近年、東京都文京区の湯島では、マンションへの建て替えが目立つようになってきた。その背景には、文教・医療機能と歓楽街が共存する土地利用の特性に加え、江戸から続く街の成り立ちや都心居住需要の高まりがある。本稿では、湯島の土地利用の変遷をたどりながら、なぜ近年マンションが増えているのか、そして街の性格がどのように変わろうとしているのかを読み解く。

【LIFULL HOME'S】湯島の不動産・住宅を探す
【LIFULL HOME'S】湯島の投資用不動産を探す

湯島は坂上と坂下で異なる街の表情

東京メトロ千代田線の湯島駅の改札を抜けて地上に出ると、文京区という名から抱かれがちな「文の京」のイメージとは異なる街並みが広がる。そして目に入るのは「HOTEL」の5文字だろう。

同駅北部に位置する不忍池周辺や、同駅の東側に位置する上野広小路に近い低地側(JR御徒町駅から東京メトロ千代田線湯島駅付近)には、居酒屋に加えて、バーやスナック、ラブホテルなどが軒を連ねる。一方、春日通りを越えて湯島天満宮や本郷方面へ坂を上ると、寺社、学校、医療施設、オフィス、マンションが増え、同じ湯島地域でも景観が変わる。

湯島の現況 ※2026年7月撮影湯島の現況 ※2026年7月撮影

この違いには、湯島地域の歴史的な成り立ちに加え、都市計画上の用途地域、地形や街路、個々の敷地規模も関係している。文京区は、本郷台地と、神田川・不忍池に連なる低地から構成される。湯島はその地形的な境界部に位置し、台東区や千代田区に接する。坂上には比較的大きな敷地を持つ寺社・教育・医療施設や住宅が立地し、坂下には上野・御徒町の商業集積と連続する細街路・小規模敷地が残る。地形、街路、敷地規模の差が、現在の土台になっている。

下図は東京都の土地利用現状図(2021年)を湯島地域にフォーカスしたものである。集合住宅を示す橙色は図中中央に位置し、商業系の土地利用は不忍池の南側に集中している傾向が分かる。特に集合住宅は幹線道路沿いに集中していることが見てとれる。こうした空間単位ごとの差異が、坂上と坂下で異なる街の表情をつくり出している。

湯島の現況 ※2026年7月撮影湯島地域の土地利用現況 ※令和3年東京都土地利用現況調査を加工

また、「湯島」の由来には諸説あるが、かつて不忍池周辺の水域が現在より広く、台地の先端部が水上から島のように見えたことに結び付ける説が知られている。「湯」の字の由来は明確ではないが、地名そのものが、湯島が台地と低地・水辺の境界に位置してきたことを伝えている。坂上と坂下の景観差は、こうした地形の記憶と重なる。

近年、こうした街並みの中で存在感を増しているのがマンションだ。幹線道路沿いや低層建築物が並んでいた区画では共同住宅への建て替えがみられ、低層部に店舗や事務所を置きその上部を住宅とする建物もみられる。商業や業務の機能を一部残しながら、住宅への更新が進んでいる。下図は、湯島地域における近年の新築マンションをプロットしたものだが、湯島地域でマンションの立地が進んでいることがうかがえる。

そもそも湯島は、周辺地域との連続性によって成り立つ街ともいえる。南は神田・御茶ノ水、西は本郷、東は上野・御徒町に接し、教育・医療地区と繁華街の双方から影響を受けてきた。この境界性こそが湯島の特徴であり、マンション増加を理解するには、異なる都市機能がなぜこの場所に集積したのかを歴史的背景からたどる必要がある。次項では、湯島の土地利用の移り変わりから、マンションが増えている理由をひもといていきたい。

湯島の現況 ※2026年7月撮影近年の湯島地域におけるマンションの立地状況 ※出典:国土地理院地図、都市計画情報等をもとに作成

武家地・寺社地が重なった湯島

江戸切絵図や古地図をみると、現在の湯島周辺には武家屋敷、寺社地、門前町が地形と街道に沿って入り組んでいたことが分かる。台地側には武家屋敷や寺社がまとまった敷地を構え、坂下や主要な道沿いには町屋が形成された。下図の左側は、名所江戸百景における湯島天神から不忍池方面を望む風景だが、坂下にあたる低地部分には建物が密集していることが見てとれる。

低地にあたる不忍池周辺には、男女の逢引きの場ともなった出会茶屋をはじめ、幕府非公認の遊郭である岡場所が軒を連ねていたとされる。現在も残る湯島天満宮、麟祥院、妻恋神社、湯島に近い根津権現など、寺社、坂道、細街路は、江戸期の土地利用と市街地の骨格を読み取る手掛かりとなっている。

