DXを加速させる“脱ハンコ”

政府はデジタル庁を創設。河野太郎行政改革担当相も「99.247%の手続きで押印を廃止できる」と述べるなど、国を挙げてデジタル化を推進する動きが活発になっている政府はデジタル庁を創設。河野太郎行政改革担当相も「99.247%の手続きで押印を廃止できる」と述べるなど、国を挙げてデジタル化を推進する動きが活発になっている

ポストコロナ時代に向けて、経済再生への手法としてにわかに注目を集めるのが、脱ハンコ。
数々の行政手続きはもちろん、民間取引の現場からも押印の習慣をなくし、仕事の効率化を進めようとする政策だ。デジタル化の進んだ諸外国では、押印やサインの習慣どころか、紙の書類そのものがスマホやパソコン上のデータに取って変わってきている。デジタル技術により業務やビジネスの変革を目指すDX(デジタルトランスフォーメーション)は、究極の生産性向上をもたらすものとされている。契約書や、役所への申請、許可、登記に関わる書類など、現状では印鑑が必需品として用いられている不動産取引の現場はどうなっていくのだろうか。不動産会社各社の実務で脱ハンコの兆しは見えているのか。一般の消費者が脱ハンコによって得られるメリットとは。さまざまな規制や制限の中で、公正が重んじられる不動産取引において、効率化を進めるためには何が重要となるのか、探ってみた。

契約書と押印の意味とは

宅地建物取引業法によって、売買契約時に義務付けられているのが、「第37条書面」と呼ばれている契約書だ。売買における実務では、仲介(媒介)業務を行う不動産会社が書面を用意し、売主、買主に対してすべてを読み上げ、双方納得の上、ハンコを押して契約は終了する。しかし、法律上契約は契約書に記名押印することで成立するというような規定はなく、契約書がなくても契約は成立しうると考えられている。契約書には、取引される物件の詳細から、金額、代金支払いの期日など取引にかかわる条件の詳細が記されており、契約が成立すると同時に、買主は期日までに代金を支払う、売主は物件を引き渡すなど、当事者はそれぞれ書かれた中身の責任を負う。これを債務といい、その責任をお互いが履行するため、確認と承諾の意味でハンコが押される。ハンコを押す行為は、つまり一種セレモニーの色合いが大きいといえるのだ。

2020年4月に民法が改正された。522条「契約の成立と方式」の条文では、契約は双務契約の当事者の申込みとその承諾という2つの要素で成り立つとされる。その成立には書面や印鑑の有無でなく、申込みとその承諾の有無が優先されると明記されている。
不動産取引の実際では、宅地建物取引業法で契約書は義務づけられているが、基本法である民法では、契約において手続きや手法は自由で、今後は紙の書面に取って代わり、ハンコが不要な時代へ移行していく将来を予見したものになっているといえる。

不動産取引の場面では、賃貸借契約や売買契約、媒介契約などさまざまな契約において、契約書への押印が求められてきた不動産取引の場面では、賃貸借契約や売買契約、媒介契約などさまざまな契約において、契約書への押印が求められてきた

実印と認印の違い。印鑑証明書の役割

ハンコには実印と認印というものがある。実印の押印が求められている場合、必ず印鑑登録証明書(印鑑証明)の添付が必要となる。印鑑証明には実印の印影が印刷されており、登録している本人の氏名、住所、生年月日など、さまざまな情報が記載されている。印影によって印鑑の正当性が保証されているほか、本人確認の重要な書類となっている。このため多くの行政手続きに必要なものが実印だ。

不動産取引の現場では、登記申請において、印鑑証明付き実印が必要な場面がある。不動産登記とは、法務局という役所に備え付けられる登記簿に、土地や建物といった不動産物件の概要や所有権を持つ者の氏名とそれに付随する権利も記載する公の台帳だ。登記簿への記載を申請するためには、当然実印が必要と思われるかもしれないが、申請に当たっては、認印でいい場合も多い。
所有権保存登記や売買による所有権移転登記の場合でも、新たに所有権を得た買主の場合は、認印でも申請が通る。一般的に実印が必要となるのは、重要な意思表示を行う文書であり、それが本人の意思であることを証明する必要がある場合だ。
不動産の取引にかかわる文書は、どれもが重要な意思にかかわるといってもいい。売買契約書に押印する印鑑でも、実印を求めている場合が多い。しかし、契約書の印鑑が認印であっても、契約の有効性が失われることはない。要は契約の信憑性を高め、取引の安全を確保できるのであれば、認印であろうが実印であろうが変わることはない。

