消費の場としての域を超えていない商店街再生の現状

全国各地で増加する”シャッター商店街”。大型スーパーやインターネット通販が台頭している今、かつて消費の場であった商店街の役割を変え、商店街を再び活性化させようという取組みが各地で行われている。

2023年9月26日、LIFULL HOME'S PRESSは「シャッター商店街を『住む・働く・集う場』へ ~油津商店街・寿通り商店街の事例から~」と題したオンラインセミナーを開催した。

本セミナーでは、商店街を「消費の場」ではなく、別の視点で再生を目指す2つの事例、宮崎県日南市の「油津商店街」と福岡県北九州市の「寿通り商店街」を紹介。さらに登壇者全員で「シャッター商店街の再生」をテーマにトークセッションを行い、大変盛り上がった。今回のセミナーを通して、商店街の役割を変えることによる、商店街再生の可能性を考えてみたい。

写真左から:LIFULL HOME'S総研所長 島原 万丈氏/株式会社ホーホゥ代表取締役 木藤 亮太氏/株式会社タムタムデザイン代表取締役 田村 晟一朗氏/LIFULL HOME'S PRESS編集長 八久保 誠子氏写真左から:LIFULL HOME'S総研所長 島原 万丈氏/株式会社ホーホゥ代表取締役 木藤 亮太氏/株式会社タムタムデザイン代表取締役 田村 晟一朗氏/LIFULL HOME'S PRESS編集長 八久保 誠子氏

ますはじめに、LIFULL HOME'S PRESS編集長・八久保誠子氏より、商店街の現状についての説明があった。

中小企業庁の令和3年度(2021年度)「商店街実態調査」によると、商店街の空き店舗率は2000年は8.5%、その後じわじわと上昇し、2012年には14.6%、その後は13%台で横ばいとなっている。前回調査に比べるとわずかではあるが減少している空き店舗率だが、商店街へ「空き店舗の今後の見通し」について質問したところ、約半数が「増加する」と回答した。

続いて八久保氏が注目した調査結果は「商店街の景況」についてだ。「繁栄している」と答えた商店街はたった4.3%であるのに対し、「衰退している」と答えたのは67.2%、「まあまあである」は24.3%。さらに「商店街への来街者数」は、「減った」と回答した商店街が68.8%、「増えた」と回答したのはわずか4.6%だった。

また商店街が抱える問題は、「経営者の高齢化による後継者問題」が72.7%、「店舗等の老朽化」が36.4%、「集客力が高い・話題性がある店舗・業種が少ない又は無い」が30.3%と、さまざまな課題が重なっている。

もちろん商店街は危機感を抱え、各々再生を試みてはいる。例えば、地域通貨やポイント制をつくったり、おばあちゃんの原宿”巣鴨”やもんじゃの”月島”などのようにテーマ性を持たせ観光による活性化を図ったりと、それぞれに知恵を絞っているが、「いずれも消費の場としての商店街再生の域を超えていない」と八久保氏は商店街の現状を説明した。

商店街に”働く場”をつくり出す、宮崎県日南市「油津商店街」

昔の面影を残す「ABURATSU COFFEE」は、若者にとっては”エモい”カフェだ(木藤氏の投映資料より)昔の面影を残す「ABURATSU COFFEE」は、若者にとっては”エモい”カフェだ(木藤氏の投映資料より)

続いて、商店街を”消費の場ではない”方法で再生へと導く2つの事例紹介に移る。

最初の事例は、宮崎県日南市の「油津商店街」。登壇者は、株式会社ホーホゥ代表取締役・株式会社油津応援団取締役の木藤亮太氏である。

「猫すら歩かない」と揶揄されたシャッター商店街に、4年間で20誘致するというミッションが課せられたのが2013年。このプロジェクトは全国公募され、応募者333名の中から選ばれたのが今回の登壇者・木藤氏であった。選考理由は「焼酎の注ぎ方が一番上手だったから」と笑う木藤氏だが、つまりはコミュニケーション能力の高さが決め手になったそうだ。

そんな木藤氏が最初に取組んだこと、それは「地元の人に話を聞きまくる」こと。以前商店街の入り口で営業をしていた喫茶店の空き店舗に人を集め、思い出を語ってもらったそうだ。そうしてこの空き店舗をリノベーションし誕生したのが「ABURATSU COFFEE」。じつはこのカフェは誘致ではなく、木藤氏自らが借り入れをし、経営をはじめた店舗である。

木藤氏はこう話す。「私は市から雇われていたので、『どうせ途中で逃げ出すんだろう』『うまくいかなくてもサヨナラするだけだろう』とよく言われました。 だからこそ商店街の人たちに本気でやっているという決意を見せたかったんです。プロジェクトの任期は4年でしたが、それ以上関わり続けるぞという覚悟みたいなものを見せました」。

「ABURATSU COFFEE」がオープンすると、連鎖でさまざまなお店が動き始める。カフェの隣にはランチが食べられる豆腐店ができ、空き地にはコンテナを6棟並べた小さな店舗がオープン。さらに閉店したスーパーマーケットをリノベーションし、食堂と多世代交流拠点スペース「油津yotten」が誕生した。

昔の面影を残す「ABURATSU COFFEE」は、若者にとっては”エモい”カフェだ(木藤氏の投映資料より)「油津yotten」は木藤氏を含めた3人で計90万円を出資し「株式会社油津応援団」を法人登記。同社で借り入れたお金と補助金を事業費にした。そんな、リスクを負いながら事業をはじめる姿を見て、だんだんと市民の賛同を得るように。今では47名の市民出資が集まり1,600万円の資本金を手にする会社となったそうだ(木藤氏の投映資料より)

こうして商店街の再生事業を進めていくと、次は商店街の外に住む人たちから「なぜ今更、商店街にお金を投じなければならないのか」という意見が出た。

「ここで我々がこの事業を応援してもらうためには、商店街の課題を解決するのではなく、地域の課題を解決するということを理解してもらうことが大切だと思いました。日南市含め、地方都市は若者が急速に減っています。このままだとまちが消滅してしまう。商店街という空間の中で、若い人たちがチャレンジできる場所、若い人たちを応援する事業をもっと生んでいかないといけない。それは商店街のためではなく、地域のためなんだということを伝えていかなければならないんだと感じました」と木藤氏。

商店街に新しい場所をつくると、そこで地元出身の若い世代が起業をしたり働いたりする。商店街に働く場所をつくり出すことで、まちが活性化するのだ。

そうこうしているうちに、「ゲストハウスをつくりたい」という大学生が現れた。宿ができれば、人流が生まれ経済効果も期待でき、商店街の活性化につながる。嬉しい申し出なのだが、商店街側からは「治安が悪くなる」などといった反対意見が出た。「私はそんな意見も笑顔でスルーするという得意技で、商店街の真ん中の空き店舗を活用しゲストハウスをつくりました」と木藤氏は話す。ただこれは、それまでに培った木藤氏と商店街との絆あってこそだと筆者は感じる。

そして木藤氏はこう続けた。「ある日ゲストハウスに行くと、商店街で一番反対していたおじさんと経営者の大学生が一緒になってベッドメイキングをしていたんです。面白いですよね。反対していた人たちは、”商店街に宿ができる”ということはバツですが、”若い世代の子たちが、リスクを負いながらがんばっている”というのはマル。それは心から応援するわけです。要は見せ方を変えていくだけで、新しいことってできるんじゃないかと思いました」

こうして油津商店街に新しいことがどんどん広がっていった。東京からIT企業を誘致し、商店街の中で東京と変わらない働き方ができるようにしたのだ。こうすることで地元の若者もこの地で働くことができるようになった。商店街の中にはこれまでに13の会社が入居し、約120人が働いているという。働く人が増えれば必然的に消費者人口も増えるため、飲食店や保育園もできたそうだ。

そして木藤氏はこう言い放った。「商店街は再生しません」。

この言葉の真意は、昔栄えていた商店街を覚えている世代がイメージする”あの頃”に戻るのではないということ。地方都市がこれから勝ち残っていくために必要なことを考えながら「生まれ変わる」ことが大切なのだ。

小さな変化の積み重ねが大きな変化に

油津商店街は故・安倍元首相からこう褒められた。「若者たちをはじめ、地元の人たちが自らのアイデアでどんどんチャレンジしようと思いはじめたこと。油津商店街に行けば、やりたいことが実現する。そういうワクワクするような空気感が商店街再生の大きな原動力になっています」。

木藤氏たちはまさしく、アイデア・チャレンジ・ワクワク……こういった思いで商店街再生を行ってきたそうだ。大きく変わったと評価される油津商店街だが、じつはひとつひとつの事業規模は小さく、そんな小さな変化が連鎖反応のように広がり、積み重なって大きく変化したように見えている。若者主導のアイデアとチャレンジで、これからも必要とされるまちに変化しようと努力しているのが油津商店街なのだ。今後もきっとワクワクするようなまちに発展していくのだろう。

