広島市可部では、豊富な砂鉄を背景に鋳物産業が発展

現在日本で唯一の五右衛門風呂メーカーは、大和(だいわ)重工株式会社。江戸時代の1831(天保2)年創業の古い会社だ。広島県の山間部にあり、広島駅からJR可部線に乗り30分あまり、可部駅の正面に本社工場がある。

可部は、古くから中国山地で採取されてきた砂鉄と良質な木炭の集積所であり、「たたら製鉄(※1)」による銑鉄(※2)などの製品を、太田川を利用して船で海に運び出す要衝だった。まさに資源の中継基地として栄え、鋳物産業も発展した。大和重工はそのような中国地方の鉄づくりの流れを汲んでいる。

大和重工本社の入り口には、巨大な世界一の大羽釜が鎮座している大和重工本社の入り口には、巨大な世界一の大羽釜が鎮座している

大和重工の成り立ちは、約200年前に安芸の国、浅野藩の御用鋳物師である瀬良嘉助氏が立ち上げた事業から始まる。最初のころは、農機具の鍬(くわ)の部分や台所用品の鍋や釜など、生活に欠かせない鉄製品の製造に特化していた。五右衛門風呂をつくるようになったのは、明治時代に入ってからで、昭和になって最盛期を迎える。

※1:たたら製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたため付けられた名称
※2:銑鉄とは炭素の多い鉄のことで、鋳物に使われる

大和重工本社の入り口には、巨大な世界一の大羽釜が鎮座している五右衛門風呂の最盛期は昭和30年代。当時の工場風景

かつては月産1万本もの五右衛門風呂を製造していた

大和重工の五右衛門風呂の生産は、昭和30年代に月産1万本がピークとなり、その後需要が減少していった。洋式のライフスタイルへの転換を背景に、日本人のお風呂文化が変化したのだ。同社では、すでに昭和40年代からホーロー浴槽の研究が始まり、現代の生活スタイルにもフィットする洗練された浴槽を開発し、今では浴槽部門の売上の柱となっている。

しかし五右衛門風呂の生産は現在も途絶えることなく続けられていると同社の担当者。自宅での使用のほか、例えば古民家再生でのニーズや外国人を対象としたホテルのお風呂でのニーズ、またはリピーターとしての購入のニーズがあるそうだ。

リピーターが多い理由は、五右衛門風呂の保温性。それに慣れてしまうと、なかなか他に変えられない人もいるとか。お湯が冷めにくく、薪の残り火や風呂自体の余熱が有効に作用するなど、独特の効果がある。

五右衛門風呂をタイルで覆ったスタイリッシュなデザインもある五右衛門風呂をタイルで覆ったスタイリッシュなデザインもある

一方、温泉旅館やホテルの場合は、五右衛門風呂を機能としてよりも、イメージとして活用する場合が多い。本来は五右衛門風呂の真下から火を燃やして湯を温めるのだが、これらの施設では温泉水を流し込む湯舟として用いられ、ここ最近のインバウンドニーズに合わせた日本的な風情を出すのが目的だ。このように宿泊施設からの引き合いも多い。

また、五右衛門風呂は、エコの観点からも見直されている。鉄でできた製品は、壊れても炉で溶かされ、再び役立つ製品に生まれ変わるからだ。

五右衛門風呂をタイルで覆ったスタイリッシュなデザインもある温泉施設では五右衛門風呂を湯舟として、風情を楽しんでいる

五右衛門風呂の伝統工法にこだわり続ける理由とは

明治期には、そもそも五右衛門風呂の定義が現在とは違っていたそうだ。円筒形の木桶を鋳鉄製の底部にのせた風呂のことを指し、現代一般的な、全体が鉄の五右衛門風呂ではなかった。
その当時、近代製鉄法による鉄の生産が飛躍的に増加すると、風呂釜全体が鉄でできた五右衛門風呂が登場し、長州風呂といったり、広島風呂といった名前で売り出された。従来との違いをアピールする狙いがあったが、いつしか総称として五右衛門風呂というようになったそうだ。

大和重工の五右衛門風呂を製造する工場は、可部から北へ山を越えた安芸高田市にあり、熟練の職人たちが、暑い夏でも黙々と製造に励んでいる。

ここには五右衛門風呂の型があって、それを使うと、ラインを通して15分程度でできあがる。現代ではスピーディーに作れるようになっているのだ。

しかし同社では、独自の伝統的な工法で五右衛門風呂をつくることにもこだわっている。国内で唯一の五右衛門風呂メーカーという自負があり、もしも今の工法だけになってしまうと、昔のやり方が途絶えてしまうからだと担当者は言う。その専門の職人が2人いて、広島県認定ひろしまマイスター(鋳造)となっている。

