自然と建築の新しい関係を考える
練馬区、石神井池沿いの道路に面して境界壁などがなく、室内がよく見える不思議な形の建物が誕生した。道行く人の8割以上は不思議そうに立ち止まり、徐行運転する車すらあるほど。
「カフェと思って入って来る人がいるので間違えられないよう、看板を出しました」と笑うのはこの建物、鶴岡邸を設計した、1階にオフィスと自宅を構える建築家の武田清明氏。
武田清明建築設計事務所の武田氏によると、施主の鶴岡氏はこの建物を建てるにあたって「鳥が集まる家、猫が縁側に昼寝しにくる家にしてほしい」と要望したという。すぐ近くの、武田氏の父が設計したマンションでの打ち合わせではベランダに鳥が止まっており、鶴岡氏がくれる餌を待っていたとも。
石神井池は都内の他の公園の池と違い、池と住宅地の距離が近くてフラット。同じ石神井公園内にあるもうひとつの池、三宝寺池の沼沢植物群落が天然記念物になっていることからも分かるように自然の豊かな地であり、鶴岡氏はその自然の中でずっと暮らしてきた人である。普通の施主はキッチンの設備や収納の量などを注文するところだろうが、鶴岡氏はこの地の自然を味わえる家を注文したというわけである。
その要望を受けた武田氏も自然と建築について考えていることがあった。
「科学誌ネイチャーで『地球上にある人工物の質量が生物の質量を超えた』とある論文を読んだのですが、その主な要因のひとつが建築資材。建築資材の増加が人工物、生物のバランスの臨界点を越したということで、これまでは問題が無かったとしても今後、何かあるのではないかと考えたのです。自然と人工物のバランスを崩すことに加担してきた建築家という立場から何かできること、問題を提起することはできないかと模索、そこで生まれてきたのが鶴岡邸です」
そのため、鶴岡邸は単に見た目が変わっている不思議な建物というだけではない。これまでの建築とは違う、自然を取り込むいくつもの試み、挑戦が行われているのである。
土を背負う、水の循環の一部になっている建物
いろいろな試みのうち、もっとも驚くのはこの建物が1階、2階ともに土を背負っていることだ。最近では屋上に土を載せて緑化している建物があるが、それの、もっと壮大なものといえばお分かりいただけるだろうか、各階のコンクリート天井の中に土が入っているのである。
ただ、入っているだけではない。2階の屋根、つまり屋上に降った雨は屋根のヴォールト(かまぼこ型のアーチ)の形に沿って下に流れ、さらに2階から1階までの、建物を貫く土の柱から建物地下の地中にまで流れていく。普通の建物は雨を建物の外に流し、建物内には入れないが、鶴岡邸では雨は建物内の土中を流れて地中へ。建物は水の循環を途切れさせないどころか、逆に循環の一部になっているのである。
「鶴岡さんは石神井池では地下で水が循環していると仰っていました。それを止めるような建物ではなく、建築が雨をいったん受け取り、その雨が住環境や植物の成長に活かされながら、また、地下に戻すようにと考えた結果です」
完成後に聞くと簡単なようだが、実現には幾多の試行錯誤があった。土は意外に重く、また、雨が降ると重量が1.3倍にも増える。最近のゲリラ豪雨などで流れる量より、流入する量が増えた場合、屋根は重い泥水のプールになってしまう。建物にかかる荷重をどうするか、降った雨をどう流すか。土柱のアイディアはそのためのものであり、荷重のバランスを考えた結果のひとつが大小3種類のヴォールト天井である。
「芝生を植えるだけなら土の深さは20cmで済みますが、果実がなる中木程度の木を植えるには60cmくらいの深さが必要です。といってもすべてを60cmにすると重すぎます。そこで20cmから90cmと場所によって深さを変え、それがヴォールトのサイズになりました」
土に包まれ、土を蓄熱材として使う空間
植物にとって水はけの良い環境を、と考えると土は重くなり、建物には荷重がかかり、安全に作るためにはさまざまな工夫が必要になる。雨水を上手に流すためには土柱のほかにも何段階かで水を逃す工夫が凝らされており、手間、面倒がかかっている。効率的とは言えないわけだが、それをあえてやったのには自然が求めているもの、人間が求めているものを分析していくと両方にメリットが生まれるかもしれないという考えから。
これまで建築は土から切り離されてきたと武田氏。でも、人間が最初に住まいとしたのは洞穴であり、土に囲まれた空間である。であれば、土に包まれる空間は人間にとってポジティブな環境をつくりだす要素があったのではないだろうか。
