神戸の異人館は、日本独自のスタイルだった
関西の三都市のうち、大阪では2013年から、京都では2022年から地域の建築を公開、楽しむイベントが開催されてきており、昨年初めて開催された京都モダン建築祭では3日間でのべ3万人が京都中心部36軒の建築を堪能した。当然、神戸でもという声が出たと京都でも実行委員を務めた京都工芸繊維大学助教で建築史家の笠原一人さん。
「2022年9月に神戸で建築関係の集まりで準備中の京都モダン建築祭の話をしたところ、神戸でもやりたいという声が出たのですが、その時点では京都での成否が見えていなかった上に、大規模なイベント開催は片手間では無理と思っていました。
ところがその後、11月に廃墟の女王といわれる旧摩耶観光ホテル(ちなみに王様は長崎の軍艦島)が文化財登録されたことを記念する廃墟景観シンポジウムが開催され、官民から様々な人が登壇しました。その中には神戸を拠点に各方面で活躍しておられる旧知の方々が揃っていて、この人達に実行委員を依頼すればできるんじゃないか、と思ったのです。また、京都で事務局を務めていただいた、まち歩きイベントを長らく開催してきた「まいまい京都」に相談したところ、神戸でもお手伝いいただけることになり、2023年1月から準備に動き始めました」。
神戸で建築といえば多くの人が北野の異人館街を思い浮かべる。1977年にNHKの朝の連続テレビ小説「風見鶏」に登場、全国に洋館ブームを巻き起こしたのが北野の異人館街。神戸にもあの建物群を見学に多くの観光客が押し寄せ、神戸市では放送の始まった10月3日を神戸観光の日と定めているほどだ。
「北野の異人館は有名ですが、実はあれは欧米にはない日本独自スタイルの洋館。それに神戸には山にも海にも近いところから、京都にも大阪にもない建築が多くあり、それがほとんど知られていません。知識があればもっともっと楽しめる。それが神戸モダン建築祭(以下、建築祭)で伝えたいことのひとつです」。
北野町には安藤忠雄建築も集中している
異人館といえば欧米のものと思っていたが、笠原さんによると北野町の異人館はヨーロッパとも、アメリカとも違うという。
「北野町の異人館にある大きなベランダはアジアなど熱帯の植民地で涼を求めるために生まれたもので、ヨーロッパ由来のものではありません。また、下見板張りはアメリカから来たもので、これもヨーロッパ由来ではありません。その両者が組み合わさって日本独自の洋館になっているのです。かつては横浜にも同様の異人館がありましたが、関東大震災で壊滅してしまいました」。
観光に来る外国人は日本らしいものを求めるため、洋館のイメージが強い神戸は選ばれにくい。だが、日本の洋館は本国とは全く違うもの。外国人にも足を運んで欲しいものだ。ちなみに京都モダン建築祭でも洋館は人気を集めたが、京都の洋館は和と洋が混じった、京都の近代にしかないもので全く違う文脈と笠原さん。知識がないと同じように見えるが、説明を受けてから見ると同じものが違って見えるから不思議だ。
異人館のイメージの強い北野町界隈だが、実は安藤忠雄による8軒の建物が集中しているエリアでもある。
「1960~1970年代の高度経済成長期、北野町界隈にも他の地域同様に建設ラッシュが起きており、マンションやラブホテルが建設され、異人館は次々に取り壊される、そんな状況でした。その流れに対し、良質な商業施設を作って対抗しようと安藤忠雄さんが双子の弟で浜野商品研究所(現・浜野総合研究所)にいた商業コンサルタントの北山孝雄さんと協働して最初に作ったのが山本通りにあるローズ・ガーデン。完成したのはドラマ風見鶏が放送されたのと同じ年で、以降北野町が脚光を浴び、まちづくりの方向も変わり始めました」。
この時期の安藤忠雄氏の商業建築は狭い入口から引き込まれるように建物中央の窪んだ中庭に導かれ、そこから迷路のようにも思える階段、通路で各店舗に向かうという作りになっていて隠れ家的な印象がある。中庭を挟んで2棟の双子のような建物が少しずれて配されるのも共通しており、ローズ・ガーデンの場合は周囲の街並みや遺構に合わせてか、切妻屋根やレンガの外壁がデザインに取り入れられている。
「最近の通りに対しての視認性を重視した建築とは逆のスタイルであり、70年代には新鮮でしたが、今の人達は分かりやすいところに行きたがる傾向があり、空き室が目立つ建物も増えています。でも、その分、営業していたら入っていけないところが建築祭で見られると考えるとチャンスなのではないでしょうか」。
神戸・山手の大豪邸街の名残りのお屋敷も特別公開
神戸といえば明治から大正にかけて作られた山手のお屋敷街の存在も知られたところ。
「新幹線新神戸駅の、現在竹中大工道具館のあるあたりから東側にはかつて大豪邸街が広がっていました。神戸には明治から昭和にかけて三大船成金と呼ばれた富豪がいましたが、彼らの家があったのがこの地域。現在はそのうちの、第8代神戸市長も務めた武田五一設計の勝田銀次郎宅が天理教兵庫教務支庁として残されています。
