岐阜の「つくる」を担うクリエーターが集結した「まちでつくるビル」
名鉄岐阜駅・JR岐阜駅から徒歩15分の場所にある美殿町商店街。創業100年を超える老舗商店が並ぶ小さな商店街に、ある変化が起きている。
変化のきっかけとなったのは2013年4月にオープンした「まちでつくるビル」の誕生だ。
このビル、商店街の中にあった遊休不動産、つまり空きビルをリノベーションする形で新しく生まれ変わったビル。小さな部屋をいくつも作るのではなく、1フロアをシェアする形でデザイナー、ライター、イラストレーターなど、クリエーターたちが集まり、アトリエやオフィスとして稼働させている。
「まちでつくるビル」は、もともと商店街の老舗・安田屋家具店のショールームとして使っていたもの。オーナーが住まいとして使う5階以外、1階~4階が空き店舗となっていた。イベントなどで使用することはあっても、それ以外は、倉庫として使われていたのだそう。
安田屋家具店のオーナーであり、美殿町商店街振興組合の理事長を務める鷲見浩一さんは、ここ数年の商店街をこう振り返る。
「4年ほど前ですかね。商店街を眺めながらふと思ったんです。10年後の商店街ははどうなっているかなと。このままいくと10年後に残っているお店は3、4軒になってしまう。街の価値を高めると同時に、空き店舗に新しい人が入ってくれるような仕組みを考えなくてはと思い始めました」。
そんななか、まちづくり活動の推進を図る一般財団法人 岐阜市にぎわいまち公社の支援を受け、商店街に新規創業を呼び込み、活気を取り戻すための環境作りがスタート。「つくるがある町」をコンセプトに魅力的なまちづくりに取り組むことに。「まちでつくるビル」内の有志で結成した「まちづくり委員会」と、商店街振興組合が協働で開催する「つくる市」は、木工、ガラス、アクセサリー、お菓子など“つくる”をテーマにしたマーケットで、出展者希望者が募集枠の3倍も集まる人気イベントとなった。
こうした取り組みが評価され、2013年度経済産業省「がんばる商店街30選」にも選ばれた。
店主・お客も高齢化した商店街。「まちでつくるビル」が活性化の足がかりに
全国的にも名が知れた繁華街・柳ヶ瀬商店街の東に位置し、昭和の頃には“東柳ヶ瀬”を名乗っていた美殿町商店街。
「当時はこの通りに路面電車が走っていて、商店街の西端に終着駅ができたことで、柳ヶ瀬に飲みにくるお客さんたちでにぎわっていたんですよ」と鷲見さん。
しかし、ここも例にもれず空き店舗が目立つように。高級布団、家具、履物、和服など、婚礼にまつわるお店が集まっていたこともあり、各商店のブランド力はあるものの、店主、お客ともに高齢化していた。
「今は固定客でなんとか商いをしているけれど、お客さんは高齢になり、その下の世代は集客できていない。恩恵を受けていた柳ヶ瀬商店街も昔ほどにぎわっていない。これではいけない、何かしなくてはと考えていました」(鷲見さん)。
まずは、商店街の知名度をあげようと、10年ほど前に若手有志が中心となりイラストマップを制作。
「岐阜に住む人ならば「美殿町」の名前くらいは知っているだろうと思っていましたが、実際はタクシーの運転手さんも、駅前の観光案内所の人も名前すら知らないとわかって、ショックでしたね」。
現在、マップは2年に一度刷新し、市内のホテルや観光地に置いて知名度アップを図っている。また、SNSで交流のあったアンティーク着物愛好家らと組んで、商店街の路上で行う「キモノマーケット」を開催。春と秋、京都や奈良からカリスマ的存在の出店者を集め、全国各地から愛好家が集まる人気のイベントとなっている。
それでも、イベントの際には人が集まるが日常にお客さんが増える様子もなく、取り壊しを検討する商店がチラホラ。
「店が取り壊され更地になってしまえば、“商店街”ではなくなってしまう。なんとか回避しなくては」と、解決策を練っていたところへ、「まちでつくるビル」が追い風となり、商店街活性の大きな足がかりとなった。
自宅で創作活動をしていた人たちが、街のなかで「つくる」ということ
「まちでつくるビル」の仕掛け人は、前出の公社と協同し空きビル再生プロジェクトに携わっている株式会社ミユキデザイン取締役の大前貴裕さん。自身も「まちでつくるビル」の入居者である。
「近い価値観を持った人は、同じようなものを好む傾向があるし、その人たちのお客さんもまた共感しあえるはず。そういう人たちを、一つのビルに集めたら面白いことができるのでは」という、大前さんのアイデアを実現したのが「まちでつくるビル」。自宅で創作活動をしてきた人たちが、街の中にでてきて「つくる」。それがこの「まちでつくるビル」のネーミングの由来にもなっているのだ。内装工事の一部は、入居者と商店街関係者、鷲見さんらでDIY。自分たちのワークスペースとともに、商店街の人たちとのコミュニケーションもつくり上げていった。
ビル入居の際には審査がある。前提は「つくる人」であること。そのうえで、「まちでつくるビル」の価値観に似合う人かどうかをチェックするのだそう。現在、1階はカフェ、2階はアトリエ、3、4階はオフィスとして使用しており、10の「つくる人」が入居し、あえて扉をつけたり壁を作ったりはせず、1フロアをカーテンや本棚で仕切るだけのゆるいシェアをしている。価値観のあうもの同士だからできるシェアともいえよう。
「アーティスト気質の人たちというのは名刺をもって自ら営業するということが苦手な人が多いですよね。飛び込みの営業をしたとしても、効果的な方法とはいえない。それが、このビル内で似たような価値観で似たような仕事をしている人と一緒にいることで、仕事を頼んだり頼まれたりという、相乗効果も出てきています」と大前さん。美殿町商店街のホームページや、街を紹介するガイドブックも、ビルに入居するデザイナー、フォトグラファー、編集者らが一緒になって制作したのだとか。仕事道具を共有したり、仕事を依頼したり、共同で制作活動をしたりといった化学反応も生まれているようだ。
近隣のシェアビルには岐阜大学のサテライト研究室が開設
商店街のなかにはもう一軒、街に新しい流れを生み出しているビルがある。「まちでつくるビル」のはす向かいにある「矢沢ビル」だ。
アパートと飲食店が入るこのビルのオーナーは、東京在住。親族から相続したはいいが、管理ができないとの理由で取り壊しを検討していた。そこを、ミユキデザインや商店街振興組合が介入し、古書店「徒然舎」を1階に誘致。2階には今年の5月、岐阜大学工学部・都市景観研究室のサテライト研究室として「美殿町ラボ」が開設された。オープンにあたり、学生たちも参加し昨年10月から解体、床はり、ペンキ塗りなど、部屋のリノベーションに取り掛かった。
住民や商店街の空気にふれ、実際の“まち”を体験する課外学習の場であり、都市の景観や再生を研究する拠点となっている。
さらに、美殿町商店街を出てすぐのところにある「カンダマチノート」という、シェアアトリエビルもミユキデザインが手掛けたもの。もともとは雀荘とビルオーナーの自宅として使われていた建物をおしゃれに改装。こちらもデザイナー、芸術家、作家、ウェディングプランナーなどが入居しているという。
この狭いエリアに続々と誕生しているシェアアトリエビルのおかげで、商店街周辺の人通りは増え、年齢層も若くなってきたと鷲見さん。
シェアビルに入居している人、そこを訪れる客、ラボに集まる学生など、若い世代の人たちが商店街を回遊する。
「お昼時になると若い人たちが商店街の飲食店へランチを食べに行ったりしてね。商店街の雰囲気がずいぶん明るく変わりました」と鷲見さんは嬉しそうに話してくれた。
お隣の柳ヶ瀬商店街を参考に「つくる」がキーワードの街づくりは進む
「まちでつくるビル」、「矢沢ビル」が参考にしていたのが、通りを挟んだ西側にある柳ヶ瀬商店街の「アトリエ&ギャラリーショップ やながせ倉庫」、通称「やな倉」だ。昭和30年に建てられた迷路のような古いビルをそのまま生かして作られた、雑貨、古着屋、アトリエ、カフェなどがひしめく、まさに“おもちゃ箱をひっくり返したような”お店の集合体である。
「『まちでつくるビル」も当初は『やな倉』のような小売店を目指していましたが、なかなかうまくはいかず、別の方向性を探っていくなかで“つくる”人を集めたシェアビルという答えにたどり着きました」(大前さん)。
柳ヶ瀬商店街では毎月第3日曜にクリエイターたちが集まる「サンデービルヂングマーケット」も開催されている。県内外からの「つくる人」による手作り雑貨、美味しいスイーツにコーヒー、海外で買い付けたアンティーク雑貨など、心くすぐるモノが並ぶマーケットは、毎回出店希望が殺到、来場者も増え続けている盛況ぶりだ。さらに、マーケットの出展者の中から厳選し、週末限定の「WEEKEND BUILDING STORES」を設置。空きビルを週末だけ開放し、お試しで商店街にお店が持てるという企画も実施している。
商店街として隆盛を極めてきた柳ヶ瀬と美殿町。今は「つくる」をキーワードにした街づくりで、相乗効果を期待したいところ。
創業から100年続く「つくる」と、新しい「つくる」がある美殿町。新旧のつくり手が紡ぎだす、商店街の新しい形はどんな未来をつくっていくのだろうか。
◆美殿町商店街
http://mitonomachi.com/
◆サンデービルヂングマーケット
http://ysbmkt.com/
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