建築に手間と費用をかけない要因は「あこがれ」の消滅?

工学院大学教授 後藤治氏工学院大学教授 後藤治氏

2021年7月30日に開催された第56回住総研シンポジウム、「歴史の中の『あこがれ』の住まいと暮らし」から、「あこがれ」とは何か?ということについて考えてみる。

シンポジウムを主催した一般財団法人住総研は、住まいに関する総合的研究・実践並びに人材育成を推進し、その結果を広く社会に還元。住生活の向上に貢献することを目的に活動している団体である。シンポジウムのテーマを「あこがれの住まいと暮らし」とした理由は「最近、建築に手間と費用をかけることが少なくなったのは、住まいに対する『あこがれ』がなくなってきたからではないかという疑問から」だと、工学院大学教授の後藤治氏が冒頭に説明した。

ひと昔前は「庭付き一戸建て」というのが、あこがれの住宅であったが、最近はさしずめ「タワーマンション」ということになるのだろうか。あこがれの対象は、建物という「ハードの面」と、暮らし方という「ソフトの面」の両面から考える必要がある。今回のシンポジウムの前半は、5人の専門家が登壇し、それぞれ「歴史の中で『あこがれ』を探る」「ひと昔前と現在とを比較する」「諸外国と日本を比較する」という切り口の違う視点から発表。さまざまな「あこがれ」の住まいと暮らしを例に、その「流行」や「様式(スタイル)」が形成されるメカニズムにも触れながら、将来の住まいや暮らしの在り方にどう生かせるのかが議論された。

歴史の中で「あこがれ」を探る

奈良女子大学教授 藤田盟児氏奈良女子大学教授 藤田盟児氏

奈良女子大学教授 藤田盟児氏は、「あこがれと和室」というテーマで、和室の誕生とそれが流行する過程から「あこがれ」について考察している。

平安時代の建物は天井が無く、梁などの躯体が見えるような寝殿造り。板の間に、座るところだけ畳を敷く形式で、身分によって座る場所や畳の縁(へり)の模様などが違っていた。和室の原型は、鎌倉時代の武家屋敷にあったデイ(客間)である。いわゆる、畳を敷き詰めた「座敷」であるが、そこは人が集まる場所であり、歌会などが催されていたという。そこで注目すべきは、歌の出来のいいものは、身分に関係なく上座に座れるということである。まさに能力で判断するという身分の平等を見せる場所であったのだ。また、正方形の座敷や水平のつり天井などの形も、平等であることを表しているのだという。「新しいスタイルというのは、社会的な背景と人間の本来の欲求から生まれてくる」(藤田氏)と言うように、身分制度がある社会背景の中で、平等を求める人間本来の本質的な欲求が形となったのが「和室」ということになる。

これはとても興味深い話で、あこがれである「和室」が全国に広がり、流行になったのも納得である。

明治大学客員研究員 後藤克史氏明治大学客員研究員 後藤克史氏

明治大学客員研究員の後藤克史氏は「インド・ムンバイにおけるアールデコ様式住居へのあこがれ」と題し、アールデコ様式がムンバイで流行した背景から「あこがれ」を考察している。

1930年代に欧米で流行したアールデコ様式は、ムンバイでもブームとなり、数多くのアールデコ様式の建物が建てられた。アールデコ調のシネマホールの建設や、庶民が憧れるマハラジャのような人々が、こぞってアールデコ様式の建物やインテリアを取り入れていった影響も大きいという。アールデコ様式の住居では、居室を廊下で繋げ、キッチンは奥につくるなど、機能的な間取りとなっている。それは先進的で、古い体制を打ち破る象徴であったようだ。

インドは古くからカースト制と呼ばれる身分制度があり、住む場所やコミュニティなどもさまざまな決まりや制限がある。そいう状況の中、数多くの人が同じ建物に住む、アールデコ様式の「集合住宅」が登場すると、隣に住む人が違う出身地であったり、違う宗教であったりと、多様な人を受け入れる暮らしが実現することになる。それは、平等を求める人々にとって、まさに「あこがれ」の住まいであった。このような背景も後押しし、アールデコ様式の住居が増えていったのである。そして、近代化が進み女性の社会進出が増えるなど生活の変化により、住まいの欧米化がさらに進んで行くことになった。

この事例においても、身分制度の中で平等を求める本質的な欲求、そして近代化という「あこがれ」が新しい住まいの形を作っていたのである。

ひと昔前と現在とを比較する

成城大学准教授 山本理奈氏成城大学准教授 山本理奈氏

成城大学准教授の山本理奈氏は、「高度成長期の住まいと暮らしから『あこがれ』を考える」というテーマで、「住まいの価値」や「まちの価値」という観点から「あこがれ」を考察している。(当日ご欠席されたので、住総研の道江専務理事が代わりに説明された)

不動産取引における住宅の場合、建物は時間とともに劣化し、価値も下がっていく。主に土地価格が景気に左右されて変化し、その価格が不動産としての価値になっているそうだ。しかし、「大切に長くすみ継がれた家は、新築では醸し出すことができない佇まいや趣が感じられる。これは、社会的価値と言えるのではないだろうか」というのが山本氏の問題提議である。

例えば、1958年に完成したテラスハウス形式をメインとした阿佐ヶ谷住宅では、長い間人々が住み継いできた時間の堆積性が、価値を生み出しているという。
また、緑豊かな環境が維持されている「成城」には、「成城憲章」というものがあり、成城のまちの景観の魅力である生垣や樹木に対する考え方などがまとめられている。これは強制力のあるものでも、義務でもないのだが、住民は自主的に守っている。それは、自分たちの住宅環境は自らつくり出し、維持していくと考えているからであろうというのが山本氏の分析。

