バブル崩壊、瀬戸大橋開通のダブルパンチに沈んだ商店街

現在開発が進んでいる高松駅周辺と丸亀町周辺の位置関係。高松駅の海側の開発エリアはもともとは港。瀬戸大橋完成で連絡船が不要になり、埋め立てられてオフィスやホテルなどに変わった。高松城があったのは駅の右側、そこから丸亀町などにまちが続いていた(地方創生ホームページ内、都市再生緊急整備地域及び特定都市再生緊急整備地域一覧の地域のプロフィールより。2023年4月1日現在)現在開発が進んでいる高松駅周辺と丸亀町周辺の位置関係。高松駅の海側の開発エリアはもともとは港。瀬戸大橋完成で連絡船が不要になり、埋め立てられてオフィスやホテルなどに変わった。高松城があったのは駅の右側、そこから丸亀町などにまちが続いていた(地方創生ホームページ内、都市再生緊急整備地域及び特定都市再生緊急整備地域一覧の地域のプロフィールより。2023年4月1日現在)

最初に高松丸亀町商店街の概要をご紹介しよう。香川県高松市の中心部に位置する丸亀町商店街は徳川幕府開府の7年後となる慶長15(1610)年に高松藩主・生駒正俊が丸亀にいた商人たちを今の場所に移したことから始まった。以来、江戸時代には高松藩の御用商人を輩出するなど商業の中心として栄えてきた。

ところが、バブルによる地価の高騰で居住者が郊外へ流出。中心部の空洞化が始まり、同じタイミングで1988年には瀬戸大橋が開通。それまで大型店がほとんどなかった香川県に大型店が相次いで出店。地元の商店街はそれによってダブルパンチを食らった。

といっても不良債権を抱えたままでは新たな投資はもちろん、廃業すらできない。そこで丸亀町商店街が取った最後の手段が再開発である。全長470mのアーケード街を7つの街区に分けて再開発を進めてきており、現在はそのうちの4街区、6割までが完成。現在も建設は続いている。

すでに再開発が終わった部分にはエリアごとのテーマに沿って店舗が並び、居住者が増加。2014年以降、路線価は市内最高額を維持し続けている。こうした例は国内でも他にないことから成功例としてしばしば取り上げられており、LIFULL HOME’S PRESSでも2015年に紹介記事を掲載している。

超高齢化時代の街づくりのヒント?!「医食住」の住まい方を探る~高松丸亀商店街の再開発①
街づくりは法律との戦い!?本当の意味の官民連携を探る~高松丸亀商店街の再開発②

現在開発が進んでいる高松駅周辺と丸亀町周辺の位置関係。高松駅の海側の開発エリアはもともとは港。瀬戸大橋完成で連絡船が不要になり、埋め立てられてオフィスやホテルなどに変わった。高松城があったのは駅の右側、そこから丸亀町などにまちが続いていた(地方創生ホームページ内、都市再生緊急整備地域及び特定都市再生緊急整備地域一覧の地域のプロフィールより。2023年4月1日現在)かつての高松城方面からアプローチすると手前に百貨店があり、その奥に見えるドームが丸亀町商店街の入り口にあたる
高松市内、香川県内のみならず、中央官庁のアドバイザーなど複数務める古川康造さん高松市内、香川県内のみならず、中央官庁のアドバイザーなど複数務める古川康造さん

では、なぜ、丸亀町は再生できたのか。もう一度、前回の取材にご協力を頂いた丸亀町商店街振興組合理事長の古川康造さんに話を伺った。

なぜ? という問いに対する答えは「やらざるを得なかったのです」。

「バブル期、売り上げががんがん上がっていた頃に銀行の『1銭もかかりません、全額融資するからマンションを建てましょう、土地を買いましょう』という言葉に商店街全員が乗ってしまっていました。ところが、バブルが崩壊して土地の値段が11分の1ほどに暴落。途端に銀行は返せ、返せと言ってくるように。商売外で大負債を抱えてしまったのです」

加えて前述したように瀬戸大橋の開通で流通が安定、大型店がどんどん出店してきた。10年で総売り場面積が倍になったと聞けば、その猛攻ぶりが分かる。対抗しようにも商品開発、設備投資、業種転換、いずれにも銀行は金を貸してくれない。廃業を考えるも、不良債権の取り立てがあり、廃業すらできない。

