「女子野球の聖地」を目指す三次市。そのリーダーの二十歳のころとは

2023年9月13日から17日にかけて、広島県の三次きんさいスタジアムを日本代表をはじめとする女子野球の選手たちが湧かせた。「第9回 WBSC女子野球ワールドカップ・グループB」である。上位から日本、チャイニーズ・タイペイ、ベネズエラの3チームが来年、カナダで行われる「第9回 WBSC女子野球ワールドカップ ファイナルステージ」への出場を決めている。

もともと三次は『野球どころ三次』といわれ、スポーツが盛んな土地柄。しかもカープの試合が毎年、三次きんさいスタジアムで行われている。3年前には、全国で8自治体が認定された「女子野球タウン」の一角でもある。毎年11月には西日本大会が開かれている。

三次は中国地方の暴れ川である江の川の支流が合流することから幾多の災害を乗り越えてきた土地柄である。三次という地名の由来は、川の集まる地という「水寄(みよせ)」が訛ったものである、という説もある。一方で、江の川の川霧は美しい雲海を生み、「霧の海」として三次の観光資源となっている。また、三次盆地の寒暖差は、黒い宝石といわれ広島県民が誇る高級ブドウである「三次ピオーネ」の生産に欠かせない。
鵜飼いや神楽など伝統文化が息づく歴史のまちでもある。

そんな三次市を、元野球少年で名門広陵高校時代には甲子園の土を踏んだこともある福岡誠志市長がリードしている。漢方薬材料の産地化など個性的な政策にも取り組む福岡市長の原点を探るべく、安田女子大学現代ビジネス学部公共経営学科(松本武洋ゼミ)3年生が三次市を訪問し、現地調査を行うとともにインタビューを行った。今回は、代表して藤原歩未がお届けする。

2023年9月13日から17日にかけて、「第9回 WBSC女子野球ワールドカップ・グループB」が市内で行われた2023年9月13日から17日にかけて、「第9回 WBSC女子野球ワールドカップ・グループB」が市内で行われた

二十歳の頃、熱中したことは?-「弱小チームから神宮を目指す元甲子園球児」

「二十歳の頃は、広島6大学というリーグに加盟する広島国際学院大学野球部でプレーをしていまして、学校と野球とアルバイトをする日々を過ごしていました。大学生になって小遣いは自分で稼ぐことで、働くってこういうことなのか、ということを二十歳前後で色々と経験することができました。

また、野球に明け暮れた日々でもあります。高校野球の聖地が甲子園であるように、大学野球の聖地は神宮球場です。そこで「神宮に行く」という目標を掲げて皆で頑張りました。もっとも、僕が行った大学は、広島6大学ができてから唯一、一度もリーグ優勝したことがない、という弱小チームでした。それでも、僕が大学3年生の時に初めてリーグ優勝をすることができました。

もちろん、神宮には行けませんでしたが。この野球部での経験から、自分の目標のために何をやらなければいけないか、上手くなるために何が必要か、自分たちで考えるとともに、必要なことを一つひとつ計画的に積み重ねていくこと、さらには継続的に努力することの大切さを学びました。当時の経験は、議員として、また、市長としての活動で大いに役立っています」

101回全国高等学校野球選手権広島大会始球式にて101回全国高等学校野球選手権広島大会始球式にて
101回全国高等学校野球選手権広島大会始球式にて福岡誠志(ふくおか・さとし) /1975年三次市生まれ。広島国際学院大学卒業(1998年3月)湧永製薬株式会社入社(1998年4月)三次市議会議員(旧市)に当選(2001年5月)広島修道大学大学院法学研究科国際政治学専攻修了(2005年9月)三次市長に当選(2019年4月)

一番やりがいを感じる瞬間は?「地元資源の活用でプロジェクトが成功した時は嬉しいですね。」

「一番やりがいを感じる瞬間は、目の前に大きな山がある時です。
それだと抽象的すぎるけども、やっぱり地域の資源を活用して何かのプロジェクトが成功した時っていうのはすごく嬉しいですね。例えば、小学校が廃校になったり、公共施設が使われなくなったりしていて。それを今後どう活かしていくかで頭を悩ませています。ただ単に活用するだけでなく、そこに新たな息吹を吹き込むことが重要です。今は廃校になったところを地元の人が利用して地域活動などに活用してもらっています。安田小学校という廃校になった小学校があるんですが、その安田小学校のグラウンドを使って、プロレス大会も開催されました。地域の方々が企画し、実行委員会を作り、まさにゼロから企画されたものです。

当日は、400人余りが来場し、学校にひさびさのにぎやかな声が響きました。ザ・グレートサスケさん、アジャコングさんをはじめとする有名レスラーが参戦し、盛り上がったのはもちろんのこと、地元の三次高校のレスリング部の生徒が受付を担うなど、地域ぐるみのイベントが成功したのはまさに地域力を感じた瞬間でした」

2023年10月22日みちのくプロレスびんご安田大会2023年10月22日みちのくプロレスびんご安田大会

市長としていちばん苦労したことは?「コロナ禍の行動制限を求めることに心が痛みました」

「市長として、一番苦労したのはやはりコロナ期間中です。
行動制限を打ち出すにしても、コロナ前と同様に当たり前に会いたい人に会えないということの辛さがわかるだけに、行動制限っていうところに対してメッセージを出す際には苦しみました。一方で、市民の命と暮らしを守るためには、一定の行動制限は不可欠であり、メッセージは出さないといけないわけで、自分の中で葛藤がありました。例えば、おじいちゃんとかおばあちゃんの命が、ここ数日が勝負という時に、実際に会いにいけないという人がたくさんいたり、病気で入院をしている人のところにお見舞いにいけなかったり、あるいは、故郷に帰りたいけど帰れなかったりと。

