大手建設会社から国・地域づくりのNPOに転身

明るくオープンな山口覚さん。「津屋崎ブランチ」代表、まちづくりファシリテーター、LOCAL&DESIGN株式会社、一級建築士。津屋崎ブランチにて撮影明るくオープンな山口覚さん。「津屋崎ブランチ」代表、まちづくりファシリテーター、LOCAL&DESIGN株式会社、一級建築士。津屋崎ブランチにて撮影

福岡市と北九州市の真ん中にある福津市。2005年に福間町と津屋崎町が合併してできた、6万3000人ほどが暮らす小さな市だ。西に海、東には山が広がる自然豊かな地ながら、福岡・北九州市への通勤通学に便利で、近年、移住者が増えている。中でも中心部から遠い津屋崎地域に面白い人たちが集まっており、その立役者といえるのが山口覚さんだ。

「いやいや、頑張ってるのは僕じゃなくて、まちの皆さんですよ」と屈託のない笑顔で謙遜するが、東京から津屋崎へ移り住み、「津屋崎ブランチ」を拠点に多様な活動を繰り広げている。
山口さんは、北九州で生まれ東京で育った。鹿島建設でランドスケープや大規模開発などに携わり、NPO法人地域交流センターに転職したのは33歳のとき。出向した財団で過疎地域の住宅事情を調査したのがきっかけだ。「都市と地方の格差の実態をまざまざと知り、ショックを受けました。そこに目をつぶって、都会の華々しい仕事に戻ることはできなかった。NPOで学び、地方を元気にしようと心を決めました」

地域交流センターは、産・官・学・民間の有志が、交流と連携によって国・地域づくりの新しい価値観を創造しようと1976年に発足。道の駅など多くの実績を生み出し、当時は飲み屋の運営もしていた。「飲み屋では、若い人たちが社会的な立場から離れて、個人としてこれからの世の中について議論していました。その人たちが国や地方や会社で昇格して権限やお金を持ち、10・20・30年後にいろんな事業が実現していった。長いスパンで行動することに心を打たれたし、人をつないでいくことの意味を理解し、世の中はこんなふうに動いていくのだと学びました。その経験は今、僕の中で生きています」

“デコボコ”の4人でまちづくりをスタート

「いつか福岡に帰りたい」という思いがあり、仕事で関わっていた津屋崎でまちづくりのプロポーザルが採用されたのを機に、2009年に津屋崎へ移住した。当時の津屋崎は、大型施設の撤退や電車の廃線等が相次ぎ、厳しい状況に追い込まれていた。「自分なりの仮説がいっぱいあり、住民の哲学があるこの地でまちづくりにチャレンジしたかった。僕も学ばせてもらいながら都会に向けて発信することで、何かしらの気付きを提供できると思ったのです」

2009年に立ち上げた「津屋崎ブランチ」は、1年半の地域おこしプロジェクトだった。スタッフは全国公募で、ユニークな20・30代の若者3人を採用。「都会のスマートな人ではなくて、まちづくりの知識も経験もない、経歴も想いもデコボコの3人を集めた」という。それぞれ何をしてもらうかは決めず、対話の中で考えていくのが山口さんのスタイル。「仕組みを作って人を当て込み、うまくいかなかったら部品のように替えるのは都会の発想。田舎はそもそも人が少なくて、一人ひとりそこにいるだけで価値がある。先に人がいて、対話しながら、みんなが最大のパフォーマンスを発揮できて一番幸せに動ける仕組みを考えていきました」

津屋崎ブランチが軸としているのは、古民家再生・移住支援・起業支援・対話の4つ。「世の中は縦割りで課題を解決しようとするけど、それは部分最適化で、あとで全部を組み合わせてもうまくいかないことがある。だから、この4つをいっぺんにやって、相互作用をデザインしていくことが、僕にとっては大事だった」と山口さんは強調する。

江戸時代から昭和初期まで塩田の積出港として栄えていた津屋崎。創業140年の酒蔵など、歴史ある建物が残っている江戸時代から昭和初期まで塩田の積出港として栄えていた津屋崎。創業140年の酒蔵など、歴史ある建物が残っている

「古民家再生」は斬新な仕組み、「移住支援」は地元愛で推進

1つ目の軸は、古民家再生だ。かつて塩作りでにぎわった津屋崎は、古い民家が多く残り、集落600戸ほどのうち約60戸が空き家になっている。しかし、家主は見知らぬ人に貸すことを望まないケースが多い。山口さんたちはそんな家主のもとへ足しげく通い、「民家は個人の持ち物だが、地域のものでもある」と理解を求めた。そして、家主には金銭的負担を一切かけず、借り手が先払いした家賃をもとに改修する仕組みを考案。すると、賛同してくれる家主が増えて、物件が回り出したという。

