バブル前夜に誕生したバイオフィリアという考え方
都会の、自然からは離れた場所で暮らしていても人間は動物である。自然とつながりたい、触れあいたいという欲求は本能的なものであり、それによって人は健康や幸せが得られるという。その概念、「バイオフィリア」が提唱されたのは1984年のこと。アメリカの昆虫学者であり、生物多様性の研究者として知られるエドワード・オズボーン・ウィルソンがバイオ=生命、生き物、自然とフィリア=愛好、趣味といった言葉を組み合わせた造語から発信したものだ。
日本では1984(昭和59)年にあたり、いわゆるバブル経済期が1986(昭和61)年に始まったとされることを考えると、バブル前夜ともいうべきタイミング。バブル期ほどイケイケな感じではないものの、自然よりも優先するべきは経済という雰囲気が社会に広がっていた時期である。言葉として専門家は知っていたかもしれないが、社会全体として生活の中に緑、自然を求めていたかといえば、さほどでもなかったはずだ。
それから40年弱。面白いことに2020年前後からオフィスビルや商業施設、その他の空間に緑が増え始めている。たとえば2020年春以降順次オープンし、新しい形の商業施設として話題になった東京都立川市の「GREEN SPRINGS(グリーンスプリングス)」の建物に囲まれた約1万m2の中央広場は緑と水の空間。ビオトープ、噴水、芝生広場に全長120mに及ぶ階段式の滝などもあり、子どもはもちろん、大人たちものんびりと寛いだ時間を過ごしている。
あるいは2020年9月にオープンしたオフィス、住宅からなる東京ポートシティ竹芝のオフィス棟低層部には2~6階に雨、水、島、水田などをテーマにした庭園が用意されており、外から見ると緑の上にビルが立ち上がっているように見える。庭の中には仕事ができる場も設えられている。
開発が進む虎ノ門ヒルズ界隈のビルにも緑がふんだんに使われている。こちらもビジネスタワーが2020年1月、レジデンシャルタワーが2022年1月にオープンしており、タイミングはほぼ同じ。それ以外でも原宿駅前に2020年に開業した複合施設WITH HARAJUKUは山の斜面を思わせる造形に緑が散りばめられているなど、挙げだせばきりがないほどである。
元気な緑のある空間が人間を幸せにしてくれる
バイオフィリアが提唱された時期からこの間に、日本はバブル勃興からその崩壊、停滞を経てきており、さらに現在は先の見えないコロナ禍中。当時からすると社会、経済、人の考え方などは大きく変わり、自然に対しても求めるものに変化があったと思われる。以前より暮らしにもっと緑を、自然をと考える人が増えているのである。
そんな中、2022年9月に自然の、特に緑が持つ力を大きく取り入れて改修された物件が誕生した。渋谷区幡ヶ谷にあるLEAF COURT PLUS(リーフコートプラス。以下リーフコート。株式会社荒井商店)である。
京王新線幡ヶ谷駅から歩いて4分、商店街を抜けたところにある同物件は1988年に建設され、改修前まではマンスリーマンションとして運用されてきた。初台にある東京オペラシティに近いところから、ビジネスマンはもとより、演劇、音楽など芸術関係者の利用も多かったそうだが、コロナ禍で来日する関係者が激減。2020年から稼働率が低下した。築年数も経てきたことから働く場を備えたコンセプト型賃貸に改修することにしたという。
改修にあたり、テーマとされたのがバイオフィリックデザインである。バイオフィリアという概念を具体的な空間づくりに生かしたもので、自然とともにある空間では人はより幸福度を感じ、生産性、創造性が高まるのだとか。そこで延床面積の3割ほどにもあたる共用部を働く場などに改装するにあたり、元気な緑のある空間とすることでそこで働く人も幸せになれる場としようとしたわけである。
外観からでは改装による変化はほとんど分からないが、建物内に入るとたいていの人が息を呑む、リーフコートの内部を以下、ご案内していこう。
がらんとしていた中庭を緑の谷に再生
建物全体は片仮名のロの字が縦に伸びたような形状になっており、中央には細長い中庭がある。エントランスを入ってまず目の前に広がるのがその中庭。森のようになっており、一瞬建物を通り抜けて違う場所に来てしまったのではないかと勘違いするほどだが、大丈夫、その森が中庭である。
中庭中央にはベンチ、テーブルが用意されており、座ってみると緑に包まれるようで、都心のマンション内にいるとは思えないような空間。総合デザイン監修として携わったスタジオテラの石井秀幸氏によると、リーフコートが建っているのは斜面の窪地で、建物はその原地形を生かして設計されているとのこと。今回はそこに緑を入れることでGreen Cave(緑の谷)を作ったという。
中庭から見上げると庭を囲む各階の手すりにも植栽が施されており、中庭が緑の谷の底であることに気づく。取材時、手すりの植栽はまだ植えられたばかりでそれほどのボリュームではなかったが、いずれは壁を覆うように成長するのだとか。中庭に座り、空を見上げるだけでわが家からどこかの森の中にワープしたような感覚が味わえるのである。