「建物、周囲に植えられている植物に水やりすることが打ち水のように建物全体をひんやりさせ、人間にも水やりするかのような効果があったらと思っています。とはいっても自然は不安定なのでエアコン、扇風機も併用しながら自然の恵みも同時に活用できればと思っています」
土ではもうひとつ、面白い試みがある。鶴岡邸では土と建物が切れていない。一般には建物と土の間に断熱材を入れて縁を切る。だが、夏は土が冷やしてくれるので断熱材がないほうが実は涼しい。問題は冬。そこで武田氏は土を温め、蓄熱材にしようと考えた。
「土には水分があるので床暖房の熱を蓄えて蓄熱材代わりになるはず。そこで、せっかく温めたものが建物外に出ていかないように建物の外側に垂直に断熱材を深く入れてあります。大地と建築を切り離して考えるのではなく、土中の熱、水分などを特別な熱環境、水分を持った土という物質として建築を構成する一環とし、大地とつながりを持った建築としたいと考えました」
土も植物も建築計画に巻き込みたい
植物も同じだ。建物では日除けにルーバー(鎧戸、ガラリ戸とも呼ばれる細長い羽板を並行に並べたもの)が使われることがあるが、夏、冬で日射に合わせて人間が角度を変える必要がある。電動で羽板を動かすものもあるが、植物は自然に角度を変えていると武田氏。
「蔦は夏と冬で葉の角度が変わります。太陽の光を効率的に受け止めるためで、冬になると横からの陽光を受けるため、建物の外壁に平行になり、建物の外壁との間に温かい空気の層を作ります。それが建物を温めることにならないか。これまで建築は建物の外は無視、絡まる蔦も使ってはこなかった。これからは植物も土も建築計画に巻き込みたいと思っています」
そのため、敷地内には90種類近い植物が植えられており、庭と建物が一体になっている。造園の世界では庭と建物の調和がとれた状況を「庭屋一如」、庭と建物がひとつであるがごとしという言い方をするが、まさにその言葉通り。しかも従来の庭と違って鶴岡邸の庭は立体。建物そのものが庭でもあり、建物が自然でもある。
これは今の建築の中にあっては異色である。建築物はもともと自然への恐怖からスタートした閉じた箱。しかも、どんどん閉じてきており、最近では自然の豊かさまで寄せ付けない、閉じた空間になっているのではないかと武田氏は危惧している。
「人間の感覚の大半は視覚によるものだそうで、風景さえあれば空間は閉じていても構わない。とすると、将来の建築は外が住めない世界になっていても中だけがきれいなら良い、宇宙船のようなものになってしまうのではないか。でも、そうじゃないやり方もあるはずです。自然の豊かさまでは削ぎ落とさない、閉じる以外の建築。そのために自然、外界と内部の境界の設計は大事だと考えています」
その実践として「そうくるか!」と思ったのが結露対策。
「結露がなぜ悪いかといえば垂れて足元のフローリングなどが腐ること。だとしたら足元を変えればよいと考えました。窓際を見ていただくと分かりますが、ステンレスの上に砂利を敷き、そこから結露が地中に流れていくようになっています」
最初は砂利ではなく、土を入れようとしたそうだが、それは妻に反対されたと武田氏。土中の菌が悪さすることがあるからというのが反対理由だが、考えてみるとそうしたことも私たちはあまり知らない。土という身近な自然すら知らないのだという武田氏の言葉通りなのである。
自由に使える躯体、空間
続いて建物の内部を見せていただこう。なんといっても印象的なのはヴォールトの天井が仕切る空間の存在感。ところどころに壁はあって、空間はそれで仕切られているのだが、空間の印象をコントロールしているのは天井なのである。天井のサイズに合わせてしつらえられたソファに座ると、洞穴の中に籠ったような感じになり、実に落ち着く。目の前に石神井公園の緑と水が広がることもあり、それを眺めて一日ぼおっとしていられそうである。
特に洞穴感(!)が強いのが浴室。円い天井にほど良く籠った感はなんともいえず、他人のお宅ながら、このお風呂に入ってみたいと思ってしまったほどである。
天井は高いところでは3.5m、低いところでは2m。手を伸ばせば、あるいは脚立を使えば容易に手が届くほどと近い場所にある。しかも、普通の家の天井のように同じ高さのフラットなものではない。これも武田氏のこだわり。手が届くようにとぎりぎり2mまで下げたという。