2つ目の軸である移住支援としては、「福津 暮らしの旅」を開催。ツアーは好評で、この9年で数百人が移住してきた。その秘訣は「愛ですよ」と山口さん。
「仕事としてやってるか本心か、参加者には伝わる。僕らは自分がこの土地がすごく好きで、一生暮らしたいと思っているからこそ伝わることがあると思います」。ツアーはグルメや絶景など非日常を打ち出すのではなく、自由時間を多く取り、日常をゆっくり感じてもらう。「間を作ることですごくいいことが起こる。例えば、漁師さんが一生懸命しゃべってくれて、『明日、時間あるか?船に乗せてやる』みたいな話が出たとき、自由時間があれば『行きます』と言えるんです。ツアー客と住民が対話する場もあります。地元で草木染をしているおばちゃん、農家さん、移住してきた外国人などが日々の暮らしを語ることで、愉快な仲間たちと過ごす毎日が頭に浮かび、ツアー中に移住を決断する人もいる。移住してくるのは子育て世帯が中心で、子どものために地域全体をよくしようと動いてくれるので好循環が生まれています」

地域のシンボル「津屋崎千軒民俗館 藍の家」。明治34年に建てられた染物屋をギャラリーとして利用している地域のシンボル「津屋崎千軒民俗館 藍の家」。明治34年に建てられた染物屋をギャラリーとして利用している

「起業支援」と「対話」を進め、ゲストハウスが新たな交流拠点に

3つ目の軸は起業支援。移住してきた人や地元の人向けに「プチ起業塾」を開き、新しい生業の作り方を考え伝えている。

そして、山口さんが全てのベースにしているのは対話だ。多様な人が住む地域において、互いの価値観を認め協力し合っていくためには対話が重視だと考え、地元の人同士、地元の人と移住した人、大人と子どもなどが対話する場を積極的に設けている。

2012年には、築60年の古民家を改装してゲストハウスを作った。泊まりに来た外国人と地元のおばあちゃんたちで食卓を囲み、お互いの国やまち、暮らしについて話すこともある。
「住宅地にゲストハウスを作ったので、最初まわりの人たちは『知らない人が来るなんて』と迷惑そうでした。でも、今は全然違う。『今日は誰が来とうと?どっから来とうと?』とソワソワして、話すためにおすそわけを持って行ったり…。みんなの気持ちが高揚して、すごく元気になっているんですよ」

もちろん、全てが順調だったわけではない。移住当初、山口さんたちは「住民全員には歓迎されなかった」と明かす。以前からつながりのあった重鎮たちは「よく来たね」と喜んでくれたが、地元の若手には受け入れてもらえなかった。「地元で頑張っている若手からすると、都会から来た得体の知れない僕らは受け入れがたい存在だったのでしょう…」。しかし、地元のお祭りや消防団などに参加して活動するうちに距離が縮まり、今ではとてもいい関係に。「行政との1年半の契約が終わっても、ブランチを組合にして、8年間いろいろなスタッフで活動を続けてきました。スタッフがこのまちに惚れ込み、独立しても住み続けて、結婚して子どもができて…と根づいていく様子を見て、まわりの人たちがどんどん好意的に見てくれるようになりました」

津屋崎ブランチの未来会議室に掲げられた3ヶ条は「未来を語る・人を褒める・断定しない」津屋崎ブランチの未来会議室に掲げられた3ヶ条は「未来を語る・人を褒める・断定しない」

目の前にいる人と本当の話をする、その積み重ねを大切に

山口さんがまちづくりで心がけているのは“後行型”だ。
「『これ、やったほうがいいですよ』という先行型は、地元の人たちにとっては親切の押し売りにあったようなもので、地域にとって有益かどうかは疑わしいものになりがち。後行型というのは、まちの人たちが潜在的に思っていることを引き出し、形にするやり方です。例えば、酒の席で相手が思いを話してくれたとき、『それって、こういうことじゃないですか』と整理すると、『そう、お前いいこと言うな』と喜ばれて、『それ、やりません?手伝いますよ』と提案する。どちらがスタート地点かって、ものすごく大きな問題なんですよ。そして、手柄は全部手放すことも大事。『みんなで頑張ったですね』って」

「やりたいことはまだ山のようにある」と山口さん。でも、ひとりではできないから、人との出会いやタイミングが来たら、誰かに渡していければとゆったり構えている。津屋崎ブランチから独立したスタッフのひとりは、地元の若者と組んで学童保育を始めた。「学童は僕のまちづくりメニューになかったけど、地元の方々との交流もあり好評で、素晴らしい価値を生んでいる。最近はそんな予想外のことに喜びを感じています」

山口さんらの取組みは全国で注目を集め、行政の視察から悩める若者まで、さまざまな人が津屋崎ブランチを訪れる。教育関係や役所、学会など多方面からの講演依頼も増えている。
「まちづくりは人づくりであり社会づくり。全てがつながってますよね。今はSNSが普及して、ひとりに友達が1000人いれば、友達の友達は100万人。だけど、だからこそ、目の前のひとりとちゃんと丁寧に付き合うことが大切。それを愚直にやってきたから今があると感じています。僕は目の前にいる人と本当の話をしたいんです。僕はこれからもここで楽しく、自分たちが好きになれるまちを創造していきます」

津屋崎町は玄界灘に面し、海岸にはアカウミガメが生息するほど自然豊か。この地で山口さんは新しい暮らし方・働き方・つながりを実践し、新しい価値観を生み出している津屋崎町は玄界灘に面し、海岸にはアカウミガメが生息するほど自然豊か。この地で山口さんは新しい暮らし方・働き方・つながりを実践し、新しい価値観を生み出している

2018年 01月22日 11時05分