日本全国、海外からも観光客が訪れる足立美術館
最寄り駅のJR安来駅から9キロほど離れた場所に、足立美術館はある。周囲には田園風景が広がり山に囲まれた場所に、日本全国だけでなく、海外からも観光客が訪れているというのはにわかには信じがたいかもしれない。普通車400台が駐車可能な広大な駐車場の先に見える白い建物が、足立美術館だ。取材に伺ったのは開館してすぐの9時ごろだったが、すでに大型の観光バスが何台も並んでいた。島根県への旅の目的地として挙げられる出雲神社と併せて足立美術館に足を運ぶツアーが多くあり、ホテルを出て朝一に訪れる人が多いようだ。年間で60万人以上が来場する足立美術館を取材した。
日本一の日本庭園と日本有数の横山大観コレクション
「足立美術館」という名前から、当然、美術品の展示をメインとした施設であると分かるが、それだけではない。足立美術館には、米誌ランキングで20年連続日本一に選ばれた日本庭園があるのだ。2023年現在、アメリカの日本庭園専門誌『数寄屋リビングマガジン/ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング(Sukiya Living Magazine: The Journal of Japanese Gardening)』で20年連続日本一に選ばれている。京都府の桂離宮(2位)や、東京都の山本亭(3位)を抑えての1位である。日本一の日本庭園は、実質世界一と言えるだろう。また足立美術館は、別名「大観美術館」とも呼ばれている。横山大観の初期から晩年にかけて約120点を所蔵し、質量ともに日本随一のコレクションを所蔵していることでも知られる。現代日本画や陶芸なども含めて所蔵総数は約2,000点。名画と名園の両方が楽しめる美術館なのだ。
足立美術館は1970年11月開館。当時は小さな展示室のみだったが、より多くの作品を展示できるよう増築、増設をしている。本館は2階建てで、1階から庭園を眺めることができ、2階には近代日本画の展示室と横山大観の特別展示室がある。2010年にオープンした新館は、本館と地下でつながっており、こちらには主に現代日本画が展示されている。2020年には本館に別棟、魯山人館が開館。北大路魯山人の作品だけを展示する専門施設だ。
総敷地面積は16万5,000m2、約5万坪という広大な土地、日本一の日本庭園に日本有数のコレクション。この特徴的な足立美術館の見どころの前に、館を語るうえで欠かせない足立全康について触れてみたい。
「大観は一生の恋人」横山大観に心酔した足立全康
足立美術館を創設した足立全康は、1899(明治32)年、島根県の農家の家に生まれた(現在の足立美術館所在地が出生地)。12歳で実家の農業を継ぎ、14歳のとき、農業をしながら大八車で木炭の運搬をはじめる。そこで全康は余分に仕入れた木炭を民家に売る小売りを思いつき、よいときは運搬費の倍の収入を得るほどだった。さらに、炭を売った帰りに、空の大八車に赤貝を積んで近所の店に卸して…と、若いうちから商人の才能を発揮する。その後、大阪で炭団(タドン)業や米の仲買い、繊維業卸しなど、さまざまな事業を立ち上げ、島根と大阪を行ったり来たりする生活が続く。第二次世界大戦後は、大阪で繊維業や不動産業などを立ち上げ、特に不動産投資では大きな財を成した。
実業一辺倒に思える足立全康だが、大阪での体験がその後の人生に大きな影響を与える。昭和22~3年ごろ、心斎橋通り付近の、バラック建ての骨董店で、横山大観の「蓬莱山」を見かけるのだ。通って眺めるものの、とても買える値段ではなく、購入を諦めるのだが、以降、全康は横山大観の作品を中心に収集をはじめることになる。横山大観の作品の収集は、寸時も脳裏を去らぬ一生の課題であり、大観はまさに「一生の恋人」である、と足立全康は著書でも語っている。所蔵品が増えるにつれ、全康は、蔵にしまっておくだけではもったいないと思うようになる。ふるさとに美術館を建てたいという気持ちが日に日に強くなっていくのだ。
ーーーそうや、郷里に生きた絵を、絵ごころをプレゼントしよう。幼い頃から、さんざん苦労して育った故郷で、青少年のために役立つことをしたい。(引用:「庭園日本一足立美術館をつくった男」足立全康 日本経済新聞出版社)
1970(昭和45)年11月、足立全康は71歳のときに、財団法人足立美術館を創設。驚くことに足立美術館は開館以降、年中無休で営業している。
来館者を驚かせる斬新なアイデア
足立美術館には、多くの見どころがある。本館正面玄関そばの「歓迎の庭」からはじまり、館内に入ると「苔庭」、「枯山水庭」、「生の額絵」、「亀鶴の滝」、「池庭」、「生の掛軸」、「白砂青松庭」などを、館内を歩きながら鑑賞することができる。実際に足を運んですべての庭の美しさを体感していただきたいが、そのうちからいくつか見どころをご紹介したい。
主庭「枯山水庭」
戦国時代の毛利氏と尼子氏の合戦で、毛利軍が陣を置いたとされる「勝山」が借景。人工の庭園が近景、竹林が中景に、勝山が遠景となり見事に調和している。中央の立石が険しい山を表現し、そこから流れる滝水が手前の白砂に流れ込む情景を表している。
生の額絵
窓枠が額縁のように風景を切り取り、四季に合わせて自然に移り変わる屏風のようだ。樹齢100年を超えるクスノキを活かした仕掛けだそうだ。
亀鶴の滝