日南市では毎年2月にプロ野球・広島東洋カープのキャンプが行われ、約5万人のファンが訪れる。クラウドファンディングでお金を集め、油津駅を赤く塗装。また、道路も赤く塗ることで、赤い道を歩いて商店街に多くの人が来るようにというユニークなアイデアも(木藤氏の投映資料より)日南市では毎年2月にプロ野球・広島東洋カープのキャンプが行われ、約5万人のファンが訪れる。クラウドファンディングでお金を集め、油津駅を赤く塗装。また、道路も赤く塗ることで、赤い道を歩いて商店街に多くの人が来るようにというユニークなアイデアも(木藤氏の投映資料より)

小さな商店街に”住む”。福岡県北九州市「寿通り商店街」

続いての登壇者は、株式会社タムタムデザイン代表取締役の田村晟一朗氏。田村氏は不動産再生プロジェクトを企画・運営しており、テレビ番組でも商店街再生のキーマンとして取り上げられた人物だ。

そんな田村氏が関わっているのが、福岡県北九州市の「寿通り商店街」。全13店という小さな寿通り商店街は、数年前までシャッター商店街と化していた。

そんな寿通り商店街の中に2015年、「このまちを元気にしたい」という思いから、昼間は事務所、夜はワインバーとして営業をはじめたのが、田村氏と交友があるPR・企画会社を主宰する福岡佐知子氏だった。

写真左:田村晟一朗氏、右:福岡佐知子氏(田村氏の投映資料より)写真左:田村晟一朗氏、右:福岡佐知子氏(田村氏の投映資料より)

福岡氏の人柄もあり、ワインバーは連日盛況。にぎわいをみせるようになった同商店街に、その後総菜店とレンタルスペースをオープンすることに。その際にプロジェクトメンバーとして加わったのが田村氏だ。空き家をリノベーションしていくと、商店街はだんだんと明るくなり、プロジェクトに関係のない空き店舗にも入居者が入った。

そんな時に田村氏が発起人となりスタートしたプロジェクトが、今回の事例紹介である「寿百家店」だ。

3軒長屋をリノベーションし、1階はシャッター1枚ずつの幅に壁をつくり、マイクロショップが集積する建物にした。アパレルショップや書店、フェイシャルサロンやラーメン店など、多彩な店舗が入居している。

そして昔は住まいとして使用されていた2階は、4部屋からなるシェアハウスに。すでに20~30代の若者が入居し満室なのだが、シェアハウスの住人は、月に1回開催される寿マーケットの運営に携わったり、ラーメン店のお手伝いをしたりしているという。ただ住んでいるのではなく、寿百家店の活動に参加し、寿通り商店街に関わりながら暮らしているのだ。

寿百家店には、これまでの住まいにはない新たな価値があるように筆者は思う。

写真左:田村晟一朗氏、右:福岡佐知子氏(田村氏の投映資料より)寿百家店2階のシェアハウス計画図。現在は商店街の雰囲気や人情などの中で暮らしたいという若者が入居している(田村氏の投映資料より)

人を巻き込む仕掛けで商店街を活性化

どのまちのシャッター商店街も同様だろうが、以前は寿通り商店街のシャッターにも落書きが書かれていた。そんな同商店街のシャッターをきれいにしようとはじまったのが「トムソーヤ大作戦」。トムソーヤの冒険のペンキ塗りのエピソードはあまりにも有名だが、まさにそんな企画だ。

商店街で販売されている手ぬぐいを購入すると、その手ぬぐい代はペンキ代となり、買った人はシャッターにペンキを塗ることができるのだ。普段ペンキを塗ったことのない人にとって、ペンキ塗りは一大イベントだろう。うまく人を巻き込み、みんなの協力で寿通り商店街はきれいになっていったのだ。

ほかにも空き家にあった椅子や家具などをもう一度使おうと、みんなで洗うワークショップを行ったり、近くの海岸で拾ってきた廃材を使い、商店街のアイコン的な存在となるモニュメントを作ったりと、なんでもイベントにした。そうすることでどんどん仲間が増え、そしてより商店街に愛着を持ってもらうことができたそうだ。

