地形こそが東京の財産? ワクワクする東京とは?
2003年に皆川典久氏によって設立された東京スリバチ学会は地形の窪みをスリバチに見立て、まち歩きをする団体。NHKで2008年からスタートした人気の散歩番組「ブラタモリ」に取り上げられたことから広く参加者を集めるようになり、多くの人たちに地形を体感する楽しさを伝えている。
その観点で東京を見ると、地形こそが固有の財産だと皆川氏。たとえば地図に地形を重ねてほかの都市と比べてみるとその違いは一目瞭然。
「大阪の中心部は大半が低地で大阪城が半島状の上町台地の突端にあります。ところが江戸城はその背後にある広大な武蔵野台地の突端にあり、周辺の地形は実に複雑。利根川、荒川などがつくったデルタ地帯からたくさんの凸凹のある武蔵野台地までは高低差もあり、さらに武蔵野台地上には無数の谷、坂。これだけ起伏に富んだ地形はほかの多くの日本の都市にはないものです」
その東京のなかでも特に凸凹が多いのが山手線の内側。新宿駅より東側だと皆川氏。下りては上るように対になった、谷を越える坂が多いのである。皆川氏が例として挙げたのは千代田区麹町にある樹木谷坂。
麹町大通り(新宿通り)から麹町三丁目と四丁目の間を下り、二番町に上がる坂で、日本テレビの前を通る道といえば分かりやすいだろう。今、神楽坂にある毘沙門天、鎮護山善国寺がこの地にあったことから(麹町三丁目交差点脇の歩道に石碑が残されている)、善国寺坂とも言われる。かつては人の寄りつかぬ、亡骸の打ち捨てられた土地であったようで地獄谷、樹木谷と呼ばれていたとか。新宿通り側から眺めると上って下りてという坂であることがよく分かる。
ちなみに麹町から番町にかけてのエリアには樹木谷のほかにも清水谷、御厨谷という窪地があり、スリバチ好きには歩いて楽しい一角のひとつである。
スリバチをつくったのは湧水!?
では、そのスリバチはどうして生まれたのか。はっきりとは分かっていないものの、湧水が関係しているのではないかと皆川氏。枯れてしまったところも多いものの、今でも凹地の底に行くと水が湧いているところがあるのだ。
「関東地方特有の関東ローム層は水を通しやすく、スポンジ状に水をたくわえます。大地に降った雨は標高の高いところから下っていき、標高50mあたりから湧水となり、地表面に現れます。石神井川、善福寺川、妙正寺川、神田川、白子川などがそうした例です。神田川の源流は井の頭池ですが、行ってみれば分かるようにあそこは階段を下りたところに池のある大きなスリバチ。今では湧水はだいぶ少なくなっているようですが、湧水がつくったスリバチというわけです」
こうした地形を利用して江戸の大名庭園には必ず池が造られた。池の水はもちろん、武蔵野台地の湧水を利用した。都心には今でもそうした庭園が多く残されている。たとえばと皆川氏が挙げたのが港区にある区立有栖川宮記念公園や国立科学博物館附属自然教育園。
前者は江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷として使われており、明治に入って有栖川宮邸となり、その後、東京市を経て現在は区立公園となったもので、東側の高台から西南側に傾斜のある地形が特徴。もちろん、傾斜した土地の先にはせせらぎが注ぎ込む池がある。
自然教育園は江戸時代に高松藩松平家の下屋敷として用いられた後、明治になって陸軍の火薬庫として使われ、戦後になって文部省(当時)に移管されて、現在では全域が天然記念物および史跡に指定されている。園内にはその昔の武蔵野を思わせる池、湿地が広がり、都心とは思えないような動植物を見ることができる。
「それ以外にも六本木ヒルズ内にある毛利庭園やホテル椿山荘の庭園、東大本郷キャンパスの三四郎池などスリバチ、湧水を利用した庭園は多く残されており、これらはいずれも東京の大きな財産だと思います」
地形と水が東京の近代化に貢献
