大倉喜八郎の向島別邸「蔵春閣」が出身地新発田市に移築公開

大倉喜八郎大倉喜八郎

大倉喜八郎(おおくらきはちろう)の蔵春閣(ぞうしゅんかく)が、大倉の出身地・新潟県新発田市に再建され、2023年4月29日から一般公開された。実に喜ばしい。

蔵春閣について私が知ったのは10年以上前、東京の下町について1冊本を書いたときである(『スカイツリー東京下町散歩』)。墨田区から、江東区、荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区まで何十回も歩いた。図書館での資料探索も何度も行ったが、そのとき墨田区について調べていて、向島の料亭街の近くに蔵春閣があったことを知ったのである。

大倉喜八郎は、1837年9月24日、現在の新潟県新発田市に生まれた。54年江戸に出た喜八郎は、鰹節店の丁稚見習いをする。類まれな商才で実業家としての頭角を現し、72年に自費で海外視察を敢行。帰国後、日本人による初の貿易商社「大倉組商会」を東京銀座二丁目に創立した。

1881年には土木事業に進出、日清戦争を背景に軍需品輸入会社の「内外用達会社」を設立。93年には、大倉組商会と内外用達会社を引継ぐ合名会社「大倉組」を組織した。これが大成建設の前身である。
その他、喜八郎が創設した会社には、ホテルオークラ(大成建設が筆頭株主)、帝国ホテル、川奈ホテル、大倉火災海上保険(現:あいおいニッセイ同和損害保険)、日清製油(日清オイリオグループ)などがある。
一方で、教育文化事業にも注力し、1900年には大倉商業学校(現:東京経済大学)、07年には大阪大倉商業学校(現:関西大倉中学校・高等学校)、17年には大倉集古館を創立した。

向島・蔵春閣の跡地は、船橋ヘルスセンター、ららぽーとと変遷

喜八郎が蔵春閣をつくったのは1912年である。
1879年に向島の隅田川に面した場所(後の東京都墨田区堤通1丁目1番地)に別邸を構えていたが、1912年に賓客の接待用として蔵春閣を建て、渋沢栄一らの政財界の大物たちもここを訪れた。戦後の占領期には、占領軍将校の慰安所とされた。
今現地を訪ねると、殺風景な倉庫街であり、川沿いには高速道路が走るなど、情緒はまったくない。当時の姿を見てみたいものだと私はずっと思っていた。

その後私は郊外の娯楽施設について本を書いた(『昭和 娯楽の殿堂の時代』)。その一環として船橋にあった「船橋ヘルスセンター」についてもかなり詳しく調べた。
すると蔵春閣が船橋ヘルスセンターにあったことを知って驚いた。船橋ヘルスセンターは1955年開業、開発した朝日土地興業(後に三井不動産と合併)が蔵春閣を買収して船橋ヘルスセンター内へ移設され、「長安殿」という名の中華料理店として営業していたというのである。

向島時代の蔵春閣向島時代の蔵春閣

1977年に船橋ヘルスセンターが廃業し、三井不動産は同地に巨大商業施設「ららぽーと」を建設する。そこで蔵春閣は曳家によって位置を移動し、三井ガーデンホテルの付属施設「喜翁閣」(きおうかく)として残された。
しかしこれも2006年に閉鎖され、2011年にホテルが営業終了したのに伴い、大倉文化財団へ寄贈され、移築を前提として解体された。

蔵春閣は内部は和洋折衷の独特の空間

大倉文化財団は喜八郎の出身地である新発田市に蔵春閣の寄贈を申し出た。
市は4ヵ所の候補地から東公園を選定した。東公園はもともと喜八郎が所有していた土地を市に寄付したものである。

まさか蔵春閣を見られる日が来るとは! しかも私は新潟県上越市出身。新発田市までは遠いが、それでも同じ県内に蔵春閣ができるとは、まったく想像しなかった。実にうれしい。
蔵春閣は、建築面積254.50平方メートル、延べ床面積398.50平方メートルの二階建。概観は和風だが、中は洋風もありという和洋折衷様式である。

当時最先端の建築物だった「明治宮殿」(現:皇居)の影響を大きく受けており、歴史的にも貴重な建物だという。空襲で焼失した明治天皇の皇居「明治宮殿」の造営に当たったのが大倉土木であったため蔵春閣はその宮殿を模したのである。

東公園の中に移築された東公園の中に移築された

そして桃山御殿を模したといわれる33畳の大広間。大理石の次は畳敷きというのが面白い。
大広間の天井は四角形と八角形の組み合わせによる蜀江組折上げ式と言われるもの。古代模様の菊の盛付を施している。その他、天井も襖も調度品も一つ一つが由来のあるもので、とてもここでは説明しきれない。
広間からの東公園、そして遠くの眺めも良い。廊下からは諏訪神社が見える。
窓のガラスは当時のままだそうで、情緒がある。隅田川とは違うが、十分くつろげる。

東公園の中に移築された上左 1階食堂は、大きなテーブルが置かれているが、壁などは和風の装飾が用いられている。欄間(らんま)の彫刻は芝御霊屋(旧徳川将軍家の霊廟)の遺物などが用いられているそうだ。 下左 1階食堂応接スペース 下右 書斎 襖絵は狩野山楽作と言われる。天井に龍が描かれている。ある城の天守に用いられたといわれている
東公園の中に移築された階段入口。細やかな造作がされている。2階の廊下は都鳥が大理石のモザイクで描かれている

現在の蔵春閣は、会合での利用も可能

うれしいことに蔵春閣は会合などで借りることができ、飲食もできる。もちろん大騒ぎはできないが、隅田川を眺めながら会食をした政財界人の気分を味わうことができるわけだ。
窓から見える諏訪神社の鳥居は喜八郎が寄贈したものだという。

また10分ほど歩くと、旧新発田藩下屋敷跡を活用した清水園がある。外国人を含めた観光客の誘致にも大きな役割を果たしそうである。
JR新潟駅から新発田駅までは30分ほど。新潟出張の折などに、時間に余裕があれば是非訪れたい。

■蔵春閣
所在地 新発田市諏訪町1丁目9番20号
電話番号 0254-28-3255
定休日 木曜日(祝日の場合翌日)、12月29日~1月3日(また貸館状況により見学できないことがあるため事前の確認が必要)

大広間。天井は四角形と八角形の組み合わせによる蜀江組折上げ大広間。天井は四角形と八角形の組み合わせによる蜀江組折上げ
大広間。天井は四角形と八角形の組み合わせによる蜀江組折上げ諏訪神社の鳥居は大倉喜八郎の寄贈
大広間。天井は四角形と八角形の組み合わせによる蜀江組折上げ近くの清水園

公開日: