ゆるやかなつながりで地域社会の課題を解決する「ネイバーフッドデザイン」

「ネイバーフッドデザイン」という言葉を聞いたことはあるだろうか。ネイバーフッドデザインとは、近くに暮らす人々の間に“ゆるやかなつながり”をデザインし、いざという時に助け合える関係性や仕組みを構築すること。そして都市が抱えるさまざまな課題の解決を目指すアプローチである。

HITOTOWA INC.代表取締役の荒昌史さん(写真左)HITOTOWA INC.代表取締役の荒昌史さん(写真左)

今回は、そんなネイバーフッドデザイン事業に取り組む会社、HITOTOWA INC.(ヒトトワ)代表取締役の荒昌史さんにお話しをうかがった。

荒さんは大学卒業後、住宅デベロッパーに入社。開発の仕事の面白さや可能性を知った一方で、まちをつくっている側面と壊している側面があるとも感じたという。「壊している側面をできるだけ解消し、価値として見出すことが、将来にわたって大事だと思ったのです」と荒さん。

こうして会社の新規事業として、後のネイバーフッドデザインの原型にもなる集合住宅のコミュニティづくりにチャレンジしていったそうだ。

「有識者の方々と協働するなかで、ソフト面の重要性を改めて実感しました。たとえば環境負荷を削減するために、モノや菜園などをシェアするには、“人と人とのつながり”が大切です。ハード面ばかりが充実しても、やはりソフト面がなければ機能していかない。そしてその“つながり”も持続可能でなければなりません。コミュニティを育む仕掛けづくり=ネイバーフッドデザインが必要だと感じたのです」(荒さん)

その後独立し、HITOTOWAを創業。ネイバーフッドデザインを主幹事業としながら、HITOTOWAこども総研という調査研究事業を行っている。

「ネイバーフッドデザインには救える命がある」

これまで一都三県と大阪・兵庫でさまざまなネイバーフッドデザイン事業を行ってきたHITOTOWA。まちの「共助」をつくることがミッションだ。

しかし地縁には、少なからず“わずらわしさ”があるのも事実だろう。そういった関係性を築くことが苦手だという人も少なくない。

荒さんはこう話す。「必ずしも隣の人と付き合わなければならないわけではないと思っています。もちろんお隣と仲がいいに越したことはありません。しかし“向こう三軒両隣”のようなベタベタな関係でなくとも、徒歩15分とか自転車で10分とかもう少し広いエリアで、居心地のいい関係性を構築できれば、将来的な幸福度の向上にもつながると思います」

都市化に伴い住宅の流動性は高まり、関わるまちの人は相対的に減っている。単身世帯も増え、だんだんと人々は孤立化していく傾向にあるのも確かだ。なんらかの手当てをしていかなければ、近隣に頼れる人がいなくなってしまう。

とはいえ関係性の構築は、簡単なことではない。地域の特性に合わないアプローチでは、結果を出すのは難しい。しがらみになってしまったり、あるいは無目的なものになってしまったりすることもあるだろう。

だからこそHITOTOWAとして、いざというときや困ったときに助け合える人々の関係性を創出する“デザイン”が必要なのだ。

仕組みづくりの検討から、組織組成、伴走支援まで行ってきた「ひばりが丘団地再生事業(東京都西東京市・東久留米市)」。当初から5年後には地域住民へ役員を引き継ぐことが計画されており、2020年6月から組織体制が地域住民へ移行している仕組みづくりの検討から、組織組成、伴走支援まで行ってきた「ひばりが丘団地再生事業(東京都西東京市・東久留米市)」。当初から5年後には地域住民へ役員を引き継ぐことが計画されており、2020年6月から組織体制が地域住民へ移行している

2010年12月にHITOTOWAを創業し、3ヶ月目で起きたのが、東日本大震災だ。

じつは荒さんの「荒」という苗字は、福島県がルーツ。血縁関係が深くあるわけではないが、当時熱心にボランティアに通っていたのだとか。何度も訪れるうちに地元の方々と仲良くなり、一緒に食事をしたりいろいろな話をしたりするようになったそうだ。

