リノベーションスクールから3年。まちが変わり始めた
2017年10月、東急池上線が突然注目を集めた日があった。開通90周年記念イベントとして「一日フリー乗車デー」が行われた日である。驚くほどの人が同沿線を訪れ、派手さ、華やかさはないものの、昔ながらの商店街を、穏やかな日常が感じられる住宅街を歩き回った。同年3月には沿線をテーマにリノベーションスクールも開かれており、東急線各沿線のうちでは認知度が今ひとつと言われた東急池上線が変わろうとしているという印象を受けた。
リノベーションスクールを主催した東急と後援した大田区はスクール終了後も持続的な勉強会を継続し、2019年3月には23区初となる、駅を中心とした地域の持続的な発展を目指す「地域力を活かした公民連携によるまちづくりの推進に関する基本協定」を締結。池上をモデル地区として「池上エリアリノベーションプロジェクト」を推進することとなり、同年5月には駅から歩いて3分ほど、池上本門寺の旧参道である池上本門寺通り商店街の入り口に活動拠点「SANDO BY WEMON PROJECTS(以下SANDO)」が誕生した。
そして2020年に入り、8月、9月と畳みかけるようなスピードで地域に開かれた場が3カ所、立て続けにオープンした。いずれもプロジェクトの中心的な取組みである空き家・空き店舗の活用支援で生まれたもので、使い方、対象はそれぞれだが、地元を面白くしてくれそうな場であることは共通する。どんな場所か、順に見ていこう。
まずは池上本門寺通り商店街を少し入ったところにある「つながるwacca」。マンションの1階にある多目的スタジオで元々は1フロア全部がゲストハウスとして使われていた。それがランドリーに替わったものの、使われているのは全体の3分の2だけ。それはもったいないとプロジェクト側からオーナーである不動産会社にアプローチ。まちのために使いたい人を募集し、「家賃、使い方も提案してください」というコンペを実施して、選ばれたのは、夫が介護福祉士で社交ダンサー、妻が管理栄養士でヨガインストラクターの井上夫妻の「身体」と「対話」をベースにしたつながりの場を目指す「つながるwacca」だった。
開かれた多目的スタジオ、新しい学びの場が誕生
夫妻はこれまでも、隆之氏は高齢者向けに社交ダンスの講座、千尋氏はヨガのクラスや料理教室、映画上映などそれぞれに地域で活動を続けてきており、やってみたかったこと、好きなことを仕事にしたいと思うようになっていた。その時々で場所を借りるのも良いが、やはり、自分たちの場を持ちたい。そんなところにコンペである。単なるヨガ教室、レンタルスペースではなく、来てくれた人たちと繋がれ、笑顔で時間を過ごせる場を作りたいと提案した。池上ならばそれができるだろうとも考えた。
「大きいもの、流行りものばかりがよいわけではなく、小さなもの、ゆっくり時間がかかるものでもいいのだということを、顔の見える関係の中で伝えていければと考えていますが、池上はまちとしてそんな関係を作りやすい、ちょうどいいサイズのまちではないかと考えています」と千尋氏。
去年年末に池上に引っ越し、生活も仕事もこのまちでというお二人。開業のタイミングが人を呼びにくい時期だったため、実際のスタートは9月になってから。ヨガ教室から始めるそうだが、お二人ならば今後、さまざまな楽しみを作り出してくれそうである。子どもと一緒に家に閉じこもっているのが辛いと感じているお母さんはぜひ。もちろん、そうでなくても。
池上には多様性、寛容さがある
プロジェクトで毎月出しているフリーペーパーHOTSANDOでの取材を機に物件オーナーから自店舗2階の活用の提案を受けて実現したのがアウトプット型探究学習塾・エイスクールが運営するシェアスペース「たくらみ荘」。乾物屋さんの2階の使われていなかった空間が学びの場になった。
といっても運営するエイスクールが目指す学びは学習塾などで教えられる、受け身の覚えることが主体の学びではなく、自ら考え、作り、探す学び。よく言われる詰め込み教育とは真逆なもので、現在、世界中で模索されている学びでもあるという。2013年に本郷で創業したエイスクールは2019年からSANDOでポップアップ営業をしてきており、その中で池上に本郷に通じるところがあると感じ、新たな学び舎を作ることにしたという。
学生街本郷と、池上本門寺の門前町である池上。一見共通項は無さそうだが、まちに出てみると分かるとエイスクールのディレクター、大軒恵美子氏。
「特定の職業になりきってビジネスの本質に触れる独自プログラムがあり、たとえば、コンビニエンスストアの店長になるという場合にはまちに出て、実際のコンビニエンスストアにリサーチすることがあります。子どもたちがまちに出たときにどれだけ多様な人たちと出会えるか、寛容に接してもらえるか。それらの点において似た雰囲気があると感じました」
古くからの門前町である池上には住宅街に多い会社員だけでなく、商店主、個人事業主などが多く、沿線には大学などの学校が点在していることから学生も多い。多様な人たちが往来しているのである。また、寺がまちのアイデンティティとなっている場所では他人に不親切はしにくいだろう。一般の学習塾と違い、成績に直結する実践的な学びではないため、長い目で子どもの将来を考える姿勢、リテラシーに加え、そのための費用を出す余裕なども必要だと思うが、その点でも池上は恵まれているようだ。
8月1日にオープンしたたくらみ荘で行われている授業(というのだろうか)を見せていただいた。教室は急な階段を上った先にある、天井が高く、意外に広い空間。始まって間もないことからその日の生徒は3人。コンビニエンスストアの店長になって新聞の天気予報やイベント告知記事から何が売れそうかと考え、仕入れをして、売り上げを計算という内容で、なるほど、これなら計算するという行為の意味がリアルに感じられ、算数嫌いにならずに済みそうだ。
また、先生の問いかけも「どうしてそう思ったの?」と答えの正誤ではなく、思考の過程を問うもの。これからの教育は「これを覚えなさい」ではなくなっていくのかと変化を感じたものである。
本屋のなかった池上に本のある空間を
もうひとつの場は、池上本門寺の門前に近い、呑川沿いにあるノミガワスタジオ1階(以下スタジオ)に設置された「ブックスタジオ」。スタジオ自体は設計事務所と動画配信スタジオのオフィスに併設された、両社が共同運営するギャラリー・イベントスペースで、場所、運営が決まっていたところにプロジェクトの一員である東急の担当者から、これまで書店がなかった池上に本のあるスペースを作れるのではないかという参考事例が紹介された。
これは2019年7月に武蔵野市吉祥寺でスタートした棚ひとつ分の小さなスペースをひとつの書店と見立て、複数の人たちが使用料を払って書店主になるというブックマンションの仕組みに倣ったもので、書店を作るほどの費用、リスクを負うことなく、本のある空間を作ることができる。幸い、スタジオには十分に空間もあり、スタジオではまず16区画を用意した。
「7月末くらいからこういうことをやりますと呟き始め、8月中旬に募集を始めたのですが、最初にやってくれる人たちで場の雰囲気が決まるだろうと、直接いろいろな人に声をかけたところ、想像以上にやりたいと言ってくれる人が多く、9月4日のオープン時までにすべて決まりました」と動画配信スタジオ・堤方4306の安部啓祐氏。リノベーションスクールに参加したことを機に池上に場所を構え、以降、地域との交流、まちの人が登場するライブ配信動画やYoutubeLive番組「池上放談」を作り続けて積み上げた安部氏の人脈も生きたということだろう。
ちなみに店主1号は小学3年生。作家であるお母さんが声を掛けたところ、娘もやりたいと言い出し、最初に決まったのだという。ご近所の人が多いが、遠方では横浜市戸塚区から参加している人も。寺の多い池上らしく、住職の店主もいる。いずれは44店にまで増やす予定だ。
池上での変化の速さの理由は?
スタートしたばかりのブックスタジオだが、早々に本を媒介にしたコミュニケーション以外に、この場らしい使われ方も始まっている。営業は金・土の13時~18時の5時間のみで、書店主になると、店番をする日にはギャラリー内にあるテーブルが使えるのだが、その場所、時間を使い、それぞれが自分がやりたかったことをやり出しているのである。
好きな本を並べる、ワークショップ開催など、気軽に使える場があれば地元で何かやってみたいという人がこんなにいるとは思わなかったと、ランドスケープデザインの設計事務所・株式会社スタジオテラの石井秀幸氏。住宅街の中には表現したい人が多く眠っているのだろう。それを表出できる場があれば、まちは面白くなっていくのかもしれない。
目に見える形になったのはこの3カ所だが、それ以外にもまちは変わり始めているとプロジェクトの一員である東急の磯辺陽介氏。2019年からスタートしたまちづくりに関する勉強会やSANDOの開設で若手事業者が気軽に集まるようになったこともあり、SANDOのある商店会内で若手会員が中心となって商店会マップが制作されたり、そのうちの数名が商店会の事業部を引き継ぎ、商店街の中心的な存在として、会の運営や行政との調整に携わり始めるなど、自分たちでまちを変えようという動きがあるのだ。
池上に多い商店主、個人事業主にとってのまちの盛衰は、会社員にとってのそれよりも影響の大きい問題である。まちがダメになれば自分のビジネスもダメになりかねない。地元の人たちにその危機意識があるからだろう、冒頭でも書いたが、池上では変化のスピードが速い。一方で同様の取組みが行われても、なかなか成果が上がらないまちもある。どこに違いがあるのか。これからのまちづくりではそうした差があることを意識して、まちごとに考えていく必要があるのかもしれない。
大田区と東急の公民連携によるまちづくりの推進に関する基本協定締結(大田区プレスリリース)
https://www.city.ota.tokyo.jp/kuseijoho/press/release30/2019030602.html
https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20200730_1.pdf
ブックマンション
https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00754/
公開日:







