伊勢神宮125の宮社の中で頂点に位地する『外宮』と『内宮』と共に
発展を遂げてきた『憧れの観光地』

▲外宮・豊受大神宮。外宮は天照大神の“食を司る神様”とされ、古くは農民たちからの信仰を集めていた。伊勢神宮詣での際には、外宮での参拝を終えてから内宮を訪れるのが慣わしで、どちらか一方だけの場合は『片参り』と呼ばれている▲外宮・豊受大神宮。外宮は天照大神の“食を司る神様”とされ、古くは農民たちからの信仰を集めていた。伊勢神宮詣での際には、外宮での参拝を終えてから内宮を訪れるのが慣わしで、どちらか一方だけの場合は『片参り』と呼ばれている

2013(平成25)年におこなわれた第62回神宮式年遷宮をきっかけにして、改めて“お伊勢さん”こと『伊勢神宮』について興味を持った方も多いことだろう。

筆者自身も恥ずかしながら、伊勢神宮というのは全部で125の宮社の集合体であることを前回の遷宮で初めて知ったのだが、その125社の中でも『御正宮(ごしょうぐう)』とされ馴染みが深いのが、天照大神(あまてらすおおみかみ)をお祭りする内宮・皇大神宮(こうたいじんぐう)と、豊受大神(とようけのおおみかみ)をお祭りする外宮・豊受大神宮(とようけだいじんぐう)である。

『内宮』と『外宮』。ふたつの『御正宮』周辺では、お伊勢さんへ集団参詣する『お陰参り』の参拝客をもてなすために様々な商店や旅館が建ち並び、古くから『憧れの観光地』として位置づけられ、全国から訪れる人々を惹きつけながら地域の発展を遂げてきた。

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先日レポートした【人を呼ぶまちづくり①】では、伊勢神宮内宮前の『伊勢おはらい町』のまちづくりについてクローズアップしたが、今回は伊勢神宮外宮前に位置する商店街『外宮参道発展会』の取り組みについてご紹介しよう。

車社会の到来で、外宮を訪れる参拝客が激減した時期も

「本来の『伊勢神宮参拝』は、まず外宮をお参りして、それから内宮をお参りするものでしたが、観光の多様化や車社会到来によるインフラ整備も相まって、外宮参りを省略、そのまま直接内宮さんへ…という方が増えた時期があったんですよね」と語るのは、外宮参道発展会会長の山本武士さん(52)。もともと御師(おんし)と呼ばれる神職の家系で、ご先祖は伊勢神宮への参拝客をもてなす世話役をしていたという。

「御師というのは、今の時代なら『ツアーコンダクター』のようなもの。町の見どころを案内したり、宿を提供したり、当時神宮ではできなかった祈祷や神札を配るなどのお世話をしていた人たちです。今でこそ違う商売をしていますが、僕自身、その血を引いていることを実感することがよくあります」と山本さん。

山本さんによると、戦前までは豊作を祈願しに訪れる農業従事者が多かったため、内宮よりも外宮を訪れる参拝客の数のほうが多かったそうだ。しかし、経済の成長と共に参拝客の層にも変化が見られるようになり、一時は外宮を訪れる人が内宮の3分の1にまで減少した。

「それまでは、山田のまち(山田=外宮周辺の地元地域の地名)に人が集まるのが当たり前だと思っていましたが、改めて“神宮さまのおかげさまで賑わっていたんだ”と気付かされましたね」(山本さん談)。

▲39歳のときに『外宮参道発展会』の会長に就任した山本武士さん。<br />ご先祖が『御師』をしていた時代から数えて23代目にあたるという生粋の“山田っ子”だ。<br />会長に就任する前は、伊勢神宮の歴史やご先祖の生活の営みについてもほとんど関心が無かったそうだが、<br />会長職をきっかけに伊勢神宮の成り立ちや地域の歴史を深く掘り下げるようになった。<br />「知れば知るほど、他の人にも伝えたいという気持ちが強くなりました。<br />やはり自分は『御師』の血を引いているんだな、と感じた瞬間でした」と山本さん▲39歳のときに『外宮参道発展会』の会長に就任した山本武士さん。
ご先祖が『御師』をしていた時代から数えて23代目にあたるという生粋の“山田っ子”だ。
会長に就任する前は、伊勢神宮の歴史やご先祖の生活の営みについてもほとんど関心が無かったそうだが、
会長職をきっかけに伊勢神宮の成り立ちや地域の歴史を深く掘り下げるようになった。
「知れば知るほど、他の人にも伝えたいという気持ちが強くなりました。
やはり自分は『御師』の血を引いているんだな、と感じた瞬間でした」と山本さん

