年になるわけだが、地方都市で新たに誕生したミニシアターがこれだけ続いているのはあまり例がない。
「都内でもミニシアターが次々に無くなる時代です。ショッピングモールにはシネマコンプレックスはあるものの、そうした施設のない地方都市には映画館はありません。全体の5分の4の自治体には映画館がないと言われているほどで、幸い、深谷では市外からも広く観客を集めるようになっており、年間2万4,000~5,000人が来場しています」
埼玉県北部唯一のミニシアターであり、かつシネコンでは見られない作品が上映されるからだろう、近いところではさいたま市など県内、さらには群馬県や栃木県などから足を運ぶ人もおり、市外からの観客が全体の約6割。ドキュメンタリー作品は上映する映画館が少ないためか、都内から見に来る人も少なくないとか。
映画監督による舞台挨拶など関係者の来訪も多い。また、竹石氏がこの場と知り合ったのが映画のロケだったように、ロケ地として使われることも多く、敷地内の建物にさまざまな看板が掛けられているのはその名残り。下宿、大衆酒場などという看板があっても、かつてそのように使われていたわけではないのだ。
だが、看板は抜きにしても煉瓦造、蔵などが残る雰囲気のある場所であることは確かで、映画館に出入りする人のなかにはここを使いたいという人も出てきた。
自然発生的に店舗が増加。瓦、煉瓦再生を目指す動きも
「残置物の処分を自分たちで行い、少しずつ整備して入居も増え、現在では古書店、カフェ、居酒屋、ギャラリーなど13区画が利用されています。火曜日の一斉休業日の他はそれぞれのペースで店を開けており、今ではちょっとした横丁のようになっています」
いくつか敷地内にある店舗等をご紹介しよう。訪問時、一番目を引いたのが鬼瓦工房・鬼義だ。鬼瓦がなぜ、深谷にと思ったからだが、聞いてみると江戸時代から戦後の復興期に至るまでの深谷は「瓦の街」だった。利根川がもたらす加工に適した上質の粘土質の土が瓦産業を支え、全盛期の深谷市内には160軒の瓦屋があったという。
だが、現在の深谷市内で一般社団法人全日本瓦工事業連盟に加盟する屋根工事店、瓦店は12店。大半は屋根工事に従事しており、瓦を作っているのはそのうちのわずか。瓦を作るための粘土質の土もすでに採れなくなっている。
また、瓦を載せた家自体も新築されることは少なく、ましてやそこに鬼瓦を載せることは非常に珍しい。関西であれば定期的に建替え、瓦の葺替えが必要な寺社、文化財などがあり、瓦に限らず、日本家屋に関する技術、職人が生き延びる余地があるのだが、関東ではそうしたニーズも少ない。
そうした厳しい状況下で鬼義さんは煉瓦の再生にも取り組んでいると竹石氏。深谷には1887(明治20)年に渋沢栄一などによって設立された日本煉瓦製造株式会社のレンガ工場があり、ここで作られた煉瓦は東京駅や日本銀行旧館、赤坂離宮、東京大学など多くの近代建築物に使われている。利根川の土は煉瓦の生産にも適していたのだ。
だが、これも現在では生産されておらず、鬼義さんは土の採取から始めて試験的に焼成、かつての煉瓦の再生を目指しているのだとか。かつては市内で多く見かけた鬼瓦を載せた家、煉瓦造の建物、そのどちらも次第に減っている現在だが、新たな形での復活を期待したいものである。
ここまででお分かりにように深谷駅が煉瓦造りの東京駅に激似なのはそうした歴史から。残念ながら深谷駅の外装は煉瓦ではなく、煉瓦風のタイル。コンクリート壁面にタイルを貼ることで一見煉瓦らしく見せているそうだ。
古書店、カフェにギャラリーなど店舗は多彩
中庭に面して広い店舗を構えるのが古書店・須方書店だ。明治・大正時代に出版された古書から最近の本まで幅広く扱っており、本以外にもレコードやCD、DVD、絵葉書なども置かれている。特定のジャンルにこだわっているわけではないそうだが、個人的には映画関連の書籍や作家の全集などが目に付いたところ。店内には古いポスターなどがところどころに貼られ、昭和の時代の古書店といった趣もあって、絵になる空間である。
その向かいにあるのが50 COFFEE&ROASTERY。瓶詰作業に使われていた工場の跡地を利用しており、3mという天井の高さを生かして熱風で焙煎するアメリカ最新鋭の焙煎機が置かれている。焙煎には直火式、半熱風式、そして完全熱風式とあり、完全熱風式は豆の繊細な風味が出やすいのだ。天井の高い空間に鎮座する焙煎機は埼玉県では1台しかないそうです、と竹石氏。訪れたらその味わい、ぜひ試してみていただきたい。
旧中山道に面し、かつては商品を販売していた場所はなんでも屋になっており、布製品から地元の産品、卵までが雑多に並べられていた。通路を挟んだところにある蔵はギャラリー深谷宿本舗という名称で、地元の手作り作家の作品が並ぶ。入口には地元の野菜が並べられることもある。
平日にも関わらず、取材中には見学の人が絶えず訪れており、ぶらぶらと歩いたり、写真を撮ったり。近年立て続けにテレビで紹介されており、その効果で人が来るようになったのである。
「店は地元の人たちがやっており、今後はもっと情報を発信して人が来てもらえるようにしたり、店と客がつながるようなことをしたりと考えています。以前はロケ地として使われることでの収入があったのですが、コロナ禍でそれがほとんど無くなっており、これまで安価で済んでいた家賃をもう少し上げるかという話も出ています」
相続発生に加え、再開発問題も
コロナ禍以上に七ッ梅酒造跡には大きな問題が起きている。ひとつは相続だ。土地所有者が亡くなり、この土地を売却する話が出ているのである。竹石氏はなんとか今の形で残したいと考えており、2022年年明けから土地購入に向けての話し合いが始まることになっている。移転時に多額をかけて改修したことを考えると、この土地で続けられるのがベストであることは言うまでもない。
そして、もうひとつの、さらに大きな問題は区画整理である。現在、進行している区画整理事業では七ッ梅酒造跡の中央部東西に道路ができる予定。そこで現在七ッ梅酒造跡を管理運営している一般社団法人まち遺し深谷と深谷シネマはまず、この土地をオーナーから取得。それからこのエリアをどう残していくかを考えていくとしている。
「深谷市もここが街の賑わいに貢献していることは分かっているはずで、その点を各方面にアピールして良い形で残していくのが今後の課題。2022年はそのための活動を一歩進めていきたいと考えています」
竹石氏は七ッ梅酒造跡を核として商店街エリアを「生活街」として映画も含め、文化、芸術などで1日楽しめるエリアにしたいと考えている。日常とは異なる空間を生かし、非日常な楽しみ方ができる場をつくることが可能だというのである。実際に訪れてみるとタイムスリップしたような感覚が味わえる場であり、ぜひ一度現地を訪れてみることをお薦めする。
ちなみに深谷駅には観光案内所があり、中山道深谷宿観光名所マップなどが用意されている。旧中山道沿いには七ッ梅酒造跡以外にも蔵元や和菓子店その他古い日本家屋、煉瓦造りの建物などがいくつか残されており、訪ね歩いてみるのも一興。ただ、なかにはほとんど廃屋に近いような状態の建物もあり、こうした建物の保存の難しさを垣間見せてくれる。
深谷シネマ
http://fukayacinema.jp/
一般社団法人まち遺し深谷
https://www.machinokoshi.com/
鬼義
https://www.oniyoshi.com/
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