この阿佐ヶ谷住宅や成城の例は、「あこがれ」の住まいと暮らしを考えるにあたり、「住まいの価値」や「まちの価値」というものが重要ではないのかというメッセージなのである。

諸外国と日本を比較する

LIFULL HOME'S総研 所長 島原万丈氏LIFULL HOME'S総研 所長 島原万丈氏

LIFULL HOME’S総研 所長の島原万丈氏のテーマ「日本とデンマークの比較でみる『幸福な暮らし像』」は、世界一幸せな国といわれているデンマークのコペンハーゲンと日本の、住まいに対する意識の違いを比較している。

コペンハーゲンの人にとっての住まいは、「自分のアイデンティティ」や「自己紹介」というものであり、手を加えながら「住まいを育てている」という感覚を持っているという。そして、自分の家に対する満足度は、日本よりも高い。どちらも持ち家志向は強いが、コペンハーゲンでは、家とはホームパーティなどで、常日頃から人を呼ぶ社交的な空間と捉えている。そして、各自が理想の家のイメージを明確にもっており、リフォームや模様替えなどの頻度も多い。一方日本では、家はプライベートな空間で、休憩やリラックスする場所と考えている。しかしながら、理想の家のイメージが希薄で、大手ハウスメーカーや雑誌で見るような家が理想になっている。そして、リフォームや模様替えなどの頻度は低い。

これらのアンケートの比較から「住まいを⾃らより良くしようという意欲と⾏動が、幸福な住まいをつくる。⽇本⼈の住まい⽅に⽋けていたのは、住むことへの主体性だった」(島原氏)という結論を導き出している。

住むことへの主体性がなければ「あこがれ」も生まれてこないわけだ。これが、建物に対して手間と時間をかけなくなった理由かも知れない。

京都橘大学教授 鈴木あるの氏京都橘大学教授 鈴木あるの氏

京都橘大学教授の鈴木あるの氏のテーマ「外国人から見た ”和” の住まい」は、外国人から見た「和」の文化や畳に対するイメージについてだ。

外国人の視点から見た和の住まいは、異文化に対する「あこがれ」であろうという。特に畳というのは、世界的にも珍しい床材であり、靴を脱いで直接床に座るという生活スタイルの日本を象徴するものである。鈴木氏が紹介した、日本を訪れた歴史上の人物が残した日本の住宅に対するコメントは、概ね評価が高かった。それは、家の建築様式だけでなく、襖や障子、調度品、庭なども含めた和の文化に対するものである。

しかし明治以降、日本の生活様式が欧米化することにより、日本の住まいも和洋折衷の住まいへと変化していく。そうして、日本独特の和の文化としての住まいが崩れることにより、日本の住まいに対する評価も変わっていくようになったという。

最近は和室のない家も増えてきており、日本においても昔ながらの和室の姿や生活スタイルが消えつつある。日本の畳は外国では人気が高い。しかし、手入れが難しい、家具との調和が難しいなど、さまざまな意見があるが、このあたりはどこまで基本を崩しながら対応していくかが課題であろう。再度、外国人から見た「和の住まいの良さ」を理解することで、これからの住まいに対するヒントが見つかるかもしれない。このままでは、畳も消えゆく伝統工芸になる日が来るかもしれないと感じた。

見た目の「インパクト」があこがれを生む

第56回住総研シンポジウム 会場風景(建築会館にて)第56回住総研シンポジウム 会場風景(建築会館にて)

後半に行われたパネルディスカッションでは、各テーマの補足や「あこがれ」という観点での意見交換がなされた。

「和室」や「アールデコ様式の住居」のように、あこがれの形が現れた時は、人はものすごいショックを受ける。「例えば、メジャーリーガーの大谷翔平さんが、今までの分業の野球ではなく、投げる、打つ、走る、をひとりでやるという、今までの常識を覆す存在を見たときに受ける衝撃のようなもの」(藤田氏)という例えがわかりやすい。つまり、「あこがれ」は、見た目のインパクトが大きい「形」にすることで、強く認識されるのである。

また、日本人はどこで人と交流をしているのかという質問に対して、「街のカフェやレストラン、ママ友やパパ友というコミュニティが多いのでは?」(島原氏)というように、その舞台は家の外が中心になっている。街のリノベーションなどが流行るのもそういう背景があるからであろう。

自分たちのことは意外とわからないものだ。そういう時には、外国人や他地域の人の声が参考になる。例えば「日本の和室はとてもシンプルで、ものがない美しさがあること。そして、いろんなところに手をかけており、美しく仕上げていることなど」(鈴木氏)が外国人から評価されている点だという。こういう外からの評価に耳を傾け「本来の良さを思い出させてもらう」(鈴木氏)ことが大事である。

さまざまな観点から、「あこがれ」が論じられてきたが、結論を出すというよりも、考えるきっかけを共有した形となった。この続きは、11月24日(水)に予定されている、第57回住総研シンポジウム「現代日本の住まいと暮らしーあこがれと現実のはざまで」で議論されることになる。現在の社会情勢を踏まえて、これから「あこがれ」の住まいと暮らしはどうなっていくのだろうか。
次のシンポジウムにも期待したい。

第56回住総研シンポジウム 会場風景(建築会館にて)平安時代の「あこがれ」から広まったという和室。これからの暮らしと住まいを牽引する「あこがれ」は生まれるのだろうか

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