トムソーヤ大作戦にてみんなでシャッターにペンキを塗る様子(田村氏の投映資料より)トムソーヤ大作戦にてみんなでシャッターにペンキを塗る様子(田村氏の投映資料より)

田村氏はかねてから、都市の”あんドーナツ化”を進めている。中心の人口密度が低いことを指す言葉は”ドーナツ化現象”だが、真ん中で楽しい案(美味しい餡)をどんどん増やせば、人口が減ってもまちの賑わいは衰退しないのではないかという思いで”あんドーナツ化”と称し活動しているという。

まさに寿通り商店街には、楽しい案(餡)がつまっている。郊外に住む人々も、このアンを求めてやってくるのではないだろうか。

シャッターを開ければ、そこはいろいろなことにチャレンジできるスペース

事例紹介のあとには、LIFULL HOME’S総研所長の島原万丈氏を交えてトークセッションが行われ、参加者からも非常に多くの質問が飛び交った。質問の一部を紹介しよう。

「一緒に変えていく人とつながっていくことが大切だと思うが、どのようにしてつながったのか」という質問に対し、木藤氏は「応援される力も大切である」と話す。油津商店街に行った当初、木藤氏は何の実績もなかったそうだ。地元の人たちは「本当にこの人、大丈夫かな」と、自然と応援してくれる人が集まってきたという。「実績があればできるということではなく、自分が足りないからこそ、”応援される力”っていうのも大事だと感じました」と、木藤氏は当時を振り返る。

続いて田村氏はこう話した。「やはりメディアの力は大きいと感じましたね。テレビで取り上げられる前は、もしかしたら陰口を言っていたような人たちもいたと思います。しかし放送後は、寿通り商店街でやっていることをちゃんと知ってもらうことができ、急に応援してくれる人も増えました」。そして田村氏は”仲間”について、こうも話した。「私は仲間は少なくていいと思っています。本当に信頼できる仲間が数人いれば十分」。これには木藤氏も強く賛同していたのが印象的であった。

盛り上がったトークセッションの様子(セミナー画面)盛り上がったトークセッションの様子(セミナー画面)

この日のセミナーには、全国各地の商店街に関わる人々も数多く参加されていたのだが、特に多かったのが「何からはじめたらいいのか」という質問だ。

それに対し木藤氏は「私の場合は完全によそ者だったので、とにかく話を聞きまくりました。商店街のおじさんたちは、昔の話をいっぱいしてくれるし、どうやって悪くなったかという話もしてくれる。あるご婦人はご主人と初めてデートした時に、どこに座って何を食べたかまで話してくれました。地元の人たちが思っている種みたいなものを拾い上げて、それを形にしていければ、そこでまた”イイね”という共感が集まってくる。その繰り返しなのかなと思います」と語った。

続いて田村氏は、「僕は”人”が好きなので、そのまちでこの人が頑張ってるから応援しようというところが入り口です。寿通り商店街も、単純に福岡さんがやっていたバーに飲みに行っていただけ。そこで福岡さんの思いを聞き、応援したくなったんです。誰かのためじゃなく、この人のためだったらっていう人に、自分がなればいいのかと思います」と話した。

最後に「これからの商店街は何をどう考えていけばいいのか」という質問に対し、木藤氏は「商店街は”寂れている象徴”になっているけれど、日本人は『商店街』という漢字3文字がすごく好きだとも感じます。商店街という言葉の持つ力や、社会に対していいメッセージを発信していく力を持っていると思うのです」と話し、一方で田村氏は「私は不動産オーナーが重要だと思っているんです。次の世代に資産を生かしてほしいと思いますね。オーナーが貸さないという判断をすることで、まちに負のエネルギーを放っていると知ってほしいです」と続けた。

島原氏は、「シャッター商店街は、『シャッターを開けたらこんなにもいろいろなことをやれるスペースがあるんだ』と思えるかどうかが大切。『ここではこんなことができるね』『こうしたら面白いね』と、妄想会議みたいなことを普段からしていきたいですね。閉まっている店舗という認識ではなく、こんなにも使える空間があるんです。もう一度まちを見直してみることができたらいいですね」と話し、セミナーを締めくくった。

多くの人が参加した本セミナー。それだけ商店街に対し、期待している人が多く、そして憂いている人も多いということがうかがえる。スマホがあれば買い物ができる時代だからこそ、令和の商店街には消費の場とは異なる役割が求められている。今回の事例は、大きなヒントになったのではないだろうか。

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