まちの「終活」を考える

「2040年までに日本の自治体の半数、896の自治体が消滅の可能性にある」――。
これは2014年に『日本創生会議』人口減少問題検討分科会が公表した有名な推計だ。この推計をそのまま鵜呑みにするわけにはいかないものの、将来的に地域の人口減少が進んでいくことそのものは否定できない。多くの自治体が現在、地方創生の名のもとに地域の活性化に取り組んでいるが、一方で活性化一辺倒の対応は違和感を生じさせるという。
「人の終末医療と同じように、ムラにも『緩和ケア』が必要であり『終活』が求められているのではないか?」。そう語るのは、NPO法人ムラツムギ 代表理事の前田陽汰氏だ。

ムラツムギが行うのは、地域の活性化とは対極にある「ふるさとの看取り」。非常にナーバスな問題ではあるが、現実問題として、すべての地域が活性化にまい進できるわけではない。また住民自体もそれを望まないこともある。できる限りの持続をしながら、集落を閉じていく住民の悲しみや不安を少しでも取り除こうというのがムラツムギの活動だ。

地域の「エンディングノート」を考えるワークショップや、集落の家にまつわる思い出をつむぐ「家史」の作成といった活動、そしてそこに込められた思いを聞いた。

ムラツムギでは、まちの終活の一環として「家史」の作成を行うムラツムギでは、まちの終活の一環として「家史」の作成を行う

ふるさとの看取りを担う3つの活動

代表理事の前田氏が共同代表の田中佑典氏とNPO法人 ムラツムギを立ち上げたのは、まだ大学生だった2019年のことだ。高校時代には釣り好きが高じて、島外留学を受け入れる島根県・海士町で過ごした。海士町といえば、地域活性化に成功した代名詞のような町だ。しかし、前田氏が釣りを通して親しくなった地域の人々の中には活性化を望んでいない人もいたという。

「出会った地元のおっちゃんたちが語ったのは、『息子も帰ってはこないし、集落は無住化する』というような内容でした。それも一つの選択なのに、集落の方向性が選択肢として活性化しか語られない問題を感じました。個人に対しては、緩和ケアという終末医療の考え方があるのに、人間の集合体であるムラにない。それを地域にも適用させた方が、そこに住む人々は幸せな選択をできるのではないかと考えました」

そんな考えを周囲に話していたところ、同じく「ふるさとの看取り」を提唱していた当時総務省に勤めていた田中佑典氏と出会い、共同代表として立ち上げたのがこの「ムラツムギ」である。取り組みには大きく分けて3つの柱がある。1つ目が地域の「終活」という考え方の啓発・発信の取り組みだ。ここではFacebookグループに「ムラツムギVillage」を形成し、年に数回この分野に関心のある有識者をゲストに招いての意見交流などを行っている。今では500人以上がメンバーとして参加し、日本全国の集落やまちの今後が共有されていく。
2つ目は、集落での実践的な取り組みだ。どのようにしたら住民が生き生きとしながら集落の「終活」をすることができるのか。第三者の視点も交えながら、フィールドワークやワークショップで集落の課題と今後力を入れるべき点の見える化を図る。
そして3つ目が「家史」の作成だ。これは、集落の空き家などの古い建物の記憶を記録に残す取り組み。2020年には、一般社団法人全国古民家再生協会と包括協定を結び、村の終活のひとつとして位置づけている。

お話をうかがったNPO法人ムラツムギ 代表理事の前田陽汰氏お話をうかがったNPO法人ムラツムギ 代表理事の前田陽汰氏

空き家問題で、所有者の想いを昇華する「家史」

なぜ、「家史」の作成に取り組んだのか? 前田氏は、次のように語ってくれた。

「まちの終活というと、かなり大きな話になるため、もう少し身近な取り組みとしてどの地域でも課題となる“空き家”に焦点をあてました。われわれが考えたのは、ハード的な建物自体の課題の解決ではなく“所有者の思いの昇華”でした。借家にしたり売りに出せないハードルの1つには、心理的な要因があります。その部分を解いてもらうために家史を企画したのです」

家史は、40ページ・フルカバーの立派な冊子だ。単純にその家の人だけでなく、例えばその家に昔遊びに来ていた集落の人々、その家を建てた大工さんのお孫さんといった方々にヒアリングをしながら家にまつわる思い出を形に残す。コミュニティの中の大事な存在としての「家」として捉えるかたちだ。いったん、家の歴史やそこにまつわる思い出を形にすることで、次のステップに進むための区切りとして「家史」は役立つのではという。

取材に際してのこだわりは、まず家の所有者や管理者のみならず、地域の人々に広くインタビューを行う点、そして本当の思いを語っていただけるように、例え既に空き家となり建物の状態が良くなくても、その家に赴いて取材をすることにこだわっている。

「正直、住めるような状態ではなくとも、ブルーシートや座布団を持っていって、必ずその家に相対してもらいお話を聞いています。当時の写真を持ってきていただいたり、沈黙が長くなってしまっても言葉が出てくるまで待ったり、残したい思いを漏らさないように丁寧に作らせていただいています」

カメラで思い出を捉えることにももちろん注力し、時に屋根裏へあがり上棟日と大工の名前が残る墨書きなども写真に収める。これだけのクオリティを出すとなると商業ベースであれば費用がかかるはずだ。しかし「家史」は価格を抑えて提供できる。「NPOだからこその取り組み」と前田氏は話す。

一般社団法人全国古民家再生協会より依頼された案件では、移築される古民家の「家史」を担当した。一般社団法人全国古民家再生協会では、この4月から古民家の建材を利用して、関東などで新築住宅を提供する新たなプロジェクトを計画している。今回、その移築元の明治時代の古民家の歴史を「家史」として作成したのだ。もちろん、元の所有者や地域の方の思い出を形に残すという意味もあるが、移築先でその歴史や価値をきちんと受け止めてもらう狙いもある。依頼した一般社団法人全国古民家再生協会 滋賀代表理事の大森敏昭氏は家史の感想を次のように語る。

「家史をつくることで、記録に残ってない地元の話を聞くことができたんです。移築元の家は医師の家系で、今でいえば診療所のような存在でした。今みたいに単に病気を見るんではなくて、それこそ地域の人々が栄養を取れるように農業指導をしたり、子どもたちをお風呂に入れて衛生面を整えたりと、地域の生活を根底から支えていたことが今回の家史のために地域のお年寄りに話を聞くことで分かったのです。かけがえのない歴史ですよね。そのほかにも、家史では今ではなかなか手に入れることのできない建材の素晴らしや工法の職人技もしっかりと書かれています。解体してみないと分からない構造もこのタイミングだからこそ写真で残せる。移築先の方にとってもこの家の歴史や価値を感じてもらえるもと思っています」

「所有者の思いの昇華」を大切にして作成される「家史」「所有者の思いの昇華」を大切にして作成される「家史」

まちの終活は、漠然とした不安を払拭させる可視化がポイント

「家史」は、個に引き寄せた活動だとすると、集落での実践的なムラツムギの活動は、まさに「まちの終活」に他ならない。フィールドワークやワークショップを行い、集落の不安や課題を可視化し、整理しながら必要なものと注力点を探っていく。

「生活の中でやりたいことをやるために、やりたくないことをがんばらなきゃいけない。というのは往々にしてあります。ですが、やりたくないことのためにしんどいことをしているという矛盾もあるはずです。これが、集落の中にいるとなかなか見えてこない。そこで我々が間に入ることで、客観的に整理をしながら、どこに集落として注力をしながら、集落を閉じていくかを描く。それがエンディングノートであり、まちの『終活』になります」

漠然とした不安のままでいるから、先が見えない。でも、できること、できないこと。やりたいこと、やりたくないことを明確にして、いまある力をどのように振り分けていくか。見定めることができれば、人は安心できる。それを集落単位で行っているのだ。

「令和2年には、京都府の2地域で4回ワークショップの開催に携わらせていただきましたが、色々と地域の要望を聞いていくと力点が分かってくるんですね。例えば、子どものいない集落で教育に力を入れる必要はない。何を残して、何をやめていくかが見えてきたことでやはり住民の漠然とした不安というのは少し薄らいでいきます。思考が何をすべきかにシフトしていくんですね。まだまだ模索していますが、ある意味『能動的な“縮小”』に希望を持ってすすんでいるという感じはします」

ワークショップでは、「楽しみなこと」「しんどいこと」集落の課題を客観的に可視化し、ゆるやかに集落を閉じるための注力点をさぐるワークショップでは、「楽しみなこと」「しんどいこと」集落の課題を客観的に可視化し、ゆるやかに集落を閉じるための注力点をさぐる

「集落を閉じる」という1つの選択

ムラツムギが行っているのは、医療に例えると、「対処療法を行う延命ではなく、終末医療の緩和ケアであり、健康寿命を延ばすための予防」。だが、前田氏は、早くこうした医療の例えをしなくても「まちの終活」がイメージしてもらえるように、具体的な活動に落とし込んでいきたいという。

京都で行ったワークショップの活動もしかり、「家史」もさらに活動の枠をより具体的に、かつ広げていきたいという。

「『家史』でインタビューをする人というのは、いわば傾聴師だと思うんです。機械的に話を聞くのではなく、その方々に寄り添う。家史制作を通じて、全国に傾聴師を養成していけると、社会の役に立てるのではとも考えています」

かつて、林業が盛んだったころには、日本にはその労働者が集まり集落を形成した「枝村」が多数存在したという。それが林業の衰退によって、いまではすっかり村ごと姿を消した。実は集落というのは、そんな風に流動的なものだったのかもしれない。いつからか、一度できた集落を解体することに抗うようになったことは、もしかしたら人間のエゴなのかもしれない。ムラツムギの活動は、そんな自然の摂理と住まう人の幸福の1つの形を叶えていく大切な選択肢なのだろう。

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