今後は、デジタルデバイスの進化によって、本人認証が確実なものになれば印鑑証明という日本独自のシステムも、消えていくものかもしれない。

ここまで進んでいる。不動産業界のペーパーレス・脱ハンコ

IT重説に続き、電子契約の導入も加速しそうだIT重説に続き、電子契約の導入も加速しそうだ

国土交通省は2019年10月から賃貸契約における重要事項説明のオンライン化(IT重説)の社会実験をはじめ、その結果を踏まえ、不動産売買や賃貸契約の際に交付する重要事項説明書を電子化し、メールで送れるようにする方針を固めた。電子化された重要事項説明書では押印についても不要とする方向で、2021年の国会に関連法改正案を提出する予定だ。コロナ以前から、IT重説をはじめオンラインによる不動産取引実務の普及に取り組んできた国は、コロナ禍によって人の動きが大きく制限される社会になった今、その動きを加速しようとしている。そんな動きを背景に、民間では実務における取組みが始まっている。
賃貸住宅大手の大東建託株式会社では、2020年11月より、社宅需要の賃貸契約に関して、契約法人との間で契約手続きを電子化。書面の郵送や押印を不要とし、業務効率化を目指す。年間1,600件にも及ぶ契約手続きをすべて、契約先、仲介会社との間に結ばれた専用システム上で完結させる予定だ。契約事務のオンライン化は、コロナの時代において対面でのリスクを回避し、業務の効率化を進めるうえで大きなメリットが期待できる。同社では、まず法人契約から手始めにオンライン化を手掛けていくが、今後一般消費者との契約事務をオンライン化するためには、法改正も必要になってくる。「宅地建物取引業法の改正を見据えながら、契約に関する一連の手続きをオンライン上で完了されるシステム開発を推進し、業務の効率化を図っていきます」(同社広報部)と語っている。

ハンコを押した意味を、忘れてはならない

そもそも契約は、契約書の有無にかかわらず成立するものであると書いた。しかし、不動産取引においては契約の内容そのものが多岐にわたり、契約当事者がその内容を認識し承諾の意思を示すための根拠が必要だ。そのために宅地建物取引業法では、書面の交付を義務付けている。ハンコは、その意思が契約書本人のものであるという証である。
電子契約と脱ハンコの時代が到来したら、不動産契約はどうなるのか。一番大きなメリットを受けるのは言うまでもなく契約当事者である。時間や場所にとらわれることがなく、契約書への貼付が義務付けられている収入印紙代もかからない。一言でいえば、より手軽になるわけだ。事業者にとっても、書面の作製から製本、保管といった作業の効率化が図れる。
では、こういった技術の進展の裏に課題はないのか。まず、離れた場所での非対面の契約で、従来の契約実務のように、確認、納得、承諾の意思が確かめられることができるのか、という問題だ。不動産事業者と消費者といった関係での契約を考えてみれば、明らかに契約内容に関する理解度の違いは生じる。非対面ではなく、メールや画面上のやり取りだけでこの理解の差を埋め、取引における公正さを担保できるのかということが問われる。
もうひとつは、デジタルデバイドの問題だ。不動産契約はパソコンを使い慣れていない人にも起こり得る。そのような人でも、契約内容を確認、納得し、承諾の意思を示すことができるのか、という課題がある。

コロナを背景に、加速する様相を見せる電子契約社会。効率化以上に求められる公正さの確保のためにも、技術リテラシーは、脱ハンコや電子契約の時代の大きな課題といえるだろう。
不動産テックとは、「不動産」と「Technology(技術)」を合わせた言葉だ。ネットワークによる情報共有、VR技術による内覧、そして電子契約と、AIやIT技術が革新しようとしている分野は、多岐にわたり、その進化は止まることはないだろう。
人と人が対面する機会が減り、遠隔地であってもリモートでビジネスは成立する。他業界と比べてアナログだといわれることも多い不動産業界だが、脱ハンコによって効率が高まり、不動産取引がより身近なものになっていくかもしれない。

契約は信義則によって履行しなければならないという原則がある。つまり、相手の信頼を裏切らないようにという意味だ。大きなお金が動き、時には人生を変える意味を持つ不動産取引。脱ハンコや電子契約によって利便性は高くなっていくだろう。しかし進化したシステムの向こう側には、信頼によって結ばれる契約当事者がいることを、紙の契約書の最後にハンコを押した意味を、忘れてはならない。

契約は、相手の信頼を裏切らないことが基本だ契約は、相手の信頼を裏切らないことが基本だ

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