日本の常識が、諸悪の根源というはなし

日本の建設業法20条は世界の常識の「義務」ではなく、「努力目標」になっている日本の建設業法20条は世界の常識の「義務」ではなく、「努力目標」になっている

世界の常識は、日本の非常識。
日本の常識は、世界の非常識。
そんなはなしは数々あるが、住宅業界の中にも多々ある。その中でも個人的に業界の諸悪の根源となっているのが、表題の通り「建設業法20条」だ。と、思う。

でも、誰もなかなか触れようとしない。また、できもしないことを語るのは、戯れ言に過ぎないと言われる。そして得する人が見えない。何よりも住宅業界の作り手の多くはそんなことをしたら商売は成り立たず、消費者も責任が増える。

しかし世界に目を向けると、国が住宅価格の見積り方法を定めているのが常識だ。それが日本では建設業法20条にあたるが、「努力目標」であり世界の常識の「義務」とはかけ離れている。だが結果的には消費者の利益を確保し、国の資産を増やすことにつながるからこそ「義務化」することが世界の常識だ。あいにく日本の建設業だけがこの義務を負っていない。

建設業法20条の内容は極めて単純なことだ。
住宅の工事費の見積もりは、材料費と労務費と諸経費に分けて表記しようということだけ。業界がみんなでこの見積もりを採用すれば、単純に日本の住宅だけが高いという理由は明らかになるだろう。たとえば、住宅部品の中でどのような部材が世界と比べて高いのかもすぐに分かることになる。当然のように、資産価値としての住宅の価格も明確になる。それは少なくとも、所有者の権利を保全するはずだ。

建設業法20条は、世界恐慌時のニューディール政策の事例として、アメリカが戦後復興に織り込んだ法律だという。ただし、日本の古い習慣から「義務」ではなく努力目標となり、世界の常識とはかけ離れてしまった。
そして、本来は最もコンプライアンスを大事にするべき大手メーカーまでも努めているようには見えないのが、建設業法20条だ。

ちょっとだけ、明確にしてみよう

そもそも「一式」という項目がある見積書がおかしいと考えなければいけない。それが世界の常識だ。せっかくの相見積もりをしても、「一式」の項目があっては比較検討することもできない。日本では見積もりする企業によって、同じ大きさの住宅でも、倍近い価格の差が出ることがある。それを生みだしているのが、「一式」だ。

材料費を明確にしてみよう。
少なくとも積算する面積や数に、倍もの違いがあるはずがない。
そうであれば、使っている材料の価格の差になるはずだ。そして材料の価格の差は、本来はそのまま物の価値の差になる。
大量に供給している企業は、安く手に入るのが経済の常だから、見積書の材料費を見ればその企業の働きぶりと社会的信頼が分かる。それは顧客にとっても大事な指標になるはずだ。ましてや全国規模であればなおさらだ。しかし、なぜか大手メーカーほど高くなる。むしろ、分からなくなるようにオリジナル部品から選ばせるようにしている。

労務費を明確にしてみよう。
少なくとも人工数や工期に、倍もの違いができるはずがない。
良い職人は賃金が高く、悪い職人ほど賃金が安くなる。それを考えれば、消費者にとって安いことが有利でもなく、高いことが不利でもない。相応の価値と等価交換できる。
大量に供給している企業は、安い職人を教育して、あるいはシステム的に使えるように研鑽している。それは正しいことだが、悪い企業は下請けいじめをしている。現代の職人不足の悩みは、後者の企業が多いことの証かもしれない。
地元の建設企業は良い職人がいると自負している。が、なぜかシステム的な大手メーカーほど労務費も高くなるようだ。

諸経費を明確にしてみよう。
これは世界的には、相場は20~25%とされている。
企業が存続し、長く面倒を見るためには相応の利益を得なければならない。残念ながらこの項目だけは、消費者の教育ができていないとも言える。
しかし一度理解できれば、5~10%程度の諸経費と見積もる企業は怪しい企業だと分かるようになる。真面目であれば潰れる企業であり、不真面目であれば業法を守らず材料費と労務費をごまかしている企業だ。企業規模も大きくなれば、なにかと諸経費もかかるものである。しかし、まさか40%以上の諸経費を計上する企業を喜んで選ぶ消費者もいまい。

建設業法20条で明確になるこれらの常識は、義務ではないので、価格も経費もすべて隠すのが日本の常識だ。

お客様のためにならない?

