新幹線開業を前に再開発が進む長崎で、ビンテージなビルを掘り起こす

2022年秋の長崎新幹線(正式名称は「西九州新幹線」)開業を控え、目下、大規模な再開発が進行中の長崎。21年11月には、JR長崎駅の西口側にコンベンション施設「出島メッセ長崎」とホテル「ヒルトン長崎」がオープンした。東口側では、新しい駅ビルの建設や広大な駅前広場の整備が進んでいる。

しかしいっぽうでは、まちのあちこちに残る古い建物を愛し、これからも大事に使っていこうと尽力するひとびともいる。21年10月16日、有志の団体「長崎ビンテージビルヂング」が、各地のリノベーション・リーダーを招き「長崎のビンテージなビルを掘り起こそう!」と題して、まち歩きとトークイベントを開催した。

上/JR長崎駅西口。開業直前の出島メッセ長崎とヒルトン長崎 下/駅前広場整備中の東口上/JR長崎駅西口。開業直前の出島メッセ長崎とヒルトン長崎 下/駅前広場整備中の東口

コロナ対策のため、まち歩きは二手に分かれて行動。長崎県土木部住宅課の総括課長補佐、森泉さんが率いるチームには、リノベの雄・ブルースタジオのクリエイティブディレクター、大島芳彦さんが参加。同じく長崎県土木部住宅課の主任技師、牧田悠依さんがガイドするチームには、「九州DIYリノベWEEK」を主催するNPO法人福岡ビルストック研究会理事長の吉原勝己さん、鹿児島で「騎射場のきさき市」や同県内のリノベーションスクールをリードするKISYABAREE代表の須部貴之さんが加わった。

世界各国から巡礼者が訪れるカトリックの聖地、西坂公園から出発

まち歩きの出発点は、高台の西坂公園。JR長崎駅から徒歩5分ほどの場所だが、たどり着くには長崎名物の急坂を上る必要がある。ガイド役の森さんは軽快な足取りで、最短距離(たぶん)の階段坂を選んでいく。公園からは急斜面に家々が密集する様子が間近に見られ、長崎独特の街並みに「建築資材はどうやって運んだんだろう」「自動車は横付けできるんだろうか」と、参加一行は早くも興味津々。

西坂公園は、豊臣秀吉がキリシタンの容認から弾圧に切り替えた、その始まりの大事件が起きた場所だ。1597年2月5日、外国人宣教師6人と、少年たちを含む日本人信徒20人の「日本二十六聖人」が、ここで十字架にかけられた。有名な国宝「大浦天主堂」(正式名称は「日本二十六聖殉教者聖堂」)は、ここ西坂を望むようにして建てられている。西坂に建てられなかったのは、江戸末期(1864年完成)の建設当時、ここが外国人居留地ではなかったからだ。1962年になってやっと、建築家・今井兼次設計の「日本二十六聖人記念碑」「日本二十六聖人記念館」「聖フィリッポ教会」が完成した。

西坂公園。写真左手が「日本二十六聖人記念碑」、彫像は彫刻家・舟越保武が手掛けた。その背後に「日本二十六聖人記念館」がある。右奥、特徴的な2つの塔を持つ聖堂が「聖フィリッポ教会」。設計の今井兼次は早稲田大学教授で、日本にアントニオ・ガウディを紹介した人物としても知られる西坂公園。写真左手が「日本二十六聖人記念碑」、彫像は彫刻家・舟越保武が手掛けた。その背後に「日本二十六聖人記念館」がある。右奥、特徴的な2つの塔を持つ聖堂が「聖フィリッポ教会」。設計の今井兼次は早稲田大学教授で、日本にアントニオ・ガウディを紹介した人物としても知られる

長崎港発祥の地に残る、大正時代の「旧長崎警察署」

長崎のまちが発達したきっかけは、桃山時代の1571年、岬の突端にポルトガル船が来航し、貿易港が開かれたことだ。現在では埋め立てによって海岸線が遠のき、港の面影を探すことは難しいが、よくよく地図を眺めてみると、おぼろげに岬の輪郭が浮かび上がってくる。はじめここに教会が建てられ、江戸時代初期に奉行所、明治維新後に県庁が置かれた。

一帯には今、大きな変化が起きている。2018年に県庁と県警本部がJR長崎駅近くに移転し、広大な跡地の活用策が検討されているところだ。庁舎はほとんど取り壊されたが、敷地内に残された石垣は、明治や江戸に遡るとみられ、この地の歴史の証人として保存活用される予定だ。

そして、今回のまち歩きの目玉の一つが、跡地の一角に残る「旧長崎警察署」。大正12(1923)年に長崎警察署として建設された、間もなく築100年を迎える建物だ。県庁移転までは「第3別館」として使われていたが、現在は無人なので、屋内ではヘルメットを装着。長崎県県庁舎跡地活用室係長の柳本寛史さんのガイドで見学した。

