江戸期の遊郭街にあった料理店が歴史の始まり

2000年の歴史を有する伊勢神宮(正式には神宮)。江戸時代には約60年周期で“おかげまいり”といわれる集団参拝があったという記録もあり、人々は一生に一度は訪れたいと願った。日本各地から神宮へと向かうための道も整備され、伊勢参宮街道と呼ばれた。そのなかで神宮の外宮から内宮を結んだ道が、古市(ふるいち)街道。この街道筋に「麻吉(あさきち)旅館」がある。

創業年は定かではないというが、現在代表を務める上田史弥さんによると「近くにある伊勢古市参宮街道資料館に所蔵されている1782(天明2)年の町内地図に“麻吉”という名前があります。それが一番古い資料となるので、そこから考えると創業200年以上になります」とのこと。

古市地区は、江戸の吉原、京の島原、大阪の新町、長崎の丸山と並ぶ、五大遊郭のひとつに数えられ、神宮参拝を済ませた人の精進落としの場として栄えた歴史がある。有名な十辺舎一九の本で、江戸から伊勢参りへの旅を書いた「東海道中膝栗毛」では、主人公の弥次郎と喜多八が神宮に参拝する前に古市に立ち寄るというエピソードで、麻吉の名が出てくる。

遊郭街に位置したが、妓楼ではなく料理店として、まちを訪れる人々をもてなした。そこからいつしか宿泊できるようになり、料理宿として今に至る。周囲は住宅街へと移り変わるなか、麻吉旅館は唯一、往時の面影を残し、2005(平成17)年に国の登録有形文化財に登録された。

麻吉旅館の3階部分にある玄関。横の小径を下っていくと1階部分へ麻吉旅館の3階部分にある玄関。横の小径を下っていくと1階部分へ
麻吉旅館の3階部分にある玄関。横の小径を下っていくと1階部分へ本館2階あたりから上を眺めた様子。木造建築の趣が漂う

懸造りの建物、見晴らしのよかった最上階に大広間

麻吉旅館のある地区は、伊勢市の中でも高台にあたる丘陵地。麻吉旅館の建物は、高低差のある土地に建てられた懸造り(かけづくり)、または懸崖造り(けんがいづくり)といわれる様式となっているのが大きな特徴だ。

5層にわたる構造。一番下には土蔵があり、本館を挟み、最上部が聚遠楼(じゅえんろう)と名付けられた大広間がある2階建ての建物となっている。「奇をてらってというわけじゃなくて、わりと合理的らしいです。地盤がいいところにしかできない造りですし、空き家や空き地になったところを買って、建物が上に、下にとのびていったような感じです。よい景観のためというのもあると思うんです。伊勢の中でも標高が高めの土地なので景色のいい部屋を確保しようとしたのではないでしょうか」と上田さん。

1階部分からの眺め。複雑な構造となっていることがよく分かる1階部分からの眺め。複雑な構造となっていることがよく分かる
1階部分からの眺め。複雑な構造となっていることがよく分かる聚遠楼の外観

大広間の聚遠楼からは景勝地である伊勢湾に面した二見浦や、神宮の鬼門を守る寺といわれる朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)がある朝熊山(あさまやま)を望むことができる。宴会を楽しむ多くの人々がその景色も堪能したことだろう。

1階部分からの眺め。複雑な構造となっていることがよく分かる最上階にある大広間。取材の前日、テレビ取材があったそうで、金屏風の演出が残されていた。かつてこのようなスタイルで宴会を楽しんだ人もいたのだろうかと思いを馳せる。昔は芸妓を常時30人ほど抱え、県下でも大きな料理店だったという
1階部分からの眺め。複雑な構造となっていることがよく分かる大広間に上がる階段。少々急な角度からも昔の建物らしさを感じる

全6室の客室のうち2室がクラシックな雰囲気のままで人気

現在宿泊用の客室として稼働しているのは全6室。「ここが一番うちらしく、予約の指名が多い」と上田さんが言うのが、花月(かげつ)の間だ。どこか懐かしさ漂う和室。昔ながらの“旅館”に宿泊している気分が高まる。ここともう1部屋がクラシックな趣を残し、残り4部屋は明るくするなど改装してある。

花月の間花月の間
花月の間花月の間からの眺め。古市地区に花街ができたのは、神宮よりも高台にあったことで“神様の目が届かない”ところで楽しめるという俗説もあったとか!?

歴史を刻んだ分、建物維持の難しさを痛感

実はコロナ禍にかねてより気になっていた屋根の修繕に踏み切った。「すごく雨漏りしてしまっていたところがあり、いつやろうかという話はずっとしていたんです。建物の構造上、谷のようになっている部分もあって、いびつなので難しさがありました。そんななか、コロナのタイミングで、思い切って2ヶ所お願いすることにしました。きれいにしてもらったことに加え、建物の負担もだいぶ減ったみたいです。現代の瓦は軽量になっているので、重量的にも楽になったはずだと屋根を直してくれた業者さんがおっしゃっていました」

長い歴史を刻んできている分、修繕はどうしても必要となってくる。同時にその歴史の長さによって難しさもあるという。上田さんは「自分が一代で営んでいるわけじゃないので、増改築されてきたことでどこが次にガタがくるかというのがわからないんです。先代たちがどの順番で改築したのかを残しているわけでもないですし、たいへんですね。こんなところがいきなり…など、予想が立てづらいです」と語る。

また、建物維持の面では、コロナ禍で別の気づきがあったそうだ。「建物に人の出入りがないとくたびれちゃうと感じたんです。なので、宿泊客がいらっしゃらないとき、中をうろうろして風を通すようにしました。おかげさまでコロナ禍があけてすぐに来てくださるようになり、すごく助かっています。それは宿泊費をいただくという経営面ももちろんなのですが、人が建物に入ってくれるということでも、建物維持につながっているような気がします」

旅館として客の利用が続くことで建物自体にも命が宿り続ける。なんとすてきな人と建物のつながりではないだろうか。

大広間から朝熊山の方角の眺望。この下に見える屋根がコロナ禍に修繕した一部。鬼瓦は掃除してもらい、昔のものを残している大広間から朝熊山の方角の眺望。この下に見える屋根がコロナ禍に修繕した一部。鬼瓦は掃除してもらい、昔のものを残している

建物の魅力とともに“旅館”としてのおもてなしを

麻吉旅館を代々受け継いできた家族の一員として生まれ育った上田さん。関西地区での料理の修業を経て、10年前から料理スタッフとして加わり、2023年に代表となった。

上田さんが旅館で働くようになったころから、客の多くが建築ファンや歴史的雰囲気を求めて訪れている人だと知ったそうだ。そんななかでこれからは「料理を目的に来ていただく割合も増やしたい」と考えている。

「食事と宿泊を一ヶ所でというのは、ある意味では、いちばんもてなされると思うんです」

料理店としてスタートし、旅館となってからも伊勢に来る旅客をもてなしてきた歴史を継いでいく心がまえがあるという。伊勢志摩地域の海の素材が7割の料理が並ぶ。そこに、上田さんは「三重県は酒蔵が多いので」と日本酒ソムリエの資格をとり、日本酒を合わせてもらう楽しみも加えた。

素泊まりも受け付けているが、料理付きでのリピート宿泊も増えており、「料理も認めてもらえているのかな」と嬉しく思っているそうだ。

取材協力:麻吉旅館 https://sites.google.com/view/asakichiryokan/

昔の調理場が残されており、見学も可能。昭和初めごろまで使われていたという昔の調理場が残されており、見学も可能。昭和初めごろまで使われていたという

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