「住みやすい街」「暮らしやすい家」とは一体誰に向けたものだろう

「住みやすい街」「暮らしやすい家」とは一体誰に向けたものだろう

SDGsが2015年9月に国連サミットで採択されて、今年で10年目を迎える。その原則である「誰一人取り残さない社会の実現」は、社会的通念だけではなく、社会の構築に関する“建物”にもいえるだろう。

都市・建築・環境など、様々な分野を包括する専門企業日建グループから、2024年社会問題の解決を“インクルーシブデザイン”をもって取り組もうという試みが起こった。「日建インクルーシブデザイン研究チーム(以下、研究チーム)」だ。

インクルーシブデザインとは、1990年代前半にイギリスから広まったデザイン手法である。物事のメインストリーム(主流)とは異なる、子ども、高齢者、障害者といった特別なニーズを持つエクストリーム(周縁)のユーザーを、デザインプロセスに巻き込むことが大きな特徴だ。エクストリームの当事者との対話を通じて、従来のデザインでは見落としていたアイデアや可能性、課題、気づきを集約。そこから得たアイデアをメインストリームに落とし込み、普遍的なデザインを導く考え方だ。

建築や都市におけるインクルーシブデザインにはどのようなアプローチがあるのか。研究チームの設立メンバーでもある、株式会社日建設計の西勇氏に話を伺った。

自身の経験と知見を活かすため社内で研究チームを立ち上げ

日建インクルーシブデザイン研究チーム日建インクルーシブデザイン研究チーム

研究チームは、日建グループ内の建築設計・都市計画に関わる専門家や、障害等の特性を持つ当事者で構成された研究チームだ。
研究チームの立ち上げの背景には、西氏が20歳で車いすユーザーとなったことで得た体験と芽生えた想いがあったという。

「入社直後、自分の障害が建築や都市をつくる仕事の役に立つのではと、淡い期待を抱いていました。ですが、通常の設計プロセスではできることが限られています。自身の経験だけでは限界があると長くジレンマを感じていました。そんな折、2023年の社内アイデアコンペで、インクルーシブデザインに取り組む意義を提案しました。この提案は、国交省に出向してバリアフリーのガイドライン作成に携わる飯田と共に行ったもので、研究チームの活動につながったのです。さらに、聴覚障害当事者である中川なども交え、研究チーム発足に至りました」

通常の設計プロセスを次のステップに進めたい、当事者への理解が進まない現状を変えたい、という想いを共にする仲間と立ち上げた研究チーム。
社外のパートナーとも協力しながら、ユニバーサルデザインおよびインクルーシブデザインの実践を通して「当事者と共に、様々な人のための社会環境をデザインする」ことを目指しているという。

建築におけるインクルーシブデザインとは? バリアフリー・ユニバーサルデザインとの違い

ヘルシンキ中央図書館。アクセシブルでかつ視認性の高い空間が広がる(西氏提供)ヘルシンキ中央図書館。アクセシブルでかつ視認性の高い空間が広がる(西氏提供)

通常の設計プロセスでは、エキストリームたる障害者への配慮について「基準を守れば十分、という認識が根強くある」と西氏は語る。西氏は大学で建築を専攻していたが、事故に遭う以前は、「バリアフリーやユニバーサルデザインの必要性を理解しておらず、インクルーシブデザインにも触れたことがなかった」そうだ。

「『当事者にヒアリングしてつくっていきましょう』という考えは昔からあります。日建設計でも、阪神淡路大震災後の阪急伊丹駅再建時に、車いすユーザーからのヒアリングで避難経路にスロープを設置する良い事例はありました。ただ、建築や設計の世界では、ヒアリングをしても形式的になりがちです。というのも、合意形成が難しいからだと思います」

西氏の言う合意形成の難しさの一例として、視覚障害者の移動に欠かせない点字ブロックが車いすユーザーの快適性を奪う、といった事例を挙げていた。この場合、双方の意見の落としどころを見つけるのが難しい。そのため、法令順守に徹底する傾向にあるという。

ヘルシンキ中央図書館。アクセシブルでかつ視認性の高い空間が広がる(西氏提供)ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインのイメージ

合理的配慮という点で酷似する、バリアフリーやユニバーサルデザインとインクルーシブデザイン。これらの違いは着想にあり、そして両立させる必要があるものだと西氏は説明する。

「バリアフリーやユニバーサルデザインは、すべてをフラットにし、誰も困らない状態を目指すもの。配慮が必要な人の80%をカバーするものではないでしょうか。そして、個々のニーズを引き出し、デザインによって融合するインクルーシブデザインは、バリアフリーやユニバーサルデザインでカバーできない残りの20%一人ひとりの事象にどう向き合うか、だと思います」

ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインの関係を表す例として、Webにおけるアイコンを挙げる。

「絵文字で使われる人物など、かつては白黒2色で描かれたシンプルで抽象的な線画が主流でしたれが、最近はカラーリングを施すことによって国籍がわかるようになった。フラットにすることも大切ですが、人はそれぞれ異なります。それをどうデザインに落とし込めるか。一人ひとりの『こういうものをつくりたい』をいかに入れられるか。インクルーシブデザインだからこそできることだと思います」

海外で体験した過ごしやすさから考える都市と建物、人

バルセロナ市街のフラットでアクセシブルな街並み。店舗の入り口もフラットに設計されている(西氏提供)バルセロナ市街のフラットでアクセシブルな街並み。店舗の入り口もフラットに設計されている(西氏提供)

では、街づくりや建築設計・都市設計におけるインクルーシブデザインの実践はどういったものなのか。世界でのインクルーシブな環境について、西氏は自身の体験と交えて説明する。

「スペインのバルセロナへ行った際、街の過ごしやすさを強く感じました。たとえば、段差がなく入店しやすい、車いすでもトイレに行けるといった物理的なものから、エレベーターで先に出入りするよう促されるといった心理的なものまで、さまざまな箇所で小さな取組みの積み重ねがあるような印象を受けました。法制度的に配慮した造りにするよう定められているのでしょう。けれども、“他者の視点で物事に対応するのが当たり前”という文化的なマインドもありそうな気がします」

バルセロナのビーチ。車いすやベビーカーでも楽しめる環境デザインとなっている(西氏提供)バルセロナのビーチ。車いすやベビーカーでも楽しめる環境デザインとなっている(西氏提供)

建物の数センチの段差をなくすことは、建築的な解決方法以外にも、スロープの設置や人の手助け、モビリティの工夫など様々なアプローチがある。多様な視点をもつことで、課題は解決できる、と語る西氏。
こうした体験をもとに、日建設計が手掛ける事業でインクルーシブデザインを取り入れて根付かせたいと、意欲的だ。
様々なエクストリームの意見を集め、規模の大小にかかわらず建物に反映することで、建物から街へ、街から社会へと、インクルーシブな考え方そのものを広めることができるのでは、と期待を寄せていた。

またその実現には、少数派の人たちの社会的な参画が必要だとも触れる。

「ヨーロッパでは、朝の公園でカートを押した高齢者の姿、夜中に車いすの人が一人で街を行く様子、さまざまな人種が行き交う雑踏などを目にしました。対して日本では、多様な人を街中であまり見ることがないと感じています。さらに、当事者と共に学ぶ教育や環境も少ないのではないでしょうか。多様な人たちが外に出るハードルを、社会が下げることが必要だと考えます」

バルセロナ市街のフラットでアクセシブルな街並み。店舗の入り口もフラットに設計されている(西氏提供)デンマークのハンディキャップ オーガニゼショナーズ ハウスの受付。カウンターは車いすや背の低い人も利用しやすい形状になっている(西氏提供)

住宅弱者のニーズが増えつつある日本。インクルーシブデザインができることは?

デンマークのハンディキャップ オーガニゼショナーズ ハウスの階段に取り付けられている手すり。現在の階数をドットの数で表現している(西氏提供)デンマークのハンディキャップ オーガニゼショナーズ ハウスの階段に取り付けられている手すり。現在の階数をドットの数で表現している(西氏提供)

都市の中でも、暮らしに直結する住宅に関してはどうか。注文住宅のように、個々のニーズに沿った家づくりは、エクストリームの人たちにも比較的容易だろう。しかし、西氏は、当事者の住宅だけではなく、住宅のあり方に着目する。

「“特定の家だけがバリアフリー仕様になっていればいい”ではなくて、もう少し根本的なところに戻り、“どの家にも行きやすい”が実現できるといいなと思っています。また、家というハードだけではなく、車いすなどのモビリティがそれを可能にするなど、総合的に考えていけたらいいですよね」

2021年2月の公益財団法人日本賃貸住宅管理協会あんしん居住研究会の調査によると、日本における住宅弱者の割合は、2017年時点で全人口の推定30%を占め、2035年には約45%に増加するだろうと試算されている。高齢化や障害者自立支援法などを背景に、今後住宅弱者の住宅ニーズはさらに増えるだろう。
住宅弱者への住宅供給に、インクルーシブデザインはどう貢献できるだろうか。

「株式会社日建ハウジングシステムが行ったシニア向け住宅建設に向けたヒアリングでは、『高齢者だからといって福祉を求めているわけではない』『長く健康でいたい』『子どもたちと接していたい』といった声があったそうです。ディスアビリティ(心身の機能上の能力障害)への配慮は、日本では福祉的な観点で線引きされがちですが、当事者は福祉施設ではなく、“住宅”であってほしいと考えていたのです。その点を考慮すると、事故のないよう床をすべて平らにするよりも、健康維持のための緩やかに上れる階段をつくる、共用部にキッズスペースを設ける、学校に近い立地に建設する、といったデザインができます。このアイデアはバリアフリー観点ではなかなか出てこないと思います」

一人ひとりにヒアリングを行い、意見をまとめることは容易ではない。だが、西氏はそれらをデザインに落とし込むことが、職能だという。そこに欠かせないのが、“他者への視点”だ。

「物事を考えるうえで“高齢者”“障害者”などのカテゴリー分けを最初にしてしまうことが、インクルーシブな思考を妨げているのだと思います。バイアスをかけず、自分の目の前にいる人に何ができるのか、真剣に向き合い、突き詰めていくことがまず大切だと考えます」

インクルーシブデザインで実現する、みんなのための街づくり

日建設計で実施した、設計者向けの障害体験の様子(西氏提供)日建設計で実施した、設計者向けの障害体験の様子(西氏提供)

研究チームでは現在、日建グループの特例子会社である株式会社フロンティア日建設計との協働や、日建グループが運営する共創プラットフォーム「PYNT」を通じて、アイデアピッチやビジョン作成などを行っている。
今後の日建設計のインクルーシブデザインへの取組みについて、展望を尋ねた。

「大きく2つあります。1つは、デザイナーや設計者に向けたユニバーサルデザインやインクルーシブデザインに基づいたマニュアルやガイドブックなどを作成すること。もう1つが、インクルーシブデザインのプロセスを実践することです。インクルーシブデザインの実践では、設計者と当事者の関係性が重要です。一緒にものごとを作っていくパートナーとして、相互理解をしていくこと、なにより、お互いを尊重していく心構えがないと実現できないでしょう」

さらに、研究チームとしては、インクルーシブデザインの実践を通して、障害者のキャリアアップや、社会に貢献できる仕事を増やしていく事例をつくっていきたいという。

自身の今後については、「友達の家へ遊びに行ったり、街中の小さなお店に入ったりといった普通のことを、普通にできるようになるのが目標。そのためのデザインアプローチを、楽しみながらポジティブに挑戦したいですね」と、イノベーターならではの希望も語ってくれた。

誰かを慮るときに、相手のプライバシーを重んじて「詳細を訊ねてはいけないのではないか」と遠慮することは往々にしてあるだろう。だが、その遠慮は受け取る人にとって、本当に喜ばしいものだろうか?
多様性を受容することは、多様な他者の視点を受け入れることでもある。複雑な視点が入り混じる彩色にあふれた文化が、遊び心のあるデザインを生み出し、各々がそれを楽しむ―そんな社会こそが豊かといえるはずだ。

今回お話を伺った方

今回お話を伺った方

西 勇(にし・いさむ)
20歳のときにスノーボードの事故で頸椎損傷を負って車いすユーザーとなる。2016年、株式会社日建設計入社。現在はデジタル戦略室にて社内のDX推進や国土交通省と連携した3D都市モデルの構築などを主業とする傍ら、インクルーシブデザイン研究チームの立ち上げに参画。車いすユーザーである知見を活かして社内外との共創に務める。一級建築士。






■日建設計
https://www.nikken.co.jp/
■日建グループnote インクルーシブデザイン:すべての人とともに実現する社会環境デザイン
https://note.com/nikken/n/n82f675177106
■PYNT
https://www.nikken.jp/ja/about/pynt.html


※当事者の方からのヒアリングを行う中で、「自身が持つ障害により社会参加の制限等を受けているので、『障がい者』とにごすのでなく、『障害者』と表記してほしい」という要望をいただきました。当事者の方々の思いに寄り添うとともに、当事者の方の社会参加を阻むさまざまな障害に真摯に向き合い、解決していくことを目指して、本記事内では「障害者」という表記を使用いたします。

今回お話を伺った方

【LIFULL HOME'S ACTION FOR ALL】は、「FRIENDLY DOOR/フレンドリードア」「えらんでエール」のプロジェクトを通じて、国籍や年齢、性別など、個々のバックグラウンドにかかわらず、誰もが自分らしく「したい暮らし」に出会える世界の実現を目指して取り組んでいます。

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