「子どもの頃、柱に背の高さを刻みましたが、あれはなぜ、柱であって襖ではなかったか。子どもでも柱は構造体であり、頼りになる存在と知っていたのではないかと思うのです。鶴岡邸では構造体は近く、頼りになり、使える存在。谷に2種類の高さのPコン(コンクリートを打った跡の穴)が来るようにしてあり、そこを利用すればカーテンやペンダントライトなどを吊ることができるようになっています」
自由に使えるのは構造体だけでなく、構造体の下もである。当初はすべてコンクリート造とする話もあったそうだが、それでは最初のレイアウトが決まり、竣工した瞬間に建物の人生は決まり、ずっと同じ間取りとして使うしかなくなる。それよりは2mから下の部分はプラスターボードなどで容易に立てたり、外したりできる壁にしたほうがいろいろ使えると考えたのだとか。間取りフリーな家というわけである。
時間軸のある建築を目指したい
建物内外は洗出しのコンクリート(コンクリートが完全に固まらないうちに表面のセメントを洗い流して砂利が表面に浮き出るようにしたもの)で作られている。よく見ると石が固まって入っている部分があるなど表情が豊かで眺めていても楽しい。
「普通のコンクリート空間の場合、物質に包まれている感覚にはなりにくいのですが、洗出しなら配合されている物質が露出し、山や川から運ばれてきたいろいろな形や大きさの石が見えて分かります。石ひとつひとつに表情があり、家の中で『ここ、あそこ』という場が生まれ、人間と家の記憶の結び目になります。そのため、工事でミスったところも、建築を造った時の歴史の痕跡としてわざと残してあります。建築は空間と時間からなる立体的なものだと思うからです」
その観点から、真っ白い外装の建築には違和感があったと武田氏。それらの住宅の多くは雨が降って窓枠から滴り落ちた痕跡を汚れとし、それを白く塗り直すことで時間を巻き戻している。風化をないことにしているわけだが、それはどうなのかと。
「道行く人にこの建物は築何年かと聞かれました。2021年6月に出来上がったばかりですが、洗出しのコンクリートを見て風化したものと思ったのでしょう、うれしかったです。時間軸のある、時間の経過が生む風化を味方にする建物を作りたいと思っていたのです。時間が経てばレイヤーができ、より表情が生まれてくるはず。それが楽しめる建物であってほしいと思います」
経年を劣化と考えるか、風化と考えるか。時間を敵とするか、味方とするか。その点でも鶴岡邸はこれまでの常識と異なる新しい建築なのだと思う。ちなみに洗出しコンクリートはつるりと水が流れていってしまうコンクリートと違い、蔦が絡まりやすいそうだ。
理屈抜きの楽しい、住んでみたい家
と、ここまでいささか難しいことを書いてきたが、率直なところ、理屈を抜きにして鶴岡邸は楽しい。室内の居心地の良さについては軽く触れたが、建物のどこにいても少し目を外にやればそこに石神井公園の緑があり、水がある。庇が1.5mと深いので風景は楽しめるが、夏の日射は入ってこないので室内はほどよく涼しい。夜景も桜の時期も見事とのことで、さもありなんである。特に2階は目の前に桜が広がるそうで、花見の超特等席。現在は鶴岡氏の親族がお住まいになっている。
中から公園が見えるのと同様に外からもよく見られるわけだが、お住まいのご家族はさほど気にならないとのこと。「建築関係の方々は男女問わず、住んでみたいとおっしゃいますが、一部、女性の中にはここまで丸見えはちょっとという方もいらっしゃるようです(笑)」とも。ただし、さすがにパジャマ姿でリビングは歩けないと武田氏。いずれは植栽が繁茂し、目隠しになってくれるだろう。
ところで住戸以上に素敵なのは屋上。石神井池に面してテーブルとイス、デッキなどが用意されており、ハンモックも。植えたばかりの植物がいずれはテーブル上に屋根を作ってくれるはずで、そこで夕陽や桜、夜空を見ながらぼんやりしたり、軽く飲んだりはさぞや楽しいことだろう。
といっても、現在は1階、2階とも居住者がおり、なかなかこの空間を体験することはできない。だが、以前はレストランでまちに開いていた場所だったため、ご近所にはそれを惜しむ人がおり、今後は月に1回程度、1階を利用して料理教室などのイベントを開催していく予定という。自分たちが共感できるゲストをお呼びして学ぶ会を考えているそうで、気になる人は武田氏のオフィスのホームページをチェックしてみてほしい。
武田清明建築設計事務所
https://www.kiyoakitakeda.com/
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