東京の「奥座敷」と称される熱海に残る別荘

古くからの湯治場であった熱海は、その後発展を遂げ、リゾートホテルやマンションなどが建ち並ぶ古くからの湯治場であった熱海は、その後発展を遂げ、リゾートホテルやマンションなどが建ち並ぶ

熱海は、言わずと知れた古くからの湯治の地である。鎌倉時代の文献には、日興上人が美作房日保に熱海湯治をすすめたという記録があるといい、当時から知られていたことを物語る。徳川家康も熱海に湯治に来たようだ。熱海の地名は、古くは「阿多美」と称されていたが、海から熱い湯が湧き出ていたことから「熱海」という漢字があてられたという。
明治期は、尾崎紅葉の『金色夜叉』のベストセラーにより、「貫一・お宮」の名前とともに熱海の名は全国に知られた。その後、昭和初期~昭和30年代海外旅行がまだ一般的ではなかった時代には、宮崎とともに「新婚旅行のメッカ」と呼ばれた。

熱海はまた、東京から近いこともあり要人や富裕層の別荘としても好まれた。
相模湾を見下ろす斜面地に、企業や富裕層の塀に囲まれた和風、洋風の別荘が点在している。中でも名邸として有名な別荘には、「熱海の三大別荘」と呼ばれる岩崎別荘(熱海陽和洞 ※非公開)、住友別荘(現在は無くなっている)、起雲閣(一時、旅館として使用。現在は一般公開中)がある。

今回、リノベーション後の竣工内覧会で見学させていただいた建物は、丹那トンネル開通(1934年、昭和9年)以降急速に増えた民間別荘のひとつ。その後、別荘ブームのピークは、日本の高度経済成長やバブル期にまたがる昭和50年〜60年頃まで続き、軽井沢や箱根、熱海などのリゾート開発が進められてきた。バブル好景気が終わると、価格も下落し取引も減少した。人知れず継がれてきた建築価値のある別荘も、活用の問題や維持管理の問題などから様々な人の手にわたり、所有者が変わるたびに無くなる危機にさらされていることもあるようだ。

1939年に製紙系財閥の別荘として建てられ、今回、次世代につなぐ…という想いでリノベーションされた熱海「陽明館」を取材してきた。

製紙系財閥の別荘だった陽明館

熱海の駅から坂を上り、道路からさらに少し奥まったところにその建物はある。門から石段を上がって、新緑の季節には緑が濃く影を落す静かな玄関から、建物の中、右手に入ると、洋室から和室にかけて見事に開放感のある一面の窓である。縁側や庭からは、相模湾に浮かぶ初島・伊豆大島の景色が拡がる。まさに熱海の景勝地に建てられた「別荘」からの眺めである。

「陽明館」は、1939年(昭和14年)に製紙系財閥の別荘として建てられた。その後複数の所有者の手に渡り、現在某法人団体によって管理され、施設として活用されている。多少改装はされてきたものの、建物はほぼそのまま残っており、老朽化していた。

今回のリノベーションのきっかけは、隣接する道路の拡張工事計画だった。お茶会等で利用していた法人団体のメンバーのひとりが、「道路の拡張工事計画があり、この建物を壊すかどうか検討している」という話を聞き、“こんな素敵な建物をもったいない…”と思ったという。

たまたま、遊休不動産の利活用を通して地域再生をめざし、リノベーションの実践技術を学ぶ場として開設された2014年の熱海リノベーションスクールに参加していた。その縁から、“こんな建物があるのだけど、なんとかならないものでしょうか”と、リノベーションスクールのユニットマスターでもあった設計事務所ブルースタジオの大島芳彦さんに相談したのが始まりだった。この縁が、もうひとつの縁を結ぶことになる。

陽明館の内覧会、この日はブルースタジオの大島さん含めて、スタッフが和服でお出迎え。</br>実は、陽明館と大島さんの間にはある縁があった陽明館の内覧会、この日はブルースタジオの大島さん含めて、スタッフが和服でお出迎え。
実は、陽明館と大島さんの間にはある縁があった

不思議な縁で、祖父が所有していた別荘をリノベーション

相談を受けたブルースタジオの大島さんは、その建物の写真を見て驚いたという。何故なら、この建物に見覚えがあったからだ。

「この別荘の写真を見たときに、家にある写真を思い出したんです。これは、もしかして…と。調べてみると、やはり自分の祖父が一時期所有していた別荘でした」という。

大島さんの祖父、大島芳春氏は全日本不動産協会創設と宅地建物業法施行に尽力した人物であり初代協会副会長であったという。芳春氏が戦後から、現在の持ち主である法人団体が取得に至るまでの間、所有していたのがこの別荘であった。

依頼を受けた大島さんは、まずは建物を昭和初期別荘建築特有の趣のあるものに復元したいと考えた。
「今回、この不思議なご縁をいただいて、もう一度家に残された写真を探し出し、じっくりと見直しました。できるだけ、当時の建築した人々の思想を理解し、それを現代なりに再解釈したい、と思ったのです。当時の熱海の別荘建築の特徴は、立地ゆえの素晴らしい眺望をふんだんに建築や庭園に取り込むこと。建物全体ではそんなに手は入れられていないものの、修繕や耐震補強は必要ですし、一部2階の窓なども網戸のサッシなどに取り換えられていて印象にそぐわないものがあり、とり替えました。」

耐震補強では、内側の壁面をいったん剥がして耐震壁を入れている。道路計画がある側の部屋は一部を減築し、とった外壁の補強を補助するための納戸を外側に付けているという。

リノベーションの設計を担当したひとりブルースタジオの関さんは、
「調査や修繕を進める中、昔の大工さんの技術に“なぜ、こんなことをしているのだろう”と不思議に思ったり、手の込んだ意匠に感心したりしました。なかなか、こういった古い別荘建築をリノベーションする機会はありませんので、勉強になりました」という。

写真右:陽明館の玄関。昭和戦前期に建てられているが、当時の和洋折衷の様相が見える</br>写真左上:和室と入側。一面の窓からの景色は、初島・伊豆大島を望み、高台に建つ建物ならではの絶景</br>写真左下:大島家が所有していた頃の陽明館。縁高欄を附した楼閣風の2階がみえる写真右:陽明館の玄関。昭和戦前期に建てられているが、当時の和洋折衷の様相が見える
写真左上:和室と入側。一面の窓からの景色は、初島・伊豆大島を望み、高台に建つ建物ならではの絶景
写真左下:大島家が所有していた頃の陽明館。縁高欄を附した楼閣風の2階がみえる

次世代へ引き継がれる別荘として……

建物を次世代に継ぎつづけることは、いろいろな意味でなかなかに大変である。先に述べた継ぐ人たちの管理や維持の負担の問題や、土地の活用の観点、一概に古いものが良いともいえない。
別荘地においては、古い建物がつくってきたまち全体の景観が失われていく……などの危機感を述べる人もいる。

陽明館も、たぶん今までも、建替えや更地にするなど、建物の保存の危機はあったのかもしれない。稀有な縁により、今回も奇跡的に“次世代につなぐ”建物として生き返った。現在は、一般公開されていないが、法人団体の施設として使われる予定だという。改めて、人の思いがあって建物が継がれることを感じさせてくれる取材であった。

今回の陽明館のリノベーション計画では、昼間の陽の光だけでなく夜間の照明計画にも気を使ったという。大島さんは、
「行灯(あんどん)が灯っているような、柔らかく温かな趣のある建物にしたかった。強い光ではなく、別荘にふさわしい安らぎのある光の演出をしました」という。

その意図とおり、灯りのともった陽明館が夕暮れに浮かぶ姿は、いろいろな人々の歴史とともに生きてきた温かみと趣を感じさせてくれた。

昭和戦前期に建築された陽明館。次世代へ「つかい継ぐ」ことを目的として、大規模修繕および耐震改修工事に加え、</br>次世代の交流の場としての機能を備えて再生された昭和戦前期に建築された陽明館。次世代へ「つかい継ぐ」ことを目的として、大規模修繕および耐震改修工事に加え、
次世代の交流の場としての機能を備えて再生された

2017年 08月19日 11時00分