現在(2023年)に放映されている朝の連続ドラマで主人公の牧野富太郎をスポンサードした美術収集家の池長孟が居住、収集した南蛮美術を私立美術館として公開したのもこのエリア。戦後、神戸市が建物ごと収蔵品を譲り受け、現在、収蔵品は神戸市立博物館内の南蛮美術館に移転、建物は神戸市文書館として公開されています。小川安一郎設計でアール・デコ調の建物です」。
もうひとつのお屋敷街が東灘区の御影、住吉のあたり。こちらは大阪の名だたる企業経営者の本宅が集中。かつて「住吉村は日本一の長者村」とも言われていたとか。
どんな人が住んでいたかを一部挙げてみると朝日新聞創業者の村山龍平、住友財閥の住友吉左衛門、東洋紡績の阿部房次郎、日本生命社長の弘世助三郎、野村財閥の野村徳七、乾汽船社長の乾豊彦、武田薬品社長の武田長兵衛、伊藤忠の創業者の伊藤忠兵衛、岩井商店主の岩井勝次郎、甲南学園創立者の平生釟三郎、大林組社長の大林義雄などなど。とても書ききれないほどで往時にはこの何倍もの大企業経営者が集まっていたと推察される。
「当時の大阪の企業の経営者は京都の東山界隈に和館ベースの庭を楽しむための別邸を持ち、神戸に広大な本邸を洋館で建てる傾向があったようです。ただ、残念なことに多くは現存していません。ただ、今回の建築祭では事前予約の特別ツアーで村山邸が公開されますし、乾邸もクラウドファンディングのリターンとして見学会が開かれます。一部だけですが、見るチャンスがあるということです」。
村山邸は阪神間に広がった郊外住宅の先駆的存在で、村山龍平が数千坪の土地を取得した1900(明治33)年頃の御影周辺は六甲山の裾野の何もない土地で、なぜ、こんな場所にと言われたこともあったとか。ところが村山が大阪から移り住んだことなどを契機に明治、大正、昭和初期の大阪の企業経営者たちは競ってこのエリアに私邸を構え始める。村山邸は御影の歴史の生き証人というわけである。
村山邸では1909(明治42)年竣工の洋館以下、書院等、衣装蔵、美術蔵、玄関棟、茶室棟が重要文化財となっており、これまでは庭園特別見学会、茶会などで限定的にしか見学できなかった。敷地内に作られた香雪美術館が現在長期休止中で庭園特別見学会も当面、休止となっていることを考えると建築祭は貴重な見学のチャンスとなりそうだ。
このエリアでは他にも白鶴酒造創業家の7代目当主嘉納治兵衛の収集した東洋古美術を展示した白鶴美術館、日本生命5代目社長の弘世現の本宅をレストランなどとして利用したザ・ガーデン・プレイス蘇州園などが面影を伝えている。入ることはできないが、大林組社長の大林義雄邸は大林組お得意のスパニッシュ建築で映画「華麗なる一族」で登場したことで知られる。まちの雰囲気を味わいに行くだけでも面白そうである。
海と山が迫る神戸ならではの港湾、土木施設にも見るべきもの多数
大阪、京都と違い、海と山が迫る神戸ならではの港湾施設やオフィス、土木構造物なども多い。土木のまち、神戸の起源は平安時代の兵庫津(神戸市兵庫区沿岸部。神戸市営地下鉄海岸線中央市場前駅周辺エリア)に始まると笠原さん。
「兵庫津は8世紀初めには大輪田泊と呼ばれ、遣唐使として最澄、空海が船出し、平安時代には平清盛が日宗貿易に利用してきた古くからの国際貿易港。鎌倉時代以降には東大寺の勧進で知られる重源が改築を行ってもいます。江戸時代には北前船の発着港として繁栄してきました」。
それだけの歴史があるまちだけに日本初も多い。たとえば日本初の鉄道トンネルは東海道本線の住吉~三ノ宮間にある石屋川隧道。天井川(氾濫を防ぐために堤防をかさ上げしていった結果、周囲の地面よりも高くなってしまった川)だった石屋川と鉄道を交差させるために川の下にトンネルを通したものである。この区間については現在、高架になっているが、東海道線沿線には他にも摂津本山~住吉間の住吉川、芦屋~甲南山手間の芦屋川の下を鉄道が通っている。
日本初の河川トンネルも神戸にある。湊川隧道だ。かつての湊川は市内の中心部を流れており、いったん水害が発生すると大きな被害を及ぼした。特に1896年の台風では堤防が100mに渡って決壊、押し寄せた濁流に死者38名、負傷者57名を出す惨事となり、多数の家屋が流出、浸水した。
この被害を受け、翌年には湊川改修株式会社が設立される。現在のような重機、機械のない時代であり、ノミ、ツルハシ、トロッコなどを使って人力で全長600m、幅7.3m、高さ7.7mのトンネルを掘り進め、要した期間は3年9カ月。大工事である。2000年には新湊川トンネルが建設されたことから約100年に及ぶ役目を終えた湊川隧道は現在、地域の人達による湊川隧道保存友の会によって保存、公開が行われている。
神戸ならではの土木工事といえば戦後の六甲アイランド、ポートアイランドの埋立てがあるが、これらの工事では山の土砂を地下の専用ベルトコンベヤで運ぶというやり方が取られた。ダンプで街中を運ぶと渋滞、騒音、排ガス問題などが必至だが、このやり方なら環境への影響は少なくて済む。