武蔵野台地の水利用では湧水や自然の河川以外に玉川上水にも注目したい。ポンプのない時代である。高低差を上手に利用し、尾根筋を選んで自然流下でいかに遠くまで水を運ぶかがポイントになるが、玉川上水は実にうまく造られていると皆川氏。
「谷間、尾根筋をよく見極めて造られており、千川用水、青山用水、品川用水と多くの分水が可能になっており、さらに上水路から自然の谷間に向かって水を流した。それによって水に乏しかった台地が徐々に豊かになり、開発が進みました」
水のコントロールは人口集積に寄与した。東京都立図書館のホームページによれば正確な数字は不明ながら、享保期ごろ(1716~1736)には江戸の人口は100万人を超えたといわれていたとか。1800年ごろ、北京の人口が90万人、ロンドンが86万人、パリが54万人といわれていたことを考えると、江戸は江戸時代中期に世界的に見ても巨大都市になっていたのである。
その急激な人口増加の要因として参勤交代の制度化で諸大名、その家臣たちが江戸に住むようになり、人も物資も江戸に集まったことが挙げられるが、それを可能にしたのは上水の完成で得られるようになった飲み水であり、物資運搬を支えた水路だったと考えると、地形と水が江戸の都市化を促進したとも考えられるわけである。
さらに江戸に大名屋敷が多く存在したことも日本の近代化のためにはプラスに働いたと皆川氏。
「江戸の土地利用は大名地が65%、寺社地が25%を占め、残りが町人地だったといわれます。その広大な大名地が明治以降官庁街や病院、大学、公園などに使われており、大名地のゆとりがあったからパリのように都市を大改造することなく、江戸の近代化が達成されたのです」
ここまででも東京の魅力を再発見するようなワクワクする話題が続いたが、氏が前半のラストで紹介したのが玉川上水復活の話題。玉川上水は2040年代を目標に、かつての流れを復活させる取り組みが2021年より動きだしている。これは水都東京未来会議の委員のひとり、日本大学の山田正教授のチームが東京都に提言し、都は2019年に策定した「『未来の東京』戦略ビジョン」に玉川上水系の清流復活を盛り込んだ。
「玉川上水に多摩川の水が導水され、さらには千川用水や三田用水、品川用水などに分水されれば、日常的に大地が涵養され、スポンジのような関東ローム層に水がたくわえられてスリバチの湧水が復活するのでは」とは氏の想像。「至る所で水が湧き出す東京、まさにワクワクする東京の実現です」。前半最後の締めは駄洒落であった。
東京の水辺を発掘する?
後半は、水辺を再評価する取り組みの紹介から始まった。
「東京は水の都」とも称される。山の手ではスリバチから湧き出た水が清らかな流れをつくり、下町では縦横に運河が張り巡らされていた。水と地形が育んだ江戸、東京だが、公園や地形そのものは残されているとはいえ、山の手の河川は多くが蓋をされ、下町の水路・運河は関東大震災、第二次世界大戦などを契機に埋められてきた。それをテーマに皆川氏は法政大学で学生たちと「東京発掘プロジェクト 水辺編」というプロジェクトをやっており、失われた水辺を発掘し、再評価・再活用する手はないかと模索を続けている。学生たちが自由な発想で描いた、水の都復活の魅力的な将来像が紹介された。
氏は母校である東北大学でも2012年より「環境」をテーマとした講座を受け持ち、水と地形を活用した「仙台モデル」と称される復興のオルタナティブが提示された。地形と水の豊かさこそが、この国の財産と強調し、自然エネルギーを活用した仙台の都市政策やこの国の将来像までにも話は及んだ。微水力発電や河川水の熱利用など、現段階でも実現可能なテクニカルな提案が含まれていたのも印象的だった。
すぐにでも実現可能? 水辺を変える提案
さて、前回のセミナーでは土屋信行氏から「隅田川バリア」(前回記事参照https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_01212/)の提案があった。同じ目的で建設されたテムズ川河口の可動堰(バリア)は実際に稼働し、高潮対策に効果を発揮している。高潮被害のリスクが低減され、バリアの内側は、より親水性の高い水辺が実現できるのだという。
「シンガポールのボートキーの近くに1年ほど住んでいたことがありますが、水辺が近く気持ちのよい場所でした。それはシンガポール川の河口に堰を造ることによって実現されたことを知りました。日本の場合、京都の高瀬川はとても水辺に近い魅力的な雰囲気を実現していますが、それは人工河川で水量をコントロールできるため。東京では石神井池の周りに親水性の高い景観がつくられていますが、やはり洪水リスクを低減させる工夫から成り立ったもの。隅田川バリアが実現し、東京でも水辺がもっと使えるようになり、舟運を日常的に使えるようになれば、魅力的な水辺が実現されるだけではなく、有事の際の緊急輸送路としても効果を発揮できるはずです」と隅田川バリアの意義は大きい。
だが、それが造られる以前でも水辺を魅力的にできる取り組みはあるはずと、皆川氏はいくつかを提案した。ひとつは既存の河川沿いの施設をリノベーションし、橋詰広場や水辺の公園を親水化する計画。いざというときは水没することを前提に広場や公園を階段状に掘り下げ、誰もが水辺に近づきやすくし、船着き場も設置するという構想だ。ここではザハ・ハディド氏設計によるドイツ・ハンブルグ市のすでに実践されている事例が紹介された。
次は高潮対策で造られた隅田川や神田川のカミソリ護岸をどうするか。耐震性の強化や将来のリスクに備え、嵩上げの必要もあるが、それに対する対策のひとつの手法として示されたのが防潮帯建築。日本各地、特に横浜市内の伊勢佐木町などには戦後の復興期、1952年に制定された耐火建築促進法に基づき、都市部の火災拡大を防ぐために建設された、いわば火災を食い止める壁となる帯状の建築群が多数残されているが、防潮帯建築はそれに倣ったもの。
皆川氏が提案した防潮帯建築は、高潮を防ぐため、既設のカミソリ護岸を補強するひとつのアイデアで、土木構造物が骨格となって賑わい創出の施設を誘致するというもの。
「既設のカミソリ護岸に対し、頬杖となるような壁を連続して建て、その間を賑わい創生のフリースペースとして活用。これなら既設工法であるL字形の擁壁よりも、合理的な建設が可能です。すなわち力がかかる方向に力学的要素を加えれば、全体の躯体量も低減できるし補強も容易。転倒モーメントを防ぐことも可能」と専門用語での解説が加わる。
それにしても氏が描いた2ヶ所の具体的提案、隅田川と日本橋川での防潮帯建築は魅力的。カミソリ護岸の水辺側が活用されれば、人気のない水辺風景は、一変するかもしれない。
都市にも水にも「遊び」が必要?
前回、隅田川バリアが建設された際の陸側からの洪水対策について、土屋氏より雨水を一時的に貯留する地下調整地の言及があった。今回の皆川氏は、オルタナティブとしての小規模遊水地の連携はどうかと提言する。
事例紹介の中には、妙正寺川調整池として日常的にはスポーツ公園として活用している事例や、越谷レイクタウンの事例もあった。氏は遊水池の魅力付けの可能性を強調する。
「土木施設単体の機能を、より複合的に生かす発想があってもよいのでは。土木施設のたくましさ(リダンダンシー)と建築施設の身軽さ(フレキシビリティ)の融合です」。具体的な提案図が示されたのは、なんと築地市場の跡地計画である。
「水の遊び場(湧水池)の機能を持たせ、舟運の拠点にする。潮汐による発電や河川水の熱利用など、取り組むべき課題にも触れていきたい。かなり妄想が含まれているけど、水都東京未来会議では先回りをして東京の将来像を提言したい。晴海や高輪などでも、その土地のポテンシャルを活用した未来像を描いてみたいです。誰に頼まれるわけでもなく」
楽しんで描かれたのであろうスケッチは、確かにワクワクする空間に見えた。遊び心あふれる水都東京未来会議の情報発信は、今後話題を呼びそうだ。
東京湾を内海に! オペレーション・オーとは?