もちろん反論もある。
・日本の古習は、信頼できる棟梁にすべて任せてきた。
・材工一式で決まっている項目もある。
・細かい見積もりを出せば、金額は高くなるものだ。
・逆に細かい見積もりでは、消費者にわかりにくい。
・なんと言っても、それが日本の常識だ。

これらの声があったからこそ、GHQが持ってきた世界の法律を「努めなければならない」日本の法律にして60年が経った。その間に情報技術は進み、生産技術も発展し、職種も変わった。現在の住宅構造体のプレカット率は90%に達し、どの住宅会社が建てても似たような建材を使った家になっている。材料費も数量も簡単に積算できる時代に、住宅価格は隠蔽されたままになっているのだ。

職人気質の棟梁であれば、材料費は明確にしてあげれば良い。材工の下請けも同じように、材料費を明確にすれば良い。そうすれば自分の技術の価値も目に見えるようになる。
問題は消費者がわかりにくいという論理がまかり通ることだ。細かい項目があっても素人には分からないので、大きな項目でまとめて表示することが顧客へのサービスであるとする。これで、たとえ建設業法に従っていなくても、社会的に信頼のある消費者志向の企業で通ってしまう。でも裏には将来の資産にもならない膨大な諸経費など、隠蔽しなければならない理由があるのだ。

しかし細やかで丁寧なサービスこそが、日本企業の特徴でもあるはずだ。消費者に比較し分かりやすい、業法に従った価格の表示をしよう。

住宅の質と資産価値を守れるか

銀行が本来のモーゲージローンを実施するためには、建設業法20条は欠かせない銀行が本来のモーゲージローンを実施するためには、建設業法20条は欠かせない

このように書くと、手のつけられない業界のように感じてしまうが、構造的な欠陥は制度の欠陥だ。世界の常識が教育されていない国が、世界に打って出られるわけもない。
解決の一端は極めて単純なはなしで、学校の技術家庭の授業で、しっかりと世界の見積もり方法を教えてやれば良い。見積もり書から企業の姿勢を見分けることができなければ、TPP時代の人材は育たない。
それだけではない、多くの問題が解決に向かう。

本来、住宅ローンはモーゲージであるべきだ。そのためには、お金を貸す銀行が住宅の資産価値を的確に把握している必要がある。それが銀行の当然の業務だ。しかし素人のお客様どころか、プロであるべき銀行も本当の住宅価格が分からない。これでは生命保険を担保にしたローンになるのも当然だ。銀行が本来のモーゲージローンを実現するのに、建設業法20条は欠かせない。

銀行が資産価値を把握できると、下請けの仕事も変わる。元請けは下請けの仕事を、プロの目で 材料と施工の出来を評価して買い取る。価値が明確であれば、銀行もコンストラクションローンを実行することができる。元請け会社も、建設業法21条への対処がしやすくなり資金繰りが良くなる。

住宅のインスペクションも、分かりやすくなる。まず、見積書にある材料の確認と、施工の的確さが確認できれば良い。材料が見積もりと違えば、それは詐欺と一緒になる。工法とか性能よりも、本来は最初に優先されるべきことである。

材料費が明確になれば、耐久材と消耗材の価格も明確になる。すると既存住宅も再建築費用で評価することができるようになる。原価償却的に価値を減らしてしまうことで失われた資産価値を取り戻し、住宅の価値を保全する方向性が見えてくるかもしれない。

そして耐久材に、消費税がかかるのもおかしい。

禁断のはなしが実現するには…

さらに、アメリカのように見積もりだけをする企業が生まれても良い。その標準価格で施工できる建設企業を、消費者が選ぶという手もある。

そのためには、見積もりが的確に出せるだけの建築図書が必要だ。もちろんそれは建築士の役割であり、そこで建築士の能力も分かり、フィーも明確になる。

すべての始まりは、とても簡単なはなしだ。「努めなければならない」を、世界の標準である「しなければならない」に法律を書き直すだけで良い。大恐慌の時のアメリカは、住宅着工数が10分の1にまで落ちたことでできたのかもしれない。今の日本は、IT技術でできる。

学校教育まで動けるのは、国しかない。ただ、国も消費者よりも業界を守ろうとしているようにしか見えない。こんなに簡単なことだが、きっと、まだ半世紀ほどは、戯れ言になるのだろう。

あぁ、これで今日もまた、残念会で一献をする理由ができた。

此の中に、真意有り。知足の盃で、せめてもの慰めを・・・此の中に、真意有り。知足の盃で、せめてもの慰めを・・・

2014年 04月02日 12時19分