上階から中庭を見下ろすのもすてきだ。中庭全体が一枚の絵のように見え、一瞬で心を奪われる。もし、それまでに嫌なことがあったとしても、これを見た途端に忘れてしまうことだろう。夜になると各階、中庭の足元に照明が入るのだが、それも美しい。
かつての中庭は現在も奥にあるエゴノキが1本植えられていただけの、入ることができない空間だったそうだが、驚きの変身を遂げたのである。
地下にはワーキングスペース、会議室も
変身という意味では地下の共用部も大きく変わった。もともとは食堂、ランドリーなどがある共用部だったのだが、今回は同じ共用部でも在宅勤務のための空間となったのである。
階段を降りていくと、まず手前には会議や打ち合わせなどに使える、モニタ、Wi-Fi完備の個室が大小2室。その隣には24時間利用できるマシンを備えたジムがあり、向かいにはストレッチのためのスペースもある。在宅勤務で運動不足になりがちという人に配慮した設備である。
さらに進むと中央にカウンターのあるコミュニケーションのための場があり、その脇にはひとりになれる小さな空間も。オンライン会議その他にも使えそうな場である。この空間の正面には建物外部に植えられた緑が望め、天井からもグリーンが吊るされている。
だが、圧巻はその先のワーキングスペースだ。ここには細長いロの字型のテーブルが用意されているのだが、その中央にはテーブルの反対側が見えないほどに植物が植えられているのだ。座ると緑が目前。普通の生活でこれだけ緑を目にすることはほとんどないのではなかろうか。向かいの人の存在など気にならないほどの緑でもあり、これは集中せざるを得ないようだ。
さらにその先の建物外側の半地下部分にももちろん、緑があり、ワーキングスペースではどこに目をやっても緑、緑。中庭同様、森の中で仕事をすることになる。いつも緑が楽しめるようにと9割5分は常緑樹が植えられているそうだ。
緑を元気に維持する仕掛けも多数
こうした緑を維持し、植物を健康に保つため、リーフコートではさまざまな仕掛け、試みにチャレンジしている。たとえば地下階は太陽光が入らないため、植物の生育に必要な照度が足りない。そこでLEDを利用、日の出、日の入りの時間に合わせて明るさを変えるなどしており、夜には植物を寝かせるため、消灯するのだとか。消灯前には少しずつ照度を落としていくそうで、人間に対する以上に細かい制御が必要なようである。
また、植物にとって湿度は70%くらいがうれしいそうだが、それでは人間には辛い。そこで今後、土中のモニタリングなどをしつつ、植物にも人間にも優しい湿度を模索していく予定とか。
風環境についても空調の風が植物に当たらず、人間の足元にはきちんとあたるようにすることに苦労したという。植物がよい環境にあることで人間に幸せをもたらすと考えると、植えたらおしまいではなく、これからこそが大変なのだろう。
さて、共用部としてはもうひとつ、エントランスを入った左側に入居者専用のカフェも作られている。以前は管理人室だったスペースを利用、カウンターのあるスペースと奥まったテーブル席が設けられており、コーヒーや軽食が提供されている。ちょっと外にでれば商店街があり、外食には事欠かない立地だが、外に出る必要がなく、朝のコーヒー、仕事中の一息が付けるのはうれしいところだ。
こちらにも他の空間ほどではないものの緑が配されており、特に奥まったテーブル席は窓からの緑が印象的。洞窟のような適度なお籠り感もあり、居心地が良い。
都心で、でも緑を楽しんで暮らしたい人に
最後に各部屋の様子もみておこう。以前は地下のランドリーを利用してもらう想定で、室内には洗濯機置き場がなかったため、それを増設するなど水回りも変更されている。キッチンと並んで配置されている部屋が多い。間取りはすべてワンルームで専有面積は25.05m2~35.84m2まで。インテリアテイストは淡い色目のモダンタイプ、木目調のナチュラルタイプの2種類が用意されている。賃料は11万5,000円~(共益費は賃料に含む)だ。
印象的だったのは壁面に用意された可動式の棚や、洗濯ものなどが吊るせるように天井に設置されたバーなど、高さをうまく利用するためのツール類。限られた空間をどう無駄なく使うかがよく考えられているのである。一方で水回りは比較的広めで、バス、トイレ、洗面はそれぞれに独立して用意されている。キッチンはIHで2口だ。
働く場のある賃貸とのことで、全戸光回線が引込済みで使用料は無料。法人契約、SOHO利用も相談に応じてもらえる。感染症対策としてエレベーターは専用アプリで、エントランスは顔認証でいずれも非接触で利用できる。
緑、自然の中で暮らしたい、都心近くに住みたいという2つの、たいていの場合、相反する希望を両方叶えてくれる住まいはそれほどないが、リーフコートは都心で緑の中に住める住宅のひとつ。加えて働く場としても家を考えたいという人であれば一見の価値はあるのではなかろうか。
リーフコートプラス(荒井商店)
https://www.arai-s.co.jp/leafcourt_plus/
スタジオテラ
https://studio-terra.jp/
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