建築祭で最も多くの建築が扉を開いた中京エリア。専門家と巡る特別ツアーも

京都市中京区は、その名の通り京都の行政・産業・経済活動の中心であり、地理的にも京都市のほぼ中央に位置する。2022年11月11日〜13日に初開催された「京都モダン建築祭(以下、建築祭)」でも、最も多くの建築が公開されたのが中京エリアだ。

国の重要文化財に指定されている赤レンガの京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)をはじめ、銀行や商店などのレトロ建築が建ち並ぶ三条通では、建築家がガイドする特別ツアーを開催。ほかにも、京都ならではの町家や商店建築、教会、昭和レトロな小学校建築の数々が参加し、特別公開や連携企画が行われた。

三条通の近代建築群。左上/京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)、1906(明治39)年、辰野金吾・長野宇平治設計、重要文化財 右上/SACRAビル(旧不動貯金銀行京都支店)、1916(大正5)年、日本建築株式会社設計、国登録有形文化財 左下/家邊徳時計店、1890(明治23)年、国登録有形文化財 右下/1928ビル(旧毎日新聞社京都支局)、1928(昭和3)年、武田五一設計、1999(平成11)年改修、京都市登録有形文化財三条通の近代建築群。左上/京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)、1906(明治39)年、辰野金吾・長野宇平治設計、重要文化財 右上/SACRAビル(旧不動貯金銀行京都支店)、1916(大正5)年、日本建築株式会社設計、国登録有形文化財 左下/家邊徳時計店、1890(明治23)年、国登録有形文化財 右下/1928ビル(旧毎日新聞社京都支局)、1928(昭和3)年、武田五一設計、1999(平成11)年改修、京都市登録有形文化財

大正時代の豪商が建てた大塀造の町家と、表屋を持つ昭和初期の町家

三条町にある京都市指定有形文化財の町家建築「八竹庵(はちくあん)」は2022年に町家再生や和雑貨を手掛ける株式会社くろちくが取得し、現在は一般公開されている。1926(大正15)年に豪商が住宅兼商談の場として建てたもので、通りに面した表屋を持たない「大塀造(だいべいづくり)」だ。表戸を入ってすぐのところに、フランク・ロイド・ライト風の洋館を設けているのが特徴の一つとなっている。この部分は武田五一が手掛け、和室や茶室は数寄屋建築の名工・上坂浅次郎が設計している。

建築祭では、洋館の屋上に設けられた「鉾見台」を特別公開。祇園祭で三条町が立てる山鉾「八幡山」を見物するための場所だ。ここからは新町通や前庭を見下ろすことができる。

左上/新町通に面した「八竹庵(旧川崎家住宅)」。門の奥にフランク・ロイド・ライト風の洋館が見える 右上/外壁にタイルを貼った洋館部分 左下/1階の洋間 右下/洋間の隣にある前庭に面した茶室左上/新町通に面した「八竹庵(旧川崎家住宅)」。門の奥にフランク・ロイド・ライト風の洋館が見える 右上/外壁にタイルを貼った洋館部分 左下/1階の洋間 右下/洋間の隣にある前庭に面した茶室
左上/新町通に面した「八竹庵(旧川崎家住宅)」。門の奥にフランク・ロイド・ライト風の洋館が見える 右上/外壁にタイルを貼った洋館部分 左下/1階の洋間 右下/洋間の隣にある前庭に面した茶室左上/広壮な客間と仏間。欄間は日本画家竹内栖鳳のデザインという 右上/中庭 左下/2階のサロン 右下/洋館の屋上にある特別公開の鉾見台。前庭や新町通を見下ろせる

八竹庵と同じ新町通を少し下ったところにある「旧寺江家住宅」は、国の登録有形文化財である。1935(昭和10)年の竣工で、シンプルな洋風2階建ての表屋は、ぱっと見「町家」とは思えない。しかし、奥には昔ながらの通り土間を持つ主屋があり、和洋を使い分けた昭和初期の商家の暮らしをしのばせる。

左上/新町通に面した「八竹庵(旧川崎家住宅)」。門の奥にフランク・ロイド・ライト風の洋館が見える 右上/外壁にタイルを貼った洋館部分 左下/1階の洋間 右下/洋間の隣にある前庭に面した茶室旧寺江家住宅店舗及び主屋。かつては染色業を営んでいたという。左上/道路に面した表屋は洋館。右手の入り口奥に和風の住まいがある 右上/昔ながらの通り土間の台所 左下/主屋の後ろにある離れも国の登録有形文化財。商品置き場や従業員の休憩所に使われたという 右下/洋館部分内部

昭和初期のハイカラな「革島医院」。時を経て蔦に覆われた印象的な外観

風見鶏を載せた丸い塔に、蔦の絡まる外壁。ロマンチックな戦前の医院建築「革島医院」は建築祭でも大人気で、残念ながら入りきれない見学希望者が続出したようだ。筆者は早朝から整理券配布に並び、幸運にも最終日の最終組に滑り込んだ。

1936(昭和11)年竣工の国の登録有形文化財。クイーン・アン様式を採用している。外壁にはハーフティンバーとスクラッチタイルを併用、屋根はフランス瓦で葺いている1936(昭和11)年竣工の国の登録有形文化財。クイーン・アン様式を採用している。外壁にはハーフティンバーとスクラッチタイルを併用、屋根はフランス瓦で葺いている

革島医院の設計施工を手掛けたのは日本のハウスメーカーの祖型といえる「あめりか屋」の京都支店だ。今も京都を本拠とする株式会社あめりか屋として存続している。建築祭では医院内に展示コーナーを設けて関連資料を公開していた。

建物の内外には船のような丸窓が多用され、玄関やホールの一部はタイルで彩られている。美しい色合いのタイルの一部は名高い「泰山タイル」だ。個人宅の応接間のような居心地のよい待合室に、診察を待つ患者への心遣いが感じられる。

診療科は外科だったとのことで、2階には入院患者のための病室が並ぶ。それぞれ天井の仕上げなど設えが異なっているのが面白い。廊下にもステンドグラス風の丸窓があしらわれており、細部まで周到にデザインされた建物だった。

1936(昭和11)年竣工の国の登録有形文化財。クイーン・アン様式を採用している。外壁にはハーフティンバーとスクラッチタイルを併用、屋根はフランス瓦で葺いている革島医院内部。左上/待合室。廊下との間に丸窓やステンドグラスを配している 右上/玄関部分。ここにも丸窓が並んでいる。腰壁や床に泰山タイルが用いられている 左下/角部屋の明るい病室 右下/病室はそれぞれ少しずつ内装が異なる

上昇感ある天井に鮮やかなステンドグラス。左右から光が入るモダンな教会

通行量の多い河原町通りから少し奥まったところにある「カトリック河原町教会」。間口に対して奥行きが深い、いかにも京都らしい敷地に建っている。合掌するような形の屋根は反り返って高く、モダンでありながらゴシック的でもある。

その正面の階段を上がったところが「聖フランシスコ・ザビエル聖堂」だ。中に入ると、屋根の形をそのまま現した上昇感のある大空間の正面に、色鮮やかなステンドグラスを背にした祭壇がある。空に向かって伸びていくようなステンドグラスの上の方に、「神の子羊」が描かれている。

この聖堂はまた、左右両側がル・コルビュジエ風の開口部になっているのが特徴だ。向かって右側はステンドグラスで、大天使ミカエルの像やキリスト受難の「十字架の道行き」などが見られる。