「役目を終えたベルトコンベアのトンネルは今も地底の大空間として存在しています。こうした知られざる土木遺産を見学できたら。初回は神戸中心部を対象に考えていますが、いずれは広い範囲で開催できるようにしていきたいものです」。
神戸の山の上にも近代建築が存在
今回は難しいもののいずれはというジャンルとしてはリゾート地としての神戸というテーマもある。たとえば六甲山だ。緑が濃く、豊かな自然が残された避暑地、別荘地としての要件を備えた六甲山に最初に目を付けたのは神戸在住の外国人たち。
日本最初のゴルフ場はイギリス人の貿易商アーサー・ヘスケス・グルームが、自身の山荘がある六甲山上に仲間とともに3年がかり、手作業で作った4ホールとか。1901年のことで、その後1903年には9ホールに拡張され、それが日本初のゴルフ場、神戸ゴルフ倶楽部となって現存している。
それ以外にも1944年に建設されたヴォーリズ六甲山荘、1929年建設で2007年に近代化産業遺産に認定された六甲山ホテル(現六甲山サイレンスリゾート)などがあり、それ以外の地域にも魅力的な建物があると笠原さん。
「須磨には現在、レストラン神戸迎賓館として活用されているセセッション風のデザインが見事な、設楽貞雄設計の旧西尾邸がありますし、戦後に建替えが行われた有馬温泉にも京都府大山崎の聴竹居で知られる藤井厚二が設計した10軒ほどの別荘のうち、2軒が現存しています」。
神戸は知れば知るほど建物好きにはたまらない地域というわけである。
ここまで見られない場所も含め、神戸の建築の魅力を教えて頂いたが、最後に今回の建築祭で笠原さんがお勧めするスポットをご紹介いただこう。ひとつは新港第四突堤Q2上屋。これはポートアイランドに向かう神戸大橋の手前にある港湾施設で、1932年に竣工したもの。ヨーロッパ航路が発着した神戸で客船で日本にやってきた人が船から降りて鉄道に乗り換えるための駅施設で、チャップリンもここを通ったという。
「大蔵省営繕管財局神戸出張所が設計したもので、その昔の日本の玄関。現在も国際旅客船の送迎デッキとして使われていますが、これまで中は公開されていませんでした。ところが入ってみるとアール・デコ調の装飾が残されており、宿直室にはその当時のかまどなどもありました。倉庫として使われている部分には入れませんが、それ以外の部分は公開される予定です」。
もうひとつは多くの人が外観は見たことがあるだろう建造物、神戸港のメリケンパークにある高さ22センチの巨大な鯉のオブジェを伴う建物、「フィッシュ・ダンス」だ。1987年に神戸開港120年に合わせて建設されたもので、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館で知られるフランク・ゲーリーが手掛けた。
「日本で彼の作品はこれだけ。現在オフィスとなっている茶色い建物部分が公開されることになっています」。
この秋は「神戸モダン建築祭」で建築を楽しもう
最後に建築祭そのものについて。
開催予定は2023年11月24日(金)〜26日(日)の3日間。神戸に現存するモダン建築を一斉公開するもので初年度の公開目標は30件。文中でご紹介した村山邸、フィッシュ・ダンスなどすでに公開が決まっているものもある一方で、10月以降に発表される公開物件もある。
「ここでいうモダン建築は近代、現代のものを指しており、普段は公開されていない建築や空間が開かれることに意味があります。建築、それが形作る都市の魅力を多くの人と共有し、味わい、文化への理解を深め、観光にも寄与できればと考えています。
また、神戸の建築、空間は多様で、それを見て楽しむためには歴史の知識や教養も必要と考えており、今後、専門家が語るオーディオガイドや所有者、専門家等によるスペシャルツアーを実施することなども考えています」。
公開される建築に入場するためには会期中有効なパスポートが必要で、有効期間内であれば1人1枚で自由見学できる「パスポート公開」の会場に何度でも入場可能。ただし、各建築により、公開日や時間などが異なる。また、すべての建築が自由見学方式ではなく、一部の建築については「連携企画」や「見学ツアー」という特別プログラムに参加することで見学が可能になる。場合によっては抽選という可能性もある。
2023年は10月下旬に大阪、11月上旬に京都、そして11月下旬には神戸で建築祭が開かれることになるわけで、建築好きにとってはうれしすぎる話。建築祭で公開される建物以外にも神戸には多数の見どころがある。美味しいものを食べて、建築を眺めて歩く、この秋は神戸を満喫するということでどうだろう。
■神戸モダン建築祭
https://kobe-kenchikusai.jp/
開催日程 2023年11月24日(金)〜26日(日) 3日間
エリア 北野・山手、三宮・元町・港湾、その他
主催 神戸モダン建築祭実行委員会
後援 神戸市
公開日:





















