建築の、今ここにある様を「寿ぐ(ことほぐ)」
全国の近代建築の多くは高齢化を迎えている。
熊本も例外ではなく、かつての荘厳な建物や、時代を写すディテール・機能美などを残す建物は、残念ながら取り壊されてしまったものも多い。例えば、旧第一勧業銀行熊本支店(設計:日本勧業銀行営繕部)や、肥後銀行旧本店(設計:渡辺節)、熊本市上下水道局舎(設計:村野藤吾)熊本逓信病院(設計:山田守)などもそうである。
そんな中、熊本ではユニークな取り組みが行われているという。それが今回取り上げる「けんちく寿プロジェクト」である。
2010年に始まった「けんちく寿プロジェクト」のウェブサイトには、
「建物の誕生は、夢が叶い期待が膨らむ初々しくも喜ばしいできごとです。そのお祝いは盛大に行われ、おそらくその建物にとって最も晴れがましい瞬間でしょう。我々も大いに注目し、話題にするのはこの新築時です。そして、次に注目を浴びるのは、取り壊しや建て替えの頃だというケースも少なくありません。しかし、その間の経年の様子は、見過ごされがちで、現役で活躍中の建築の姿には、あまり目を向けてこなかったような気がします。 そのような中にあって、我々は、熊本における建築の経年を人生に例え、二十歳や還暦などといった建築が歳を重ねてきた節目を祝うプロジェクトを始めました」とある。【寿】ことーぶき(祝いの言葉を言うこと。めでたいこと。命の長いこと)を使うことで、建物そのものの節目を祝い、建物との在り方を見直そうという取り組みである。
今回、「けんちく寿プロジェクト」実行委員の、西嶋公一さん(NPO法人熊本まちなみトラスト理事)と田中智之さん(熊本大学大学院准教授)にお話を聞いてきた。
建物と、人と街の在り方に感じた違和感
左が発案者の西嶋公一さん。建築は専門ではないが大好きで、国内や海外のマニアックな建築を見に行くのが趣味だという。右が田中智之さん。熊本の街は「ポリフォニックシティ」(一見無秩序なようでいて、全体として纏まり響き合う街)だと評する(写真:山口)20代の頃から建物の保存活動に関わっている西嶋さんは、活動を通してずっと、保存運動に対するある種の違和感を感じていたという。サイトの趣意にも書かれているように、建物が話題になるのは、お祝いムードの新築時で、次に注目を浴びるのは解体や建て替えの時、というケースが少なくないからだ。
「壊すことが決まった後に、メディアや人々がそこへ押しかける。このアプローチに非常に違和感を感じるんです。一般的には要望書を出すなどして保存運動を行いますが、どうしてもそれは所有者や地権者と敵対的な関係になってしまう。もっと違う関係の作り方はできないかと考えていました。」(西嶋さん)
けんちく寿プロジェクトは、西嶋さんが田中先生を含む県内の大学の建築専門家3人(熊本大学五高記念館の磯田佳史客員教授・崇城大学の西郷正浩准教授)にその想いを相談したところから始まった。
「普通に日常の中にある建物が、現役中の姿の時にもっと注目されてもよいのではないか。新築時がMAXではなく、もっと年を経るごとに良くなるという価値があってもいいのではないか。」
そこで着想したのが、「節目を祝う」ことだった。誕生を祝い、成人を祝い、長寿を祝う。そんな人の人生の節目になぞらえて、建物の現役を祝う。節目節目の祝う機会を設けることで、所有者・地権者や街の人が、建物と関わり、知り、愛着を持つきっかけになればと考えたのだ。
2010年から毎年取り組みを続けてきた中、2016年に熊本では大きな地震が起き、数々の建物が被災した。建物の保存活動での想いをきっかけに始めたプロジェクトだったが、人の人生と同じように「建築も、いずれ無くなっていくもの」との実感が強まったという。取り組み自体にも少し変化があった。
以下、これまでの活動を紹介しよう。
これまでの寿ぎ(ことほぎ)
第1回は、2010年の熊本北警察署の成人(20歳)の寿ぎ。
1990年、くまもとアートポリス(※くまもとアートポリス事業…建築や都市計画を通しての文化の向上を図ろうというコンセプトで1988年から実施されている熊本県の事業)の第1号として建てられた北署(現熊本中央警察署)は、前面ガラス張りの逆三角型とインパクトのあるデザインながら、警察署という性質上、普段なかなか市民に開けた建物とは言い難い。当日は、建物の内部を見学し、建築担当者らのメッセージを読み上げたり、設計、構造、施工、設備関係のプレゼンテーションと座談会を設けた。参加者は延べ90名ほど。いつもは触れることのない街の「建築」の造り手の想いに触れ、その節目を祝った。
2011年の第2回は、その年に建てられた熊本市医師会館・看護専門学校の誕生と、熊本県医師会館の厄晴れ(44歳)を、併せて祝った。2012年の第3回は山田守設計の熊本逓信病院(現くまもと森都総合病院)のほぼ還暦(56歳)を祝った。その後、第4回「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の九州学院高等学校講堂礼拝堂の卒寿(90歳)」第5回「菊竹清訓設計の熊本県伝統工芸館の厄晴れ」(34歳)、第6回「八代市立博物館未来の森ミュージアムの小厄」(25歳)と回を重ねてきた。
各回、施設内外の見学の後、設計者やその関係者による座談会を行い、建物の設計やディテールに込められた想い・裏話などを聞き、セレモニーでは、所有者や施設管理者に「ことぶかせ隊」のメンバー(熊本大学田中研究室の学生達)が祝いの記念品を贈呈した。記念品は、彼らが制作したメモリアルフォトやムービーなどだ。回によっては100人近くの人が集まる盛況ぶりだったとか。やはり建築関係の人や学生が多いが、1/4ほどは建築とは関係のない一般の人が参加している。
熊本地震後の第7回は、少し趣を変え、阿蘇の孤風院を舞台に選んだ。孤風院は、建築家木島安史が自身の設計した旧熊本高等工業学校の講堂を、その取り壊しが決まった際に阿蘇に自宅として移築したもの。築年数は当時110年。幸い地震による大きな損壊はなかった。片付けを手伝い、被害を受けた建具の改修に伴う引き戸のデザインコンペを行った。初の個人住宅ということもあり、少人数で執り行ったそう。
地震後、これまでに祝った建物の追跡レポートが出された。厄晴れを祝った熊本県医師会館・ほぼ還暦を祝った熊本逓信病院の建物は既に現存しない。前者は地震前から建て替えが決まっており、後者は新病院への移転に伴い解体された。建物は、いずれは終わりを迎える。ちなみに、熊本逓信病院と昨年末に解体された熊本市役所花畑町別館(旧熊本貯金支局)はともに、逓信建築の先駆者と言われる山田守の設計で、DOCOMOMO Japan(※モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織)が現存する日本の近代建築として選定した184件のうちの2つであった。
今年、3月16~18日に開催された第8回は、「花畑町別館にまつわる6つの問いかけ」として上述の熊本市役所花畑町別館の保存された部材展示と、山田守の人間像や彼の建築について語り継ぐことを目的としたイベントを行った。
「良い建築」について共に考えたい
「一般の人は『良い建築とは何か』ということを、実はあまり考えたことがないですよね。私は『良い建築』というのは、人によってそれぞれ違ってもいいと思います。」(田中さん)
戦後、日本の多くの街は、同じような建物が路地を埋め、均質化されてしまった。また、20〜30年という短期的なサイクルで建物は建て替えられていく。街自体が移り変わるなか、自宅や近隣といった親しい建物以外に、市民が主体的に街の「建築」と関わるような機会はおそらくほとんどないだろう。伝統建築であれ、デザイン性の高い最新建築であれ、自らと関わりがなく、作り手の意図もわからない「ハコモノ」に、人々は愛着を持たない。
「古い建物が残り、アートポリスのような新しいデザインの建築も次々と生み出され、しかもそれが混在している街は、実は他にあまりありません。私は、熊本は建築的に見てもとてもおもしろい街だと思います。でも、街の人からはそれらの建物への不満を耳にします。ただその不満をよく聞くと、本人の体験やモノサシに基づいた意見ではないことも多いと感じました。人々が自らのモノサシで街や建築の良し悪しを判断する、その材料になる情報や機会を市民に提供するのも、私達の役割かなと考えています。」(田中さん)
「街を歩いていて、目に入るものって、建物と道路と並木と車と人と空ですよね。日常にあるほとんどの空間は『土木と建築と自然』に囲まれています。認識している人は少ないかもしれませんが、建築が人に与える影響は相当なものですよ。『良い建築』『良い空間』をもっと市民は求めていいと思います。」(西嶋さん)
例えばヨーロッパの都市では、建築物の建て替えを検討する際、きちんと情報が提供され、市民が集まり、自分の言葉で議論に加わるそう。日本でも市民が主体性を持って街や街をつくる建物を考えるような文化がつくれたら理想だ。
西嶋さんは、「けんちく寿プロジェクトは保存運動ではない」と言う。
古い建物を取り壊して再建する際、放っておくと高度利用のツルツルピカピカな建物に成り代わってしまいかねない。既存の建物そのものを保存することは難しいが、「良いものがあったなぁ」という人々の想いや知識、価値の体験を通し、市民の愛着を喚起して、街のどこかにそれらのエッセンスを汲んだものが紡がれていくことを目指しているそう。
ちなみに、プロジェクト名を「けんちく」と平仮名表記にしたのは、小難しく考えず、もっと市民に建築と関わってほしいから。一朝一夕にはいかないからこそ、ゆっくりと熊本の街と建築と人々の関わり方を模索していくようだ。
■取材協力:けんちく寿プロジェクト
http://kenchiku-kotobuki.com
公開日:





