南極観測隊の暮らしを支えているのは日本のハウスメーカーの技術だった!
気象庁発表の3ヶ月予報によると、2017年の夏は太平洋高気圧の勢力が大きく、例年以上の猛暑・酷暑が続くと予想されている。しかし、我々がこうして日本のうだるような暑さの中で過ごしているいま、真冬を迎えた南極ではマイナス60度の厳寒をしのぎながら生活を送っている人たちがいる。
世間では意外にまだ認知されていないが、南極昭和基地に派遣された研究者・専門家らが暮らす『南極の家』の大部分をつくっているのが、日本のハウスメーカー・ミサワホームだ。いわば“地球上の極限の住環境”の中で、どのような家づくりを行っているのか?担当者に話を聞いた。
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「実は我々の中ではあまり“特別なことをしている”という実感がなかったのですが、“南極での家づくりのことをもっとPRされたほうが良いのではないですか?”と社外の方からもアドバイスを受けたことがあります(笑)。
南極というのは皆さんご想像の通り、人間が快適に住めるような場所ではありません。でも、南極観測を行うためには人が住まないといけませんから、隊員や研究者が暮らす建物をプレハブでつくろうということで、国立極地研究所(以下:極地研)のプロジェクトにミサワホームが協力するようになりました。
極地研による南極観測がスタートしたのは昭和32(1957)年ですから今年ちょうど60年。ミサワホームでは昭和43(1968)年の第10次南極地域観測隊から南極建物に関わるようになり、社員や関連会社のスタッフが実際に越冬隊に加わって住宅建設のサポートを行ってきました。当社は今年10月に設立50周年を迎えますので、ミサワホームの歴史は南極建物の歴史であり、南極観測の歴史にもつながっているのです」と話してくださったのは、ミサワホーム技術部の建築士・秋元茂さん。秋元さんも第51次南極地域観測隊として約1年の南極生活を体験したそうだ。
南極には大工さんがいない、だから『誰でも簡単に組み立てられる家』が条件

当時の南極建物プロジェクトは、各南極観測隊員の業務外作業として、仕事が終わったあと担当者が集まって課外活動的に行っていたそうだ。
「私はもともと農学部の出身で、バイオ材料を得意として入社した人間なので、家の構造やプレハブについては専門ではなかったんです。だから、まさか自分が南極へ行くことになるとは思いもしませんでした(笑)」(秋元さん)
プレハブとは、工場で部品を生産して現地で組み立てる建築方法のこと。南極の家も日本の工場でパーツを製造し、仮組みをして品質を確認した上で再びバラして各部材を現地へ運び、実際に南極で組み立てることになるわけだが、日本国内と南極では勝手がまったく違う。
「木造であること・軽いこと・断熱性能が高いこと・そして何かあったときに加工しやすいこと…これが南極での最低限の建築条件です。よく“木造なの?”と驚かれるのですが、鉄は熱伝導率が高いため、マイナス60度の世界に持っていけば人が触ったとたんに手が凍って取れなくなってしまいます。また、気温によって伸縮する特性がありますから、鉄を『しらせ』に積みこんで日本を出発すると赤道通過の時点で熱で伸び、南極へ近づくにつれて冷やされ、現地へ到着する頃には工場で製造したサイズより1センチほど大きさが変わってしまいます。そのため、組み立ての時に使うネジなどの部材は、鉄の変化を見越して製造しなくてはなりません」(秋元さん)
また、日本と違って南極には請負工務店がない。建物を組み立てるときにはミサワホームからの派遣スタッフのほか、現地の自衛隊員・研究者・料理人・医師など、その日手の空いている人が組み立てを手伝う。つまり『特別な技術を持たない人でも簡単に早く組み立てられること』も必須条件なのだ。
時速200キロのブリザードに耐える家を木質パネルでつくる

では、実際の『南極の家の住み心地』はどうだったのだろうか?
「よく“南極って風が冷たいんでしょう?”と聞かれますが、時速200キロのブリザードが吹き荒れる中でもミサワホームの住まいは快適でした(笑)」と語るのは、今年の春に越冬隊の任務を追えて日本へ帰国したばかりの福田さんだ。
「時速200キロの風の中に建つ家というのは、例えるなら新幹線の先端に家が突き刺さっているような状態です。でも、南極建物はそんな過酷な気象条件に耐えて、そこで暮らしている人たちの命を守らなくちゃいけないわけですから、技術提供者としては責任重大です。
実は『寒さ対策』はそれほど大きな課題ではありません。断熱性能や壁の厚みは、北海道などの日本国内の寒冷地仕様の断熱性能をちょっと上げたぐらい。ミサワホームの木質パネルで十分な断熱を確保できるので、外が真冬のマイナス60度の寒さであっても、不凍液を循環させる床暖房を各部屋に導入すれば家の中は快適な温度を保つことができます。
では、何が課題なのかというと、断熱性だけでなく気密性も高いことが求められます。いくら断熱性能の高い構造体を使っていても、隙間風が家の中に入ってきてしまったら意味がありません。昭和基地に建っている建物は、窓は三重サッシになっており気密性がとても高いため、外でブリザードの轟音が鳴り響いていても、家の中に入ってしまえばとても静かです」(福田さん)
真夏の南極は気温が5度ぐらいまで上がり“暑い”と感じる日もあるそうだ。しかし、“冷たい夜風が心地良いから…”と自分の部屋の窓を開けたまま眠ってしまった場合、それは南極では『死』を意味することになる。日本では「風が通り抜ける家」が理想とされているが、南極では家の中に風を通してはいけないのだ。
南極建物を追及して誕生した“究極の機能美の家”は12角形
また、南極では一晩で雪が10メートルも積もることがある。10メートルの積雪ということは2階建ての建物がすっぽりと埋まってしまうほど。万一の際の避難経路が確保できなくなるため、昭和基地内で暮らしている人たちはスタッフ総出で除雪作業を行わなくてはいけない。
「近年は除雪作業の負担を軽減するため、『雪の吹き溜まりができにくい(雪を飛ばしやすい)建物の形状にすること』『機能を集約させて建物の数自体を減らすこと』が新たな課題になっています。雪が積もりにくい大きな建物を建てれば、雪かきの時間を減らすことができて、自分たちの本来の仕事がやりやすくなりますから」(福田さん)
雪を飛ばしやすく、溶けやすくするためにはどうしたら良いのか?を突き詰めたところ、F1レーシングカーの『流体力学』がヒントになった。
「流体力学から分析していくと本当は円形が一番良かったのですが、住まいとしての実用性・機能性を考慮することで写真のような『12角形の家』ができました。高床式になっているのは、建物の上下から風を通すことによって雪が飛びやすくなり、溶けやすくするための工夫です。デザインではなく機能美でこのような形になっています」(秋元さん)
極限下で再認識したのは『家とは、人の命を守る空間』だということ

秋元さんによると、近年の南極観測隊はその在り方が変わりつつあるという。
「従来は、研究者たちが現地へ行って観測し、そのデータを日本へ持ち帰って解析していましたが、インターネットが発達してからは、現地で観測したデータをパソコンですぐに送れるので、わざわざ人を南極へ派遣しなくても、機械を管理するスタッフが一人いればそれで良いのです。
しかし、ひとつの建物に一人しかいない状態だと、万一ブリザードが発生して外へ出られなくなった場合に不安です。だったら、ひとつの場所にいろいろな研究室が集まる大きな建物を建てて、みんなで一緒に暮らせるような環境をつくりだそうということになりました」(秋元さん)
初期の頃の南極建物では、みんなで食堂に集まっておしゃべりをしたり、ゲームをしたりして顔を合わせることでお互いの健康状態を確認し合っていたそうだが、今は4帖ほどの個室内でパソコンが使えるため、ずっと誰にも会わずに自分の部屋にこもって一人で快適に過ごせるようになった。
「でも、それは住環境として健全な状態とは言えません。今後は動線や空間を工夫して、みんなが自然に集まることができるスペースをつくっていきたいと考えています。こんな風に、南極でも“生活プランの提案”を行うことができるのは、家族の暮らし方を長年研究してきた住宅メーカーだからこそ。我々ミサワホームの使命でもあります」(秋元さん)
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「日本へ帰国したあと、他の隊員から“安心して暮らせる家をつくってくれてありがとう”と言われたときに、本当に嬉しかった」と語る秋元さんと福田さん。
時速200キロのブリザードが2週間吹き荒れ、最低気温がマイナス60度まで下がり、有害な紫外線が容赦なく肌を刺す極限の環境下で、お2人が改めて痛感したのは『家とは命を守る場所である』ということだったという。
ミサワホームから派遣された13人の越冬隊員たちの南極体験は、日本の家づくりのミライを牽引するための叡智として、今後もしっかりと継承されていく。
■取材協力/ミサワホーム
http://www.misawa.co.jp/
■ミサワホーム 南極クラス
http://www.eco.misawa.co.jp/antarctic-class/
2017年 07月04日 11時05分