「ずるずるとダメになっていく場合には手が打ちにくい。でも、逆に熱湯を掛けられたらやるしかない。座して死を待つよりは動こうと一致団結できたのです」

現在開発が進んでいる高松駅周辺と丸亀町周辺の位置関係。高松駅の海側の開発エリアはもともとは港。瀬戸大橋完成で連絡船が不要になり、埋め立てられてオフィスやホテルなどに変わった。高松城があったのは駅の右側、そこから丸亀町などにまちが続いていた(地方創生ホームページ内、都市再生緊急整備地域及び特定都市再生緊急整備地域一覧の地域のプロフィールより。2023年4月1日現在)瀬戸大橋は2023年で開業35年。開業が四国経済に与えた影響は大きい。ちなみに青函トンネルも同年に開業している

バブル崩壊前から全国の失敗例を取材、学んできた

そもそも、古川さんたちはバブル経済真っ只中の時期からこんな状態が続くわけはないと考えていた。商店街の、高齢の人の中にはこの好況が永遠に続くと考えている人もいたが、若手は懐疑的だった。いずれ破綻するだろう、その傷は大きなものになる、だとしたらどう立て直すべきかを早くから考えておくべきだ。

そこで1990年から街全体のリニューアルについて調査を始めた。全国の失敗した再開発、衰退した商店街などを調べ、そこに学ぼうというのだが、市役所、県ともにこの好況期に何を言うのかと相手にしてくれなかった。そこで古川さんたちは経済産業省に相談に赴き、そこに同じことを考えている若手たちがいることを知る。

「ダイエーが市場を席捲、小売業が大打撃を受けていた時期でしたが、規制緩和前夜の、大型店の売り上げには翳りが見え始めていました。その中で経産省若手の人たちは私たちと同じように地方都市はこれから10年、15年後には衰退する、そのときにどうすべきかを考えて議論をしていました」

そうした存在に力を得、古川さんたちは失敗例を学び始める。といっても役所はもちろんのこと、当事者は失敗を認めたがらないものである。現地に行っていろいろ聞いて回るなどして調べた結果、特に再開発についてはほとんどが失敗だと思うに至る。

「役所主導の再開発は成功していません。人のお金でやることには覚悟が伴いませんし、どうしても前例主義になりがち。リスキーなこともやりたがりません。その結果が債務超過などにつながる。だったら身銭で、民間主導でやろうと考えました」

ほとんどの再開発が失敗していると知りながらも、再開発を選んだのは再開発が目的ではなく、自分たちがやりたいことをやるための手段として再開発という手法が使えると思ったからである。

目的は居住者を取り戻すこと

かつてのA街区の様子(丸亀町まちづくり戦略 2022年9月 新改訂版より、以下★は同じ)かつてのA街区の様子(丸亀町まちづくり戦略 2022年9月 新改訂版より、以下★は同じ)

では、再開発で何をやろうとしたのか。それは居住者を取り戻すこと。

「バブル期に地価が高騰、駐車場代が月に5万5,000円にもなっていました。成人すると同時に車を買うような地域で、1人1台車を所有するのが当たり前の家庭からしたら大きすぎる負担。だから住んでいた人はどんどん郊外に出て行きました。すると商店街に何が起こるか。業種がどんどん偏っていくのです」

住んでいる人がいないのだから青果店、鮮魚店も、銭湯、雑貨店も成り立たない。現在の丸亀町商店街には36軒の飲食店が並ぶが、開発前には飲食店はゼロ。その偏りがさらなる衰退を呼んだ。

今、丸亀町商店街がブロックごとに業種、テーマを決めてテナントミックスを目指しているのはそのときの反省からである。商店街の中にさまざまな業種が揃い、そこを買い回ることで生活が成り立てば住んでいる人たちには便利。かつての衣食住に変わり、医食住を意識したテナント構成は入居者に選ばれるためのまちをつくるための大事なポイントなのだ。

かつてのA街区の様子(丸亀町まちづくり戦略 2022年9月 新改訂版より、以下★は同じ)現在のA街区。平日なので人通りはかなり少ないが、かつての姿とは大きく異なるものになっている

そしてバランスよくテナントを入れるために土地の所有と利用を切り離した。ご存じのように所有権は最強の権利である。自分の持っている土地を放置しようが、周囲の迷惑になる店舗を入れようが、そこには誰も口を挟めない。だが、そのままの状態では理想的なテナントミックスは実現できない。

そこで、建物完成時点から60年の定期借地権を設定、所有権は各自手放さないまま、利用権だけを放棄することにした。それによって細分化した土地を限定期間だけ共有して有効活用することが可能になり、再開発もテナントミックスもできるようになったのである。

「一定期間貸してくれと言っても貸してはもらえません。また、一般の再開発だと土地は売ることになる。でも、定借なら土地の所有権は手放さずに済み、60年過ぎたら建物は解体、土地は更地になって地権者に戻ってくる。この仕組みだったから合意が形成できたのです」

かつてのA街区の様子(丸亀町まちづくり戦略 2022年9月 新改訂版より、以下★は同じ)街区ごとにテーマを決め、過不足なく生活に便利なテナントが入るように考慮されている(★)
かつてのA街区の様子(丸亀町まちづくり戦略 2022年9月 新改訂版より、以下★は同じ)細分化され、所有者が自由にできる状況ではまち全体を変えることはできない。丸亀町が取った手段を解説したもの(★)

商店主は廃業、全員で業種転換

最初は100年の定借を考えていたそうだ。相談したところ、建設会社は「建物は100年、十分持ちます」と自信を持って答えた。だが、そこまで長い期間、そもそも会社が存続するのかという声もあり、最終的には法定耐用年数の60年に落ち着いた。

60年後、どうするかという議論も交わされたという。

「何度も議論になりましたが、結局誰も予想できない。だったら、できなことの議論は止めようということになりました。ひとつ、分かっているのは必ず白紙の状態で孫たちの手に戻るということ。であれば、そのときにその世代が考えればいいのではないかと思っています」

実際には60年後に建物がまだ使用できるようならそこから30年延長できるという特約が付けられており、建物次第ではあるが、実際には100年近く使われ続ける可能性もある。

G街区からA街区方向を見たところ。建物間にかかる空中通路、ベンチ、植栽のある街路を造るための交渉にも時間がかかったそうだG街区からA街区方向を見たところ。建物間にかかる空中通路、ベンチ、植栽のある街路を造るための交渉にも時間がかかったそうだ
G街区からA街区方向を見たところ。建物間にかかる空中通路、ベンチ、植栽のある街路を造るための交渉にも時間がかかったそうだこちらはA街区の広場からG街区方面。他の商店街にはない植栽が彩を添える

ところで、ここでひとつ気づくことがある。商店主=地権者の土地の所有と利用を分けるということは地権者はそこで商売をしなくなり、商店主でなくなるということである。

「開発を決めた時点で全員で廃業、業種転換をしてまちの経営者になりました。開発は全員を正しく廃業させるために必要だったともいえます。商店街はまちや生活の機能の一部でしかありません。私たちは商店街を再生させようとしたのではなく、まちづくりをしようと考えたのです」

地域の特性を踏まえた人口計画を立案、そこに必要な施設を計画的に誘致して人を呼び込み、住む人たちにとっての利便性を高めてまちを再生させる。本来であれば行政がやるようなことを民間が行い、成果を上げている。それが丸亀町で行われていることなのだ。

本来は公共がやるようなことと書いたが、書きながらそれが行政にはできないことも分かっている。公有地だけでの計画ならまだあり得るとしても、そこに私有地があると所有権という最強の権利が邪魔をする。それを定借利用で分離できたところに丸亀町の成果がある。

G街区からA街区方向を見たところ。建物間にかかる空中通路、ベンチ、植栽のある街路を造るための交渉にも時間がかかったそうだ丸亀町のシンボル的な存在、ドーム広場
G街区からA街区方向を見たところ。建物間にかかる空中通路、ベンチ、植栽のある街路を造るための交渉にも時間がかかったそうだ取材時には広場の中央にストリートピアノが置かれていた

脱車社会という先見性

当初、再開発で誕生した住宅はシニア層を対象にしたもの。その人たちが安心して暮らせるようクリニックが入居している当初、再開発で誕生した住宅はシニア層を対象にしたもの。その人たちが安心して暮らせるようクリニックが入居している

もうひとつ、注目すべきは最初から車に依存しないまちを目指したということ。最近でこそ、高齢者の免許返納、交通難民問題が注目を浴びるようになったが、丸亀町の計画が始まった時点ではまだまだ車社会万歳! が世の大勢だった。

「郊外居住で高齢化が進み、運転できなくなったら大変だと早い時期から危機感がありました。そこで最初に造った住宅では運転が難しいシニアや障がい者、シングルマザーなどの社会的弱者を意識し、具体的にはシニア向けの住宅、その人たちに向けての医療施設、運動施設などを用意しました」

若い人たちも取り込めないかと調査はしてみた。だが、そのときに行った調査ではいわゆるニューファミリーは車社会を謳歌し、まちなか居住は不便と考えており、郊外居住以外は考えたこともないというのが結論だった。

当初、再開発で誕生した住宅はシニア層を対象にしたもの。その人たちが安心して暮らせるようクリニックが入居している商店街内には車はもちろん、自転車社会の高松市にありながら自転車に乗っての通行も不可とされている。通り沿いにはベンチがあり、寛ぐ人の姿を見かける