震災でご家族やご友人を亡くされた方のなかには、「自分だけ生き残ってしまった」と話す人も多かったという。そうした方々にHITOTOWAの事業内容を聞かれ、ネイバーフッドデザインについて伝えると、多くの人に必要性を共感してもらえたそうだ。中には「ネイバーフッドデザインがあったら、救える命があると思う」と涙ながらに言ってくれた方もいたという。

荒さんは「私はあのときから勝手に、使命を背負っていると思っています」と力強く語った。

「この場所が私のふるさとです」そう言える場所を残す

荒さん自身が住みながら、ネイバーフッドデザイン事業を行うのが、東京郊外のひばりが丘・学園町エリアだ。3年前に文京区からこのエリアに引越してきたという。

仕事で学園町を訪れるようになった荒さんは、緑が多いまちの雰囲気や生活を大事にする人々の空気感が気に入り、家族で引越すことを決めた。

文京区の住まいは、コーポラティブで自由設計でつくった家。狭いながらも快適に暮らしていたそうだが「学園町に引越してきて、確実に幸福度が上がりました」と荒さんは微笑む。

引越してきたのはコロナ禍で精神的にも不安の大きい時期だったが、地域の人にとてもよくしてもらったと当時を振り返る。「子どもと遊んでくれたり、玄関先に大根が置いてあったり。『いっぱいお花が咲いたから』と苗をくれたこともあります。そういった些細なやりとりにすごく救われたんです。これまで私はHITOTOWAの代表として“共助”をある意味仕事として捉えてきた部分がありましたが、実際はさりげないものであり、日常にある当たり前のものだと改めて感じました」(荒さん)

みんな仲良く強いつながりを持つ……というよりも、持続可能なゆるやかなつながりをもつことで、共助が当たり前になることを目指すみんな仲良く強いつながりを持つ……というよりも、持続可能なゆるやかなつながりをもつことで、共助が当たり前になることを目指す

そして荒さんは自分の原体験について話をしてくれた。

「私は幼い頃、父親の転勤で熊本に住んでいました。熊本地震のボランティアで約20年ぶりに熊本を訪れたのですが、その際に以前住んでいた家に行ってみると、まだその家が残っていたんです。父親との思い出や幼少期の記憶が蘇ってきました。その景色に出会えたことがとても懐かしく嬉しかったです」

そして荒さんはこう続ける。「考えてみると、自分の幼少期は、自然にご近所とのつながりが築かれていました。当時子どもとして特別によかったとか悪かったとかはなかったですが、当たり前の風景だったと感じます。私も息子が生まれ、一緒に庭の手入れをしていると、地域の方が声をかけてくれるんです。息子にとって、学園町でのつながりある暮らしが、私が熊本で過ごした時ような風景になっていくのかなと思います。『この場所が私のふるさとです』そう誇りを持って言える場所を残していきたい。子どもでも大人でも帰りたいと思える場所。HITOTOWAとしてそんなまちをつくっていきたいですね」と話した。

学園町でのこれまでの取り組みの詳細は、こちらの記事にもまとめている。興味がある方はご一読いただきたい。

■関連記事「東久留米市学園町の緑豊かな環境を後世に。自治会主体で不動産事業者と連携する"これからのまちの残し方"」
https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_01634/

新たにまちの風景を継承する不動産事業に挑戦

2024年、HITOTOWAは新たに不動産事業「ひととわ不動産」をスタートした。ソフト面でまちの共助をつくり出してきたHITOTOWAが、次はハード面ともいえる不動産事業、つまり仲介業などを行うのだ。

まずは、これまでにHITOTOWAがネイバーフッドデザイン事業で携わった学園町エリアにフィールドを絞り展開し、いずれ広域へと広げていきたいという。

「ネイバーフッドデザイン事業でまちと長く関わると、その地域の方と仲良くなっていきます。そんななかで不動産売却の相談されることも多かったのです。『やむを得ず不動産を手放さなければならなくなったけれど、できればまちの景色や物件への想いを継承してくれる人に売却したい。でも誰に相談したらいいのかわからない』そんな相談でした」(荒さん)

学園町には歴史的な建築物も数多く残っている。築年数が嵩んでいるため建物を維持することは容易ではないが、改修などを施しながらこういった建物を受け継ぎたいという人もいるだろう。または何か別の手段もあるかもしれない学園町には歴史的な建築物も数多く残っている。築年数が嵩んでいるため建物を維持することは容易ではないが、改修などを施しながらこういった建物を受け継ぎたいという人もいるだろう。または何か別の手段もあるかもしれない

大きなお屋敷も多い学園町。200坪300坪という土地を一般的な仲介業者に売却すれば、大きな敷地を細分化して売ることになるだろう。木々も伐採され、これまでとはまったく違う景色になるかもしれない。もちろん売ることは大事だ。しかし「細分化して売るだけだと、いろいろなものを失っていると感じている」と荒さんは話す。

そこで、ひととわ不動産ではできるだけそのままの景色を残し、土地を細分化するにせよ、緑豊かなこのまちに馴染むような建物にしたり庭を設けたりしながら、名残をとどめた仲介を目指す。

「私はこのまちの景色や雰囲気、そして人が大好きです。われわれが不動産業をはじめたことで、この先何十年先もこのまちの風景を継承していきたい。まちの魅力や売主の思いを乗せて土地や建物の仲介をしていきたいと思っています」と荒さん。

ひととわ不動産の大きな強みは、ネイバーフッドデザイン事業で耕してきた地域コミュニティをいかした仲介にある。

「このまちがいい、このまちに住みたいという方につなげていきたいですね。HITOTOWAは、まちと深く長く関わってきたからこそ、まちと暮らし方のマッチングができるのが強みです。このまちの特徴を踏まえたうえで、暮らし方の提案もすることができます。ネイバーフッドデザインと不動産事業の相乗効果で、心豊かに暮らせるまちにしていきたいですね」(荒さん)

継承と創造でまちを醸成する「森の住宅構想(仮)」に向けて

風景の継承、ふるさとの継承など、まちのよさを「継承」しながらも、よりよい地域社会をつくるためには、やはりつくること「創造」も大切だろう。

ひととわ不動産では、使われていない農地や後継ぎ問題などの課題を抱える農家さんとの新たな取り組みを考えているそうだ。

仮で「森の住宅構想」と呼んでいるこの取り組みは、どうしても売らなければならない土地に、自然素材や緑を生かした設計・施工が得意な工務店やデベロッパーとタッグを組むなどして、森に佇むような住まいをつくる計画。

「ネイバーフッドデザイン」とは、近くに暮らす人々のつながりで共助関係を構築し、地域社会の課題の解決を目指すものだ。今回は、そんなネイバーフッドデザイン事業に取り組む会社、HITOTOWA INC.(ヒトトワ)代表取締役の荒昌史さんにお話しをうかがった。

「森の住宅構想(仮)のキーワードは『土中(どちゅう)環境』。農家さんは野菜や花をつくっているのではなく、土をつくっているとおっしゃる。いい土があればいい作物が育つ。樹木も育ち、虫や鳥たちも行き交う。森のように土に雨水をしみこませる微生物舗装をして土地を潤す。つまり土の中まで考えるんです。東京郊外を森のような住まいにしたいですね」と、荒さんがとても楽しそうに話してくれたのが印象的だった。もともと環境負荷を削減する「環境共生住宅」に取り組みたいと考え独立した荒さん。創業当初の希望が実現に向けて進められている。

緑を守ること、歴史あるまちの風景を継承することは簡単なことではない。しかしHITOTOWAの取り組みにより、20年後や30年後、自慢の「私のふるさと」が醸成されているのではないだろうか。


取材協力:HITOTOWA INC.

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