旧長崎警察署。正面玄関には県庁時代の「第3別館」の文字が残る。玄関の左に「南蛮船来航の波止場跡」という石碑がある旧長崎警察署。正面玄関には県庁時代の「第3別館」の文字が残る。玄関の左に「南蛮船来航の波止場跡」という石碑がある

角地に建つ旧長崎警察署は、交差点を向いた正面玄関と、その上に載る、丸窓の塔屋が特徴的だ。かつては塔屋の上に物見台が置かれていたことが、古い写真から分かっている。往時はそこから海上まで見渡せたことだろう。白灰色のタイル張りの外壁は、大正年間には、きっとモダンに感じられたはずだ。

建物の構造は、鉄筋コンクリートとレンガの混構造。「耐震性に課題があり、これから活用するとしたら、どんな用途でいつまで使うかを踏まえた改修の検討が必要です」と柳本さん。

つい最近まで役所として使われていたので、1923年から2018年までの時代の変遷が、建物の至るところに刻み込まれている。例えば、階段の手すりは、戦時中の金属供出で一部が回収されたため、その部分が竹に取り替えられている。近年に増築した部分や、OA化で配線を追加した部分など、ごく最近まで工夫を重ねて使ってきた名残もそのままだ。

地下室には警察署時代の留置所が残り、県庁の移転直前まで書庫として使っていたそうだ。「日が落ちる時間帯に書類を取りに下りるのは、ちょっと憂鬱でしたね」と県職員の柳本さんと森さんが思い出を語ってくれた。

跡地の活用検討で、この建物には、大学のサテライトオフィスやイノベーション拠点への改修など、さまざまな活用提案が行われている。ブルースタジオの大島さんは「建物もさることながら、この立地が素晴らしい」と語る。「歴史への想像力をかき立てる場所。周りとの関係でどういう景色をつくりあげるかが大切なのではないでしょうか。ぜひ素敵に使ってほしいですね」。

旧長崎警察署。正面玄関には県庁時代の「第3別館」の文字が残る。玄関の左に「南蛮船来航の波止場跡」という石碑がある左上/中庭側から見た旧長崎警察署。塔屋を中心に、左右に翼が伸びるL字型の建物 右上/旧長崎警察署3階から県庁舎跡地を望む。石垣の最下部は江戸時代のもの、切石が重なる上部は明治時代のものと推定される 左下/幾何学的な装飾が残る階段手すり。斜めの材の一部が竹に取り替えられている 右下/警察署時代の名残の地下留置場

国登録有形文化財のからすみ「小野原本店」。長崎の原爆を乗り越えた黒漆喰の商家

県庁跡地の少し東に、築町商店街がある。公設市場を持ち、“長崎の台所”と呼ばれるまちで、海産物や蒲鉾、乾物などを扱う老舗が点在する。なかでも威容を誇るのが、安政6(1859)年創業の、からすみ製造販売「小野原本店」だ。木造の主屋とレンガ造の附属屋が並び建ち、どちらも国の登録有形文化財。ここでは株式会社小野原本店専務取締役の小野原善一郎さん自らが、お店と建物の歴史を説明してくれた。

創業時の建物は大正時代に火災に遭い、現在の建物は大正15(1926)年に建てられたものだという。火災の経験を踏まえ、主屋の内壁をレンガの防火壁に、外壁には黒漆喰を塗って、2階の窓に鉄の扉を付けている。このおかげで、1945年8月9日の、長崎原爆による火災にも耐え抜いた。

「つい最近、壁の塗り直しと鉄扉の修理をして、建設当時の姿に戻したところです」と小野原さん。漆黒の外壁が美しい。ちなみに「からすみが日本に定着したのは江戸時代ぐらい。トルコから伝来したといわれています。大名が籠酔い予防に食べていたという記録があるんですよ」とのこと。

築町商店街の角地に建つ小野原本店。入母屋屋根の頂上の鬼瓦には「小」の文字が描かれている。地下にはレンガ造りの倉庫がある。「長崎って今も昔も、きっと土地が足りてないんですよね。だから、いろんなところを工夫して使ったんじゃないでしょうか」と大島さん。右側の「紅白まんじゅう」の看板があるのが附属屋で、レンガ造にモルタル仕上げ。主屋とは対照的な表情のファサードだ築町商店街の角地に建つ小野原本店。入母屋屋根の頂上の鬼瓦には「小」の文字が描かれている。地下にはレンガ造りの倉庫がある。「長崎って今も昔も、きっと土地が足りてないんですよね。だから、いろんなところを工夫して使ったんじゃないでしょうか」と大島さん。右側の「紅白まんじゅう」の看板があるのが附属屋で、レンガ造にモルタル仕上げ。主屋とは対照的な表情のファサードだ

出島に面した通りに建つ「日新ビル」は、昭和28(1953)年建設、戦後復興期の建物だ。建物のほぼ全面を格子状のガラス窓で覆ったファサードは、今見ても斬新。独特の雰囲気が人気を呼んで、洒落たギャラリーや雑貨店、カフェが入居している。

「日新ビルは、“長崎で2番目に古いビル”だという説があります。しかし、どうやら最近、“1番目に古いビル”が建て替えられたようなので、“現存する1番古いビル”になったかもしれません」とガイドの森さん。