伝統工法とは、昔ながらの回し型のことを指す。一つの五右衛門風呂を作るのに、毎回、型を砂から作り上げるのだ。素材は水と砂と粘土のみを使って、ゲージを回しながら固めていく。最初は粗挽きという工程で、粘土をどんどん積み上げていき、次に中挽きという工程で徐々に形を整えていく。最後の工程では、滑らかな原型に近いものとなる。砂も数十年前から何回も使ったもので、手に馴染んでいるそうだ。

安芸高田市の工場では、昔ながらの回し型という工法で製作している安芸高田市の工場では、昔ながらの回し型という工法で製作している

さて、その手作りの砂の型に1,500度程度の高温の鉄を流し込み、冷えるのを待って、型を壊すと中から鉄の完成品が出てくる。鉄の流し込みには熟練の技術が必要で、数年はかかる。最初は器用さなどの適性をみて選抜され、先輩に習いながらやがて一本立ちを目指す。

伝統工法の五右衛門風呂づくりは、継続することに意味があると同社は考えている。一つは、社会的意義として伝統工法の「継承」として、そしてもう一つは、開発のための「原点」としてである。基礎的な技術を身につけられ、新商品への応用につながるからだ。

安芸高田市の工場では、昔ながらの回し型という工法で製作している高温の鉄を流し込むにも熟練の技術を必要とする

五右衛門風呂技術があったからこそ、ホーロー浴槽へもチャレンジできた

大和重工は、五右衛門風呂づくりの高い技術があるからこそ、次の鋳物ホーロー浴槽を手掛けて成功できたのだ。一つは、浴槽の鉄を薄く作れる技術が高い。

鋳物ホーロー浴槽の構造も、芯に薄い鉄があって、そこに厚さ1mmのガラスコーティングをしていく。つまり、薄い鉄が作れないと何も始まらないのだ。

この技術開発が始まったのは昭和40年代。五右衛門風呂の売れ行きが落ち始め、次の生産品の柱を模索していたときだ。技術者が、1967(昭和42)年にドイツへ社長命令で視察に行き、乾式ホーローという大きなヒントを持って帰った。それまでの湿式ホーローから転換して、新しい装置をつくり、美しい光沢のホーロー浴槽が完成した。

また釉薬をかける職人の高い熟練技術も重要だ。ホーロー浴槽は3層のガラス層で形成されていて、厚みによる光沢感、深み、重厚感、耐久性を引き出すために、釉薬を3回に分けてかけている。この技術の習得も数年はかかるそうだ。

現在、鋳物ホーロー浴槽は高級ホテルからの引き合いが多く、深みのある美しさが人気だとか。さらに五右衛門風呂と同じ原理で、鉄の持つ保温性によって湯が冷めにくいなど、機能面でも評価が高い。

安芸高田市の吉田工場では機械を用いてホーローの焼成をする安芸高田市の吉田工場では機械を用いてホーローの焼成をする
安芸高田市の吉田工場では機械を用いてホーローの焼成をするホーロー浴槽は、独特な質感を求める高級ホテルからの引き合いが多いとのこと

アウトドアと五右衛門風呂を掛け合わせると

アウトドアでの活用が期待される移動式の五右衛門風呂『湯牧民[五右衛門風呂]』アウトドアでの活用が期待される移動式の五右衛門風呂『湯牧民[五右衛門風呂]』

今後も時代に合ったニーズに寄り添っていきたいと大和重工の担当者は言う。

大和重工では、新しい五右衛門風呂の開発も進めている。今、力を入れているのが、アウトドアで楽しめる五右衛門風呂だ。コロナ禍によって注目も高まっているそうだ。

商品名は『湯牧民[五右衛門風呂]』で、「お湯」と大自然の中で水や牧草を求めて平原を移動する「遊牧民」の自由さをイメージして名づけられた。移動式の五右衛門風呂というところだろう。キャンプ場など、野外で気ままに入浴を楽しめて、湯舟で体を温め、自然の景色を満喫できる。おとな2人で運搬・組み立てが可能なサイズで、間伐材燃料が使用でき、現地で薪を集めるところから楽しめる。設置状況に応じて、焚き口、排水、煙突の各方向が、90度ごとに取り付け可能なので、どんなキャンプ場にもフィットしそうだ。

アウトドアと五右衛門風呂という新しい組み合わせがユニークだ。大和重工の独自の高い技術で時代に応じたものづくりが続いていくのだろう。今後も五右衛門風呂の継承を担っていくことを期待したい。

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