左:広重『名所江戸百景 湯しま天神坂上眺望』、魚栄、安政3。右:広重『名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川』、魚栄、安政4 ※出典:国立国会図書館デジタルコレクション 左:広重『名所江戸百景 湯しま天神坂上眺望』、魚栄、安政3。右:広重『名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川』、魚栄、安政4 ※出典:国立国会図書館デジタルコレクション
左:広重『名所江戸百景 湯しま天神坂上眺望』、魚栄、安政3。右:広重『名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川』、魚栄、安政4 ※出典:国立国会図書館デジタルコレクション 『小石川谷中本郷絵図』を一部加工 ※出典:尾張屋清七(1857年)『小石川谷中本郷絵図』、東京都立博物館

学問の神様として知られる菅原道真公を祀る湯島天満宮は信仰の場であると同時に、多くの参詣者を集める都市的な拠点でもあった。江戸の寺社参詣は、信仰に加え、物見遊山、飲食、買い物、見世物などとも結び付いており、門前には茶店や商いが生まれた。宗教空間の周囲に交流・娯楽・消費の機能が重なる構造は、現在の湯島にみられる飲食・接客機能の遠因の1つとして捉えられる。

現在の湯島一丁目南側には湯島聖堂があり、江戸幕府の学問所である昌平坂学問所が置かれていた。湯島天満宮の信仰と昌平坂学問所の存在が重なり、「学問の街」という性格が形づくられた。「文京区」という名称は1947年に旧本郷区と旧小石川区の統合によって生まれたものだが、湯島はその「文の京」という名にとどまらない、より複雑な歴史を持つ街だ。

このように、江戸時代の湯島には文教的な性格に加え、武家地、寺社地、町人地、門前町としての性格が重なっていた。現在の住宅・教育・医療・飲食・宿泊の混在は、用途の内容こそ変わったものの、異なる機能が境界部に折り重なるという歴史的構造の延長上にある。

左:広重『名所江戸百景 湯しま天神坂上眺望』、魚栄、安政3。右:広重『名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川』、魚栄、安政4 ※出典:国立国会図書館デジタルコレクション 湯島聖堂 ※2026年7月撮影
左:広重『名所江戸百景 湯しま天神坂上眺望』、魚栄、安政3。右:広重『名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川』、魚栄、安政4 ※出典:国立国会図書館デジタルコレクション 昌平坂 ※2026年7月撮影

旧武家地を受け継いだ教育・医療の集積

明治以降、本郷・湯島・御茶ノ水一帯では、旧武家地などの比較的大きな敷地が学校、大学、病院、官公庁施設へ転用された。

例えば、加賀家上屋敷や水戸家中屋敷跡につくられた東京大学本郷キャンパスは有名である。その他にも、順天堂の教育・医療施設、現在の東京科学大学医歯学系キャンパスなどが周辺に立地し、湯島は大規模な教育・医療拠点に囲まれる市街地となった。江戸期の大きな土地単位が近代の公共的・専門的施設へ継承された点は、この地域の土地利用を考えるうえで重要といえる。

そうした大学や病院は、周辺市街地にも継続的な人の流れと需要を生み出す。学生、教職員、研究者、医療従事者、付き添い家族、取引事業者などが日常的に出入りし、その周囲に住宅、飲食店、薬局、医療関連事業所、宿泊施設が立地してきた。坂上は本郷・御茶ノ水の教育・医療地区と連続し、坂下は上野・御徒町の商業地区と接する。昼間には通勤・通学・通院の流動が生まれ、夕方以降には飲食・交流・宿泊の利用が重なる。時間帯によって表情が変わることも、湯島の特徴だ。

さらに、大学や病院の集積は昼間人口を生み出すだけではない。職住近接を求める医療従事者、研究者、大学関係者などの居住需要を継続的に生み出し、周辺の住宅市場を支える要因にもなっている。

湯島地域と周辺施設 ※国土地理院地図を一部加工湯島地域と周辺施設 ※国土地理院地図を一部加工

花街から現代の歓楽街へ

湯島を語るうえで、花街の歴史は欠かせない。花街は、料亭や茶屋などが集まり、芸妓や舞妓が舞踊や唄、お座敷遊びでお客をもてなす場であり、現代の歓楽街とは性格を異にする。近代の花街は料亭・待合・芸妓置屋などからなる三業地を中心に、宴席、芸能、社交を担う都市文化の空間であった。東京には多くの花街が存在したが、湯島はその中の1つである。昭和中期の湯島の住宅地図を見ると、旅館や料亭が多く立地していたことが分かる。

湯島小学校東部における料亭・旅館の位置 ※住宅協会(1961年)『東京都全住宅案内図帳文京区』、文京区立図書館湯島小学校東部における料亭・旅館の位置 ※住宅協会(1961年)『東京都全住宅案内図帳文京区』、文京区立図書館

湯島では、天満宮の門前性と上野・御徒町の繁華街への近さに加え、周辺の大学・病院・官庁・企業から生じる会食・接待需要が重なった。細街路と小規模敷地は大規模商業施設よりも料亭や個人経営の飲食店を受け入れやすく、花街は周辺の業務・教育・交通機能と結びついた都市サービス地区として成立していた。

昭和も後期になると、接待・宴席の形態や消費行動が変化し、三業地を支えた制度と事業者の構成も変わった。料亭・待合を中心とする空間は、バー、スナック、一般飲食店、ラブホテルなどを含む多様な夜間利用へ変化していったとみられる。現在の「夜の街」は、過去の文化を一部引き継ぎながら、戦後の需要に応じて機能が組み替えられた結果だ。

湯島小学校東部における料亭・旅館の位置 ※住宅協会(1961年)『東京都全住宅案内図帳文京区』、文京区立図書館湯島天満宮 ※2026年7月撮影
湯島小学校東部における料亭・旅館の位置 ※住宅協会(1961年)『東京都全住宅案内図帳文京区』、文京区立図書館湯島天満宮より学問の道を望む ※2026年7月撮影

湯島の宿泊需要は歓楽目的に限られない。上野駅に近く、大学病院や企業・官庁街へのアクセスが良いため、業務出張、受診・見舞い、学会・研究活動などの来訪者も多く受け入れてきた。そして、近年、これらの建物の一部がマンションへ更新されている。花街や夜の街が一気に消失しているというよりも、近代から戦後に成立した都市サービス機能の構成が、都心回帰の高まりを受けて再び変化する局面に入ったと見るのが適切だ。

マンションはどこで増えているのか

現在の湯島を歩くと、古い飲食店、宿泊施設、小規模事務所、低層住宅の間に新しいマンションが立地している。改めて、冒頭で示した近年のマンションの立地状況をもう一度見てほしい。増加している場所による差があることが分かる。これは、道路幅員の大きい通り沿い、複数敷地をまとめやすい場所、駐車場や低利用地、老朽建築物の更新時期を迎えた区画から段階的に変化しているためである。

近年の湯島地域におけるマンションの立地状況 ※出典:国土地理院地図、都市計画情報等をもとに作成近年の湯島地域におけるマンションの立地状況 ※出典:国土地理院地図、都市計画情報等をもとに作成

用途地域とマンション立地を重ねると、近隣商業地域・商業地域に指定されたエリアにマンションが集中している。これらの用途地域は指定容積率が高く、飲食・宿泊・住宅など多様な用途の立地が可能なため、建て替えの際に共同住宅への転換が成立しやすい条件を備えている。

実際、湯島地域1〜4丁目の人口は、2017年の8,450人から2026年には11,683人へと約1.4倍に増加している。同期間の文京区全体の増加率(約1.1倍)を上回っており、湯島地域は居住先として注目されていることが分かる。

マンションの需要側で見れば、東京メトロ湯島駅に加え、上野広小路、御徒町、末広町、本郷三丁目、御茶ノ水など複数駅を利用できることが大きい。上野、秋葉原、御茶ノ水、本郷という業務・教育・医療拠点が徒歩・自転車圏に収まり、単身者・共働き世帯・専門職など多様な居住者にとって立地上の優位性がある。一方、マンションの供給側から見れば、道路が広くまとまった土地ではマンション開発が進みやすく、さらに商業系用途地域のため、高い容積率により高度利用を図ることが容易であり、再開発を進めやすいメリットがある。

近年の湯島地域におけるマンションの立地状況 ※出典:国土地理院地図、都市計画情報等をもとに作成文京区および湯島地域の人口推移(2017年→2026年。いずれも1月1日時点) ※出典:文京区「人口統計」をもとに作成

「文京区ブランド」だけではない住宅需要

湯島の住宅需要をめぐっては、「文京区ブランド」や教育環境への評価がしばしば語られる。中でも「3S1K」は不動産広告や住宅情報サイトで知られる通称で、文京区内における誠之・千駄木・昭和・窪町の4小学校を指し、教育環境を重視する子育て世帯から注目されている。

実際、文京区および隣接区の6〜12歳人口推移を比較すると、文京区は2022年の11,650人から2026年には12,961人へと増加が続いており、隣接区に比べても増加率が高く、子育て世代の流入を示唆する傾向が見られる。なお、通学区域は住所・街区によって定められるため、湯島のどこに住んでも3S1Kの通学区域になるわけではない点には注意が必要である。

都心マンションには、子育て世帯のほか、単身者、共働き世帯、医療・大学関係者、都心勤務者、セカンドハウス利用、投資目的など多様な需要がある。湯島の住宅地としての評価は、文京区という行政区域、複数路線の交通利便性、大学・病院の集積、上野・秋葉原・御茶ノ水への近接性、生活利便施設の多さが重なって成立しているとも見ることができる。湯島に限って言えば、学区ブランドもさることながら、当該地域の交通利便性を鑑みると、このエリア特有の優位性が注目されていると言えよう。

近年、東京都文京区の湯島では、マンションへの建て替えが目立つようになってきた。その背景には、文教・医療機能と歓楽街が共存する土地利用の特性に加え、江戸から続く街の成り立ちや都心居住需要の高まりがある。本稿では、湯島の土地利用の変遷をたどりながら、なぜ近年マンションが増えているのか、そして街の性格がどのように変わろうとしているのかを読み解く。台東区、豊島区、千代田区、文京区における6〜12歳の人口推移(2022年→2026年。いずれも1月1日時点) ※出典:各区人口統計

一方で、従来は飲食・接客・宿泊施設に利用されてきた土地でもマンションへの転換が進んでいる。東京都が公表している土地利用現況調査で2011年と2021年を比較すると、集合住宅の割合が増加していることが分かる。湯島地域には近隣商業地域や商業地域が指定されており、飲食、業務、宿泊、住宅など多様な用途が立地しやすい。近年増加する分譲マンションは、こうした複合市街地の機能構成の中に新たな居住機能が入り込む動きとして捉えられる。

ただ、実際、湯島を訪れてみると分かるが、上野・御徒町・御茶ノ水にとても近く、利便性が非常に高いものの、文教的なイメージと湯島の実際の街並みには差がある。その理由は、やはり夜間の街の様子にある。結果として、飲食・宿泊機能が残り昼夜で人の流れが変わることは、利便性であると同時に、騒音や夜間の街の雰囲気という居住環境上の論点とも言える。仮に、読者の方で湯島への移住を検討するなら、昼と夜、平日と休日に街を歩いてみることを勧めたい。

近年、東京都文京区の湯島では、マンションへの建て替えが目立つようになってきた。その背景には、文教・医療機能と歓楽街が共存する土地利用の特性に加え、江戸から続く街の成り立ちや都心居住需要の高まりがある。本稿では、湯島の土地利用の変遷をたどりながら、なぜ近年マンションが増えているのか、そして街の性格がどのように変わろうとしているのかを読み解く。湯島地域の土地利用現況 ※平成23年東京都土地利用現況調査を加工
近年、東京都文京区の湯島では、マンションへの建て替えが目立つようになってきた。その背景には、文教・医療機能と歓楽街が共存する土地利用の特性に加え、江戸から続く街の成り立ちや都心居住需要の高まりがある。本稿では、湯島の土地利用の変遷をたどりながら、なぜ近年マンションが増えているのか、そして街の性格がどのように変わろうとしているのかを読み解く。湯島地域の土地利用現況 ※令和3年東京都土地利用現況調査を加工

マンション化で変わる、これからの湯島

湯島に住むとはどういうことか。一言で言えば、「均質な住宅地ではない街を選ぶ」ということだ。坂上の静かな住宅街、徒歩圏の医療・教育施設、複数路線の交通利便性、湯島天満宮や湯島聖堂をはじめとする歴史資源の近さ。これらは都心居住地として本質的な強みだ。一方で、坂下には夜の街が残り、昼と夜で街の表情は変わる。この両面を知ったうえで選ぶ街が湯島だ。

マンションへの建て替えが進むことで耐震性や防災性能は上がり、子育て世代の流入に応じた生活利便も整いつつある。一方、飲食店やホテルが住宅専用マンションへ変わるにつれ、夜間の街の活気や個人店の密度は少しずつ変化していく可能性もある。湯島らしい混在性が薄れていくとすれば、それは住環境の更新と引き換えに生じる都市機能の変化でもある。

移住を検討するなら、昼と夜、平日と休日に街を歩いてみてほしい。坂上と坂下、幹線道路沿いと細街路では、同じ湯島でも生活環境の印象がかなり異なる。自分がどの湯島に住みたいのかを確かめることが、後悔しない選択につながる。

街が変化の途上にある今、湯島は選択肢として面白い時期にある。均質な郊外住宅地や再開発済みの大規模マンションとは異なり、歴史と混在性を現在まで引き継ぐ都心の街だ。その魅力を保ちながら、住宅への更新と既存の都市機能がどのように共存していくのか。マンションの増加は、湯島が次の都市構造へ移行する過程を映し出している。

湯島の歓楽街 ※2026年7月撮影湯島の歓楽街 ※2026年7月撮影

参考文献・引用候補
・文京区(1981年)『文京区史』
・本郷区(1937年)『本郷区史』
・文京区(2024年)『文京区都市マスタープラン2024』
・西村亮彦、内藤廣、中井祐(2008年)「近代東京における花街の成立」、『景観・デザイン研究講演集』No.4