一方で、やはりコロナがあったからこそ、日本の社会構造にも大きな変化が生じました。コロナ前の日常生活が決して当たり前のものではなく、大胆に変えられる部分があることを多くの人が感じたと思うし、コロナの3年間を踏まえて社会を変革していくチャンスが来たと感じています。コロナ期のさまざまな取組がホップ、今、DXなどに取り組みつつあることはまさにステップであり、今後、ポストコロナの新たな社会づくりがまさにジャンプであり、積極的に取り組んでいく時期が来ていると思います」

2020年4月、三次市立小中学校の臨時休校等についてについて記者発表を行う2020年4月、三次市立小中学校の臨時休校等についてについて記者発表を行う

「たとえば、RPAへの取り組みの庁内での拡大はまさに、コロナ禍が生んだものです。医療機関から届いた「新型コロナワクチン接種記録」と「ワクチン接種記録システム(VRS)」のデータの照合について、作業の効率化と職員の負担軽減を図るため、RPA・AI-OCR(AI技術を活用したOCRによる書類の読み取り)を導入しましたが、もともと三次市ではDXを推進しており、他課で先行してRPA・AI-OCRを導入していました。そこで、事業者と急遽調整を行い、導入に向けての取り組みが急ピッチで進みました。

役所の幹部会議をはじめコロナ対策会議、災害対策本部会議もオンライン化しました。これは、従来は移動に費やしていた時間を業務に使える、という効率化をもたらしています。

また、初めて市長選に臨んだ時からデジタルによるまちづくりを推進してきましたが、2021年3月には「三次版スマートシティ構想」を公表し、さらにそれを具現化する「三次市官民共創DXコンソーシアム」を組成しました。この組織は、デジタルによる変革を更に拡大し、人、地域、企業、産業、行政が繋がり支え合う、まさに官民共創の「つながるみよし」を目指し発足したものです」

2020年4月、三次市立小中学校の臨時休校等についてについて記者発表を行うRPAとAI-OCRによる業務効率化の仕組み

市長を目指した理由を聞かせてください―「地域資源や人との繋がりを活かす」

「"まちを元気にしたい"と思ったのが一番の理由です。私が市議会議員になったのは25歳の時でしたが、そのときから"将来は市長になり地域に尽くしたい」という気持ちをずっと持っていました。
「どうやったら自分のビジョンを達成できるのか"。それを有権者に理解していただければ、道は開けると思っていました。そして、地元の資源や人との緊密な繋がりがあり、地域のさまざまなつながりを活かせることが地元出身者の強みだと思います。

特に、これからの地方都市は人口減少社会という課題から逃れることができません。私のテーマである"市民に寄り添った政治"はそのような時代の意思決定に不可欠であり、市民の思いを受けて政治が決まるというプロセスが今ほど求められる時代はありません」

神杉大田植神杉大田植

三次で今、注目の取り組みはありますか?「漢方薬の産地化を目指しています」

「三次では、ピオーネやワイン用ぶどう、アスパラガスなどの第一次産業が大変重要です。農地を活用して高付加価値な何かができないだろうか、というところで、今、漢方薬剤の産地化を目指しています。

大学を卒業してから製薬会社に勤めていた経験もあり、このプロジェクトには大きな可能性を感じています。現在、漢方薬剤の大部分は中国から輸入されています。中国の政情から、安定して漢方薬の原材料が入る保証がなく、ましてや中国も経済発展を遂げ、人口規模も大きいですから、本当にいつまでも安定して漢方薬の原材料が輸入できるのか、という課題があります。だったら日本国内で生産したらいいじゃないか、ということで、三次で生産することで、日本でもそういうのができるんだというモデルになりたいと思っています。

僕が就任してすぐに漢方薬剤の試験栽培を始め、今は試験栽培をしてくれる生産者も増えて、大阪の製薬会社と仮契約まで締結するところまでたどり着いています。もちろん、簡単なことではありません。当初は農家さんも試行錯誤ですから、種から芽が出て、雑草か芽か分からないような状態の中で、地道な作業をする。苦労も多いですが、なんとか従来の農産物よりも収益構造がよい、持続可能なものにする必要があります。農業振興の柱の一つとして漢方原料の産地化はぜひとも、軌道に乗せたいところです」

栽培研修会栽培研修会

今後三次をどんなまちにしていきたいですか?「みんなが幸せに暮らせるまちに」

「今後三次をどんなまちにしていきたいかというと、市民のみなさんが幸せに暮らせるまちにしたいです。みんなが三次に帰りたいな、三次っていいな、離れてみてわかるよね、というまちにしたい。

子どもたちには、自然豊かな恵みや郷土愛をいっぱい受けて育ち、大人になったときに「やっぱり三次っていいよね」と思ってもらいたいです。

そんなまちにするために、市民のみなさんと対話を重ね、それぞれの声に寄り添い、「子育てしやすい三次、生きがいの持てる三次、誰もが幸せに暮らしやすい三次」の充実を目指し、まちづくりをしていかなければならないと思っています」

野球について、そして、女子野球について熱く語る福岡市長野球について、そして、女子野球について熱く語る福岡市長
野球について、そして、女子野球について熱く語る福岡市長約450年の長い歴史を今に伝える伝統漁法「三次の鵜飼」(撮影:福岡誠志)

【インタビューを終えて】
徹底的に市民に寄り添う姿勢が、ひしひしと伝わってきた。三次を大切に思う気持ちがインタビューを通じて伝わった。二十歳のころはチームメイトと神宮に行くという目標を掲げ野球に打ち込み、今は市長として地域をリードし新たな政策に果敢に挑んでおられる。常に挑戦し続ける姿勢が素敵だと思った。(藤原歩未)

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