築町商店街の角地に建つ小野原本店。入母屋屋根の頂上の鬼瓦には「小」の文字が描かれている。地下にはレンガ造りの倉庫がある。「長崎って今も昔も、きっと土地が足りてないんですよね。だから、いろんなところを工夫して使ったんじゃないでしょうか」と大島さん。右側の「紅白まんじゅう」の看板があるのが附属屋で、レンガ造にモルタル仕上げ。主屋とは対照的な表情のファサードだ日新ビル外観。玄関上は木の縦ルーバー、部屋の前面は格子状の窓という組み合わせが洒落ている
築町商店街の角地に建つ小野原本店。入母屋屋根の頂上の鬼瓦には「小」の文字が描かれている。地下にはレンガ造りの倉庫がある。「長崎って今も昔も、きっと土地が足りてないんですよね。だから、いろんなところを工夫して使ったんじゃないでしょうか」と大島さん。右側の「紅白まんじゅう」の看板があるのが附属屋で、レンガ造にモルタル仕上げ。主屋とは対照的な表情のファサードだ日新ビル1階。通り抜けできる廊下は、まるで路地のよう

リノベーションの先駆者たちが、長崎のまちの魅力を語り合う

まち歩きを終えた一行は、2019年にオープンしたスタートアップ交流拠点「CO-DEJIMA」に集結。
オンラインでも配信されたトークイベントに、大島芳彦さん、吉原勝己さん、須部貴之さんが登壇し、見てきたばかりの長崎のまちについて語り合った。

トークイベントの様子。写真左から吉原勝己さん、須部貴之さん、スクリーンを挟んで右が大島芳彦さんトークイベントの様子。写真左から吉原勝己さん、須部貴之さん、スクリーンを挟んで右が大島芳彦さん

まず須部さんが口火を切り、まちで撮ってきた写真を紹介しながらその魅力を挙げていく。

須部「私たちは前泊したんですが、とにかく夜景が綺麗なことに、改めて驚かされました。裏路地がまた面白くて、インスタ映えするというか」

大島「それでいて、必要以上に明るくないところが絶妙です。陰影があるんですね」

須部「昼間歩くと、至るところにその場にまつわる事件や事績を説明する看板があるのに歴史を感じました。地元の人は素通りするんでしょうが、よそ者にはこれがめちゃくちゃ面白い。そして食が絶品です。ここは大島さんに語ってもらいましょうか」。

ちなみに大島さんはまち歩きの最中、ソフトクリームやコロッケといった“食べ歩き”向きの商品をいちいちチェックしていた。リノベーションまちづくりの第一人者ならではの目のつけどころのようだ。

大島「地域の食を見極めるポイントは、実は“お肉”にあると思うんです。魚や海産物はご馳走になりがちですが、“肉の使い方”には日常の食が現れるので、そのまちの実力が分かるんですよ。ことに九州では豚と鶏そしてホルモン。長崎の居酒屋で食べた壱岐牛のレバーはすばらしかったですね、濃厚な壱岐焼酎との相性も抜群。実は私、かねて壱岐焼酎の大ファンでもあります(笑)」

須部「文化面では、中華街の存在も大きいのでは」

大島「中華街はもちろん素晴らしいし、それだけでなく、長崎は“劇場都市”というか、歩くに連れて多彩なシーンが次々に展開していくので、まったく飽きることがありませんよね」

吉原「通りを一つ越えるたびに違う顔が見えて、とてもドラマチックでした」

大島「要因には高低差もあるでしょうね。まち歩きの出発点に設定してくださった高台の西坂公園では、長崎の歴史の奥深さとともに、海の向こうに世界を目指すまなざしが感じられました。一方で、低地の裏路地を歩けば日常の暮らしが間近にあって、通りすがりのよそ者にもおおらかに声をかけてくれる。いにしえの岬の地形が感じられる、段差の周囲を巡る道のりも面白かったですね」

吉原「埋め立てを繰り返した複雑な地形のせいか、極端に薄い建物や、川をまたぐ橋のような建物などがあり、ユニークな建物との出会いがまた、最高でした! ビンテージなビルヂングたちの使いみちについて、あれこれ妄想が膨らむ一日でした」

なお、このまち歩きのもう一つの目玉は、現存最古級の鉄筋コンクリート造公営住宅「旧魚の町団地」だ。この建物については、項を改めて紹介したい。

長崎のビンテージビルヂング
https://www.instagram.com/nagasaki_vintage_building/

参考文献:
パンフレット『大浦天主堂物語』大浦天主堂
長崎市史編さん委員会監修『わかる! 和華欄『新長崎市史普及版』』長崎新聞社
長崎県ホームページ、文化遺産オンライン

トークイベントの様子。写真左から吉原勝己さん、須部貴之さん、スクリーンを挟んで右が大島芳彦さん「CO-DEJIMA」。1975年建設の「出島交流会館」2階をリノベーションした。改修設計は横浜に本拠を置くオンデザインパートナーズ

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