聖フランシスコ・ザビエル聖堂は1967(昭和42)年竣工。設計はスイス人司祭カール・フロイラーと富家宏泰(富家建築事務所)。教会のホームページは「屋根の曲線は日本古来の神社様式を取り入れたもの」と説明している聖フランシスコ・ザビエル聖堂は1967(昭和42)年竣工。設計はスイス人司祭カール・フロイラーと富家宏泰(富家建築事務所)。教会のホームページは「屋根の曲線は日本古来の神社様式を取り入れたもの」と説明している
聖フランシスコ・ザビエル聖堂は1967(昭和42)年竣工。設計はスイス人司祭カール・フロイラーと富家宏泰(富家建築事務所)。教会のホームページは「屋根の曲線は日本古来の神社様式を取り入れたもの」と説明している左上/見学時はたまたま隣地が工事中で外観の全景を見ることができた。水平方向にも垂直方向にも細長い建築だ 右上/聖フランシスコ・ザビエル聖堂エントランス 左下/十字架の道行きを描いたステンドグラス 右下/地下にある「都の聖母」小聖堂

全国に先駆けた「番組小学校」。昭和の学校建築が用途を変えて活用される

明治維新後、京都では、学制公布に先駆けて「番組小学校」と呼ばれる学区制の小学校がつくられた。「番組」とは地域住人の自治組織で、学校建設の資金も拠出したという。昭和初期には意匠を凝らした鉄筋コンクリート造の校舎が数多く建てられた。うち、元立誠小学校(1928(昭和3)年)や元清水小学校(1933(昭和8)年)は今、ホテルやレストランに活用されている。

建築祭には、国登録有形文化財の元明倫小学校(1931(昭和6)年、現・京都芸術センター)と元龍池小学校(1928(昭和3)年〜1937(昭和12)年、現・京都国際マンガミュージアム)、さらに元成徳中学校(1931(昭和6)年)が参加。元龍池小学校では校長室が特別公開された。

元成徳中学校は現在も下京中学校成徳学舎として部活や体育祭に使われており、地元住民以外はなかなか入る機会がない。見学者はタイルで彩られた豪華なホールや、フランク・ロイド・ライト風の階段手すりなどにカメラを向けていた。

現在は京都芸術センターとなっている元明倫小学校、1931(昭和6)年。現在は京都芸術センターとなっている元明倫小学校、1931(昭和6)年。
現在は京都芸術センターとなっている元明倫小学校、1931(昭和6)年。元成徳中学校。はじめ成徳小学校として建てられ、1947(昭和22)年に成徳中学校を併置、2007年に下京中学校に統合された。左上/1階部分に石を貼り、アーチを並べた外観 右上/エントランスホール 左下/フランク・ロイド・ライト風の階段 右下/木の腰板を巡らせた廊下

観光都市京都のいつもとは違う魅力に出合った建築祭。来年以降の発展に期待

京都のまちあるきといえば神社仏閣に目が向きがちだが、「京都モダン建築祭」は、今までに見たことのない京都の人々と建築の営みを垣間見せてくれた。大切に使ってきた建築を見ず知らずの見学者たちのために公開し、迎え入れてくれた所有者・運営者の方々にまずは感謝を申し上げたい。

観光用に整備された建築とは異なり、今回の公開建築・特別公開からは、今まさに生きて使われている様子、またはかつて使われていた痕跡を感じ取ることができた。建築好きにして写真好きの見学者たちが、思い思いの方向にカメラやスマホを向けているのを見て、自分とは違う視点に気付かされる楽しみもあった。

初回ということもあり、また大勢が押しかけたこともあって、思うように見学できなかった参加者も少なくなかったと聞く。事務局の苦労がしのばれるが、他方で喜ばれたことも多かったのではないだろうか。この試みが来年以降も継続し、京都のまちかどにまだまだたくさん潜んでいるはずの価値ある建築が、また新たに扉を開いてくれることに期待したい。

取材協力 京都モダン建築祭事務局(まいまい京都)
参考文献 『モダン建築の京都100』石田潤一郎、前田尚武編著 Echelle-1発行

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