「家(いえ)」を「買う」ということとは、何か?

住宅ビジネスに関わるものは「家(いえ)」とは何か、どうして人は家を買うのか、ということを正確に理解しておく必要がある。
まず「家」とは何か、「買う」とは何かを考える。
古くは、「家」は男の甲斐性とみられていた地域があった。嫁入りする女性が家財道具などを用意する代わりに、それを迎える男性は家を建てるという風習がある地域があった。家を「買う」または「建てる」ということは、男にとって独り立ちをするという通過点であり、その大きさは“甲斐性”の象徴であったといえる。

また、株や不動産が大きく上昇していたバブルまっただ中では、家は資産の象徴であった。バブル期だけでなく、戦後の日本の住宅価格は1990年のバブル崩壊に至るまでは右肩上がりで上昇してきたため、それを持つことで大きな資産を手に入れることができた。つまり、家とは日本人にとって経済的な甲斐性を示す尺度であり富の象徴だった、と言っても良い。

次に「買う」ということを考える。
私たちがものやサービスを買うとき、それに支払う対価として「おいしい」「気持ちいい」などといった効用を期待して購入する。つまり、大小にかかわらず「しあわせ」な気分を味わうために「買い」、お金を支払う。その上で、住宅とは「投資」という側面もある。
スタンフォード大学のルーエンバーガー教授は、"「投資」とはのちの利得を得るための現時点で行う「資源の契約」である"と定義している。家に投資をするということは、その家を手に入れることで後に発生する利得を手に入れるために、現在において何千万ものお金を使うという契約をするといえよう。ということは、その何千万円もの対価として、将来において「幸せ」な気分を味わうことが期待されているはずである。

家を買って幸せになる人と不幸になる人

住むことで「しあわせ度」が十分に大きければ、価値が下がっても住宅投資によって利得を得ることが出来る住むことで「しあわせ度」が十分に大きければ、価値が下がっても住宅投資によって利得を得ることが出来る

もう少し投資について深く考えてみる。
投資から得られる利得は投資期間中に発生するキャッシュフロー、つまり家賃収入と(価格が上昇していれば)売却時に得られる売却益から構成される。そうすると、たとえ価格が下落し、売却益がマイナスであったとしても、投資期間中の家賃収入の合計が売却損よりも上回っていれば、投資の利得はプラスだということが出来る。

これを自分で利用するということで考えれば、キャッシュフローは住宅に住むことによって得られる「満足度」「しあわせ度」となる。住むことによって得られた「しあわせ度」の合計がゼロのような人は(またはそのようなしあわせを重視しないで購入したような人は)購入後に発生する建物の「経年減価」やマクロ環境の変化に伴う資産価値の変動によって「利得」が負になってしまう確率が高くなる。
逆に経年減価や人口減少などに伴うマクロ的な価格下落が発生したとしても、住むことの「しあわせ度」が十分に大きければ、そのような住宅投資によって利得を得ることが出来る。

そう考えるといくら経年減価が発生しようとも、価格が下落局面にあったとしても、住むことで「しあわせ」であれば投資をすればいい。
もし、資産価格の上昇だけが住宅を購入することの利得であるとすれば、今の日本では経年減価率が大きく、マクロ的には大きく上昇することがないため、家を買った人は不幸になってしまう。
またこのようなことに焦点を当てて政策立案をしようとすると、経年減価率を小さくしようとか資産価値が落ちないようにしようといったことが論点の中心になる。(※この問題に関しては今後、「日本の住宅の寿命」、または「2040年の住宅価格」といったところでわたしの研究に基づきその成果の一部を紹介したい。)

このような視点に立ったときに、どのタイミングで住宅を買うべきかということは、経済的な基準以外の判断軸が大切となる。この問題に関しては、経済学では使用者費用という問題となる。この問題に関する研究成果は、後日「住宅の買い時」といった課題のもとで整理する。

どのように「しあわせの家」を手に入れるのか?

このように整理してみると「家をどうして買うのか」という問いに対して、私たちは広い意味で効用・利得を得る、つまり「しあわせ」になるために家を買うと定義しても良い。そのためには、現在の日本においては、資産価値の変動から解放されることが何よりも重要であり、住まうことによって得られる効用または利得が重要になってくる。とすると、その空間と時間を特に誰とどのように共有するのか、といった問題を重視しないといけない。一人で過ごすのか、他人と時間と空間をシェアして過ごすのか(シェアハウス)、家族と過ごすのか、どのように過ごすのかといったことを明確に定義した上で、人と家とをマッチングしていかなければならない。

そのマッチングにおいては,科学技術の進化は人々の消費行動を変化させて(IT技術による住宅市場の変化)、そこに介在する専門家のあり方をも変化させる(住宅市場の専門家の役割)。
さらには住宅の中で過ごした時間から得られる効用を最大にしようとすると、その家の中に住む人、家族の変化に応じて家もまた変わっていかなければならない。家に要求される性能は、そこに住む人たちによって変化するためである。そしてそこに住む人たちも、子供は成長し、大人も一年ずつ年をとり、その変化に応じて「しあわせ」に住むための家の条件が変化していくことになる。「家」と「住まう人たち」との間に不一致が存在する場合には、それを修正していかなければならない。いわゆる「リノベーション」が必要になってくるのである。リノベーションとは、単に建物をリノベーションする・汚い部分を綺麗にするというのではなく、新しい思い出を描くためのキャンバスを作り直す、といった方が正確であると考えている。

「しあわせの家」を実現するような住宅産業のあり方を真剣に議論しよう

住宅市場には多くの産業や専門家が関わっている。生産をする人、設計をする人、それを売る人、ローンを貸す人、中古流通をさせる人、住宅情報を流通させる人、リノベーションをする人、価格を決定する人、滞りなく決済をする人など実に多くの方々が関わる。日本の中でも巨大産業の一つといっても良い。

現在の住宅産業は、人口が増加し、経済が成長をし、住宅が不足している時代に作られたビジネスモデルの延長線上にある。また、最近では中古住宅の流通システムを考えるにあたり、米国のビジネスモデルに注目する動きが出てきている。しかし、米国は依然として人口が増加しているために需要が供給よりも強く、空き家の増加が象徴しているようにそれが逆転してしまっている日本とはある意味違う市場を比較しているといえよう。そうすると、そのビジネスモデル、産業を比較しようとしてもあまり意味がない。そもそも米国で家を買った人たちは、日本人よりも効用が上昇しているのか、「しあわせ」になっているのか、ということを考えないといけない。部分的なものを見るのではなく、根本的な部分を比較しなければならないのである。

住宅産業に関わる人たちは「しあわせの家」を提供し続ける主体でない限り、市場から淘汰されてしまうと考えた方が良い。資産価格がそれほど大切ではないという立場に立てば、住宅の資産価値を決める専門家は不要ということになる。中古流通をさせる人は、家が不足している時代には「売り手」主体にビジネスを考えていれば良かったかもしれないが、空き家が多くなるなかでは、売り手が弱い立場となり、買い手主体でのビジネスモデルへと転換していかなければならない。地域の中にある家を守り続けるような地域に密着した地場産業への発展かもしれないし、一層進化するIT技術に基づいた住宅流通のさせ方を全く変化させてしまうような産業へと変革していくかもしれない。住宅市場を変革・再生させるような、「新産業」の登場が必要になってくるものと考える。

現在の住宅市場では、まだまだ多くの人たちが、住宅を買うことで不幸になってしまっている。
「しあわせの家」を実現するような住宅産業のあり方を従来の既得権益や規制を超えて、真剣に議論をし、実践していく時代に突入しているものと考える。

住宅産業に関わる人たちは「しあわせの家」を提供し続ける主体でない限り、市場から淘汰されてしまうと考えた方が良い。</br>「しあわせの家」を実現するような住宅産業のあり方を真剣に議論する必要がある住宅産業に関わる人たちは「しあわせの家」を提供し続ける主体でない限り、市場から淘汰されてしまうと考えた方が良い。
「しあわせの家」を実現するような住宅産業のあり方を真剣に議論する必要がある

2014年 06月16日 11時17分