最後の大問題は隅田川バリアをどこに造るか、である。「困ったときには地形に聞け! です」と、氏が示したのは関東広域の凹凸地形図。
「東京は実は2つの凹地のはざまに立地しています。そのひとつが関東造盆地運動と呼ばれる地殻変動による広大な凹地。初回の竹村公太郎先生の話にあった利根川の東遷はまさにこの地形的特色を生かしたもの。現在でも複数の河川が集まり、渡良瀬遊水地をつくっています。台風19号の際も、集中豪雨を一時的に貯水し、ダムとしての役割を果たし、首都圏を洪水から守ってくれた。
もうひとつが東京湾造盆地運動によってサークル状の形態が特徴の東京湾。前者と同じ理由で津波などに対しバッファーとなる役割を期待できる。すなわち東京とは山からの水の遊び場としてのスリバチと、海からの水の遊び場としての東京湾というスリバチに守られた稀有な立地特性を持っているのです」
「だからサークル状の内海を完結させるためバリアは外海出口に造るのが効果的」と皆川氏は、富津と三浦半島の一番接近しているところに防潮堤を造る妄想を披露した。名づけてオペレーション・オー。東京湾が隅田川バリアでつながることによって、大きなOになるのである。
「隅田川バリアの恩恵を受けるエリアも最大化できます。世界中の都市がうらやむ「水辺」が実現できる。それによって東京湾沿岸の資産価値が向上する。だから資金を募って民間でやるのが相応しいかと。個人的妄想なので、どうやって造るかなど課題は大きいけど、イメージができる分、設計図を描くことはできそう。デス・スターの設計図を描くよりは簡単です」
建築の世界ではこれまでも東京湾上を利用する計画が模索されてきた。もっとも早いものでは日本住宅公団の総裁だった加納久朗による「加納構想」(1958年)があり、翌年には菊竹清訓の「海上都市」、大高正人の「海上帯状都市」。そして1961年には世界的にも話題になった丹下健三の「東京計画1960」。
これは高度経済成長期の急激な人口増加に対して東京の求心型で放射状の閉じた都市構造では耐えきれなくなるとして、新たに都心から東京湾を超えて木更津方面へと延びる線形で平行射状の開いた都市構造を提案したもので、今も株式会社丹下都市建築設計のホームページ内で見ることができる。
また、この時に丹下健三の元にいた黒川紀章は1987年に東京湾の海底にたまったヘドロを浚渫(しゅんせつ)し、それを東京湾中央部に集めて人工島として固めるという東京湾浄化大作戦、「東京計画 2025」を提案してもいる。人口島と同時に山の手に環状の運河を造り、人口島には水路を巡らせ、人口島は都内に森を造るための換地として使うというもの。丹下が膨張する東京のさらなる拡大を考えたのに対し、黒川は東京湾を利用することで環境破壊に抗し、都内に自然を取り戻そうと考えたわけである。
それらと比べて皆川氏の提案を聞くと時代の変遷を感じる。丹下、黒川が眼前にある、過密化する東京の都市問題の解決手段として東京湾の利用を考えたのに対し、皆川氏の提案は、地形的特色を読み解き、東京だけではなく東京湾全体を魅力付けるもの。隅田川バリアは防災対策が主軸であるが、建設によって描かれる楽しい水辺の姿は、これまでの固い完成予想図とは大きく異なる。建築・土木といった枠組みを超え、生活者の目線で描かれる未来図を期待したい。
もちろん、そんな場所に堰を造ることが技術的に可能かどうか、それが東京湾の生態系を大きく変えることにならないかなど、いろいろ議論すべきことはあるだろう。「人が妄想できることは人が必ず実現できる」と皆川氏はセミナーを締めくくった。これは氏が勤務する建設会社のCMで流れている「人が想像できることは人が必ず実現できる」のオマージュ。言うまでもなく「八十日間世界一周」「海底二万里」などで知られるSFの父、ジューヌ・ヴェルヌの言葉である。ヴェルヌの予言の多くが実現していることを思えば、妄想、夢想と笑ってはいられないはずだ。
水都東京・未来会議
https://www.suitomirai.com/
丹下都市建築設計 東京計画1960
https://www.tangeweb.com/works/works_no-22/
株式会社 黒川紀章建築都市設計事務所 東京計画 2025
https://www.kisho.co.jp/page/114.html




















