大国に挟まれて困難な歴史をたどったバルト海沿岸の国々
建築史家・倉方俊輔さん(大阪公立大学教授)が建築を通して世界の都市を語るロングランセミナー(Club Tap主催)。今回は、バルト海沿岸のエストニアとラトビアを取り上げる。
エストニア、ラトビアは、南隣のリトアニアと併せて「バルト三国」と呼ばれることが多い。それぞれ民族も文化も異なるが、ロシアやドイツ、スウェーデンといった大国に翻弄され、被占領と独立を繰り返した歴史は共通する。三国はロシア革命後の1918年に独立を果たしたものの、第二次世界大戦中に再びソ連に占領され、冷戦終結後の1991年に独立を回復し、国連に加盟した。
ここでは、エストニアの首都タリンと学問の中心地タルトゥ、そしてバルト三国最大の都市、ラトビアの首都リガを扱う。
「タリンやリガでは、占領下で荒廃した歴史的建造物が美しく修復・改修され、活用されています。その多くはドイツやロシアから来た人々が建てたものですが、そのことも含めて、自国の歴史として昇華しています」と倉方さん。
建築も路面もすべて石造り。中世都市の面影を残すタリン
タリンは、北ドイツを中心とした中世の都市間商業組合「ハンザ同盟」の最北の都市だ。「旧市街は、中世の都市の雰囲気を良く残しています。城壁に囲まれたまちの中心に広場があり、広場に面して教会や市庁舎がある。建造物も路面も、まちのすべてが石でつくられている感覚が、特に日本から来ると目新しく思えるものです」。多くは13〜14世紀に建設されているので、技術は手作業の延長上にあって、人間的なスケールだ。「建物の内も外も石で、人の手でつくられたものに包まれているという、独特の安心感が感じられます」。
中世の都市では、領主は城壁の外に館を持ち、城壁内にある広場や市庁舎は、市民の自治を象徴する。ハンザ同盟の商人たちは、自ら出資して城壁を維持したという。タリンの中心「ラエコヤ広場」の周辺には、市民が帰依した「聖霊教会」や、商人たちの拠点だった「大ギルド会館」などがある。それぞれ、13〜14世紀に建てられたものだ。
「大ギルドの会館」(1410年)は、現在「エストニア歴史博物館」として公開されている。「歴史ある床や壁を保護しつつ、照明や什器をうまく使って展示を構成しています。過去と現在が重層するところにタリンらしさを感じます。歴史的建造物の活用法として、現代的なセンスがあります」。
城壁の周縁部には石造りの民家が残る。なかでも有名なのが、15世紀の三軒長屋、通称「三人姉妹の家」だ。今はホテルにリノベーションされており、倉方さんはここに宿泊したそう。「部屋の中から見ると、石壁の厚みのぶんだけ窓に奥行きがあり、外から光が染みこんでくるようで、ゆったりと落ち着ける空間でした」。
エストニア最古の大学を擁する文化都市タルトゥ
タルトゥは、エストニア最古の大学、タルトゥ大学で知られる文化の中心地だ。中世にはすでに都市が成立していたものの、度重なる戦乱によって大きな損害を被った。1632年、タルトゥに初めて大学を設立したのは、当時の支配者だったスウェーデン王である。その後、移転や活動停止を繰り返したが、1802年に今度はロシア皇帝が再建している。
「タリンが中世の都市の骨格を残しているのに対して、タルトゥの街並みは18世紀以降の新古典主義の影響が色濃い。新古典主義は、建築の原点としての古代ギリシャのデザインやプロポーションを踏襲しています。普遍性や理性といった啓蒙に結びついた様式です。大学を中心に据えた都市タルトゥには、新古典主義が似つかわしいのです」。
タルトゥ大学歴史博物館は、15世紀に建設されたレンガ造りのゴシック建築、タルトゥ大聖堂の廃墟を利用して開設されている。
「ゴシック建築といえば石造りのイメージですが、エストニアあたりでは建築に向く石が採れないのでレンガを使用します。西ヨーロッパにはあまり見られない形式です。宗教改革後、エストニア地域ではプロテスタントを信仰するようになったので、大聖堂は打ち捨てられ、廃墟になってしまいました」。
聖堂の一部は1807年にタルトゥ大学の施設として使われるようになり、1928年に聖堂の骨格を残しながら博物館にリノベーションされた。ゴシック様式の尖塔アーチが並ぶ身廊は廃墟そのままの屋外空間で、子どもたちが遊んでいたりする。
「聖堂の廃墟と、大学の黎明期からの実験道具や研究資料が展示された博物館が重なり合って、時空を行き交う感じが面白い。建物自体が歴史の重層を物語っているだけでなく、それを活かした改修も知的でユニークです。20世紀初頭の設計なので、アールデコ風のデザインを見出すこともできます」。
フィンランドの巨匠、エリエル・サーリネンが手掛けた聖パウロ教会
長くロシアの支配下にあったバルト三国は、ロシア革命後の1918年にそれぞれ独立を宣言、1920年にソヴィエト・ロシアと平和条約を締結し、国家の樹立を果たした。この間、三国は、西欧列強から独立国家としての承認を得るためにロビー活動を行っている。