ところが、この4~5年、変化が起きていると古川さん。

「ちょっと先の見える人たちのなかには、郊外で車に頼りきりの生活をしていると、これから悲惨なことになると気づき始めている人もいます」

高齢になって大変という以前に車にかかる経費が生活を圧迫している。一般的なファミリーカーを1台所有するのにローン、税金、駐車場代その他と積み上げていくと月額7万円ほどがかかる。夫婦2人で2台所有したら14万円。現在はそれを最優先して払い続けているが、それが不要になったら生活は大きく変わる。

また、今後、自治体の財政事情が悪化した場合、郊外の車に依存した地域での行政サービスはどうなるか。そうしたことを考えるとこのままでいいのか、疑問を抱く人が出てきているというのである。

「車利用を全くやめるわけにはいかないとしても、過度な依存からは抜け出していこう、歩いて生活しようと考える若い人たちが増え、まちなか居住に目を向けています。丸亀町でも駐車場ビルの1階に讃岐おもちゃ美術館ができたことでこの1年ほどでベビーカーの姿を見ることが増え、若い人たちが集まってきていることを感じます」

当初、再開発で誕生した住宅はシニア層を対象にしたもの。その人たちが安心して暮らせるようクリニックが入居しているG街区の丸亀町グリーン上階に設けられた住宅。まちなか居住推進の事例として市内のマンション建設ラッシュのきっかけになったとも。屋上には庭園も造られている
当初、再開発で誕生した住宅はシニア層を対象にしたもの。その人たちが安心して暮らせるようクリニックが入居しているG街区中庭。屋根があり、ベンチも配されている空間で、高校生、ビジネスマン、女性グループ、高齢者、さまざまな人たちが勉強したり、会話を楽しんだり

開発は現在進行形で現在も継続、加速中

丸亀町と道を隔てた商店街のアーケード沿いで進んでいるマンション建設。この場所から100mと離れていない場所でも、もう1棟建設が行われていた丸亀町と道を隔てた商店街のアーケード沿いで進んでいるマンション建設。この場所から100mと離れていない場所でも、もう1棟建設が行われていた

実際、丸亀町のマンション事業の成功に倣い、このところ、高松市内ではマンション建設ラッシュが起きている。取材後、複数の不動産ポータルで検索してみたところ、その数なんと16物件。供給過剰と言ってもいいような状態である。

「地元の事業者だけでなく、県外のデベロッパーも多く、市内南部は苦戦している様子。住宅だけを整備してもダメで、地域でのテナントミックスが必要なのですが、デベロッパーは住宅しか造れませんから仕方ないことです」

かくいう丸亀町でも現在マンション建設が進んでいる。高松市大工町・磨屋町地区市街地再開発組合による事業で、1~2階に小児科、脳神経外科や皮膚科など複数のクリニックが入るメディカルモールのある医療一体型複合開発となっている。

今後はそれに加えて現状、まちにない温浴施設や介護施設などの建設も計画されており、さらに住みやすい地域にしていくとも。そしてその変化は加速している。

丸亀町と道を隔てた商店街のアーケード沿いで進んでいるマンション建設。この場所から100mと離れていない場所でも、もう1棟建設が行われていた現在建設が進んでいる丸亀町のマンション。クリニックモールを入れるなど差別化が図られている

「最初の開発では35mの街区で建物を除去するために16年かかりました。ですが、以降、変化は加速しています。また、その時に建築された建物はすでに20年近くになっており、そろそろ借入も返済が終了。これからは回収に入るフェイズを迎えます。現状、当初計画での残りは4割ほどですが、途中、政権交代の影響で多少後退した時期はあったものの、一切ぶれずにきました。これからも現状ではなく、先を見て計画、開発を進めて孫たちに財産を渡せるようにしていこうと考えています」

バブル経済崩壊後の停滞の中、先がないという危機感が生んだ丸亀町の変化だが、現状の日本は当時の丸亀町と似たような状況にある。世界の中でみると先頭を走っていたはずの東南アジアでもだいぶ置いて行かれた状況にあり、ふと気づくとずいぶんと貧乏な国になってしまった。そこからどう抜けていくか。丸亀町に学ぶことは多いのではなかろうか。

丸亀町と道を隔てた商店街のアーケード沿いで進んでいるマンション建設。この場所から100mと離れていない場所でも、もう1棟建設が行われていた丸亀町まちづくり戦略 2022年9月 新改訂版から現在進行中の計画。このうち、上部のおもちゃ美術館はすでに2022年に開業している
丸亀町と道を隔てた商店街のアーケード沿いで進んでいるマンション建設。この場所から100mと離れていない場所でも、もう1棟建設が行われていたA街区入口は他の2つの商店街と交差する場所でもあり、現在はガラスのドームのある広場に。そこで行われるイベントには多くの人が集まる(丸亀町まちづくり戦略2022年9月 新改訂版より)

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