借景の亀鶴山を流れる15メートルの滝。横山大観の「那智乃瀧」をイメージしている。足立全康はある日、いつものようにロビーから庭を見回していて、「あそこに滝があったらいいんじゃないか」と閃いた。山の所有者と交渉し、なんと、人工の滝を造ってしまったのだ(滝を流れる水は閉館時間になると止まる)。開館8周年を記念して開瀑した。
足立全康が全身全霊を傾けた庭造り
とにかく来館者に楽しんでもらいたい。足立全康はその一心で足立美術館の敷地内の本宅に居住し、朝から夕方まで庭造りに心血を注いだ。毎日どこかしら庭に手を加えていたという。
生の掛軸
全康が生前寝起きしていた本宅内で見られるのが「生の掛軸」だ。床の間の壁に縦132センチ、横74センチの穴を開けて、向かい側にある白砂青松庭が鑑賞できるようにしている。当時、「床の間の壁に穴を開けるなんて」と周囲は大反対だったという。結局、足立全康自身が壁をぶち抜いてしまったのだとか。掛軸からは四季折々の風景が鑑賞できる。
白砂青松庭
横山大観の名作「白沙青松」を表現。なだらかに築山が傾斜し、大小の松が配置されている。庭の石は佐治石。
日本庭園と名画が楽しめる足立美術館であるが、そのコンセプトからも、足立全康らしさが見受けられる。全康の父が庭いじりが好きで、全康自身も庭園が好きだった。11歳のころ、安来市の雲樹寺の枯山水の禅宗庭園をみて感動したこともコンセプトの由縁なのだろう。足立全康は当初から日本庭園と日本画を二本柱にした美術館を思い描いていた。当時は恐らく何もない、田園風景が広がる土地から、山を借景にした庭園を想像していたのだから見事としか言いようがない。庭園を愛し、横山大観に心酔した足立全康だからこその庭園なのだ。
「庭園もまた一幅の絵画である」足立全康の意思をつなぐ庭師たち
足立全康は1990(平成2)年、91歳で永眠する。全康が貫いた日本庭園こそ「一幅の絵画」という理念。全康が逝去してから30年以上が経つのだが、その庭造りへの思いは、庭師と足立美術館の職員たちにも受け継がれている。庭園の維持管理について、公益財団法人足立美術館 広報係長の菅野綾夏さんにお話を伺った。
「足立美術館には庭園部があり、2023年現在、専属の庭師5人が庭園管理にあたっています。足立美術館は年中無休なので、1年を通して毎日、庭師が開館前に庭園の様子を確認し、何か問題や異常があれば、開館時間の9時までに修復や手入れ、掃除をしています。専属の庭師がいるのは開館当初から変わりません。毎日同じ目線で見ているのでちょっとした変化にも気が付くことができますし、対処も迅速に行うことができます」
広大な敷地の日本庭園に目を配るのは、庭師だけではない。
「開館前は、1時間ほどかけて職員総出で掃除をしています。館内には喫茶室や茶室がありますが、それぞれから庭園が眺められるので、職員たちは日々仕事をしながら庭の景観にも気を配っています。喫茶室の担当は庭も気に掛けますし、学芸員は窓ふきもしますし、庭師も展示替えのときは一緒に手伝ったりと、美術館のスタッフは職務の垣根なく、お互いの仕事を担い合っています」と、菅野さん。
現在、庭師の一番の若手は、地元松江農林高校出身の23歳だそうだ。全康の庭にかける情熱は専属の庭師と、職員たちにも脈々と受け継がれているようだ。
春夏秋冬の一期一会
山を借景にした足立美術館は、季節の移ろいを庭園と周辺の山林の変化とともに感じることができる。季節ごとの見どころを菅野さんにお聞きした。
「春は山の借景の山桜と、芝の色が徐々に緑色に変化し、新芽が芽吹く景色がおすすめです。夏は剪定が終われば涼しげな赤松が見られます。夏は青空もきれいですが、雨が降った後は借景に霧雲が立ち昇り、まるで日本画のような情景が鑑賞できることもあります。梅雨時期は雨が降れば石が黒光りし、趣ある落ち着いた庭を眺めるのもいいですね。秋はやはり紅葉でしょうか。10月くらいからドウダンツツジが赤くなり、11月中旬になるとイロハモミジの紅葉と、借景の紅葉も楽しめます。冬は、水墨画のような雪景色が見られます」
季節や日々の変化のなかで、一年中、庭の維持管理は大忙しだ。春には芝刈り、サツキの刈り込みや整枝、黒松の芽摘み。夏は約800本の赤松の剪定。数ヶ月かけて行う、1年の中で最も大事な作業なのだそう。秋になると黒松の整枝や落葉掃除、冬は樹木保護と鑑賞のために雪落としや、光悦寺垣などの竹細工も行う。ここに記載したのは代表的な作業のみで、池の管理や雑草の除去など、細々したことは日々発生する。さらに、何かあったときのために松など、樹木を育てる場所もあるそうだ。「めったにありませんが、倒木や、大きくなりすぎてバランスが悪くなったりした場合に備えて松をストックし、育てる場所が必要ということで、仮植場を設けています。赤松だけでも400本ほどのストックがあります」と、菅野さん。
四方見回しても美しい日本庭園は、一朝一夕ではできない努力の積み重ねと、日々の管理の賜物であると感じる。全康は周囲に夢を語る人であったという。「山陰一、西日本一、日本一、世界一の日本庭園を造りたい」その思いはこれからも受け継がれ、訪れた人を楽しませてくれるだろう。今回は庭園を中心にご紹介したが、美術品も豊富に展示されているので、時間をたっぷりとって名画と名園をぜひ鑑賞してみてほしい。
取材協力/足立美術館
https://www.adachi-museum.or.jp/
