「独立国家として認められるためには、自立した産業や文化を持っていることを示さなければなりません。そのための重要な要素が建築で、この時期に建設されたのがヴァネムイネ劇場や聖パウロ教会です」。
聖パウロ教会を設計したのは、エストニアとバルト海を挟んで対岸に位置するフィンランドから招聘されたエリエル・サーリネンだ。サーリネンの故国における代表作「ヘルシンキ中央駅」(1919年)より少し前に完成している。
「幾何学的な構成によって上昇感をつくり出す塔は、伝統的な様式を離れてモダンです。その一方で、レンガや木の質感、工芸的な手づくり感が同居しているところが北欧的であり、サーリネン的といえます。内部は一室空間でありつつ適度に分節されており、装飾に頼ることなく、静謐な空間をつくり上げています」。
ソ連の負の遺産を活かして未来につなぐ、エストニア国立博物館
第二次世界大戦中の1940年、バルト三国はソ連に占領され、やがて併合される。冷戦終結後の独立回復に至る経緯は国によって異なるが、ソ連国家評議会が三国の独立を採択したのは1991年のことだ。
2016年に完成した「エストニア国立博物館」はタルトゥの郊外にある。ここは1909年に設立された最初のナショナル・ミュージアムがあった場所で、第二次世界大戦後はソ連が軍用地として占拠し、独立回復後もそのまま放置されていたという。新しい博物館は、その滑走路の痕跡をなぞるようにして建っている。
「設計したのは、国際コンペで最優秀を獲得したドレル・ゴッドメ・田根アーキテクツ。コンペ当時まだ20代半ばの建築家ユニットです。東京の国立競技場コンペでも優秀作に選出され、古墳を彷彿させる設計案で注目を集めました。中心人物の田根剛さんは独立し、今、帝国ホテルの建て替えにも携わっています。海外で頭角を現し、いわば逆輸入された日本人建築家としては初めてのタイプといえるでしょう」。
滑走路跡に向かってまっすぐ伸びるように置かれた細長い建物は、幅約72mに対し、長さは約356mに及ぶ。一見単純な形態だが、途中で川をまたいでいるなど、地形との関係で多様な風景が生まれている。
「荒涼とした大地と空の間にあって、率直で無機的な建築が、わずかな地形の起伏や軍用地の痕跡を浮かび上がらせる。人工的であると同時に、自然との関係がなければ得られない光景がそこにはあります。古くて新しいこの国が、他国に翻弄されてきた過去も含めて自らの歴史として引き受け、未来に向かう、現在進行形の博物館にふさわしい建築でした」。
リガに花開いた独自のユーゲントシュティール
エストニアの南の隣国、ラトビアの首都リガは、1201年にドイツ人が初めて城塞を築いたことから発達した都市で、2001年には800周年祭が開催された。
「旧市街には城壁の一部が残り、中世都市の雰囲気にはタリンと共通するものがあります。一方で、19世紀以降に市街地を拡大し、パリのアパルトマンのような集合住宅が数多く建てられており、そこはタリンとは違うところです」。
20世紀初頭の建築群は、ドイツ語でユーゲントシュティール、フランス語でいうアールヌーヴォー調で、世界遺産の一部として登録されている。バルセロナでアントニ・ガウディが「カサ・ミラ」などを設計していたのと同じ時代の建築だ。
「貴族や領主とは異なる新たな都市の主役、ブルジョアが誕生した時代です。彼らが求めたリガのユーゲントシュティールは独特の発展を遂げました。特徴の一つが、人間の顔や身体をかたどったデザインです。ギリシャ神殿にもカリアティード(人体の形をした柱)はありますが、リガでは叫び声を上げているような顔が屋根の上にくっついていたりして、生々しい生命力を感じさせます」。
「ラトビア科学アカデミー」の建築はソ連時代の1951年に計画が始められ、1961年に完成した。リガで初めての高層ビルとして、都市計画において象徴的な意味を持つように設計されている。
「スターリン様式と呼ばれるソ連独特の建築です。世界がモダニズムに向かっていた頃の建築としては時代錯誤といえるほど、装飾的で威圧的ですね。これもリガが経てきた歴史を象徴しています。バルト東海岸の二国は、いろいろなことを考えさせられる場所でした。世界や歴史を考えるとき、バルト東海岸を起点として観測してみると、様々な事象を相対化して捉えることができるようです」。
■取材協力:ClubTap https://www.facebook.com/CLUB-TAP-896976620692306/
参考文献
志摩園子『物語バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』中公新書
タルトゥ大学博物館 https://www.tahetorn.ut.ee/
エストニア国立博物館 https://erm.ee/
ラトビア科学アカデミー https://www.lza.lv/
公開日:

