まずは自分たちが地元の魅力を知ること、
次に、それを多くの人に知っていただくこと

▲外宮まがたま池にある『せんぐう館』。館内では、定期的にお茶会や伝統芸能の舞台、伊勢神宮の歴史を学ぶこども向けの企画講座などの親しみやすい催しが開催されており、『伊勢神宮』と地域の人々・参拝客らを結ぶ架け橋のような存在となっている▲外宮まがたま池にある『せんぐう館』。館内では、定期的にお茶会や伝統芸能の舞台、伊勢神宮の歴史を学ぶこども向けの企画講座などの親しみやすい催しが開催されており、『伊勢神宮』と地域の人々・参拝客らを結ぶ架け橋のような存在となっている

外宮前の山田のまちには、山本さんが会長を務める『外宮参道発展会』を含め10の商店街がある。その多くが“自宅兼商店”となっており、人々が商いをしながら毎日の家庭生活を送っている。

「旧・大規模小売店舗法が2000(平成12)年に廃止され、大規模資本の大型商業施設がどんどん地方に進出するようになってから、全国の商店街は窮地に追い込まれました。

山田のまちも同じです。特にこの地域は住居を併設した店舗が多いため、“店をたたんで他へ移って商売を続ける”という選択はなく、“店を開けても儲からないから、ここで生活だけを続ける”という店主も多かった。その結果、シャッターを閉じるお店が増えてしまったのです」と山本さん。

商店街がシャッター通りになってしまえば、立ち寄る客の数も激減してしまう。そこで、山本さんが『外宮参道発展会』会長就任後に、“山田のまちの再生”について最初に取り組んだのは、『もう一度自分たちのまちの魅力を発見すること』だった。

「自分たちの魅力について、皆が自信を失いかけていたんですよね。地元の魅力を再確認することは、“誇りを取り戻すこと”につながります。そして、その魅力を外部へ発信し多くの人たちに知ってもらうことで、まちが発展していくのだと思います。

2001(平成14)年頃からそうした取り組みを続けてきましたが、外宮参道にとって大きな追い風になったのは、前回の遷宮のときに創設された式年遷宮記念『せんぐう館』の誕生でした。

外宮に『せんぐう館』が登場したことで、伊勢神宮の本質や御正宮としての外宮が注目されるようになり、訪れる参拝客の数が増え、それと同時に地元の人たちが自信と誇りを取り戻しはじめました。遷宮後は商店街を訪れる人たちが約4倍に増えましたから、改めて“神宮さまのおかげさま”です」(山本さん談)。

「まちづくりは、誇りづくり」が地域活性のキーワード

▲山田のまちの玄関口、近鉄・JR『伊勢市』駅。駅周辺には“外宮さん”を取り巻くように10の商店街が連なっている。2014(平成24)年からは、伊勢市商店街連合会青年部の活動により『伊勢やまだ大学』が発足した。“山田のまち全体がキャンパス”をテーマに、地域の魅力を再確認し、外部へ発信するための『特別講座』を定期的に開催。山本さんも講師を務めている▲山田のまちの玄関口、近鉄・JR『伊勢市』駅。駅周辺には“外宮さん”を取り巻くように10の商店街が連なっている。2014(平成24)年からは、伊勢市商店街連合会青年部の活動により『伊勢やまだ大学』が発足した。“山田のまち全体がキャンパス”をテーマに、地域の魅力を再確認し、外部へ発信するための『特別講座』を定期的に開催。山本さんも講師を務めている

「最近は、僕自身が講演活動をおこなったり、全国の商店街の皆さんが視察にいらっしゃった際に『商店街活性化』についての様々な質問を受けることが増えました。

ただ、そういうときは必ず『売り上げを20パーセント上げることを目指すのではなく、今住んでいるみんなの幸福度を20パーセント上げることを目指すほうがカンタンですよ』とアドバイスをしています。

つまり、地元の皆が“自分たちのまちは誇らしい”と思うことで、まちが変わるんです。

実は、『外宮参道発展会』では、皆が誇りを取り戻したことで、誰からともなく自発的に参道の掃除をはじめるようになりました。すると、“ここは良い『気』に満ちていますね。また遊びに来たいです”と、お客さまから声をかけられるようになりました。

多くのお客様に“また訪れたい”と言われるまちにしたい…その思いが、皆の誇りづくりやまちづくりにつながっていると思います」と山本さん。

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前回、【人を呼ぶまちづくり①】で内宮前のケースを取材した際にも、『まずはそこに住んでいる人を大切にすることが一番』というキーワードが出てきたが、どうやら『人を呼べるまち』というのは、“どのようにまちがデザインされ、形成されているか?”というハード面の問題だけではなく、“そこで暮らす人がどれだけそのまちを愛しているか?”というソフト面の充実度が大きな礎になっているようだ。

『まちづくりは、誇りづくり』という山本さんの言葉が強く印象に残った。

2015年 05月10日 12時04分